デカメロン2020(Decameron2020)_01

デカメロン2020(Decameron2020)

「デカメロン2020」©(Decameron2020)©

緊急非常事態宣言が発動されたイタリアを、
イタリアの若者が語る、描く、見つめる、歌う

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、非常事態宣言が発動されたイタリア。ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、ローマ、モンテレッジォ、シチリア島などで暮らす17歳から29歳の若者たちが、ささやかだけど私たちにも届く声をつむぎ始めました。彼らが、耳をすませ、見て、感じて、触れた、いまのイタリアの姿を届けます。
 これから始める「デカメロン2020」は、1348年のペストの蔓延からフィレンツェ郊外に逃れた若い男女10人が10日間語りつくす古典『デカメロン』の「リアル・イタリア版」です。


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非日常になってしまった普通の生活

©MiBACT#IORESTOACASA


 この画像は、2020年3月9日に政府が発令した全国封鎖、非常事態宣言に追随して、イタリアの文化財・文化活動省が発信したツイートです。
説明は一字もありません。
 これだけ。
 <#私は家に居る>というタグが付いて、広まりました。
 現状を軽く考えずに外出を避けて家にいよう、と呼びかけたのです。

 しのごの言わずに、発令。
 中世にヴェネツィア共和国のペスト対策で発案された、隔離対策と疫病/感染学をそのまま踏襲するかのように、断固と実践しています。

「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう」

 イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました。
 同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、
「皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます」
 という公告も出しています。

 交通機関の多くが運休となり、徒歩での外出にすら自己申請の認証書の提示が必要となった現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。

内田洋子
2020年3月16日




2020年3月8日イタリア。非常事態宣言発動。
新型コロナウイルス感染拡大防止のために首相令が発令された。3月10日朝から4月3日までイタリア全土で、移動制限や学校の一時閉鎖、飲食店の夜間営業停止等の措置が決定。
刻々と深刻化していく状況を受けてさらに、3月12日からは生活必需品の販売店,薬局、ドラッグストアを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表(期限は3月25日)。
具体的には(以下、在ミラノ日本国総領事館による、2020年3月11日イタリア首相令DPCMの抄訳 https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200311_dpcm.pdf):

食料品、生活必需品の販売店や薬局及びスーパーマーケットを除く、全ての商業及び小売り販売活動の休止を規定する。つまり、スーパーマーケットに食料品を買いに走る必要はない。
しかし店舗、喫茶店、パブ、レストランは、宅配サービスできる可能性を残して休業する。

対人距離1メートルの確保ができない理美容院、美容エステ店、食堂サービスは休業する。
生産業及び専門性の高い業務は可能な限りテレワークで活動を続け、従業員には休暇の取得を推奨する。

企業内の生産部門に必須でない部門は活動中止する。感染を避けるため,自社の従業員に安全ルールを守らせることができるのであれば、生産活動は継続することができる。製造会社では現状を乗り越えるための措置として、シフトの調整、休暇の前倒し、不必要な部門の閉鎖を採ることが推奨される。

公共交通機関、公益に資するサービス、銀行・郵便・金融・保険サービス、その他活動を続ける分野が正しく機能するために必要な、生活に不可欠な公共サービスは保証されている。
保健衛生の規則を守る限り、農業・畜産業・農産品加工業、及びこれらの業者に物品・サービスを提供する流通業の継続も保証されている。基本となる規則は変わらない。

我々の移動は、仕事上、健康上あるいは買い物といった必要な理由に制限しなければならない。期限は3月25日。


Decameron2020-01

2020/3/11
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

ジュリ・G・ピズ
Julie G.Pisu

いつもと変わらない一日に思える。休日のような。下宿仲間のヴァレンティーナとソファに座ってぼんやりしているうちに、ジュデッカ島のうしろへと日が沈んでいく。数日前まで、水上船や連絡船、豪華客船、タクシー船や小舟がひっきりなしに往来していた運河は、静まり返っている。モーターボートの追波が岸壁に打ち寄せることもない。波頭の立たない水面は鏡のようで、空が映り込んでいる。
家の中もしんとしている。退屈。昨日までは、階下へ、スプリッツを飲みに下りていっていたのに。もう18時12分だ。すでにどこも閉まっている。でもそのほうが、人との安全距離を保てる。これでいい。
「それで、なにをしようか?」
「さあねえ。映画でも観る?」
「あまり気が乗らない」
「これって、隔離でしょ。昔の人達は、こういうときどうしていたのかしらね?」
「それぞれ物語を披露しあっていたのよね」
「ボッカッチォの『デカメロン』を読みなおしてみない?」
「いいかもね! それで、私達もその日に思ったことをメモしてみるのはどう?」
「わあ!」
冗談半分のような思いつきだったが、わくわくした。これで、来月までの自宅待機の過ごし方が見つかった!
「装丁の美しい版を見つけましょう。きれいなノートを買って、毎日写真を撮り、ページにはさんでいくの」
「すごくいい!」
「じゃあ明日、本を探しにいかなくてはね」
「日中は、本屋はまだ開いているのよね?」
一瞬、私達は顔を見合わせる。
「だといいけれど」
どうか開いていますように。私達は何度も繰り返して、就寝した。

<朝の口には、金(きん)>
ことわざの通り、目が覚めたら、『デカメロン』で頭はいっぱい。
「始める?」
「もちろん」
どこへ買いに行こうか。大型書店だと学校の教材かペーパーブックだけで、特別な装丁の本は置いてないだろう。
「ベルトーニ書店に行ってみようか?」
「あそこなら、きっと見つかるよね」
いつのまにか寒は緩み、冬のコートは必要がないほどだ。でも用心のため、スカーフはしていかなければ。


水上船の停留所へ向かう。ぶらぶらと流し歩く人たちがいる。正確には、ヴェネツィア人が、いる。観光客は誰もいない。やっと、住人の元にヴェネツィアが戻ってきた。
岸壁を行く。もうセルフィー・スティックやスーツケースを避けて歩かなくてもいい。二週間前まで二十分はかかっていた道程が、今では十分そこそこだ。アカデミア橋から見る大運河は絶景で、見とれて立ち尽くす観光客の間をかいくぐり、橋を渡りきるだけで十五分はかかっていた。
周辺のバールにはどこも、<入店は、最多八人まで>とか<休業中>と貼り紙がしてある。このまま町は少しずつ息絶えていくのだろうか。励ましの声がけなのか、<きっとうまくいく>と書かれたポストイットが、あちこちのガラス戸やシャッター、橋に貼ってある。

アルベルト・ベルトーニ書店に着いた。ちょうど、中年の女性が袋いっぱいの本を提げて出てきた。この先ひと月、読書三昧で過ごすことにしたのだろうか。
「こんにちは! 店内の人数制限はありますか?」
「さあさあ、お入りください。積み上げた本が柱代わりになって、自然と人との距離
が開くようになっているから、だいじょうぶですよ」
いつきても、天井まで本が積み上げられている。いくつもある本の山は、何の仕分けもされていないように見える。
美術展のカタログの山の後ろから、
「何かお手伝いしましょうか?」
店主アルベルトが私達に尋ねた。
「ちょっと、おかしなお願いかもしれませんが。あのう、ボッカッチォの『デカメロン』全集は、ありますか?」
アルベルトは笑って、
「全巻ありますけれどね、かなりしっかりした編纂でしてね。大判で、全四巻。でもとても美しい装丁です。お二人はきっと、もう少し扱い易いものを探しているのでしょうけれど」
「いえ、私達、まさにそういうのが欲しかったのです!」
アルベルトは本の間を器用にすり抜けて奥へ行き、体を折り曲げ書棚の下段から、
「はいどうぞ、お嬢さんたち!」
ドンと、四巻を私達の前に置いた。
風格のある赤い表紙に(ヴェネツィアン・レッドだろうか?)、金色で『デカメロン』と印字してあった。
「買います」
二人で二冊ずつ分けて持ち、私達は文化の分だけ重くなって、帰宅した。
さあ今晩からの伴は、一杯のワインとボッカッチォだ。

ジュリ・ピズ(23)
Julie G.Pisu


国立ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学
大学院 芸術経済・運営学 専攻
ミラノ生まれ、育ち。
2019年からヴェネツィアに犬レオンと移住。
アートと本、良い友達に囲まれて暮らす。
これに美味しい食べ物とワインがあれば、もう何も言うことはなし。



2020/3/11
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

ヴァレンティーナ・スルブリエヴィチ
Valentina Srbuljevic


ソファに座って考える。この時間、アルバイトに行ったり、大学で授業を受けていたり、ジムに行ってそのあと友達と、スプリッツを飲んでいたのかもしれない。でも、全部閉まっている。全部。
それでまた考える。私には、もしかしたらそんなに悪いことでもないのかも。ふだん毎日の忙しさに流されて思うようにできていなかったことに、もっと時間を割けるから。
では、何から始めようか? スイーツ作り? それとも本? この間買ったのに、まだ読み始めていない本や、読みかけのままになっている本がある。
編棒を持った。セーターを編もう。
ジュリが隣に座って、本を読んでいる。お互いにお茶を飲みながら、手を温めている。あれ、ちょっと待って。
ソファに並んで座ったら、空けなければならない警戒空間の1メートルを守れていないから、これ、罰金なのだろうか。自分の家にいてもダメ?



ヴァレンティーナ・スルブリエヴィチ(26) Valentina Srbuljevic

セルビア出身。1996年にイタリアへ移住。現在ヴェネツィアの南端に向かい合って沿う干潟、ジュデッカに在住。
国立ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学。アジア・アフリカ地中海地域、言語・文化・社会学部在学中。
アカデミア橋の近くにある、<サン・トロヴァーゾ食堂>(Taverna San Trovaso) でパートタイム勤務。
スポーツ、編み物やジュエリーなどの手芸が好き。新しく何かを習うことが好き。
このコラムが、ヴェネツィアで私がどう暮らしているかを見てもらえる小さな窓になれば、と願っている。


疫病とヴェネツィア共和国
有史以来、人類が経験した最も恐ろしい疫病は、1340年代に広まった黒死病(ペスト)である。内陸アジアで発祥しそのあとヨーロッパを経由して世界へ感染が拡大していったとされるが、詳細はよくわかっていない。
1347年の秋にジェノヴァ共和国の船団は、コスタンティノープルからシチリア島メッシーナ、マルセイユ、ジェノヴァ、スパラート、シチリア島ラグーザを経由してヴェネツィアという航路を取ったが、それがそのままペストの感染経路となったようだ。
ヨーロッパに上陸したペストは猛威をふるい、全人口の約3割が犠牲となった。
 ヴェネツィアには翌年春までにペストは伝播され、何万人もの死者が出た。町じゅうに死臭が充満したという。酢と薔薇水を鼻にあてて臭いを遮り、窓には蝋引きした布をかけ、北風が吹くときだけ窓を開けるように通達が出た。人との一切の接触を禁じた。運動も、頬ずりも抱き合うことも、セックスも。
 当局は国民に、毎日、足、手首、額を酢で洗うよう義務付けた。支払いの前には、必ずお金も酢で洗わなければならなかった。食事も厳しく管理され、肉や野菜、魚などの生食を避け、料理に酢を多用するよう勧めた。酢は寄生虫を殺し、食欲を増進させ、寝つきを良くして気持ちを明るくする効能がある、とされていたからである。食事療法は、9世紀頃に南部イタリアのサレルノで開校された医学学校の研究によるものだった。
 海運業で栄えたヴェネツィア共和国は、内海にある島(干潟)である。周囲に多くの干潟が点在する。そのひとつ、サンタ・マリア・ディ・ナザレ島で、ペストの感染者の隔離を行った。俗称ラッザレットと呼ばれる。感染者は40日間にわたって隔離された。40を意味するイタリア語、quarantaが<検疫>(quarantina,英語quarantine)の語源である。その後、疫病の感染を事前に回避するために、ヴェネツィアに寄港する前に船を強制停泊させる、世界初の総合検閲所を設けた「隔離島」が作られた。
 船上で病人が出た場合は、海域に近づく前に黄色の旗を掲げて知らせることが義務付けられていた。
 1575年から76年に再びペストが大流行したとき、感染者や隔離待機者があっという間に増え、隔離島では到底収容しきれない事態となった。医療崩壊である。
 隔離された家族や検査や治療を希望する人たちが、3000隻余りの小船に分乗して8000人から1万人近く押し寄せたという。隔離島をぐるりと取り囲む3000隻の船に、毎朝焼きたてのパンや野菜、肉、魚、ワインなど、食物を届ける奉仕者も出た。
 数千人もいるはずなのに静まり返った海に、聖母マリアへの祈りや歌声があちこちの船から低く重なり流れたという。


2020/3/12 ミラノ Milano(Lombardia)

マルタ・ヴォアリーノ
Marta Voarino



私の机。
今日は、初めてのオンライン口頭試験。
教授に挨拶をしてから、コンピューターを閉じる。
うまくできて、とてもうれしい。
まだドキドキしている。机から離れて周囲を見回し、それで、これからどうする?
また、座る。



マルタ・ヴォアリーノ(23)
Marta Voarino


友達からはイニシャルのMから、<エンメ>と呼ばれている。
ミラノの聖ラッファエッロ大学医学部 5回生。
両親と弟といっしょにミラノ在住。
人生で好きなことは、寝ること。
読むこと、友達と飲みに行くこと。





2020/3/12 ヴェネツィア Venezia(Veneto)

アンナ・ミオット
Anna Miotto


今日は、<赤い地区>として警告された第1日目。
オンブラ(影)が初逃亡しようとした日。
私の飼い猫で、これまでいつも窓は開け放してあったのに、一度もここから出入りしたことはなかった。
外に出たい、という私の気持ちが猫に伝わったのかもしれない。
私は生まれて初めて、家の中に閉じ込められる重苦しさを感じている。



アンナ・ミオット(28)
Anna Miotto


北部イタリアのパドヴァ近郊の小さな村出身。
5年前からヴェネツィア在住。
1年前に経済学部を卒業。
四十数年前、ヴェネツィア本島に父が創業した家業のレストランを継ぐことを決意。
余暇は(いつもほとんどないけれど)、本を読み、音楽を聴き、映画を見る。
そして、次の旅のことを考えている。10kmでも10000kmでも、見知らぬ地を訪ねるのが大好きだから。


2020/3/12 ミラノ Milano(Lombardia)

ミケーレ・ロッシ・カイロ
Michele Rossi Cairo


家の中にずっといるのはキツい。都会で暮らすこと自体、すでに自然から離れていてつらいのに、外に出られないのは閉じ込められていっそう気分が重い。
幸いうちにはテラスがある。今日は、屋外用のテーブルを出した。
日の当たるところに座り、目を閉じて、田舎にいるふりをしてみた。



ミケーレ・ロッシ・カイロ(23)
Michele Rossi Cairo


大学を卒業して、これから就職という端境期(残念ながら、ウイルスのせいで延びそう)。
ミラノ生まれ。16歳の時にアメリカの高校へ転向、移住。
ヴァンダービルト大学経済・心理学部卒業。
1年弱前にミラノに戻ったばかり。
余暇は、本を読んだり、スポーツをしたり(6年間カヌーを練習して、なかなかのレベル)、友達といっしょに過ごしたり(僕にとって、とても重要なこと)、自然の中を散歩して過ごす。


2020/3/12 ミラノ Milano(Lombardia)

オット・スカッチーニ
Otto Scaccini


えっと、たしか、木曜日だったよな? 携帯電話でも確かめておこうか・・・・・・・・。
冬休みが終わって大学に戻り、あと何コマ、授業があったのかを確認しておくつもりだった。それがいったい何てことだ。すべて保留。僕自身も、宙に浮いている。
講義を受けながら、ときどき、ああこれから手術室に行かなくてもいいのなら、昨晩始めた絵の続きを描けるのに、とか、昨日買った本を読めるのに、など考えていた(絵には、これで出来上がり、ということがないが)。
勉強し始めると自由時間は細切れになるが、そのほうがかえって予定は組み立てやすい。ところがどうだ。今、地平線いっぱいに自由が広がり、自分がどこにいるのかよくわからなくなってしまった。
しかたがない。
机を離れて、ギターでも弾いてみる。これをちょっと、あれも少し。どれに手を付けていいのかわからなくなったら、また勉強に戻る。・・・・・・そうこうしているうちに、1日がなんとか埋まる。でも結局、意味あることを何ひとつできなかった。漠とした思いが残る。
仲間の多くは、この時世、家でくつろいでいるらしい。試験期間じゅう、わき目も振らずに本ばかり読んで過ごしたあとにぽっかり時間ができても、僕はのんびりする気分にはなれない。1日をどう過ごすかが決まっていないと、落ち着かない。でもそういうところが、実は僕の問題なのかもしれない。
今晩は、ちょと違った。父がフォトスタジオから帰ってくるのに(父は、フォトグラファーだ)、バイクでわざと遠回りをして、外出不問のミラノの広場や駅、公園を撮ってきた。父は罰金など恐れない。そのうち痛い目に遭いそうだけれど、心配するのは母のほうだろう。父は家に帰ってくるとすぐに、居間にあるコンピューターで撮ってきたばかりの写真の修正に取りかかった。僕はキッチンへ行きがてら、ちらりと写真を見た。どの場所も、見慣れたところばかりだった。ところが写真の中の今晩の町には、誰もいなかった。音のない町がそこにあった。さみしいとか情けないという気持ちは沸かなかった。むしろ、もぬけのからの町が愛おしかった。自分を見るような気がした。
同じ場所なのに、違うところ。
人が消えた町のあちこちから、これまで僕が過ごしてきたいろいろな時が浮き上がってくる。猥雑な毎日で見えなくなっていたことや人が、そこに見える。 
突然に予定が消えて、自分にとって何が大切なのかを考えられるのは今だけなのだ。これから毎日、少しずつ味わっていく。



オット・スカッチーニ(22)
Otto Scaccini


ミラノに家族と在住。
国立ミラノ大学医学部4回生
でももし何をしているのか訊かれたら、
絵を描くのが好き、と答える。
幼い頃からずっと、僕にとって絵を描くことは趣味ではなくて情熱だ。
自分を表現し、他人との関係を築くための大切なことだから。
手作業はすべて好き(外科医になりたい)。
犬を連れて山歩きをするのも好き。料理も好き。


2020/3/12 ミラノ Milano(Lombardia)

アンジェラ・ボナディマーニ
Angela Bonadimani


私の城へようこそ。
広くないし片付いてもいないのはよくわかっている。でも本棚の管理は大変だ。新しく本を1冊買うと(あるいは3冊、5冊、9冊。1冊だけ買う、ということはあまりない)、前からある本を動かして場所を作ってやらなければならない。常に最前列に並べておきたい本もある。教室で一番前の列に座りたがる学生のように。勉強熱心な生徒は前、サボり気味なのは最後部。
全部で何冊、家にあるのかわからない。全部読んだわけでもない。ときどき背表紙を見ては、<少し暇ができたら、ずっと読めるのに!>と思ってきた。
それで今、いきなりの暇がやってきた。歴史始まって以来の暇。
外出は禁止、大学は休校、友達には会えない。
オーケー。それでも家事は続くわけで。料理に掃除、勉強も続く。
日常生活の中の、長めのタイムアウトは必要。
待ちかねた時間がやってくる。

今日からそういうわけで、私の城は皆さんの城にもなります。
家の玄関ドアは閉まるけれど、私の本の部屋のドアは開く。
たくさんの物語と見知らぬ大勢の人たちが待っている。
本は、さみしくなったり、退屈したり、忘れられたような気持ちになるときの私の薬だ。
本を読めば、飛行機で旅に出る必要はない。
でも、気をつけて。読書はシリアス。依存症に注意して。



アンジェラ・ボナディマーニ(23)
Angela Bonadimani


友達からは、アンジーと呼ばれている。
フルで呼ばれるのは、母から叱られるときだけ。
生まれて育ち、ずっと暮らしているミラノが大好き。
大学院で現代文学を専攻。あと1年で終了予定。そのあと何をするかって? 訊いてくださるな! 
ビブリオフィラー(愛書家)。本を読むために生きていて、生きるために読んでいる。
本とお茶は、いつでもどこでもある。


2020/3/12
トリノ(ピエモンテ)Torino(Piemonte)

アレッシア・トロンビン
Alessia Trombin


コーヒー休憩

暇だ。
今日は、いつどこでカフェテリアが開いたのか調べてみることにした。
(そう、家に居られて良い点は、思い浮かぶことすべてを調べられること)
それでわかったのは、1554年にコンスタンティノープルで最初のカフェテリアが開いたと知った(コーヒーを飲む習慣は中東で始まった、ということははさておいて)。
イタリアには、1720年にヴェネツィアで最初のカフェテリアが開業した。サン・マルコ広場に現在もある<カフェ・フロリアン>。
カフェテリアは、皆でコーヒーを共に飲みながら、物語や思想、冗談を言い合ったり、論争したりする唯一の場所だった。
どれほどの秘めた話や出会いが生まれ、絶望が沈んでいるだろうか。
テレビ電話を友達にかけて、コーヒーをいっしょに飲む。いつも喫茶店で落ち合うように。
こんなことで、歴史ある習慣を、伝統は変えられない。消させない。



アレッシア・トロンビン(22)
Alessia Trombin

トリノ Torino

ヴェネツィア・カ・フォスカリ国立大学 芸術経済学部 学生
サヴィリアーノ村 (ピエモンテ州クネオ市の近郊)
Savigliano ( Piemonte)

シンプルで笑上戸。髪はいつもボサボサ。熟成ハムが大きらい。身の回りにある優美なものやことをいつも探している。だから、芸術分野で働きたい。 なぜなら芸術は、ひとの真の美しさの源だから。


2020/3/10
モンテレッジォ(トスカーナ州)
Montereggio(Toscana)

アレッシア・アントニオッティ
Alessia Antoniotti


家に閉じこもったきりになってから、今日でちょうど6日目。最初は休校になって嬉しかったが、3日もすると家にいるのがどれほど退屈かがわかった。どうやって時間を潰せばいいのか、わからない。自分の部屋の片付けをした。洋服ダンスの整理をした。トルテッリ(パスタ)を小さめにたくさん、弟のために作った。1日のうちの大半の時間を弟と私だけで過ごしている。両親は朝から晩まで働いているからだ。父は、あちこちと移動の続く仕事で、母は高速道路の休憩所で働いている。2人とも大勢の見知らぬ人たちに対面する仕事なので、心配。自分が病気になるのが怖いのではなくて、身近にいる大切な人が病気になるのが怖い。このところ、すぐ近くに住んでいる祖父母にも会いに行っていない。モンテレッジォ村にもコロナヴィールスが入ってきたからではなくて、私がどんな軽い鼻風邪であっても祖父母にうつしてしまわないか、と心配だからだ。この数か月、祖父は病気でとても具合が悪く、少しでもそばにいたい。あとどのくらいいっしょにいられるかわからないので、1分1秒でもいっしょにいたい。でも私が近くにいくと、祖父母が遠くにいってしまうことにつながるのかもしれない。だから会わない。行けない。私の住んでいるルニジャーナ地方でも、感染者が多く出ている。そのうち2人は、同じ村だ。若い母親とその数か月の赤ちゃん。家族がどんな気持ちでいるのかを考えると、胸が締め付けられる。大切な人が苦しんでいるのに、何もできないなんて。
また今日も昨日と同じ繰り返し。終わりの見えない始まりだ。朝起きて、昨日と同じ朝食をとり、<みなさん、家に居てください!><人混みの中へ行かないでください!>と繰り返すニュースを見る。いくら言われても、イタリア人の大半は聞いていないし、わかろうとしない。朝食を済ませたら、家事にかかる。終わったら、自分の部屋へ戻り、勉強するかテレビのドラマシリーズを見る。同じその部屋で夜になったら、眠る。どうか明日は今日と違う日でありますように。これがただの悪夢でありますように。そう祈りながら。



アレッシア・アントニオッティ(16)
Alessia Antoniotti

モンテレッジォ(トスカーナ州)Montereggio(Toscana)
モンテレッジォ(Montereggio)トスカーナ州の山の中の小さな村に弟と両親と暮らしています。
9年前からスカウトに所属。
旅すること、眠ること、音楽を聴くこと、生きているなあ、と感じるのに、イヤフォンとお日さまと友達がいればそれで十分です。


2020/3/12
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


今日は春。暑いくらいの1日だった。
昼ごはんは、レンズ豆のスープ(熱々の、典型的な真冬のメニュー)。カレンダーが3/12ならまだ冬、と母は思っているから。
食べ終わってから、キッチンのバルコニーに置いてある重たい椅子を提げて、庭に出た。どうしようか。しばらく考えてから、もう一脚、足置きに持ってくる。
太陽を浴びながら、1週間前に海に行こう、と考えていたのを思い出す。<まだ早い。もう少し待とう><日差しが完璧になるまでは><岩が温まると、寝転ぶのも気持ちいいし>。
ところが、どうなの?
すべて無し。
犬は、そよ風に目を閉じて気持ちよさそうに寝ている。犬にとっては、今日もいつもと変わらない1日だ。いや、家族が揃って家にいる。これって、本当にいつもと同じようで、全然いつもと違う素晴らしいことじゃない?
緑の間からエトナ山が見える。もう雪はない。封鎖が終わったら、こうしよう、朝、海に行く。夜、エトナ山に登る。てっぺんから海を見下ろして、「今朝、そこにいたのよ!」と叫ぶ。



キアラ・ランツァ(23)
Chiara Lanza

トレカスターニ Trecastagni(シチリア島カターニャ市近郊)
トリノ市で生まれたけれど、運命のいたずらだったらしく、生後2か月で両親の出身地であるシチリア島に転居。そこで太陽を浴びて、育つ。
海の近くであり、火山の近くでもあり。
2004年からトレカスターニに暮らしている。今は両親と犬だけになったけれど。
エトナ火山の尾根沿いにある、小さな山村のひとつ。

18歳で、大学の人文学で文化遺産について勉強するために、一人、トリノに戻る。決断は簡単ではなかったが、きめたら後ろは振り返らないことにしている。他に私には選択肢が残されていないから。
トリノの3年は、諸事情から、壁に頭を打ちつけるような体験だった。晴れの日を探しに、リスボンへ移住。パステル・デ・ナタを食べながら、大学の卒業論文をまとめる。
1年間トリノから離れてみてやっと、自分の生まれた町の魅力がわかった。広場も町も、生まれ変わった気持ちで見られるようになった。
現在、ヴェネツィアに住み、大学院に通っている。とても幸せ。おそらく島だからだろうか。潮の香りがするからだろうか。今のところ、落ち着いている。
好奇心旺盛で、ときどきぼんやりする。食べることが大好き。オリーブの実は大嫌い。


2020/3/12 ヴェネツィア Venezia (Veneto)

エリーザ・サンティ
Elisa Santi


昨日、友達のアニータと散歩に行く約束をした。合法だからOKよね。私は約束の時間より30分早く着き、彼女は30分遅れ。でもOK。リラックス。ザッテレ(Zattere)の岸壁で、日光浴を楽しむことにする。ザッテレはいつも太陽がさんさんなのに、私が住んでいる対岸のジュデッカはいつも影。ときどき運河を渡らないとね。
アニータが来た。彼女はすらりとしていて、金髪。美人。濃いレンズのサングラスに全身、茶色のコーデで、「わあ、とてもきれいよ!」と私に言い、私はニッコリ返して、歩き始めた。寒くない。まったく寒くない。いい感じ。彼女が、岸壁沿いのバールに行かない?、と言ったので、私はOKと返す。ぶらぶら歩いていると、声をかけられた。ボロ着の変わった男で、ヒゲが超長い。大理石のベンチにもう1人と並んで座っている。その人は、真逆のタイプ。え、なにこれ? 私たちはちょっと戸惑い、顔を見合わせて、でもその変わった男に挨拶する。その男はそれからもしばらく、チャオチャオチャオと繰り返し呼び、その都度アニータは振り返る。私も同様。アニータはやがて立ち止まると、その風変わりな男をじっと見ながら手を振り上げて思い切りチャオチャオと答えた。え、と私は訳がわからず、アニータを見る。すると風変わりな男は立ち上がり、全速力でこちらに走ってきた。そして、アニータと男は抱き合って挨拶したのだった。いったいどういこと? 私にその男は名前を告げて挨拶し(名前はもう忘れたけれど)、夜明けからそこで絵を描いていて、ジュデッカに住んでいて明日もまたここに来て絵を描きたいのに外出禁止だなんてどうしよう、と言った。アニータはびっくりした顔をして聞いている。私はまだよくわけがわからない。アニータとその男は二言三言話して、また私たちは歩き始めた。
アニータが説明する。あの男性とは以前パーティーで知り合ったこと。一夜をいっしょに過ごしたこと。以来、今日まで一度も会わなかったこと。えっ。私は仰天して、頭の中は訊きたいことでいっぱいになる。バールに行かなくちゃ。座って、ー1メートルの安全距離を保って座ってー、アペロルで、スプリッツお願いします、グラツィエ。ビール小お願いします、グラツィエ。アニータと私は、びっくりした顔で互いを見る。アニータはタバコに火を点ける。誰かが彼女の肩にさっと触れる。あの男が何か紙包みをアニータに渡す。中には、すごくきれいな緑色のガラスの小さな塊が入っている。その男は走って去ってしまう。アニータが、どうしたらいいと思う? と訊く。紙に日付と時間、どこで会うかを書いて彼に渡しに行けば、と私は答える。アニータはわかった、と言いながらもかなりためらっている。ボーイにボールペンと紙ナフキンを頼み、ガラスを渡したあの男に、3月16日夜明けにここで、と書きドキドキして迷っている。立ち上がって、その男を追いかけて走り、紙を渡す。君がそうしたいなら、と彼が言う。アニータが私のところに戻ってきて、私はニッコリ、ブラーヴァと言う。ほんと? まだよくわからない。ショックを受けている。アニータは震えながら、笑っている。私は興味しんしん。で、思う。ワオ、まるで映画じゃない。全部作り話みたい。アニータは私を見て、こう言う。ワオ、まるで映画みたい。全部作り話みたい。私は笑い返し、アニータも笑い返し、ニコニコし続けている。映画。全部作り話。



エリーザ・サンティ(20)
Elisa Santi


ヴェネエツィア 国立マルチメディア芸術学院 IUAV1回生。
ヴェネツィア、ジュデッカ島在住。



2020/3/12 バーリ Bari(Puglia)

ソーダ・マレム・ロ
Soda Marem Lo


ワルシャワに行く夢を見た。ウイルスのせいで戻れなくなるのではないか、と心配しながら飛行機に乗っていた。到着したものの、ひどく後悔していた。来ることに決めたものの、このあとどうなるのかわからない。どうしよう、と何度も繰り返している。自分で自分の先のことを考えないと、という強い責任感が押し寄せてくる。

おかしな夢だった。でも夢で見たことが、現実でもよく起こる。目が覚めても、眠っていたと思えない。疲れている。これからまた同じような、重責感とどうなるかわからない不安が満載の一日が始まるのだ。夜だけが救いの光だった。
それなのに、ウイルスは夢の中まで追いかけてくる。逃れたい。これまで日常の悩みや問題から自由になれたのは、夢の中だったのに。夜、眠りにつく前に、しなければならないことや間違えないように注意しなければならないことを反芻する。抜けられなくなることが多い。頭は冴えているのに、今考えてもどうしようもないのに。皆からは、責任感がある、とよく言われる。ほめられているのか、憐れまれているのか、わからない。間違うことを恐れて、自分に課す義務感が大きすぎて自分で自分を押しつぶしているのかもしれない。考えすぎないように、いつも大急ぎで決めてしまう。それでも、これからおかすかもしれない間違いや問題が夜になると戻ってくる。このままずっと私から離れないで残ってしまうのではないか、と怖い。



ソーダ・マレム・ロ(23)
Soda Marem Lo

モドゥーニョ (Modugno, Bari市の近く)

パヴィア国立大学大学院で、言語応用学専攻。
半分イタリアで、半分セネガル。母の家族といっしょに、19歳まで南部イタリアで暮らし、ミラノの大学進学のために1人で転居。この全国封鎖で、帰郷中のモドゥーニョから日記を送る。プーリア州首都バーリ市から10kmほどの町。
好奇心に満ちていて、本と海が好き。ずっと泳いでいたい。



2020/3/12
ミラノ Milano(Lombardia)

ジォヴァンニ・ピントゥス
Giovanni Pintus


最後のチャンス

夕食に別れた彼女を待っている。僕はまだ彼女のことが好きだ。
なんとか両親と妹弟に出かけてもらって、ふたりだけで過ごす時間を作った。やり直せないかをうかがう、これが最後のチャンスだ。外出禁止になる前に。完全隔離で家に封鎖されてしまう前に。
ジレンマがある。
もしチャンスがあれば、キスする?
何か月も前からそうしたい。でも、あらゆる接触を避ける、という節度を固く守ってきている。
愛と欲望。感情は管理できないのに。

いよいよその時がきた。夕食が始まる。
これまでと何も変わっていないように見える。病院の廊下とは懸け離れた、いつもの日常の風景。ワイングラスにステーキ、目と目が合い、切れ味のよいフレーズ、もしかして、と期待が膨らむ。希望へつながる。熱い一夜へも。
でも、僕のあれこれはあっさりと片付いてしまう。
彼女は僕をもう必要としていない。僕とキスはしない。
僕の元には戻ってこない。

明日からは、新しい人生だ・・・・・・。
いや、あと数週間は待っていないとならないかもしれないのだった。
ようこそ、隔離よ。

   ©Benedetta Pintus

ジォヴァンニ・ピントゥス(23)
Giovanni Pintus

ミラノ Milano(Lombardia)

チャオ、ジォヴァン二です。
トスカーナ州生まれ。強い郷土への愛着があり、夏になると必ず帰る。ミラノで大好きな家族と暮らす(両親と妹、弟。そしてたくさんの動物たち)。国立ミラノ工科大学大学院で経営工学専攻。天気が良ければ、自転車で風の赴くまま、どこまででも走っていく。あるいは、サッカー。


2020/3/12
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

シモーネ・モリナーリ
Simone Molinari


正直に言うが、昨夜は出かけた。
シルヴィアから家に食事しにこないか、と誘われて誘惑に勝てなかった。
ヴェネツィアはたいていのところには、歩いていける。移動にいつも水上バスが必要というわけではない。歩く気があれば、だが。
僕が外出しても誰にも害は与えないだろ、と思った。他の通行者と安全な距離を保ち、何も触らず、早足で目的地まで行けばいい。

夕方6時。僕以外に路地を歩いている人はごくわずかだった。犬を散歩に連れて出ている人。清掃人。1人で行く人。店はすべて閉まっている。空はまだ明るい。歩いていると、家の中から音や人の声が聞こえてくる。まだ町は生きているな、と思う。
シルヴィアと下宿仲間2人との夕食は、とても楽しかった。少しだけウイルスの話も出た。熱々のポレンタにキノコと煮込んだソーセージを食べながら雑談をし、一見いつもと変わらない冬の食卓の光景だった。皆で映画を観たあと、僕はコートを着て帰路についた。建物の階段を下り、建物の玄関扉を閉めて、夜中の路地へ出た。ワインに少し酔っていて、ゆっくり歩き始めた。
そこで会ったヴェネツィアは、これまでと違っていた。何かよくわからない違和感がある。ざわつき。ポケットに小さな虫が入っているような気持ち悪さだ。歩くうちに、その落ち着かない感じは、次第に大きくなっていった。冷え切ったはめ石に、自分の足音が響く。路地はごく狭くて、足音が路面から次々と突き上がってきて、不協和音のように響く。僕は耳を押さえて、足を速めた。ときどき振り返って、うしろを見る。路地を曲がるたびに、角から誰から見られているような気がする。行き止まりの小道や狭い路地をようやく通り過ごし、やっと大きな広場に出た。開けた空間に出たらまずは安心、と思っていたのに、そうではなかった。目の前には、見知らぬ闇が広がっている。誰もいない広場に濃霧が下りて、先が見えない。終わりのない闇だ。月は出ているものの、ぼんやりと白く霞んだ沁みだ。月明かりは、僕のところまで届かない。歴史のある華麗な建物には明かりがひとつも灯らず、漆黒の中にあきらめて身を投じたように見える。怖がっている僕は、突き放されてしまう。あまりの静けさは、非現実的だ。
そうか。さっきから僕が感じていた違和感は、この静けさだったのだ。
もともとヴェネツィアは、静けさの町だ。ふだんでも1日のうち数時間は、静まり返るときがある。しかしどんなに静かなときでも、真夜中でも、水の音は聞こえてくる。水はヴェネツィアに血のように流れ、町に精気を与えている。
ところが、昨夜は違った。迷路の奥で、小道で、あの優しい小さな水音は果てていた。町じゅうの窓から、死者たちが黙ってこちらを見ているような気がした。まるで、古い建物にずっと潜んでいた死者たちが、突然息を吹き返したようだった。
僕は、湿った空気を吸い込んだ。霧と静けさの町で、僕はよそ者なのだった。
コートを胸元でしっかりと押さえて、広場を突き抜けた。永遠に歩き続けなければいけないような不安にかられながら、ようやく家にたどり着いた。



シモーネ・モリナーリ(20)
Simone Molinari

ヴェエネツィア Venezia (Veneto)

現在ヴェネツィアにいるが、生まれはミラノ。2年前から大学で芸術を勉強している。視覚でとらえられる像、写真も絵も彫刻も全てを含む。ときどき文章も書く。このごろ小説をまた読み始めた。ノンフィクションは読んでいない。しばらく読んでいなかったので、読書に戻れて嬉しい。数百の思想や哲学の引用よりずっと数多くのことを、ひとつの物語から教わることがあるから。水泳。ときどき走る。


2020/3/12 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


今朝、カーテンの隙間からの朝日で目を覚ましたとき、<これって夢、それとも現実?!>と、寝ぼけていなければ叫んでいたかもしれない。しなくてはならないことがあっても、まずはコーヒーを飲んでからでないと。
つまり、今日は太陽が出ていたのだった。ここの天気ときたら、いつも日が差しているのかどうかわからないような太陽だし、外に出てタバコに火を点けてもとたんに風が吹いて消えてしまいうし、大雨で道は川になり、濃霧で前が見えない。
ところが今朝のは違う。これって、本物の太陽じゃない?
信じることはいいことで、信じないことはもっとよいことなので、今日は何かがおかしいに違いない、と思うことにした。だって、変でしょ?
ここで暮らし始めて6か月になるが、毎朝、大雨だ。その中を自転車で、58号館に通っている。58号館に向かって、いつも悪態をついている。なにせ、まず遠すぎる。それに、駐輪所はいつも満杯。たしかに環境に良いことをするのは素晴らしいことだと思うけれど、もう少し暖房を強くしてくれてもいいのでは。
さっき、あの建物が明日から少なくとも1か月は閉鎖になる、という連絡があった。
今、どう思えばいいわけ? Ik weet het niet. (さあ?)



クラウディア・ダモンティ(23)
Claudia Damonti


ミラノ Milano (Lombardia州)出身。
現在は、オランダのデルフト工科大学大学院在学。デルフト在住。




2020/3/12
インペリア  Imperia(Liguria)

マルティーナ・ライネーリ
Martina Raineri


5年ほど前から私は、アポと予約時間、治療に必要なものの注文、患者から頻繁にかかってくる電話に囲まれて暮らしてきた。それを今日、閉じた。決定的に、この先ずっと。この数日、<民間の治療施設は閉鎖すること><いや、安全基準を厳守して、治療は続けること>。治療師仲間で電話をかけあうものの、皆、不安や疑問だらけで、いったいどうしていいのかわからない。そして、ストップ。閉鎖が決定した。
最近とても疲れていて、少し休みを取りたかった。畑や花の世話をしたかった。ところが今、働かなくてもいい、となると、どうも変な感じ。なんというか、洗濯機の脱水機から出てきた、というか。
患者全員に連絡を終えたところだ。見放されたような気持ちになりませんように。何か必要なことがあれば、電話で話すことくらいしかできないが連絡してほしい、と伝えた。
全く電話がかかってこないのは、なんとなく変な感じだ。
するとフランチェスコの仕事部屋から、電話の鳴る音が聞こえてきた。何回も。
今日から彼は、スマートワーキングなのだった。
それで、私は何をしたらいいの?
外は曇天。有り余る時間がある・・・・・。太陽をビン詰めにしてみようか?
うちの庭のオレンジで、ジャムを作る。



マルティーナ・ライネーリ(29)
Martina Raineri

インペリア (Imperia、Liguria)
チャオ! インペリアという小さな海の町でフランチェスコと暮らしています。
職業は、足病医。
犬が好き。屋外が好き。踊ることなら、なんでも好き。




プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館から5月刊行予定)。
翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。