一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第十二回(2019.08.20)

『海辺の水仙』

 参加者の名簿の中に、カタカナで書かれたものを見つけたとき、「おや?」と思いました。ニックネームかもしれませんが、運営をお願いしている法人から送られてくる名簿はだいたい参加者の本名が書かれています。「外国の方かな……言葉は大丈夫かな?」と少し心配しつつ、当日を迎えました。

 実はそれまでも中国系や韓国系の名前を名簿に見ることは時々ありましたが、外見は日本人と変わりませんし、隣の国という親近感もあり、日本語以外まったくダメの私でも気負うことなく対応ができました。しかし当日やってきたのは、白い肌に青い瞳、スラリと高い背に空色のコートをまとい、そして燃えるような赤いロングヘアーをなびかせた、北欧系を思わせる女性でした。
 彼女はロシア人のMさん(20代)、髪の毛はもともと金髪だったそうですが、温かいイメージが好きで10年以上前から赤に染めているのだそうです。

 私は若干うろたえながら「あの……日本語は……?」と問いかけると、彼女はネイティブの日本人が話すようなイントネーションで「あ、大丈夫です、日本語話せます」と微笑みながら答えてくれ、私を安堵させてくれました。まあ考えてみたら、カタカナで名前を入力している時点で日本語に通じているはずだよな、と後になって気づきました。

 この日は3月11日で、Mさんの誕生日も同じ日付なのだそうです。そしてもちろん、東日本大震災の日でもあります。彼女は高校生の時に日本のテレビ番組を見て、耳に入ってくる言葉に柔らかさと優しさを感じ、そこから日本文化に関心を持ちました。ロシアの大学で日本語を学んでいた彼女は、よりによって自分の誕生日に日本で起きた大災害に強い衝撃を受けました。Mさんは後に被災地を訪れ、また自分に何かできることがあるのではないか、と思い続けてくれています。

 日本で暮らし、言語や文学を学ぶMさんでしたが、ここ半年ほどいろいろな悩みが続き、自分が本当に何がしたいのか、何を自分のよりどころとすればいいのか、整理して考えたいと思っていたのだそうです。そんなときに「死の体験旅行」の存在を知り、「自分の誕生日と大震災の折り合い、命と死の折り合いをつけるのに最適ではないか」と感じ、参加の申し込みをしてくれました。

 その彼女が、自分にとって最も大切だと感じたのは、「この世に何かを残すこと」で、具体的には「詩を書くこと」でした。そう、Mさんは詩人でもあります。文字を書けるようになった幼いころから、ずっと詩を書いてきたのだそうです。最近では「人の心を癒やす詩」を書くことを使命だと感じるようになりました。
 しかしその半面、自分は人に関してはあっさりしていると感じ、それにショックを受けたのだそうです。親ともとても仲がよく、先生にも恵まれ、良い友人もたくさんいるとMさんは言います。でも彼女は勉強のために母国を離れ、日本でもさまざまな学校への進学とともに引っ越しを重ねてきました。そのせいか、いつしか彼女は「その人と会えなくなっても、どこかで生きていることがわかっていたり、一緒の思い出があればいい」と考えるようになったのだそうです。
 また、「人や場所はいずれ過ぎ去ってゆくけれど、自分の使命がずっと自分の使命であり続けるように感じている」とも言いました。自分で選んだ道ではあるけれど、でもそんな自分の気持ちに気づき、そこに驚きを覚えたようです。

 またMさんは、2番目に大切だと思ったものとして、「日本海の海辺に咲く水仙」と口にしました。日本人でもそうそう出てこないような、演歌のバックに流れるような風景が、なぜロシア人女性の大切なものになったのでしょうか。
 2年ほど前、真冬に北陸を訪れた際、大荒れの日本海に面している山に水仙畑が広がっていたのだそうです。一日の間に雪が降ったり止んだり、雷鳴が響いたりと目まぐるしく天気が変わっていく中、水仙が冷たい強風に吹かれながらも凛と咲いていることに、Mさんは感動をしました。それ以来、自分が苦しいときやつらいときには、たくましく咲く水仙のことを思い出すのだそうです。

 Mさんは、そのときの思いを詩に込めています。自分が水仙から与えられた生きる力を今度は詩の形にして、他者のために伝えたいと思ったのでしょう。彼女が最も大切だと思った「詩を書くこと」の根底にある思いと、2番目に大切だと思った海辺の水仙は、どこかで深く繋がっているのだと感じました。

『海辺の水仙』
小さな水仙を
マフラーで包みたい
コートを脱いで
茎に着せたい
雪ブーツも根っこに
履かせたい
暖かい吐く息を
透き通る花びらに
だけど水仙は
優しく笑っているだけ
「人はこんな大きいのに
海風一つで大騒ぎだなんて
ずいぶん可愛らしいものね」

Maria Prokhorova 作

 

Buck number


 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。