一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第十四回(2019.10.03)

『生まれる前から』

「死の体験旅行」はさまざまな会場で開催したり、研修会や勉強会などでお招きいただいていますが、ホームグラウンドと言えるのが東京都豊島区の寺院、金剛院さんです。ワークショップを受けてこの連載をお読みいただいている方の中にも、金剛院さんで受講された方が多いのではないでしょうか。

 池袋から西武池袋線の各駅停車で1つめ、椎名町駅から徒歩1分もかからない好立地に金剛院はあります。境内の最も駅寄りの場所に地上2階・地下1階の多目的施設が建ち、1階はカフェ「なゆた」、地下1階と地上2階のホールはさまざまなプログラムで使用されていますが、静けさが大切な要素である「死の体験旅行」は地下の部屋が定宿です。

 金剛院さんは都内で真言宗、私は横浜で浄土真宗と地域も宗派も違いますが、いろいろなご縁が重なってホールを使わせていただいています。第1回目のときはまだ建物は建築中で、お寺の客殿が会場でした。平日の夜に20〜30代の若い方が数多く集まりましたが、お寺の行事は普段は年配者が多いので、ご住職が驚いていたことが思い出されます。

 今回ご紹介するHさんは20代の女性、というか20歳になったばかりの学生さんです。「何か面白い体験がないかな」と検索していたときに「死の体験旅行」を見つけ、学生のうちに多くの体験をしておこうと思い、申し込んでくれました。

 受講の動機に明確な目的があったわけではありませんが、ワークショップが進むにつれ、Hさんはさまざまなことを思い出し、また考えていきます。
 印象に残ったカードのひとつは「美味しいものを食べること」でした。書く時にはあまり深く考えず、文字通り美味しいものを食べるのが純粋に好きということで書いたようですが、物語が進んでいくうちに脳裏に浮かび上がったのは亡くなった祖父母、とりわけ食道がんを患ったお祖父さまのことでした。

 人間にとって食べることはとても大切で、生きることに直結する行為です。しかし食道がんのために、早い段階から食べ物を味わい飲み込むことができなくなった祖父と、その祖父を看病する祖母をHさんは見ていました。もしかしたら、食べられないことに苛立ったり歎いたりする祖父の様子も、目にしていたのかもしれません。

 けれどHさん自身はまだ幼かったため、お祖父さまにも、またやはりがんで亡くなるお祖母さまにも寄り添いきれなかったことを思い出します。何気なく書いた「美味しいものを食べること」でしたが、祖父母のことをまざまざと思い出され、その祖父母や「食べること」のカードは手放しにくくなっていきました。

 けれど物語は進み、そうした大切なものを手放してゆき、そして最後に残ったカードは「母」でした。それ自体は珍しいことではありませんが、母のカードを選んだ背景に、直前に目にした自分と母の母子手帳の存在があったのだそうです。

 Hさんは教職を志しており、社会福祉施設での介護等の体験を予定していました。そのために抗体検査が必要で、予防接種の履歴などを確認するために母子手帳を開きました。
 そこにはもちろん、母親が自分を妊娠してから出産、その後にいたるまでさまざまなデータがこと細かに書かれています。そしてそういったデータだけではなく、備考欄や余白に子に対する思いや気持ちの変化などが書かれていました。

 中でも印象に残ったのは、Hさんが5歳のときに生まれてはじめて親と離れた2泊3日のサマーキャンプに参加した際のメモで、それを見たHさんは心を動かされます。
 バスに乗り込むときの私の期待と不安が入り混じった様子と、心配しつつも送り出す母の気持ちにはじまり、私が出かけた後は数年ぶりに一日中家が静かになったこと、母は数年ぶりに昼寝をしたこと、母は私がいないだけでこんなにゆっくりできるのかと驚いたこと、などが書いてありました。
 最後に「でもやっぱり、かけがえのない存在なのだと実感したよ」と書いてあるのを見たとき、いつも自分が休むことよりも私や家族のことを考えて動いている母のことが想われて、いたく感動しました。

「物心がつく」という言葉があります。辞書には「幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる」とあり、人生で最初の記憶が形成されるころでもありますので、個人差はありますがだいたい3〜5歳ぐらいでしょう。
 それ以前の記憶を持つ方は(親などに聞かされて自分の記憶のようになった場合を除けば)あまりいないでしょうし、生まれる前の記憶など持ちようがありません。しかしHさんは母子手帳を通じ、自分が物心がつく前や生まれる前の母の気持ちに触れたのです。
 もし母子手帳を見ていなくても、やはり「母」が一番大切だと感じただろうとHさんは仰います。けれど母の思いを目にしたことで、より大切だという気持ちが強くなったことは想像に難くありません。

 Hさんは「死の体験旅行」を経験し、死とは、将来の夢も経験してみたいことも、すべてを諦めなければならないことなのだと強く実感しました。そして「現時点で健康に生きている私は、まだそれらを諦める必要がないこと、チャンスを与えられているのだということを認識し、感謝し精進しなければならないとも思いました」と言います。

 そしてまた、今は自分自身の夢や将来についての未練ばかりだけれど、いずれ自分が母になったときは、自分の子どもや周囲への未練を感じるようになるのだろうかと感じ、またそのように歳を重ねていきたい、とも口にしました
 そう仰るHさんの瞳には、自分を慈しみ育んでくれた母の姿がはっきりと映っているのでしょう。

 

Buck number


 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。