一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第一回(2018.10.31)

死の体験旅行へようこそ

「死」について話したり考えたりすることは、ちょっと前まで「縁起でもない」と避けられていました。
 たとえば両親に「亡くなった後のことを考えよう」などと持ち出せば、「お前は親が死ぬのを待っているのか!」と怒られましたし、重い病気になった人が「自分に万が一のことがあった場合は…」と話しはじめると、「そんなことを考えたらダメだ」と思考そのものをストップさせられました。

 1996年に発表されたTHE YELLOW MONKEYの名曲『JAM』に、それを象徴するような歌詞があります。
 外国で飛行機の墜落事故があったことを報じる日本のニュースキャスターは、嬉しそうな顔で「乗客に日本人はいなかった」と伝えている、という言葉です。
 歌詞の一部分を抜き出して、良いとか悪いとか言いたいわけではありません。ただこの頃はまだ、多くの乗客が亡くなったであろう「死」の面からは視線をそらせ、犠牲者に日本人はいなかったという「生」の面を強調した報道があった、ということではないかと思います。

 けれど最近になって「終活」や「エンディングノート」や「デスカフェ」など、「死」にまつわることを口にするタブー感が薄れてきたように感じます。最近と書きましたが、もっと具体的には2011年3月11日。そう、東日本大震災が大きな転機だったように感じています。
 あの大災害は、私たち日本人の意識を変えました。いえ、むしろそれまで日本人が何度も何度も経験して体得した、「いつ天変地異が起こって、人は亡くなり町は消えるかわからないぞ」という無常観を思い出させてくれた、と言った方が正しいかもしれません。
 文明や医学が発達して、我々は自然を征服した、死すらコントロールできるのではないか。そう思い上がっていた私たちに、自然の猛威の前には人間の力など微小なものであり、「死」も突然に私たちの眼前に現れるのだ、と思い出させてくれたのです。
 あの時から私たちは、「死」を考え語ることが必要だと思うようになったのではないでしょうか。

 フランスの哲学者、V.ジャンケレヴィッチに『死』という著書があり、一人称の死、二人称の死、三人称の死、ということが書かれています。文法の授業みたいですが、それぞれ「自分の死」、「近親者の死」、「他者の死」となります。
 ジャンケレヴィッチは、それぞれの違いをこう記しています。
「第三人称の無名性と第一人称の悲劇の主体性との間に、第二人称という、中間的でいわば特権的な場合がある。遠くて関心をそそらぬ他者の死と、そのままわれわれの存在である自分自身の死との間に、近親の死という親近さが存在する」

 三人称の死はあまりに自分とかけ離れていて、私たちに何か大切なことを気づかせてくれるにはやや力不足です。
 かと言って一人称の死、つまり私の死は大ごと過ぎて、そこから何かを学ぶのは難しいことです。
 だから本来、自分にとって大切な近親者の死こそが、自分に何か大切なことを気づかせてくれる機縁たりうるのだと思います。

 とはいえ、今まで目をそらしてきた「死」について考えるのは容易ではありません。だからこそ前述のように「終活」や「エンディングノート」や「デスカフェ」などが人々の注目を集め、また私が主催するワークショップ「死の体験旅行」に多くの人が集まっているように感じます。
「死の体験旅行」は、もともと欧米のホスピスで開発されたといわれています。本来の目的は、ホスピスのスタッフが、患者が体験する喪失感・苦しみ・悲しみを疑似体験し、よりよい看護・介護に生かし、患者のQOL(quality of life=生活の質)を高めるというものです。
 20枚の紙に、自分の大切な物であったり夢であったり、思い出であったり人であったり、様々なかけがえのないモノを書きだしていきます。こうして書きだすだけでも、自分の人生を振り返り俯瞰するような非日常的な感覚になります。

 しかしこれは準備段階。本編では、私が「ある人物」のストーリーを語り、参加者はそれを「わがこと」として耳を傾けます。「ある人物」は体調の変化をおぼえ、病状が悪化し、やがて死に向かって進んでいきます。
 その過程で「あなた」は、最初に書いた大切なモノたちを手放し、捨てていきます。どれも大切なモノですが、私たちは死出の旅に何も持っていくことはできません。ある時は力およばず、ある時はあきらめ、ある時は解放してあげるような気持ちで手放していきます。
 多くの場合、ワークショップが終わった静寂のなかに低い嗚咽が響きます。でもそれは悲しいだけの涙ではなく、自分がいかに大切なものに囲まれていたのかに気づいた喜びの涙、感謝の涙でもあります。
 多くのかたが受けていますので、受講の動機も感想もさまざまです。これから、「死の体験旅行」を受けたかたの思いや気づきをご紹介し、また私が僧侶として学び経験してきたことを綴っていければと思っています。

「縁起が悪い」などと言わず、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

 


 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。