一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第八回(2019.04.02)

『申しわけない』

 日本人男性は、感情表現があまりうまくないと感じます。うまくないというより、ストレートな感情表現をよしとしない文化の中で育ったということかもしれません。
 日本男児を象徴するような大相撲の力士(とは言っても外国出身者が多くなりましたが)は、単独トップになってインタビューのマイクを向けられても、「明日からも一番一番精進するだけッス」と感情を抑えてコメントし、優勝した瞬間に土俵上でガッツポーズを取れば、あとで注意を受けてしまいます。

 人前で涙を流すなんてもってのほか、なんてイメージもありますが、ある時「死の体験旅行」の最中に涙を流している30〜40代ほどの男性がいました。男性受講者でも涙ぐむぐらいは珍しくありませんが、かなり涙を流している様子で、けれど途中でワークショップを止めるわけにもいかず、心配しながら続けた記憶があります。

 後日、その方にくわしく話をうかがうと、涙の根源にあったのは「申しわけなさ」だと言いました。30代後半だという彼が「死の体験旅行」の紙に書いたものは、自分の家族であったり夢であったり、それほど特殊なものではなかったようです。しかし、受講のタイミングが特別なものでした。

 受講は9月でしたが、5月には夢を抱いて独立して仕事を始めたばかり。また2年前に結婚し、間もなく第1子が誕生という、妻・子・仕事と自分を取り巻く環境すべてが大切で愛おしく、また大きな責任を背負って歩み始めたという時期でした。
 おそらく、大切なものを紙に書く作業は難なく進められたのではないかと思います。紙が足りないと思ったかもしれません。しかし、ワークショップが始まり、自分が手に入れて間もない大切なモノが次々と失われていくのです。苦しくないわけがありません。

     私がワークショップの中で最も強く抱いた感情は、「申しわけない」という気持ちでした。残される大切な人を思い、まだ成し遂げられていない夢を思いました。涙がとめどなくあふれ、一つひとつの紙を捨てるのが、本当に苦しかったし、先に進めたくありませんでした。

 彼が伝えてくれた感想です。自分の存在が消えてしまう恐怖ではなく、大切な人や夢など自分を取り巻くものに、「一緒にいられず」「かなえることができず」、申しわけないという気持ちを抱きながら、彼は「死の体験」をしました。
 また彼は、こうも言いました。

     私が「死の体験旅行」を通して学んだ最も貴重なことは、「今のままでは死ねない」ということでした。「苦痛や困難から逃れ、自我や快楽ばかり求める人生は、のちにもっと大きな苦痛を生む」ということを、身をもって体感し、腹落ちもしました。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。辞書をひくと「力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる」(大辞泉)とあります。しかし、天命に任せるといっても、人間は努力をすればどうしてもいい結果を望んでしまうものです。
 似た言葉ですが、明治時代の浄土真宗僧侶、清沢満之は「天命に安んじて人事を尽くす」と言いました。
 清沢満之は仏教者だから、仏教的な人生観が根底にあります。「天命に安んじて」とは、無数の縁に支えられ、生かされている自分を自覚するということでしょう。
 その視点に立った時、いい結果であってほしいという我執を離れ、「人事を尽くす」、つまり結果に執われずに精いっぱいの努力をしようという境地に至るというのです。

 涙を流しながら受講した彼の「申しわけない」という気持ちは、後悔です。彼は自分の背負ったものに対し、後悔したくないという気持ちを抱いたのだと思います。しかしいい結果だけを追い求めてしまえば、人間の欲求はもっともっとと、限りなく増幅するものなので、後悔と縁を切るのは困難になります。
 目的を結果に置きすぎるのではなく、努力する行為そのものにシフトすること。それが自分の人生を肯定的に受け入れ、後悔しない生き方を送る最善の道ではないでしょうか。

 

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 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。