一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第十五回(2020.01.20)

『自分に嘘をついている』

 「私は自分に嘘をついている」と50代の男性Sさんは、全体シェアの場で口にしました。

 ワークショップ「死の体験旅行」は、最初の導入部分からワークショップ本編を経て、少人数のグループで感想をシェアし、最後に参加者全員で輪になって全体シェアへと進んでいきます。進行役である私は参加者おひとりおひとりに感想を伺い、何が自分にとって大切だと感じたかを尋ねていきます。

 そこでSさんは最初「ふたりの息子のうち、どちらかを選べなかった」と言い、数瞬の後に冒頭の「私は自分に嘘をついている」と言葉を続けたのです。自分の内側を見つめながら考え込むようなSさんを見て、その場ではそれ以上お尋ねすることはできなかったのですが、深い興味を持った私は後日詳しく話をお聞きすることにしました。


 もちろん興味の対象は「自分についている嘘」という言葉の意味するところです。Sさんはその真意について、こう語り始めました。
 「自分が下す判断が恐ろしく、直視できないことから目をそらすため、格好良いことを言いました。しかし、もっと心の奥底に本当のことがあり、それを誤魔化していることに気がついたので『嘘をついている』と申し上げました」

 「死の体験旅行」では自分自身の大切なものが何かを考え、また自らが死に近づいていく疑似体験の中で、どれも手放しがたい大切なものを取捨選択していきます。Sさんはワークショップの終盤、大切なふたりの息子のどちらかを選ばなくてはならない状況で、どう判断すればよいのだろうかと真剣に悩み考えてくださったようです。
 そこで考え至ったのは、自分は必ず何らかの判断を下すであろうということでした。ですので最初に口にした「ふたりの息子のうち、どちらかを選べなかった」ということが、自分についている嘘だったのです。

 しかしその選択はあまりにつらく、自分だけが助かろうとするかもしれないし、判断を下さないために最初に自分がいなくなってしまえば良いのではないかとも考えました。でもそれは、残されたふたりの息子にさらにつらい思いをさせることになり、親として良いことなのだろうかとも考えたそうです。

 さらに思考は深まり、頭の中で無理心中のようなシチュエーションを思い浮かべ、息子たちを道連れに自分が命を絶たねばならなくなったら、どちらを先に選ぶのだろうか。ひとりを殺め、もうひとりもと思った時にそれが果たせなかった場合はどうなるのか。その時、自分は何を思うのか。「そこまで知りたい」と思ったのだそうです。

 なぜそこまで突き詰めて考えるのか。
 Sさんは「知れば、そう考えた根拠について考えることができます。根拠と思考プロセスと原理がわかれば、対処方法がわかります。そうすれば、私はそれに対して恐怖を感じなくなります。自分は何が大切なのか、何に縛られているのか。自分の思考プロセスを知れば、そこから自由になることができるのです」そうおっしゃいました。


 Sさんの話を聞き、私は「正見」という仏教の言葉が頭に浮かびました。仏教の基本的な実践徳目に「八正道」というものがあります。正しい考えや正しい言葉、正しい生き方などが説かれていますが、その8つの徳目の基本になるものが「正見」、つまり正しく物ごとを見るということです。
 最初のインプットが正しくなければ、その後の行為がいくら正しくても方向がずれてしまいます。ですので正見が特に大切だとされているのです。

 究極の判断を迫られた時にどんな判断を下すのか。突き詰めた結果を目を背けず「正しく見て」、それをもとに考え、対処し、恐れを取り除く。Sさんご自身も気づいていないかもしれませんが、とても仏教的な考えやプロセスをなぞっているように思えました。
 それと同時に、仏教が先祖供養や墓参りのためだけにあるのではなく、今を生きる人の心の問題に対処し得る、2500年にわたって積み上げられてきた智慧なのだと改めて感じることができました。

 全体シェアの場は人数も多く、おひとりおひとりと対話できる時間は長くはありません。ですので私が気づいていないだけで、他にも深く深くお考えになった方も数多くいらっしゃるのだと思います。
 Sさんとのやりとりを通じ、自分が多くの人の「考える縁」になっていることを、私自身も気づかされました。

 

Buck number


 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。