どうにも本が売れません

「どうにも本が売れません」
出版人のための悩み相談室


回答者
髙橋秀実
石原壮一郎

気鋭のノンフィクション作家・髙橋秀実氏と抱腹絶倒コラムニスト・石原壮一郎氏が、出版人のあらゆる悩みに回答します。


髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
ノンフィクション作家

1961年神奈川県横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『男は邪魔!』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『悩む人』『一生勝負』『定年入門』ほか。

石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
コラムニスト

1963年三重県松阪市生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。その後、念入りに「大人」をテーマにした本を出し続ける。大人歴10年を超えたあたりで開き直って出した『大人力検定』は、それなりにヒット。その後、検定をテーマにした本を呆れるぐらい出し続けるが、どれも今ひとつ。昨今は「コミュニケーション力」に活路を見い出そうとしている。最新作は『【超実用】好感度UPの言い方・伝え方』。生意気にも、故郷の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」を務める。


撮影 落合星文



相談02:
「文章がうまくなるにはどうしたらいいでしょうか? こんにちは。髙橋さん、石原さんのファンのライターです。私は性格が素直なせいか、お二人のようなひねくれた、慇懃無礼な、でもおもしろい文章を書くことができません。どうしたら人を小馬鹿にしながら失礼にならない文章を書くことができるのでしょうか?」

(ライター・28歳)

前編はこちら

(後編)

 ——第2回後編、始まりました。

髙橋 それにしても、文章がうまいというのは、なんかイヤですよね。人として。そういう人はあんまり好きになれない。やはり「自分は文章がヘタで」と言う人のほうが好感を持てます。

石原  あと、しゃべりがうまい人も嫌いです。
 ——相談が、人の好き嫌いに入ってきました。

髙橋 文章がうまい人って、会うとがっかりすることが多いです。

石原  文章がうまいと思っている人は「相手は自分の言いなりになる」と思っているところがあるかもしれません。自分が思ったことを伝えられるから「相手は感銘をもって受け入れるはずだ」という前提がある。

髙橋 受け入れられない場合は相手が悪い。相手の読み取り能力がないという判断となります。ここだけの話、取材の前にその人の書いた本を読むと、何を書いてるのか全然わからないくらいにヘタな人と、すごくうまい文章を書く人がいる。実際、会ってみると、ヘタな人のほうがおもしろいんです。「うまく書けない」という悩みをお持ちで、書けないけど、これは言いたいという気持ちがある。すると、話はおもしろくなるんです。
 ——話ですか。

髙橋 原稿って、書いたら「ちょっと違うな」という感じがつねにつきまとうでしょ。「あれっ? 違う」「あれっ? 違う」と進んで、最初は批判するつもりが、最後にはほめてたりします。自分の書いたものを目にすると、つねに違和感があります。それを抱えながら進めていく。でも、そうならない人もいます。

石原  そういう人が鼻持ちならないのは、ツッコミがないからなんです。自分の書いていることに疑問を抱かずに自信満々で突き進める。だから、イヤなやつだと思ってしまうのかもしれません。われわれ、迷いながら転びながら前に進んでいる。

髙橋 だから、宗教系の文章がつまらないのはそういうことです。「とはいうものの」がないんです。いざとなったら神が出てくる。統一されてて揺るぎなく、迷いがない。

石原  確固たる信念のある人の文章もつまんないですね。環境系だったり、教育者の文章もあまりおもしろくないですね。自分が言っていることは正しくて大切で、相手が一生懸命聞いてくれるという前提の文章だったりするんです。われわれは、相手に読んでもらえないと思って書いてますからね。どうせこんなもの、誰も読んでない……。
 ——慇懃無礼が、ただの謙虚に。

石原  そういうところからのスタートなので、われわれはサービス精神が違います。だから、無数のダメ出しをどこまでできるかが、おこがましいことを言えばプロと素人の違いですね。なまなかなところでは、満足しない。次の一行を書くのに、将棋指しではないけど無意識のうちに何百通りの選択肢があって、そこから選んでいる。本当にこれでいいのかを繰り返していくと、だんだん慇懃無礼になっていくと思います。
 ——慇懃方面に戻りました。

石原  だから、すらすら書けることなんてないんです。

髙橋 読むほうはすらすら読めますけどね。
 ——ちなみに、うまい文章に嫉妬することなんてあるんですか?

髙橋 うまい文章には嫉妬しませんが、下手なのに胸を打つ文章には負けた気がします。

石原  もしかしたら、くやしさの別のあらわれかもしれません。たしかにいい文章だなと思うことはあります。でも、すごいなと思う前に「これ、たいへんだったただろうな」という気持ちがきます。これを書くには、おそらくこれぐらいの取材をして、これぐらいの時間をかけてやっているだろうなと考えちゃうから、素直にすばらしいとか、みごとだとかという思いにはならないですね。
 ——売れている本でひどい文章もあります。

石原  よくあります。
 ——これは嫉妬しない。

石原  いや、この人には自分にない何があるのかと考えますね。文章が上達すれば売れるとは、まったくかけらも思ってないです。売れる文章イコールうまい文章ではないです。

髙橋 売れてて文章がヘンな本と、売れなくてうまい文章の本があると、読み手としてはヘタな文章のほうが「この人、どういう人なんだろう?」とイメージが広がりますよね。うまい文章は完結しているから、イメージが広がらない。一方、てにをはもズレているような文章を読むと、「この人、どういう人なのかな?」と姿を浮かべてしまう。想像力が刺激されるんです。

石原  読んだけど、本当は何が言いたかったんだろうと。

髙橋 だから、文章がゴールかというと、ゴールではない。文章の先にまだあるんです。広告なんかもそうですが、読んだ人に商品を買わせるのがゴールです。だから、文章は途中なんです。途中のものとして考えた場合、うまくないとか、なんかヘンとかいうもののほうが、先がある。著者に対しても「こいつ何を言ってるんだ」「どういう人なんだろう?」となります。

石原  ヘタな文章は言いたいことは伝わってないけど、もっとほかの大事なものを伝えてくれているんですね。

髙橋 文章があんまりうまいと「あ、これ、だまされたかな」となるけど、ヘタだと、ある意味、恥をさらしているわけで、悪い人ではない気がします。例えば、聖書がありますね。
 ——ハレー彗星のように相談から離れていきます。

髙橋 新約聖書は、マルコとかヨハネとかがノンフィクションとしてイエス・キリストのことを書いているわけです。それを読むと文章がヘタで「なんか、つながってないよな」と思うわけです。だけど、そのことによって想像力が刺激されて、イエス・キリストはどういう人なんだろうかと思うわけです。完璧にうまい文章で、完成品として出されたら、キリスト教はここまで広まってないと思うんです。文章がヘタで、何言っているかわからないから「この人はどういう人なんだろうか?」とか、この部分をとらえればおそらくこうだろうけど、それと反対のことがこっちに書いてある。矛盾しているじゃないか。それは、イコール生きているということです。事象としては同じことを弟子たちがそれぞれにヘンな文章で書くから、そこにイエス・キリストが立ち現れる。大体、神のことなど我々にわかるわけがない、という話ですからね。
 ——聖書文章法。

髙橋 ベンジャミン・フランクリンというアメリカ合衆国の建国の父のひとりといわれている人がいますよね。新聞社とか出版社をやって「時は金なり」という言葉で有名な人。アメリカ経済をつくったせこくて鼻持ちならない人ですが、彼が言ったことで「そうかもしれない」と思ったことがあります。
 ——相談に近づきますように。

髙橋 彼の出版社に依頼がありました。ある人が「自分は歴史に名を残したい。ついては本を出したい」と相談にきた。すると「絶対自分で書いてはいけない。自分で書くと、歴史に名前を残せない」とベンジャミン・フランクリンは断ったらしいんです。自分で書くと矛盾とかいろいろ出てきて、読者に「あれは、おかしい」と間違いを指摘され、やがては人格も批判される。だから「誰かに書いてもらえ」とアドバイスしたらしいんです。誰かに書いてもらえば、間違いはその人の責任でしょ。矛盾があっても書いた人の理解が足りないということで、むしろ本人の評価が高まることもある。要するに、自分で本を書いたらアウトなんです。だからイエス・キリストもブッダもそうなんです。自分で書かなくて、で、書いたやつがちょっとヘタぐらいがちょうどいい。読んだ人が完璧には理解できず、「あれ、これ、おかしいぞ。さっき言ってたことと違う。反対のこと言ってるんじゃないかな?」、そういうことによって、自らの器の小ささに気づいたりする。はっきり言って、神とはヘタな文章が生み出したものです。神はヘタな文章に宿るんですね。
 ——すごい宿り先。

髙橋「文章がうまく書けない」という心がまえが大事ということです。「自分は文章がうまい」と思う人は相談なんかしません。そんな人は文章教室の先生になったりします。だから、「自分は文章がうまくない」という心がまえで、これからもがんばってください。その気持ちでいたほうがいい。そういう心がまえの人は、文章はうまいですよ。そのままでいいと思います。
 ——そのままでいいそうです。では、また次回をお楽しみに。

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