介護カフェのつくりかた 番外編
介護カフェのつくりかた 番外編
「だから介護はやめられない話」
ケアマネジャーとして介護現場で働くかたわら、対話によって新しい介護のカタチを考えていくコミュニティ「未来をつくるkaigoカフェ」を運営しています。
これまで12年間のカフェ活動では、一般的な「介護」のネガティブイメージを払拭するような、“あったらいい介護”の実践者とたくさんの出会いがありました。
今回はその番外編。介護職のみなさんが経験している、楽しく、ほっこりして、豊かになれる話を紹介します。
Vol.38(2025.9.7)
「環境を整える力」
今回は、介護現場でのテクノロジーの研究開発をしている「Future Care Lab in Japan」で副所長をされている芳賀沙織さんの実話に基づいたお話です。
* * *
私は学生時代、社会福祉を学びながら自治体が運営する特別養護老人ホームに併設するデイサービスで働いていました。その中で、環境の力が人に与える影響を感じた経験をお話しします。
「もう帰りたい、まだ帰れないの?」
介護現場で勤務した初日、デイサービスに到着したばかりのご利用者から問われた言葉でした。
9時からのサービス開始直後、席に着くなり立ち上がって私に話しかけたのです。
私の原点は、左半身が不自由だった祖母の介護にありました。幼少期に「痛い、痛い」と言いながらお風呂に入る祖母を手伝い、祖母や家族や親戚が介護で苦しむ姿を見てきました。そこに悪い人はいないのに、うまくいかない現実。「もっとお風呂が入りやすくなったらいいのに」と思った小学生のころから、人より道具や環境を整えることに興味を持つようになりました。
認知症高齢者20名ほどが過ごすデイルームで、このご利用者は、約10分おきに立ち上がり、「もう帰りたい」と不安そうにおっしゃいました。職員は「まだ来たばかりですよ」「危ないから座っていてください」と対応していましたが、この繰り返しが半年ほど、毎回続いているとのことでした。
私は、「なぜそんなに帰りたいのだろう? 普段杖も車いすも使用しないご利用者が歩くことの何が危ないのだろう?」と疑問を抱きながら、ある日「まだ帰れないの?」と、問い、立ち上がったご利用者に「なぜ帰りたいのですか?」と聞きながら、後をついていくことにしました。
すると、ご利用者は建物の出入口ではなく、デイルームの窓側へ向かっていました。デイルームには、天井から床まで窓ガラスが広がる部屋の端に、庭へ通じる勝手口があったのです。様子を見続けると、毎回バスで来る正面玄関ではなく、この庭への扉をめざしていたのでした。
私は職員から簡易パーテーションを借り、その庭へ通じるドアの前に設置してみると、「もう帰りたい」という言葉がぴたりと止まったのです。10分おきの立ち上がりもなくなり、ご利用者は穏やかに、にこにこと過ごされるようになりました。そして、職員の方々からも感謝の言葉をいただくことになりました。
ご利用者本人に理由を教えていただくことはかないませんでしたが、すべてを理解できなくても、「単なる帰宅願望」と決めつけない対話や観察の重要性や、その方の世界観を柔軟に尊重する姿勢が必要ということを学びました。行動の状況や理由を把握し、環境を整えることで、その人らしい生活を支援できるのではないかと考える事例のひとつにもなりました。
人に寄り添い、必要な道具の活用や環境調整を必要なタイミングで行なうことで、ご利用者も介護職員も負担が減るのではないか。私はこうしたことも、介護テクノロジーのひとつなのではないかと考えています。
介護の仕事において、私はこれからもその人の世界を大切にし、因果関係のすべてがわからないことも前提として、人としての豊かさを蓄えながら、環境を整える力を磨いていきたいと思います。
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介護の現場では「なぜその行動を繰り返すのか」がわからずとまどうことも多いですが、対話や観察を重ねることで見えてくる「その人の世界」があると改めて感じました。「帰宅願望」と一言で片づけるのではなく、その方が安心して過ごせる環境を整えることが支援につながる。小さな工夫や気づきが、ご利用者だけでなく職員の心も軽くする。そんな実感を、これからも介護カフェの連載を通して共有し、みなさんと一緒に考えていければと思いました。
高瀬比左子(たかせ・ひさこ)
NPO法人未来をつくるkaigoカフェ代表。
介護福祉士・社会福祉士・介護支援専門員。大学卒業後、訪問介護事業所や施設での現場経験ののち、ケアマネージャーとして勤務。自らの対話力不足や介護現場での対話の必要性を感じ、平成24年より介護職やケアに関わるもの同士が立場や役職に関係なくフラットに対話できる場として「未来をつくるkaigoカフェ」をスタート。介護関係者のみならず多職種を交えた活動には、これまで8000人以上が参加。通常のカフェ開催の他、小中高への出張カフェ、一般企業や専門学校などでのキャリアアップ勉強会や講演、カフェ型の対話の場づくりができる人材を育成するカフェファシリテーター講座の開催を通じて地域でのカフェ設立支援もおこなう。