本が生まれた村

第五話(2017.09.11)

貧しさのおかげ

©UNO Associates INC.
 広場に並べた樹脂製の椅子に座り、正面から全身に太陽を浴びている。二月の山頂の空気は(りん) として、日に火照(ほて)る顔に気持ちがいい。広場の向かい側に立つ石碑の中の本を担いだ行商人から、<ゆっくりしていってください>と声を掛けられるようだ。
 「さあ、ちょっとこれでひと休みなさって」
 そう思っていたところに突然、声がしたので、飛び上がった。いつの間にかすぐ横に、がっしりと長身の男性が片手に丸盆を持って立っている。人数分のグラスに、白ワインが注がれている。
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無数の小さな気泡が揺れ、グラスが白く曇っている。とびきり冷えた発泡酒なのだろう。厚地の綿のエプロンを掛けた少々年のいった男性は、順々にグラスを手渡していく。慣れた給仕は優雅で、石だらけの山村に映画のシーンのように浮かび上がって見える。黒いエプロンは、今クリーニング店から届いたばかりのように清潔で、(ひも)までプレスがピシリと掛かっている。胸元に、白抜きで店名と石碑の中の本の行商人の絵がプリントされている。
 薄い水色のペンシルストライプのシャツの袖口を等幅に折り上げ、老眼鏡を鼻先にずらして手先に気を配りながら、丁寧(ていねい)にグラスを配っている。ジャコモたちは余った椅子を引き寄せて小卓の代わりにし、ざっくばらんに飲んだり立ったり喋ったりする。広場ながら、家の居間でくつろぐようだ。
 「二種類ほど焼いてみました」
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 黒エプロンの店主は、バールと広場を往来しながらオーブン皿ごと運んでくる。
 「これは、ティツィアーノの十八番です」
 ジャコモは、まるで自分で焼いたかのように得意満面で勧める。薄焼きのピッツァの生地(きじ)の上にトマトソースが伸ばしてあり、ところどころにチーズがトロリと広がっている。トマトソースもチーズも伸ばし方は均等ではなく、地図のようだ。オリーブの実が、こちらにコロリあちらにポロリ。
 「もしチーズがお嫌でしたら、このあたりには載っていませんから。トマト味に飽きていらしたら、ここは素焼きにしてあります……」
 店主ティツィアーノは、一口大に切り分けたピッツァを載せてオーブン皿ごと、持って回っている。それで、トマトソースもチーズもまだらに置いてあったのか。さぞ熱々だろう、と指を泳がしていると、さっと爪楊枝(つまようじ)入れが差し出される。
 手切りの生ハムに、分厚いフォカッチャも出てくる。晴天の広場に香ばしい匂いが漂う。ティツィアーノの流れるようなしぐさと、私たちの席に加わって駄弁(だべ)ったりしない一線を画した振る舞いのおかげで、一流のレストランに着席して前菜を食べ始める気分だ。
 キュンとした酸味は、噛みしめるうちにまろやかな味わいとなって広がる。飲み込むのが惜しいほど。きっと地産のトマトでティツィアーノが作ったのだろう。ジャコモの妻と顔を見合わせて、<おいしいわよね!>と、揃って目を細める。
 手切りの生ハムは薄くもなく、分厚くもなく。後に引く甘塩の塩梅(あんばい)が、ふかふかのフォカッチャのひと噛みの分量にぴったりだ。切り分け方が絶妙なのだろう。
 ティツィアーノはバールの入り口に立ち、私たちの飲み食いの様子を見ている。しばらくしてジャコモがついと首を伸ばして彼を見やると、さっと店内に入っていった。注文も勘定もそれで(しま)い、という合図らしかった。
 「では、そろそろ行きましょうか」
 促されて、二台の車に分乗する。もう一杯くらい、と冷えたワインが名残惜(なごりお)しい。つまんだひと口の酸味と塩気に誘い出されて、程よく食欲が湧いている。過不足のない食前の持てなしは、聖餐(せいさん)に劣らない充足感があるのだと知る。

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 車は村の縁を()いながら、さらに向こうの山を目掛けて上っていく。最初のカーブに差し掛かるとマッシミリアーノはすぐに窓を開けて、
 「森の匂いがするでしょう?!」
 肩を上下させて深呼吸している。
 運転しながら、フェデリカと道の状態を細かく検分している。今行く山道が、犬たちとのランニング大会のコースでもあるのだ。舗装状態や傾斜角度を見ながら、 
 「ここを一気に駆け上っておくと、後が楽なんだよ」
 とか、
 「先には長いダラダラ坂があるから、ここでは焦らずに力を溜め気味に行かないとね」
 「けっこうカーブがきついな」
 「あの木陰は、給水休憩にちょうどいいわね」
 などと熱心に確認している。マッシミリアーノはもう、足の裏から山の道を知り尽くしているのだろう。
 しばらく行くと道沿いに数台の車が停まっているのが見え始め、そのすぐ先に食堂があった。
 食堂というよりは、山小屋の(たたず)まいだ。道より二、三メートルほど高台に建っている。三角屋根の軒下に頑丈な木の(はり)が通っている。焦げ茶色の木の窓枠は、()()を塗り込めた真っ白の外壁に掛けた額のようだ。階段を上がってドアを押すと、ふわりと中から暖気が出迎えた。炭火だろうか。何とも香ばしい匂いが鼻先に流れる。
 「やあやあ!」
 「久しぶりだな」
 「元気か」
 「お父さんはどうしてる?」
 「今回はいつまでモンテレッジォにいる予定なの?」
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 四方八方から挨拶(あいさつ)が集まる。満員だ。二、三十人はいるか。奥のほうのテーブルですでに昼食もたけなわという人たちは、座ったまま顔だけこちらに向けて、一言二言、声を掛ける。
 店内は、中年から老年ばかりだ。くつろいだ様子から、皆、常連で互いに顔見知りなのだろう。一応テーブルは分かれているものの、あちらからこちらに(しゃべ)りに来てはそのまま座り、こちらの席を立っては向かいのテーブルへ移る、と賑々(にぎにぎ)しい。ウエイターたちも慣れたもので、あちこち動く人の後を追って、新しい小皿とグラス、カトラリーを運んでいる。
 さあさあ、と両手を広げて店主らしい中年の男性が厨房(ちゅうぼう)から現れた。私たちを中央の大テーブルに案内する。 
 「よろしく頼むよ」
 マッシミリアーノとジャコモが、店主の両側から肩を抱いて挨拶している。
 「いらっしゃい。存分に味わっていってください」
 メニューも出なければ、料理の説明もない。ドン、ドン、ドンと水入りの瓶がテーブルの真ん中に置かれ、ドシン。一リットル入りのカラフに赤ワインが揺れている。
 食事を終えた人たちが順々に私たちのテーブルにやってきて、ジャコモ夫妻やマッシミリアーノと雑談を交わし、戻り際に私にも満面の笑顔で会釈(えしゃく)していく。結局、店内にいたほとんどの人が寄っては自己紹介をし、一人一人に私は笑っては黙礼を繰り返した。それぞれのテーブルに戻ってからも、背中を向けたままこちらをじっと(うかが)っているように感じた。 
 それは初めて村を訪れる客人への歓待と気配りであり、また余所者(よそもの)に対する探りと警戒でもあるのではないか。モンテレッジォと山々を(つな)ぐ道の途中に、忽然(こつぜん)と高台に建つ食堂の外観を思う。

 長細い板の上に濃い桃色の生ハムが並べ出され、昼食が始まった。芳醇(ほうじゅん)な香り。しっかり塩が効かせてある、噛み応え十分の肉。野生イノシシのハムだ。
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フェデリカはひと切れか二切れだけ口にすると、
 「ああ、もうお腹いっぱい。今日はここまで!」
 早々と宣言し、ナフキンを置いている。飲むのは、水だけ。彼女はランナーなのだ。
 「まあそんなこと言わずに……」
 両手に大皿を抱え持ち、店主がお代わりを勧める。ごく薄いパイ生地でリコッタチーズと卵と野菜を包み焼き。それを見たジャコモは、
 「これは僕からのリクエストなんです。祖母の得意料理でした。名人だった。パイを頬張ると、山が口に飛び込んでくるようでね。子供の頃から<天国のパイ>と呼んで、よくねだったなあ‥‥‥」
 季節ごとの野草や狭い自家菜園に育つ野菜を摘み、包み込む。
 「これは、そのパスタ版です」
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 甘酸っぱいトマトの香りが湯気とともに立ち上る。手打ちのパスタ生地で、地産の野菜や香草(こうそう)を包んでラビオリを作り、ひき肉をトマトで煮込んだソースで()える。ミラノを出た後、突っ切ってきた広大なトマトの栽培農地にも似たようなパスタ料理はある。
 <あれ?>
 頬張ってみると、山向こうの味とはどこか違う。そもそもひき肉入りのトマトソースは、山を越えた北側にあるボローニャが発祥の地だ。ボロニェーゼと呼ばれたりする。一見同じなのに、どこが違うのか? ……。 オリーブオイルか!
 「ここは山ですが、海なんです」
 その通り、と(うなず)きながら、ジャコモはラビオリをよそう。山の北側では、煮炊きや揚げるのにラードを使う。豚の(あぶら)が大半の料理の基軸だ。したがって、ボロニェーゼも濃厚である。ところが、モンテレッジオォ一帯では、動物脂は使わない。オリーブオイルである。
 「ずっと昔からです。オリーブオイルの産地として有名なトスカーナ州にあるのに、ここモンテレッジォ一帯にはオリーブの木がないのです。生えているのは、野生の栗だけ。昔から主に海側のリグリアから、オリーブオイルが運ばれてきていたようです」
 山の食材を、海のそばで採れたオリーブオイルで調理する。それはまた、ここが沿岸部からオリーブオイルを山を越えて運んだ、(あきない)の道だったという(あかし)でもあるのではないか。軽やかなオリーブオイルの香りの向こうに、リグリア商人の足跡が続いている。
 「トマトで煮込んだ肉入りソースをパスタに和えて食べるなんていう贅沢(ぜいたく)は、昔はこのあたりでは夢でした」
 そう言いながら次に店主が出したのは、親指の頭ほどの大きさの、灰色がかった薄茶色の粉ものである。流行りの全粒粉パスタかしらん。細かく刻まれた緑色の野菜が絡めてある。
 「小麦粉は、富裕層の食べ物でしたからね。モンテレッジォではなかなか食べられなかった。森へ入って野生の(くり)を採り、()いて粉にした。水だけで捏ねて、こうしてね、ヒョイ、ヒョイッと……」
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 マッシミリアーノが、親指の横腹でテーブルを(こす)り上げて見せる。灰褐色(はいかっしょく)の食べ物は、栗の粉で作ったニョッキなのだった。もともとニョッキは、()でたジャガイモを潰し繋ぎにわずかな小麦粉を合わせ水で()ねて作る、ごく質素な料理だった。主に北イタリアで、貧しくて小麦粉が買えない人々が、腹持ちがよく廉価な(いも)をパスタに()して食べたのである。
 茶色の小粒なニョッキを数個まとめて口に放り込む。歯応えがある。具はポロネギだけだ。茹で溶けてクリーム状になった表面を、オリーブオイルの香りが優しく包み込む。ほんのりと塩味のニョッキからは、噛むうちにネギと栗の甘みが(にじ)み出てくる。見栄えが悪いので、味もさぞ貧相に違いない。(あなど)って口にしたが、堂々とした一品だった。
 栗、水、塩、オリーブオイル、ネギ。そして、指の力。ただそれだけ。しかし、だからこその気高い味。
 皿の中に、モンテレッジォを見る。

 食堂を出て、うまく言葉が出てこない。
 「食べ過ぎましたかね?」
 マッシミリアーノが心配して、私の顔を覗き込む。腹ごなしにひとっ走りしようか、と駆け足の仕草をしてみせる。
 満腹したのは、料理ではなかった。この山村を取り巻くさまざまを反芻(はんすう)して、胸がいっぱいになったのだ。
 石壁に貼ってあった村人たちの写真をあらためて思う。あそこに映っている男たちは、毎年春になると唯一の産物である石と栗を集め、背負って山を越え谷を越えて、フランスやスペインまで足を伸ばした。往路の荷である石を売りきると、空っぽの(かご)のまま帰るのはもったいない、と道中で本を預かり受けて籠に詰めなおし、売り歩きながら帰路を辿(たど)ったという。
 彼らが旅の往時に背負ったのは、石の重さだけでなかった。残していく家族たちへの責任感、将来の不安や孤独の重圧もあったに違いない。 
 モンテレッジォの男たちよ。いったい何があなた方を突き動かして石を運ばせ、何を選ぼうことか、本を担いで戻ってきたのです? 
 天の啓示か、偶然か。運命の悪戯(いたずら)か。
 石と本。この不思議な因縁(いんねん)を生んだ背景を探ろうと、今日、私はモンテレッジォを訪れた。ジャコモたちの後について石畳の道を歩き、石造の教会と塔と城に触れ、山に囲まれて広場に座った。そして皆と簡素な郷土料理を分け合ったとき、連綿と山で生きてきた村人たちの思いが身体じゅうに沁み渡った。
 男たちが村を離れるとき、栗尽くしの食卓で家族が送り出した情景が見える。質素であればあるほど、核心を突く味わいだ。村人の味覚の原点。村を支えてきたのは、この開き直ったような単純明快さから生まれる強さなのだ。

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 別れ際にジャコモとマッシミリアーノから、ずしりと重い袋を受け取った。
 深い紫色のブルーベリー・ジャム。百花蜜。栗の粉で焼いた乾パン。栗の粉。薄片に切った干し(きのこ)
 「村を発つときに、家族が持たせてきたものです。多少のことでは傷みません。いっしょに沸き水も持たせてあげたいですけれどね‥‥」
 袋の中身は、今日の訪問の復習だ。自分で調理してみるとき、モンテレッジォにいっそう近づくための予習が始まるのだろう。

 ミラノに帰って袋を空けると、底に封書があった。マッシミリアーノからである。


洋子さんへ

 モンテレッジォへいらしてくださり、ありがとうございました。どのように村の紹介をしようかと皆で相談し、それぞれが 親や老人たちから見聞きしてきたことを振り返りました。すると、それまで置きざりにしていた思い出や感覚が次々と目覚め て動き出し、目の前に現れたのです。先祖と再会するようでした。どうもありがとう。
 僕は、モンテレッジォから離れて暮らしています。でも村から離れれば離れるほど、時間が経つほどに、郷愁(きょうしゅう)の思いは強まる一方です。
 何もない村。食うに困る暮らしだった。でもだからこそ、村は今でも生きている。貧しかったおかげで、先人たちは村を出 て国境まで越えていった。命を懸けた行商が、勇気と本とイタリアの文化を広める結果へと繋がっていったのです。
 読み書きのできなかった貧しい村人が、本を運ぶ。説明が付かない。奇跡のような話です。この不思議な力は、山の木々か ら湧いてくるのだと思います。
 森は、神秘です。
 幼かった頃、秋になるときまって、祖父母や友だちといっしょに森に入り栗拾いをしました。前屈みになり地面に顔を擦り 付けるようにして、少しでも大きく、傷んでいない栗を懸命に探しました。栗の木の落ち葉で一面が黄色に染まり、木漏れ日 を受けて金色に光る。夢の中のような光景でした。
 モンテレッジォの周りの山は、栗の森です。誰も世話をしないのに、秋になるとすべての山に栗の実が成る。奇跡の恵みで す。
 冷え込みと湿気が骨に沁み入る頃、村じゅうに焼栗の匂いが広がります。広場に村人全員が集まり、栗を焼いて食べるので す。ただいっしょに食べるだけ。五臓六腑(ごぞうろっぷ)に栗の滋養(じよう)がしみじみと行き渡り、森の力が(みなぎ)り、神聖な気持ちで満たされます。
 茸! 一人で枯れた枝葉をかき分け、草むらを(のぞ)き込み、獣道に入る。あった! そうっと摘み取り、森の匂いを胸いっぱいに吸い込む。山に抱かれる瞬間です。
©Associazione “Le Maestà di Montereggio”
 六月にはラズベリー。八月はブラックベリー。あの色。甘酸っぱい味。(はかな)い柔らかさ。繁みの中に見つけると、手を伸ばして優しく摘み取る。ジャムにするために人は摘むけれど(モンテレッジォにジャム作りの名人がいるので、次は味見がてら会いに行きましょう)、僕は、摘んだそばから食べていました。旨かった! 神様ありがとう。
 八月になると、村人は屋外で揃って夕食です。僕たち悪童は、大人たちが広場に集まるのを見届けると山の斜面に這いり、
©Associazione “Le Maestà di Montereggio"
イチジクを腹一杯食べて大笑いしたものでした。梯子(はしご)を掛けなければならないほどの大木で、子供だけで登ってはならなかった。禁断の果実は、大人の味がしました。英雄になった気分だった。ところが大人たちはすべてお見通しで、気付かないふりをして見守っていてくれていたのだ、
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と後になって知りました。どの村人も同じようにして大きくなったからです。僕たちモンテレッジォの住人は、山にすべてを教わってきました。
 毎年学校が終わると六月から九月まで、僕は祖父母といっしょにモンテレッジォで過ごしました(祖母の父親も、書店主で したよ)。
 毎夕、薄暗い森を通って<乳牛飼いのアンナ>の家へ行き、ガラス(びん)(しぼ)りたての生乳をもらってくるのが僕の役目でした。小学生だった僕は、牛乳がなみなみと注がれた瓶を両手で胸 に抱き、こぼさないようにそろそろ歩いて帰りました。瓶を通して、ほんのりと乳の温かさが伝わってくる。我慢できずに、 こっそり(すす)る。<ああ美味しい!>ひと口だけのつもりがつい飲み過ぎてしまい、祖母に見つかりひどく叱られたものです。あの甘くて濃い味は、今でも忘れません。アンナおばさんは九十歳を超えて、今でも達者です。次回、紹介しますね。

 今日の昼食とこの土産品は、村に伝わる味です。僕たちの幼少の記憶です。
 モンテレッジォを味わってください。

二〇一七年二月二六日 モンテレッジォ
マッシミリアーノ


(第六話 10月2日掲載)

プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida, Journalist

ジャーナリスト。イタリア在住。
1959年神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。
通信社ウーノ・アソシエイツ代表。2011年『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感』『ミラノの太陽、シチリアの月』『イタリアの引き出し』『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』『皿の中に、イタリア』『どうしようもないのに、好き イタリア 15の恋愛物語』『イタリアのしっぽ』『イタリアからイタリアへ』『ロベルトからの手紙』『ボローニャの吐息』『十二章のイタリア』。
翻訳書にジャンニ・ロダーリ『パパの電話を待ちながら』などがある。

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