おカネはケチらないほうが溜まる本当の話(Back)

おカネはケチらないほうが溜まる
本当の話


はじめに
 何となく何となくな世の中で毎日です。そんな毎日を私たちは生きていて、なぜか後で振り返ると喜怒哀楽に満ちています。そこによくからんでくるのが、福澤諭吉や夏目漱石、それから、ちょこっと紫式部です。
 わたしは福沢諭吉が大好きです。みなさんも好きですよね? 昔は聖徳太子を好んだものですが、いまは何といっても福沢諭吉です。これは、慶応大学出身者だけではないようです(早稲田含む)。人気が出たりなくなったり、明暗ですな。
 私は時に人に好かれようと福沢諭吉を総動員させて一瞬だけ好かれたような錯覚を覚えることがありますが、けして私が人気があるわけではなく、福沢諭吉の人気だったと、すぐに気づかされます。せめて、十夜くらいは夢を見させてもらいたいものです。哀しいですね。
 おっと、こんな道草している場合ではないですね。ということで、来年の彼岸過ぎまで毎月1本ほど、クビにならない限り、福沢諭吉や夏目漱石に翻弄される私たちの悲喜こもごもを書いていきたいと思います。
 私は個人主義の生き方に少し疲れてきた中年。この文筆まがいのことは50過ぎからの新規事業です。ちなみに、我が輩は経済評論家である、なーんちゃって、くさっ! お先、まっ暗っすね。ま、それでも、生れてきた以上は生きねばならぬ、のです。
 また、ウザいことを書きました。すいません。なぜってね、不思議なんですよ、こころでは夏目漱石のほうが好きなのに、実際は福澤諭吉を欲してる。それも1人じゃ嫌で何百何千と。おや、あなたもですか? なら、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いします。可能であれば、ワシントンやリンカーン、エリザベス女王にからまれている人たちのことも書こうと思ってます。

 


  第一回(2017.03.03)
「ボーノ、ボーノ! イタリア激安旅行に参加すると、サイゼリアの偉大さがわかる。」


「佐藤さん、本場のイタリアまで来たのに料理はたいしておいしくなかったわね」
 激安イタリア旅行のツアーメイトだった主婦が、旅の終りにそう言った。
「そうじゃないですよ、おいしいイタリア料理を食べにいってないからですよ。むしろ、おいしくないところばかり選んでいる感じでした」
 そんなウソのようなことが本当に起きている。
 私は救われていた。自由時間にイタリア好きの編集者が教えてくれた、ローマのポポロ広場のそばのトラッタリアに行ったからだ。予約なしの飛び込み、ほぼ満席だったが「相席でよければ」と席を取ってくれた。小さなアンティパスト、もっちもちトローリの特製ピザと気どらないハウスワインのデカンタで、チップ込み15ユーロ。安かった、おいしかった。おいしくて安い店は、世界中どこに行っても混んでいる。これを食って私は救われたのだ。
「ボーノ、ボーノ(ウマい、ウマい)!」
 店の主人も私のようなおっさんに言われて気の毒だが、うれしくなって笑顔で言って店を後にした。

「イタリア8日間13万円」なんていう激安ツアーがあって人気だ。日本から添乗員が同行し、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノなどをめぐる6泊の旅だ。
 一般的なのは、ミラノ、ベネチアに1泊ずつ、フィレンツェ、ローマに2泊ずつ泊る。到着日はミラノに宿泊し、翌日の午前中にミラノの市内観光をし、ベネチアへ移動。また、翌日の午前中にベネチアのサンマルコ広場あたりの観光をして、フィレンツェに移動といった具合。
 これには、往復の飛行機代はもちろん、ホテル代、観光バス代、美術館などの入場料、それに、食事代も含まれる。食事はイタリア旅行の醍醐味のひとつ。日本人はイタリア料理が大好きだ。フライト時間などにもよるのだが、たいていの8日間6泊のイタリア旅行では、朝昼晩と5回ずつ食事の機会がある。このうちの大部分に食事がつく。
 もう一度申し上げる。往復の飛行機代、6日間の観光バス代、6泊のホテル代、日本からの添乗員に、入場料、現地ガイド代などなど観光に関わる諸々の費用に含めて、15食の食事も入っての価格が13万円。旅行会社の利益もこの中に含まれる。で、13万円だ。
 こういう予算の限られたツアーだから、きっと旅行会社は先に書いた、安くておいしい店に観光客を連れて行ってくれるだろうと思うかもしれない。しかし、ほとんどの場合、そういううれしいことは起こらない。
 それにはきちんとした訳がある。
 安くておいしい店はツアー客を取らない。その必要はない。なぜなら、そういう店はいつでも満員、大繁盛。テーブルが空いている時間はない。ツアーの客の予約を取るということは、たとえば35人分のテーブルを予約のために長時間も空けておくことを受け入れることになる。団体が来た時に「席があと3席ないんですよ」などと言えないのだ。「それでもかまわない」という店は、それだけ流行っていない店なのだ。
 流行っていない店とは、たいてい安くもおいしくもない店だ。激安ツアーの一人あたりの予算は限られている。私の参加した激安ツアーは、「前菜、メイン、デザートでランチは1000円、夜は1500円の予算」だと添乗員さんは教えてくれた。安くなく、おいしくない店で予算もない。もうほとんど「うまいイタリアン」にありつく可能性はゼロだ。
 そして、留めの一撃が、ツアーでは全員分の料理をほぼ同時に出す接客が求められるということだ。
 安くもおいしくもない店が、35人分以上の料理を一度に出さなくてはならない。それは、ピザやパスタも作り置きをしておくことを意味する。もともとおいしくない店が低予算で作り置き。そりゃあ、うまいものが出てくるわけがない。
 冷めたマルゲリータピザには、バジルが1枚だけ乗っていた。トマトソースのパスタは、ミートソースでもボロネーゼでもないシンプルなトマトソースのスパゲティ。「アルデンテという言葉を知ってる?」と聞きたくなるようなもの。こうした料理が激安団体旅行ではよく出てくるのだ。

 忘れられないのが、コモ湖のレストラン。最後に出てきたジェラートはスープのごとく完全に溶けていた。あたりまえだ。アイスクリームを器に入れて、20分も30分も調理場に置いておけば溶けるに決まってる。
 ツアー客の多くはアイスクリームをスプーンで啜っていた。うまいイタリアンにありつけているかどうかは、食べている人の顔を見ればわかる。ああ、哀しいね。
 本来はアンティパストなど、冷えてもおいしいものや煮物系料理が大人数の団体客向けなのだが、激安ツアーの予算では、どうしても冷めたらまずい炭水化物系のメニューになりがちだ。
 激安ツアーで、夕食が1〜2回ついていないことがある。実はこの時だけが、激安ツアーでおいしいまともなイタリアンにありつくチャンスなのだが、ツアーを安さだけで選ぶ人は、できるだけお金を使いたくない。さらに、ツアーでイタリア料理をいろいろと食べてみたけれど、たいしておいしくないから食事を抜くとか、日本にもあるファストフードに行く、中には日本から湯沸かし器を持ってきて、わざわざ「赤いきつね」や「緑のたぬき」を食べる人も少なくないのが実情だ。こうして、せっかくのチャンスも棒に振る。私は最初に書いたレストランで救われた。ボーノ、ボーノ!
 激安ツアーで行くイタリアンはおいしくない。おいしい料理は出ない仕組みになっている。もっとわかりやすく申し上げると、少し訓練したアルバイトがマニュアルに従って作る、日本の激安イタリア料理チェーン、「サイゼリア」のほうが何十倍もおいしい。いや、私はあの価格を考えると、世界で一番うまいイタリア料理を出していると思う。偉大だ。激安イタリアツアーに参加すれば、どれだけすごいかわかるはずだ。
 Tシャツ100円、スマホ1000円と聞くと「安すぎる。劣悪品だったり、何か裏があるんじゃないの?」と疑うことを知ってる消費者が、なんで「イタリア旅行8日間13万円」の価格はすんなり受け入れるのだろう。
 わざわざイタリアまで、まずいイタリア料理を食べに行く。そんな激安団体ツアーが今年も多く販売されている。

 


  第二回(2017.03.25)
「アリとキリギリス」を疑うようになって


 若い時に油絵を一枚買った。
 それは、知り合ったある老画家の作品で、平安絵巻の世界を連作で描いている人だった。
 僕は就職したばかりで、20代のはじめのころだった。
 実はその老画家は、月に2回、土曜の午後に原宿の裏通りで開かれていた絵画教室の先生だった。僕はその教室の幽霊メンバーだったが、ふと出席しては静物画や裸婦を描いた。時には小旅行をして写生もした。絵を描くだけでなく、その不思議なグループにいるのが面白かったんだと思う。みんなで酒もよく飲んだ。僕は若かったので、いろんな無礼も大目にみてもらっていた。
ある宴席で気持ちよくなって老画家に質問した。 「先生の絵はいくらくらいで買えるんですか?」
 注文した時には30万円ということだったが、半年後に絵が出来上がったときには40万円と言われた。
 バブルの時代だったのだ。
 楽しい関係に影響をさせてくなかったので、ケチはつけなかった。もしも、30万といったのを40万と自覚して言ったのであれば、相手のほうが気まずいに決まっている。もしかしたら、忘れていたのかもしれない。宴席で僕がそんなことを言うものだから、40万と言いたかったのを30万と言ったのかもしれない。そこいら辺は今でもわからない。

 僕はごく平凡な普通のサラリーマン家庭に生まれた。だから、油絵などは買わない。家には、デパートの即売会などで手に入れた1万円くらいのルノアールやバルビゾン派のほぼ印刷な名画のコピー絵画は飾られていたが、どう考えても中身よりも額のほうが高そうだった。ほかに名画を綴ったカレンダーのお気に入りの作品を破いて額に入れたものもあって、それらは日に焼けて退色していた。
 実は我が家には油絵もあった。それは、ご近所づきあいしていた美大卒の母の友人が、描いてくれた母の絵だった。首がちょっと長めのモディリアーニ風の感じで母のお気に入りだったが、プレゼントだった。
 そんな家だったので自分の給料で絵を買ったことを言った。「仲のいい人から世界に一枚しかない絵を買ってみせた」と伝えた。しかし、自立するまで自宅にその絵をかけることはできなかった、親の評判はすこぶる悪かったのだ。「40万も出して絵を買って何様だ!」というわけである。絵がいい悪いではない。親の経済感覚からいったら、まったく狂ったことを息子はしでかしたのである。
 だから自分の部屋であったとしても、その絵を見るたびにイヤミを言われそうな気がしてしまったままにしておいた。両親のもとを離れて、晴れて部屋にかけた。住んでいたマンションは狭かったが、不思議とその絵のある場所は家の中心となった。コーヒーを煎れて飲んでいる時にふわっと視線はそちらを見ていた。帰宅して電灯を灯したときに一番最初に目に入ってくる。そんな不思議な毎日が始まり、いまも続いている。
 世界中には、さまざまな絵画があって、それぞれの作品を画家がどのくらいの時間を使って描いたのかはわからない。しかし、その絵を描くために美術家になった人たちは幼い頃から美を意識して生活をし、教育を受けただけでなく、それで食って行くぞと決断し、訓練や修行を重ねる。何十年もかかって初めてひとつひとつの絵を手がけることができるようになる。絵の中に、美を追い求めた画家の人生の結実が投影されている。
 だから、絵のかかっている場所は、ひとつ次元が違う世界がそこにできあがる感じがする。そんな場所が自分の家の中には確実に存在するようになる。だから、自然と目がいってしまうし、意識もする。それを毎日眺めることは僕の楽しみであり、美しいものを見た時に感じる喜びも与えてくれる。とくこの絵は源氏物語を題材にした日本の世界を描いた洋画だ。意識はしないが、何か根っこに迫って来るのだ。

 両親には言わなかったが、僕が絵を買ったことは、かつての金満日本がやったような投資のために絵を買うのとは違う。何千万、何億円も出して絵画を買い、しまい込んで、値が上がるのを待つのとは根本的に違うのだ。それは、絵画を原油や金の先物取り引きと同じ、投資対象におとしめてしまうことになる。絵をそのものを楽しむわけではない。
 僕の場合も半分は成り行きで買ったのも事実だった。衝動買いではないが、酔っぱらったときの勢い買いである。勢いがなければ若造に絵などは買えない。でも、買ってよかった。若気の至り、万々歳である。
 部屋に絵をかけてから20年以上経つ。15年前にその老画家はこの世を去った。その後も、その絵は部屋にあって心を揺さぶってくれている。絵画そのものも素晴らしいだけでなく、「佐藤クンは僕の絵を買ってくれた」と、酒が入るといろんな人に言っていた老画家の嬉しそうな笑顔と、若くてヤンチャな自らの日々の思い出も心に蘇る。僕があと20年生きるとして40年、この絵を楽しむことになる。1年1万円で楽しんだことになる。これはそんなに高いだろうか?

 絵画だけではない。若い時に飲んだ高級ワイン、背伸びして出かけた寿司やフランス料理……。それらの経験は自分の中に蓄積されて、次のワインに出会う時の、食事をいただく時の羅針盤になってくれている。けっして1回食べて、はい、おしまいではないのだ。旅行や観劇、スポーツ、さまざまな経験は形としては残らないが、思い出として僕がこの世を去るか、もしくはボケてしまって何が何だかわからなくなるまで、笑顔とともに、生涯を通して心に寄り添い、繰り返し楽しむことができるのだ。
 人生80年として、20代の経験は60年間楽しめ、60歳での経験は20年思い出を楽しめる。

 日本人はイソップ物語の「アリとキリギリス」が大好きだ。若い時に我慢していると、あとで楽ができますよという論理だ。子どものころに枕元で親が絵本で何度も読んでくれた。幼稚園でも聞かされたし、テレビのアニメでも見た。しかし、あれはいかがなものか?若くして死んだらどうするんだろう?
 若い時の楽しい思い出は、残りの人生でも素敵な経験として日々を彩ってくれる。若い時は我慢したのだから、年齢を重ねてから、さあこれからは少し自分に贅沢をしようという「アリとキリギリス」的なやり方は、時に破綻する。60歳になって高価できれいな服を着られるとしても、きっと若くもっと美しい時に着たかった、と思うのではないか。ウマいものを食べるぞといっても70歳になってのフランス料理フルコースには食欲も細る。楽しむタイミングが少し遅すぎるというわけだ。
 それでもまだ、気がついてお金を使って楽しむことに人生のギアチェンジができた人は幸せだ。なぜなら、若い時からの生活習慣はなかなか変えることはできないものだからだ。そのまま年齢を経て健康を害してしまって、我慢して作った資産を使えない人が大勢いる。中には小さなアパートに住みながら、亡くなってみたら貯金通帳に4000万円残していたなんてことはよくある話である。「アリとキリギリス」のように、冬になってアリは夏の間に蓄えた食料で幸せに暮らしました!ということにならないこともあるのだ。

 5年以上前に、人気テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』にゲスト出演したことがある。ディレクターさんが家にやって来て「何か鑑定に出してもらうものはないですかね?」と言われ、ITバブルがはじけたあとに買ったクリストという現代作家の美術品を出したことがある。買った価格は10万円だったのだが、50万円と鑑定された。
 すでに10年近く部屋に飾って楽しんでいた。10万円で買う時に、40年楽しむとしたら、毎年2500円か……安いな、買おうと判断して買ったものだ。それが、楽しんだだけでなく、値段も5倍に上がっていた。
 美術をさんざん楽しんで、経済的にも得をしたことになる。しかし、だ。値段は上がったとしても、そのあいだ、絵を楽しんでいなかったら、最大限に得したとは言えない。

 絵を描くことはしなくなったが、今でも日本で開かれる美術展に出かける。国内で開かれる美術展で、僕がとても気になっている事がある。それは、印象派以降の美術展が開かれると、その絵画の多くに日本国内の美術館だけでなく、企業や個人所有のプライベートコレクションからの出展が多いことだ。ルノアール展やミレー展でもヨーロッパやアメリカから作品を借りて来るだけでなく、国内の個人や美術館からも絵画を借りてイベントを成立させている。
 この絵は、投資で買われて普段はしまわれているものなのか、個人なら家庭で、企業なら社内に展示し、社員や会社に来るゲストを楽しませているものなのか。実は、とても気になっている。

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佐藤治彦(さとう・はるひこ)
経済評論家、ジャーナリスト。
東京都杉並区生まれ。東京都立富士高等学校普通科卒業、慶応義塾大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、銀行員、金融誌記者、放送作家、経営コンサルタント会社勤務を経て独立。趣味は音楽鑑賞、海外旅行。

主な著作
「年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話」(扶桑社)
「普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと」(扶桑社)
「お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本」(PHP)
「日経新聞を「早読み」する技術」(PHP)
「知識ゼロからの為替相場入門」(幻冬舎)共著
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方」(アスペクト)
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方  〜 さらに超役立ち旅テク編」(アスペクト)
「アジア自由旅行」(小学館)島田雅彦氏との共著
「ええじゃないか!」(オーエス出版)テリー伊藤氏との共著
「お金で困らない人生のための金融商品五つ星ガイド」(講談社)
「使い捨て店長」(洋泉社)編著……ほか多数