おカネはケチらないほうが溜まる本当の話(Back01)

おカネはケチらないほうが溜まる
本当の話


はじめに


 何となく何となくな世の中で毎日です。そんな毎日を私たちは生きていて、なぜか後で振り返ると喜怒哀楽に満ちています。そこによくからんでくるのが、福澤諭吉や夏目漱石、それから、ちょこっと紫式部です。
 わたしは福沢諭吉が大好きです。みなさんも好きですよね? 昔は聖徳太子を好んだものですが、いまは何といっても福沢諭吉です。これは、慶応大学出身者だけではないようです(早稲田含む)。人気が出たりなくなったり、明暗ですな。
 私は時に人に好かれようと福沢諭吉を総動員させて一瞬だけ好かれたような錯覚を覚えることがありますが、けして私が人気があるわけではなく、福沢諭吉の人気だったと、すぐに気づかされます。せめて、十夜くらいは夢を見させてもらいたいものです。哀しいですね。
 おっと、こんな道草している場合ではないですね。ということで、来年の彼岸過ぎまで毎月1本ほど、クビにならない限り、福沢諭吉や夏目漱石に翻弄される私たちの悲喜こもごもを書いていきたいと思います。
 私は個人主義の生き方に少し疲れてきた中年。この文筆まがいのことは50過ぎからの新規事業です。ちなみに、我が輩は経済評論家である、なーんちゃって、くさっ! お先、まっ暗っすね。ま、それでも、生れてきた以上は生きねばならぬ、のです。
 また、ウザいことを書きました。すいません。なぜってね、不思議なんですよ、こころでは夏目漱石のほうが好きなのに、実際は福澤諭吉を欲してる。それも1人じゃ嫌で何百何千と。おや、あなたもですか? なら、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いします。可能であれば、ワシントンやリンカーン、エリザベス女王にからまれている人たちのことも書こうと思ってます。

 


第一回(2017.03.03)

ボーノ、ボーノ! イタリア激安旅行に参加すると、サイゼリアの偉大さがわかる。


「佐藤さん、本場のイタリアまで来たのに料理はたいしておいしくなかったわね」
 激安イタリア旅行のツアーメイトだった主婦が、旅の終りにそう言った。
「そうじゃないですよ、おいしいイタリア料理を食べにいってないからですよ。むしろ、おいしくないところばかり選んでいる感じでした」
 そんなウソのようなことが本当に起きている。
 私は救われていた。自由時間にイタリア好きの編集者が教えてくれた、ローマのポポロ広場のそばのトラッタリアに行ったからだ。予約なしの飛び込み、ほぼ満席だったが「相席でよければ」と席を取ってくれた。小さなアンティパスト、もっちもちトローリの特製ピザと気どらないハウスワインのデカンタで、チップ込み15ユーロ。安かった、おいしかった。おいしくて安い店は、世界中どこに行っても混んでいる。これを食って私は救われたのだ。
「ボーノ、ボーノ(ウマい、ウマい)!」
 店の主人も私のようなおっさんに言われて気の毒だが、うれしくなって笑顔で言って店を後にした。

「イタリア8日間13万円」なんていう激安ツアーがあって人気だ。日本から添乗員が同行し、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノなどをめぐる6泊の旅だ。
 一般的なのは、ミラノ、ベネチアに1泊ずつ、フィレンツェ、ローマに2泊ずつ泊る。到着日はミラノに宿泊し、翌日の午前中にミラノの市内観光をし、ベネチアへ移動。また、翌日の午前中にベネチアのサンマルコ広場あたりの観光をして、フィレンツェに移動といった具合。
 これには、往復の飛行機代はもちろん、ホテル代、観光バス代、美術館などの入場料、それに、食事代も含まれる。食事はイタリア旅行の醍醐味のひとつ。日本人はイタリア料理が大好きだ。フライト時間などにもよるのだが、たいていの8日間6泊のイタリア旅行では、朝昼晩と5回ずつ食事の機会がある。このうちの大部分に食事がつく。
 もう一度申し上げる。往復の飛行機代、6日間の観光バス代、6泊のホテル代、日本からの添乗員に、入場料、現地ガイド代などなど観光に関わる諸々の費用に含めて、15食の食事も入っての価格が13万円。旅行会社の利益もこの中に含まれる。で、13万円だ。
 こういう予算の限られたツアーだから、きっと旅行会社は先に書いた、安くておいしい店に観光客を連れて行ってくれるだろうと思うかもしれない。しかし、ほとんどの場合、そういううれしいことは起こらない。
 それにはきちんとした訳がある。
 安くておいしい店はツアー客を取らない。その必要はない。なぜなら、そういう店はいつでも満員、大繁盛。テーブルが空いている時間はない。ツアーの客の予約を取るということは、たとえば35人分のテーブルを予約のために長時間も空けておくことを受け入れることになる。団体が来た時に「席があと3席ないんですよ」などと言えないのだ。「それでもかまわない」という店は、それだけ流行っていない店なのだ。
 流行っていない店とは、たいてい安くもおいしくもない店だ。激安ツアーの一人あたりの予算は限られている。私の参加した激安ツアーは、「前菜、メイン、デザートでランチは1000円、夜は1500円の予算」だと添乗員さんは教えてくれた。安くなく、おいしくない店で予算もない。もうほとんど「うまいイタリアン」にありつく可能性はゼロだ。
 そして、留めの一撃が、ツアーでは全員分の料理をほぼ同時に出す接客が求められるということだ。
 安くもおいしくもない店が、35人分以上の料理を一度に出さなくてはならない。それは、ピザやパスタも作り置きをしておくことを意味する。もともとおいしくない店が低予算で作り置き。そりゃあ、うまいものが出てくるわけがない。
 冷めたマルゲリータピザには、バジルが1枚だけ乗っていた。トマトソースのパスタは、ミートソースでもボロネーゼでもないシンプルなトマトソースのスパゲティ。「アルデンテという言葉を知ってる?」と聞きたくなるようなもの。こうした料理が激安団体旅行ではよく出てくるのだ。

 忘れられないのが、コモ湖のレストラン。最後に出てきたジェラートはスープのごとく完全に溶けていた。あたりまえだ。アイスクリームを器に入れて、20分も30分も調理場に置いておけば溶けるに決まってる。
 ツアー客の多くはアイスクリームをスプーンで啜っていた。うまいイタリアンにありつけているかどうかは、食べている人の顔を見ればわかる。ああ、哀しいね。
 本来はアンティパストなど、冷えてもおいしいものや煮物系料理が大人数の団体客向けなのだが、激安ツアーの予算では、どうしても冷めたらまずい炭水化物系のメニューになりがちだ。
 激安ツアーで、夕食が1〜2回ついていないことがある。実はこの時だけが、激安ツアーでおいしいまともなイタリアンにありつくチャンスなのだが、ツアーを安さだけで選ぶ人は、できるだけお金を使いたくない。さらに、ツアーでイタリア料理をいろいろと食べてみたけれど、たいしておいしくないから食事を抜くとか、日本にもあるファストフードに行く、中には日本から湯沸かし器を持ってきて、わざわざ「赤いきつね」や「緑のたぬき」を食べる人も少なくないのが実情だ。こうして、せっかくのチャンスも棒に振る。私は最初に書いたレストランで救われた。ボーノ、ボーノ!
 激安ツアーで行くイタリアンはおいしくない。おいしい料理は出ない仕組みになっている。もっとわかりやすく申し上げると、少し訓練したアルバイトがマニュアルに従って作る、日本の激安イタリア料理チェーン、「サイゼリア」のほうが何十倍もおいしい。いや、私はあの価格を考えると、世界で一番うまいイタリア料理を出していると思う。偉大だ。激安イタリアツアーに参加すれば、どれだけすごいかわかるはずだ。
 Tシャツ100円、スマホ1000円と聞くと「安すぎる。劣悪品だったり、何か裏があるんじゃないの?」と疑うことを知ってる消費者が、なんで「イタリア旅行8日間13万円」の価格はすんなり受け入れるのだろう。
 わざわざイタリアまで、まずいイタリア料理を食べに行く。そんな激安団体ツアーが今年も多く販売されている。

 


第二回(2017.03.25)

「アリとキリギリス」を疑うようになって


 若い時に油絵を一枚買った。
 それは、知り合ったある老画家の作品で、平安絵巻の世界を連作で描いている人だった。
 僕は就職したばかりで、20代のはじめのころだった。
 実はその老画家は、月に2回、土曜の午後に原宿の裏通りで開かれていた絵画教室の先生だった。僕はその教室の幽霊メンバーだったが、ふと出席しては静物画や裸婦を描いた。時には小旅行をして写生もした。絵を描くだけでなく、その不思議なグループにいるのが面白かったんだと思う。みんなで酒もよく飲んだ。僕は若かったので、いろんな無礼も大目にみてもらっていた。
ある宴席で気持ちよくなって老画家に質問した。 「先生の絵はいくらくらいで買えるんですか?」
 注文した時には30万円ということだったが、半年後に絵が出来上がったときには40万円と言われた。
 バブルの時代だったのだ。
 楽しい関係に影響をさせてくなかったので、ケチはつけなかった。もしも、30万といったのを40万と自覚して言ったのであれば、相手のほうが気まずいに決まっている。もしかしたら、忘れていたのかもしれない。宴席で僕がそんなことを言うものだから、40万と言いたかったのを30万と言ったのかもしれない。そこいら辺は今でもわからない。

 僕はごく平凡な普通のサラリーマン家庭に生まれた。だから、油絵などは買わない。家には、デパートの即売会などで手に入れた1万円くらいのルノアールやバルビゾン派のほぼ印刷な名画のコピー絵画は飾られていたが、どう考えても中身よりも額のほうが高そうだった。ほかに名画を綴ったカレンダーのお気に入りの作品を破いて額に入れたものもあって、それらは日に焼けて退色していた。
 実は我が家には油絵もあった。それは、ご近所づきあいしていた美大卒の母の友人が、描いてくれた母の絵だった。首がちょっと長めのモディリアーニ風の感じで母のお気に入りだったが、プレゼントだった。
 そんな家だったので自分の給料で絵を買ったことを言った。「仲のいい人から世界に一枚しかない絵を買ってみせた」と伝えた。しかし、自立するまで自宅にその絵をかけることはできなかった、親の評判はすこぶる悪かったのだ。「40万も出して絵を買って何様だ!」というわけである。絵がいい悪いではない。親の経済感覚からいったら、まったく狂ったことを息子はしでかしたのである。
 だから自分の部屋であったとしても、その絵を見るたびにイヤミを言われそうな気がしてしまったままにしておいた。両親のもとを離れて、晴れて部屋にかけた。住んでいたマンションは狭かったが、不思議とその絵のある場所は家の中心となった。コーヒーを煎れて飲んでいる時にふわっと視線はそちらを見ていた。帰宅して電灯を灯したときに一番最初に目に入ってくる。そんな不思議な毎日が始まり、いまも続いている。
 世界中には、さまざまな絵画があって、それぞれの作品を画家がどのくらいの時間を使って描いたのかはわからない。しかし、その絵を描くために美術家になった人たちは幼い頃から美を意識して生活をし、教育を受けただけでなく、それで食って行くぞと決断し、訓練や修行を重ねる。何十年もかかって初めてひとつひとつの絵を手がけることができるようになる。絵の中に、美を追い求めた画家の人生の結実が投影されている。
 だから、絵のかかっている場所は、ひとつ次元が違う世界がそこにできあがる感じがする。そんな場所が自分の家の中には確実に存在するようになる。だから、自然と目がいってしまうし、意識もする。それを毎日眺めることは僕の楽しみであり、美しいものを見た時に感じる喜びも与えてくれる。とくこの絵は源氏物語を題材にした日本の世界を描いた洋画だ。意識はしないが、何か根っこに迫って来るのだ。

 両親には言わなかったが、僕が絵を買ったことは、かつての金満日本がやったような投資のために絵を買うのとは違う。何千万、何億円も出して絵画を買い、しまい込んで、値が上がるのを待つのとは根本的に違うのだ。それは、絵画を原油や金の先物取り引きと同じ、投資対象におとしめてしまうことになる。絵をそのものを楽しむわけではない。
 僕の場合も半分は成り行きで買ったのも事実だった。衝動買いではないが、酔っぱらったときの勢い買いである。勢いがなければ若造に絵などは買えない。でも、買ってよかった。若気の至り、万々歳である。
 部屋に絵をかけてから20年以上経つ。15年前にその老画家はこの世を去った。その後も、その絵は部屋にあって心を揺さぶってくれている。絵画そのものも素晴らしいだけでなく、「佐藤クンは僕の絵を買ってくれた」と、酒が入るといろんな人に言っていた老画家の嬉しそうな笑顔と、若くてヤンチャな自らの日々の思い出も心に蘇る。僕があと20年生きるとして40年、この絵を楽しむことになる。1年1万円で楽しんだことになる。これはそんなに高いだろうか?

 絵画だけではない。若い時に飲んだ高級ワイン、背伸びして出かけた寿司やフランス料理……。それらの経験は自分の中に蓄積されて、次のワインに出会う時の、食事をいただく時の羅針盤になってくれている。けっして1回食べて、はい、おしまいではないのだ。旅行や観劇、スポーツ、さまざまな経験は形としては残らないが、思い出として僕がこの世を去るか、もしくはボケてしまって何が何だかわからなくなるまで、笑顔とともに、生涯を通して心に寄り添い、繰り返し楽しむことができるのだ。
 人生80年として、20代の経験は60年間楽しめ、60歳での経験は20年思い出を楽しめる。

 日本人はイソップ物語の「アリとキリギリス」が大好きだ。若い時に我慢していると、あとで楽ができますよという論理だ。子どものころに枕元で親が絵本で何度も読んでくれた。幼稚園でも聞かされたし、テレビのアニメでも見た。しかし、あれはいかがなものか?若くして死んだらどうするんだろう?
 若い時の楽しい思い出は、残りの人生でも素敵な経験として日々を彩ってくれる。若い時は我慢したのだから、年齢を重ねてから、さあこれからは少し自分に贅沢をしようという「アリとキリギリス」的なやり方は、時に破綻する。60歳になって高価できれいな服を着られるとしても、きっと若くもっと美しい時に着たかった、と思うのではないか。ウマいものを食べるぞといっても70歳になってのフランス料理フルコースには食欲も細る。楽しむタイミングが少し遅すぎるというわけだ。
 それでもまだ、気がついてお金を使って楽しむことに人生のギアチェンジができた人は幸せだ。なぜなら、若い時からの生活習慣はなかなか変えることはできないものだからだ。そのまま年齢を経て健康を害してしまって、我慢して作った資産を使えない人が大勢いる。中には小さなアパートに住みながら、亡くなってみたら貯金通帳に4000万円残していたなんてことはよくある話である。「アリとキリギリス」のように、冬になってアリは夏の間に蓄えた食料で幸せに暮らしました!ということにならないこともあるのだ。

 5年以上前に、人気テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』にゲスト出演したことがある。ディレクターさんが家にやって来て「何か鑑定に出してもらうものはないですかね?」と言われ、ITバブルがはじけたあとに買ったクリストという現代作家の美術品を出したことがある。買った価格は10万円だったのだが、50万円と鑑定された。
 すでに10年近く部屋に飾って楽しんでいた。10万円で買う時に、40年楽しむとしたら、毎年2500円か……安いな、買おうと判断して買ったものだ。それが、楽しんだだけでなく、値段も5倍に上がっていた。
 美術をさんざん楽しんで、経済的にも得をしたことになる。しかし、だ。値段は上がったとしても、そのあいだ、絵を楽しんでいなかったら、最大限に得したとは言えない。

 絵を描くことはしなくなったが、今でも日本で開かれる美術展に出かける。国内で開かれる美術展で、僕がとても気になっている事がある。それは、印象派以降の美術展が開かれると、その絵画の多くに日本国内の美術館だけでなく、企業や個人所有のプライベートコレクションからの出展が多いことだ。ルノアール展やミレー展でもヨーロッパやアメリカから作品を借りて来るだけでなく、国内の個人や美術館からも絵画を借りてイベントを成立させている。
 この絵は、投資で買われて普段はしまわれているものなのか、個人なら家庭で、企業なら社内に展示し、社員や会社に来るゲストを楽しませているものなのか。実は、とても気になっている。


第三回(2017.04.28)

お客様は神様です、とは客が言ったり、思ったりするものではない。


「佐藤さん、ちょっとこれ味見してみてくださいよ」
 近くのとんかつ屋で、ときおりそんなサービスをしてくれる。
 出てきたのは海老とサーモンのチャーハンである。あんかけソースもかかっていて絶品だった。とんかつや串揚げの店なのだが、親会社の外食部門にはラーメン屋や中華もあって、店で働いている社員は中華料理で働いた経験もある。だからウマい。
「ウマいねえ、こんなの出してくれると、今日もとんかつ食わないな」
「甘エビを使ってしまいたかったんです。すいません」
 ときには、もう一杯飲もうかどうか悩んでいたら、「これ業者が、見本で置いていった日本酒なんですけれど呑んでみますか?」。
 うまいモノを食べてもらいたい、店にいる時間を楽しんでもらいたい。そんな心づかいをしてくれる店を何軒か持っている。バー、居酒屋、鮨や、焼鳥屋、フレンチやイタリアンでもある。おのずとその店に通う回数は増えるのはしかたない。ひとつ星、ふたつ星の味の店でも、自分にとっては居心地のいい三ツ星レストランになる。

 最近、そんなよくしてくれる店が増えてきた気がする。そういう店なら、人を連れて行くときも歓待してくれるので、気持ちよく会食をすることができる。
 有名レストランガイドの星付きレストランも嫌いではない。いや、むしろ好きだ。しかし、初回のときにはそこにどうしても店と客とのせめぎ合いのようなものがあるものだ。これだけ払うんだからと、それに見合ったウマいもの、いいサービスを期待する客。その客をまるでねじ伏せるかのように隙のない料理とサービスでがんばる店側。そういう緊張関係も、ときには悪くないけれども、それが日常だと疲れてしまう。
 思えば、私によくしてくれる店は自然にそうなったのではなく、そういう関係を作ろうとしてできたものだと気がついた。こちらも人間、あちらも人間。あたりまえのことだけれど、どうも、かつては消費者のひとりとして、あの言葉が身体と心のどこかで滲みていたようだ。
「お客様は神様です」
 神様と人間でなく、人間と人間の関係として付き合う。私の場合は自分の中からこの「お客様は神様です」という気持ちを完全に捨てることから始まったと思う。
 客と店は対等なのだ。おいしい料理を出し、それに対して対価を払ってる。それだけのことだ。
 あとは、お互いに人間なのだから、気持ちよく時間が過ごせるようにお互いが気を配ればいい。
 ときに、鉄人なのか炎の料理人なのか知らないが、食わしてやってるという態度で、いばりくさったラーメン屋などがあるが、二度と行かない。外で並んでまでその店で食べてみたいという客が店に入ったときに、お待たせしましたと言えない店もお断りだ。人としての配慮がない。
 反対に、お客のほうも少し配慮をする。
 お客にリピートしてほしいから、ドリンク券や割引券などのサービスチケットをくれることもあるが、前に街の小さな個人経営の店に老婆が満員のときにやって来て、450円の生ビールサービス券を使って210円の枝豆だけを注文して小一時間いたことがある。
 老婆は私は客だ、金を払う客なのだという態度で堂々と210円だけ払って帰っていった。その間に店は、多くの客に「満席なので」と頭を下げ、帰している。そんな店側への配慮のない下品なことはしたくない。

「お客様は神様だ」という気持ちを客側が思ったらおしまいなのである。これは、きっと店側がだけが言っていいのだ。もっと言わせてもらうと、嫌な客、ケチな客に対しても、客商売をする側として本音が表に出ないようにするためのおまじないとして、心の中で唱える言葉なのだと思う。
 混んでいればさっさと切り上げる、「今日は売上げが悪そうだなあ」と思ったら、ちょっといいワインを注文する。もしくは、閉店時間が近かったら、一杯くらいごちそうする。おいしい料理にはおいしいと伝え、いいサービスには感謝の気持ちを表わす。
 日本にはチップというものはないけれども、かつてはそこそこの料理屋では仲居さんや給仕の人に心づけを渡したものだ。だから、貸切で店を使ったときなどに思った以上にサービスをしてくれたり、会が盛り上がって予定の時間を過ぎて店を使わせてもらったとき、「昨年は楽しく歓待してくれて心地よかったなあ」と思った正月などに、ちょっとした心づけを渡す。それが、次の関係も作ってくれるのだ。
 美容院は、きれいな女性をより魅力的にすることをしたい人たちが集まって仕事をしている。そんな美容院で働く新人の仕事は過酷だ。一日中立ち仕事で、給料は安い。手が荒れる者もいる。だから、せっかく美容学校を卒業して職に就いたとしても長続きする人は少ない。それが、こんなおじさんにも一生懸命にシャンプーをしてくれる若者に「じょうずだね、さっぱりしたヨ」と笑顔で伝える。旅行に行ったら、ちょっとしたお菓子を買ってくる。「今日はいそがしくて昼ごはんが食べられなかった」という話を聞いたら、近くでファストフードの差し入れを買って戻ってみる。
 整体の店は施術時間でチャージされる。自分のようにでかくて身体が堅い人間も、同じ料金だ。施術してくれる人の疲労を想像すると、申し訳ないと思う。それなのに、私の担当は「今日はすごく凝ってますね、仕事がいそがしいんですか?」と言って、ときに黙って時間を延長までしてくれることがある。ありがたい。感謝でしかない。担当は、酒好きなので、ときにウマいボトルを廻したり、こちらも年末には「感謝」と書いてポチ袋を渡す。期待以上のサービスをしてくれるのだ。それに、消費者としてきちんと対応するのはあたりまえのことだ。
 店に予約の電話を入れたり、店の扉を開くときに、単なる顔なじみというだけでなく歓迎されていると感じられる場所を持っていることは、大人の嗜みだといいたい。
 私は自分がどれだけの資産を持っているのかをまわりに吹聴するがごとく、金ピカの生活を送るための経済力を欲しいとは思わないが、自分が時間をすごす場所でちょっとした交流をする人たちに対する配慮を、言葉だけでなく形にするだけの少しばかりの経済力は欲しい。

 今年も、もうすぐ熱い夏がやってくる。
 私の住むマンションの玄関には500ミリリットルのミネラルウォターを何本か置いてある。ときには缶コーヒーなどの場合もある。これらは、宅配、郵便局、集金などで訪れた人に「ありがとう」の言葉とともに一本渡すことにしている。みなさん、大変喜んでくださる。夏になると、それは玄関でなく冷蔵庫に入れて冷やしておき、インタホーンが鳴って応対してから、取り出し冷たい飲み物を渡す。このところ続く酷暑の夏の昼間に外で働いてくださる人がいるから、日本のシステムは機能している。仕事だから届けてくれるのがあたりまえでなく、ちょっとした心づかいをしてみる。私の家にそんな用事があって来た人が笑顔で帰っていくのを見るのが何よりもうれしい。
 そして、私は思っている。料理屋の、美容院の、整体の、宅配の人たち。あの人たちこそ神様だ。


  第四回(2017.05.30)

若ものよ、スマホを捨てて、街に出よう!


 その山肌にはこの数ヶ月で幾千、幾万ものテントが張られた。何万人もの人が住み、まるで静かな国境沿いの山に突如生まれた蜃気楼の街だった。テントの多くはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の刻印があった。
 そのテントに入ると、他のテントと同じように男がお茶と焼きたてのナンを振る舞ってくれた。男は4人の家族の家長だった。他に子どもが3人いた。拙い英語が話せたので、他の場所よりも比較的長くいた。しかし、例えば出身地も家族のファミリーネームといった固有名詞もなじみがない、とても難しいものだからか、会話は途切れがちだった。僕があまり理解していないのを相手は察知し、がっかりした顔を見せた。
 十分な時間を過ごしたと思ったので、僕ができるだけ和やかな顔を見せて、立ち去ろうとすると、男は僕を引き止めた。そして、布で隠していた十字架を見せた。
「私たちはキリスト教です。どうか連れて行ってください」
 そう言ってるのはわかった。それまでの平静な雰囲気をなくし、十字を切っていた。僕の肉体に触れることはなかったが、すがろうとしていた。僕が困った顔をすると、幼い子どもを前に出し、英語ではなく彼らの言葉で話し始めた。そこには強い感情がこもっていた。きっと「この子だけでも連れて行ってください」と言っていたのだと思う。
 これ以上、感情を露にされると状況がどうなっていくか、何が起こるかわからないので、僕は振り切ってその場を離れた。興奮する父親に、一番小さな男の子は声を上げて泣いた。背中のリュックから、東京から持ってきた明治の板チョコを子どもに渡した。テントを離れても男の声は聞こえたが、距離が離れて聞こえなくなった。
 時計を見ると帰還の時間も近かったので、山の中腹から離れ幾千ものテントの先にある鉄条網の中に注機していた軍用ヘリコプターに乗り込んだ。
 1991年の春。イラクとトルコの国境沿いの山々には、イラク領内で起きたフセイン政権のサリンガスでの迫害を逃れて来たクルド人たちの難民キャンプができていた。
 遠い中東で起きた戦争が、日本の国内の政治や経済に大きな影響を与えていた。イラクに侵攻され湾岸戦争を終えたクウェートは、欧米の大新聞に、戦争に参加した多国籍軍の国々に感謝の広告を出したが、そこには1兆円以上の経済援助をおこなった日本の名前はなかった。当時の自衛隊はPKOにはまだ参加していない頃で、国内では与党を中心に人的貢献が必要だと語られ始めていた。

 当時の僕は銀行を辞めて小さな金融誌の記者として試用期間中だった。国が募集した短期の国連ボランティアに応募し採用されたので、辞表を出して参加した。どうせその出版社に勤めるのは長くはないなとも思っていたのだ。
 難民キャンプでは、食料を配ったりという作業はしたがそれはほんの手伝いで、ほとんどの時間を難民キャンプ内をただ見て回るだけに使った。僕はまったくの無力だったのだ。それでも日本人が来ていることが大切なんだと思うようにした。幼い子どもが大きなポリタンクに水を汲み家族のいるテントに向って歩いている。水辺では少女が衣類を手で洗っている。多くの子どもが着ている服は援助物資で日本のアニメキャラクターのものがとても多かった。日本からの援助物資が彼らをこうして救っているじゃないかと確認できて嬉しかった。何もできない僕は、ひとりでも多くの難民と接してこの体験を日本に持って帰ろうと思っていた。
 29歳の最後の日々と30歳の最初の日々を、僕はそんな風にして過ごした。
 ヘリコプターに乗った僕らを、鉄条網の外から子どもたちが見つめていた。プロペラが回りだすと、子どもたちを蹴散らすように砂埃が舞った。最後まで残っていた少年に、僕がカメラのレンズを向けると、ファインダーの中で少年は笑ってくれた。自分がこの世に生きている痕跡を残せることを喜んでいるようだった。
 ヘリコプターが地上を離れた。何万人の人がその山の中腹で過ごしていたのだろう。そこが臨終の地となった人も少なくなかった。盛り土がいくつもあったのだ。山を越えるとテントの集落はふとなくなる。ヘリから見える生きものはヤギくらいで、それはいつもののどかな風景だった。木の生えていない岩肌の山と砂漠に近い大地が広がっていた。どこが国境なのかはよくわからなかったが、その見えない線が人々の生死を分けていた。
 テントで出会ったあの男は、欧米社会の神を信じていることを伝えれば特別扱いされ、救われると思ったのだろうか、最後まで妻らしき人はいなかったが戦禍をまぬがれたのだろうか、そして、あの幼い子どもは泣きやんだだろうか、いろいろと思った。
 短いフライトでトルコ南端の街の米軍キャンプにヘリは降り、他の国連や国境なき医師団の人たちと国境沿いのシロピ村まで送ってもらった。その村はトルコとイラクを結ぶ幹線沿いにある村で、いくつかトラックドライバー向けの安宿があった。平和な時はその幹線で両国を結び物資を運んでいるのだ。
 宿は1泊20ドルだった。きっと、欧米人が押しかけて相当吹っかけた価格だったはずだ。毎晩帰ると、宿主はへりくだった笑顔であとどのくらいいるのかと尋ねてくるのが常だった。
 土壁と同じ素材でできた床に敷かれたマットレスに身体を横にする。天井にはまるい穴があいていて、昼間はそこから日光が、夜はそこから月明かりが入ってきた。まるい窓の先にはモスクの尖塔であるミナレットが2本見えた。時々コーランが聞こえて来た。僕はその窓からお月さんを見上げて、日本と変わらないことを確認した。
 シロピ村はトルコ領内にあったが、国土を持たないクルド民族の居住地域だった。つまり、難民はイラク領内のクルド人で、シロピ村の人たちはトルコ領内のクルド人だった。
 朝になると靴磨きの子どもが僕のティンバーランドのデッキシューズを磨かせてくれと毎日追っかけて来た。毎日20円で磨いてもらった。泥だらけの小さな手で、靴墨で手をさらに汚しながらボロボロの布切れで丁寧に磨いてくれた。
 僕がショックだったのは、彼らは村で平和な日々を過ごしていたが、少年の着ている服はボロボロで、靴は紐で結んでいないとバラバラになってしまう代物だった。難民キャンプの支援物資で暮らしている難民たちのほうがずっとまともな衣類と食事をしていた。もちろん単純な比較はできないが、複雑な気持ちもった事を今も強く覚えている。僕はその少年にも、東京から持って来た板チョコを渡した。
 撮影した子どもたちの写真は、国連のカレンダーやクリスマスカードに採用された。そして、日本国内のいくつかの写真コンクールで賞ももらった。ひとつはNHKの雑誌『ステラ』が募集したもので、賞金で新しい一眼レフカメラを買った。イラクに持っていったカメラは砂埃で完全に使い物にならなくなっていたからだ。他にもいくつかの作品が賞をもらった。自分としてはシロピ村の子どもたちの写真も悪くないと思ったのだが、採用されたのは、難民キャンプで生きる子どもたちのものだけだった。
 あれから4半世紀が経った。あの頃の子どもたちは元気に育っていれば立派な成人だ。しかし、その後もクルドの人たちは多くの紛争や戦争に巻込まれてきた。今もイラク国内のイスラミックステート=ISとの戦闘でもクルドの若者が戦っていると報道される。もしかしたら、あの時に生き残った子どもたちが銃を持って戦っているのではないかと思ってしまう。
 僕はサラリーマンだった銀行員時代と、メディアに出てフリーランスとして仕事をするようになったちょうど中間にそんな体験をした。あの経験がなかったら、僕の人生はきっと違っていただろう。あのキャンプでの数日が、30代の自分を後押しをしてくれた。そうでなかったら、30歳になりたての普通の会社員の息子は、人生の次の選択を給料のいい会社、安定感のある金融機関のどこかで委ねたはずだ。そして、いくつかの欧米の金融機関からの採用通知のひとつにサインをして、またお金の世界に戻っていただろう。
 命からがら国境沿いまで逃げて来たクルドの難民たちの強いたくましさを見て、目の前のいくばくかの給料だけで自分の人生を決めることをしなくてもいいのだと思えた。それよりも、自分がやってみたいことをやったほうがいい、少なくともチャレンジしたいと思った。20代の時に貯めた金では、不安で数ヶ月はもやもやしたが、半年後には別の道をよちよちと歩み始めた自分がいた。
 自分で強い意志を持って人生を切り拓いていく人もいるとは思う。でも僕にはそんな胆力はない。自分を変えてくれる経験が必要だった。そんな人は他にもいるだろう。だから、未来を自らきり拓きたいと思っている若い人たちに言いたい。
 若者よ、そして、若い心を持った大人よ、書を捨てて、街に出よう。いや、書は持っていったほうがいい。スマホを捨てて街に出よう!


  第五回(2017.06.15)

何を隠そう私は、こっそり値上げ探偵である


「おっ、上げたか!」
 年に数回であるが、スーパーで商品を手にしたとたん、思わず声を出してしまうことがある。そして、にやりとする。
「見つけたぜぃ〜!」
 あまり人に言えたものではないのだけれど、最近の私が秘かにしているのが、「こっそり値上げ」の発見である。まるで探偵のように見つけ出してしまう。
「こっそり値上げ」とは、値上げと感じられないように値上げをする手法である。
 この「こっそり値上げ」の探偵を始めたのは、子どものころから食べているヨーグルトの微妙な変化だった。
 このヨーグルト、もともとは内容量が500ミリリットル、さらに15グラムの砂糖がついていた。グラニュ糖をくだいて溶けやすくしたスグレモノの砂糖である。
 中学生になってこのヨーグルトが急に朝食の食卓に出てきて「健康にいいから食べなさい」と言われたのだが、当時の私にはヨーグルトといえば甘ーいお菓子のようなもの。食感で分けると、ヨーグルトはプリンの仲間だ。それが、いきなりストレートな大人の味。だから、そのスグレモノの砂糖を入れなくては食べられなかった。
 このヨーグルトは昭和の時代からのロングセラーで、港区や千代田区の高級スーパーに行くと250円で売られているのだが、地域や地区によって値段は微妙に変わる。158円、バーゲンなら138年というのが世田谷区内のスーパーでの一般的な小売り価格である。一時期、198円や178円とされたこともあったが、数か月で158円に落ち着いた。
 この158円という小売価格は、平成になってからほとんど変わっていない。原料である牛乳も、梱包に関するものも、原価はじわりと上がっているはずだから企業努力も大変なはずだ。本音は値上げをしたいはず、だから178円とか198円になったのだ。
 商品から悲鳴が聞こえていた。
「少しだけでいいんで値上げさせてください(泣)」
 しかし、それはかなわなかった。

 デフレの時代が続いて、消費者は値上げに敏感だ。時おり「この4月から食パンが値上げされます」「食用油が値上げされます」と報道される。報道された当初は価格は上がるのだが、すぐにもとの値段に戻るものが多い。
 なぜなら値上げと報道されるものの多くは、メーカーから大手小売店への卸の値段の話だからである。戦後日本に長くあった標準小売価格や定価といったものは原則として廃止され、メーカーが小売り店側に、ある一定の価格で売ることを強いることも違法行為となっている。だから消費者が手にするときの小売価格のコントロールは、メーカー側にはなかなかできない。希望小売価格があったとしても、それはあくまで「希望」なのだ。だから値上げされたはずなのに、いつのまにかもとの価格に戻っていたり、バーゲンセールがより頻繁におこなわれ、実質的な値上げはなかったことになっていく。新しい価格が消費者に跳ね返されてしまうのだ。
 価格というものは、消費者に受け入れられてはじめて成立する。たとえば似たようなヨーグルトは何種類も発売されているから、「高い」と思われたら他社のものに乗りかえる消費者も出てくる。値上げを試みて失敗したメーカーは多く、値上げには慎重だ。だから、「こっそり値上げ」の方法をとる製造業者が出てくる。その代表が、このロングセラーのヨーグルトなのだ。

 幼いころから40年近くも食べ続けているヨーグルト、じつは価格での値上げはできなかったが、この10年あまりで事実上の値上げを3回もしている。それは、控えめにこっそりとおこなわれた。
 まずは消費者が砂糖離れをしているということで、先述した砂糖の量を半分にした。15グラムあったスグレモノの砂糖を8グラムにしたのだ。大人になって私はこのヨーグルトにはおいしいジャムを入れて食べるようになったので、砂糖は無用の品物だったのでまるでかまわなかった。次に、この砂糖自体を封入するのをやめた。最後にパッケージの大きさはそのまま、内容量を500グラムから450グラムに減らした。砂糖はパッケージから消えたのですぐに気がついたが、内容量の変化にはすぐには気がつかなかった。
 いつものように買って、いつものように食べていてある日異変に気がついたのだ。1パックをおおよそ4日で食べているのだが、4日目になぜか量が足りない。目分量で食べているからと思っていたのだが、毎回合わなくなっていた。
 もしやと思ってパッケージを見たら、450グラムに変わっていた。パッケージの大きさは同じで内容量がこっそり減らされていたのだ。こうして値上げは3回された。
 この「パッケージの大きさは変えずに内容量を減らす手法」はいろんなところでおこなわれている。たとえば、せんたく用の粉石鹸。かつては1キロ入りが当たり前だったが、900グラム、850グラムというパッケージのものが増えてきた。液体の洗剤も同様。1リットルが900ミリリットルや、それ以下とこっそり変わった。シャンプー、リンスも同様。
 あと納豆。一般的にスーパーなどでよく売られている白い発泡スチロールに入った納豆を3つ束ねて売られているもの。あれだ。あのパッケージはもともと50グラムの納豆を入れるに適当な大きさだったが、最近は45グラム、40グラム、中には35グラムというものさえある。洗剤も納豆もパッケージを開けると中身がスカスカで笑ってしまう。むしろ、時おり50グラム入っている納豆に出会うと、パッケージになみなみ入っていて豪快に感じてしまう。
 これは、昭和の時代によくあった「あげ底商法」と同じである。環境のことを考えるのであれば、内容量に合わせた小ぶりのパッケージにするべきだが、こっそり値上げをしたい向きにはそんなことはこわくてできないのだろう。
 それは冷凍食品業界にも浸透していて、フライものや餃子など大きなパッケージに、思ったほど入っていない梱包の商品が増えた。量に合わせて小さなパッケージにすれば、梱包費用を抑えられる。小口化すれば運送料も下げられるのにと思うのだが、なぜか最近が奇数の餃子が増えてきた。18個入るトレーの大きさに17個入りだったりする。思い返すと「前は18個入りだったなあ」と思う商品なのである。端っこに奇妙な空きスペースに餃子のタレを入れたり、そこだけ餃子を入れるくぼみがなかったりと各社の工夫が苦笑である。

 みんな大好きな100円ショップなどは、値上げしたくてもできないので、中身を減らしたものオンパレードだ。コーヒーフィルターは100枚入りだったものがだんだんと減って今は70枚に、割り箸は50膳が35膳に。陶器の皿は直径が小さくなり、洗濯を干すピンチつき角ハンガーは洗濯バサミの数が36くらいから24まで減った。使っているプラスチックもペラペラな薄いものに格下げされた。
 その点、最近のイチゴのパックは深さが浅くなり、かつては3段入っていたイチゴが2段になっていたりする。潔くて好きだ。
 価格は上げずに中身を変える。メーカーの苦肉の策がにじみ出る。でも、その方法もそろそろ限界なのではないだろうか? いや、そう言われてもう5年以上もたつ。値上げはやはり消費者の抵抗が強いのだろう。
 普通の値上げをすんなり消費者が受け入れるためには、もう少し給料が増えることが求められているのだろう。何といっても、いちばんスカスカなのは消費者の財布の中身なのだから。
 これが、こっそり値上げ探偵の見い出した回答である。

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佐藤治彦(さとう・はるひこ)
経済評論家、ジャーナリスト。
東京都杉並区生まれ。東京都立富士高等学校普通科卒業、慶応義塾大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、銀行員、金融誌記者、放送作家、経営コンサルタント会社勤務を経て独立。趣味は音楽鑑賞、海外旅行。

主な著作
「年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話」(扶桑社)
「普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと」(扶桑社)
「お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本」(PHP)
「日経新聞を「早読み」する技術」(PHP)
「知識ゼロからの為替相場入門」(幻冬舎)共著
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方」(アスペクト)
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方  〜 さらに超役立ち旅テク編」(アスペクト)
「アジア自由旅行」(小学館)島田雅彦氏との共著
「ええじゃないか!」(オーエス出版)テリー伊藤氏との共著
「お金で困らない人生のための金融商品五つ星ガイド」(講談社)
「使い捨て店長」(洋泉社)編著……ほか多数