影を歩く

影を歩く

古語辞典で「影」をひくと、筆頭の意味に「光」と出てくる。日の光、月光、光り輝くものを、古の人間は「影」と捉えた。月影とはすなわち月の光のことでもあった。いつから光と影とは明確に分かれたのだろう。二つを再び一つの混沌に戻してやることは可能だろうか。あるいは今、光のあたっているところを退かせ、影に入っているものらを前面に押し出してみるのは。(中略)影は影として、そっとしておいたほうがいい。そう思いながら、影へ踏み出す。低い声で語ろう。影が騒ぎ出さないように。(第1回目より)

 


  第六回(2017.08.19)

敗ける身体

 家の近くにテニススクールがあり、練習する人々の姿を金網越しに見ることができた。小さな子どもから、おじいさん、おばあさんまで、様々な年齢の人がラケットをふっている。練習試合をすることもあって、次第に足を止め観るようになった。五歳になる息子も夢中である。自分もテニスをやりたいと言う。
 スクールには同じアパートに住む中学生の男の子も通っていて、息子がテニスをやりたいというのは彼の影響もあった。ひいらぎくんという。うちと同じ一人っ子で、息子はひーちゃんと呼んで慕っている。
 スクールの前を通ると、たまに柊くんがレッスンを受けているところに遭遇する。なんだか頼りなげで強そうには見えなかった。それは柊くんの両親も認めていて、自分たちの息子が試合で勝ち進むとは、いついかなるときにも考えられないのだと、そこまで言わなくてもという率直さでお母さんが話してくれた。
「でも、勝つこともあるんでしょう」
 柊くんが気の毒になって聞いた。
「たまにね。でも敗けることのほうが多いです。勝ったときには必然という気がしなくて、敗れたときには必然という感じがするんですよ」などという。
「応援にはよく行かれるんですか」
「まあね。最初は、もう中学生だし、親が応援なんてと思ったんです。会場も遠いし、朝が早いし」
「ええ」
「ところが選手のお母さんたちが、皆熱心で。試合の前に早朝練習をしたりする。それに参加するのは選手だったら当然のことなんです。始発もまだという時間帯ですから、どうしたって親が車を出さなきゃならない」
「親も大変ですね。でも柊くん、中高一貫で大学まで行けるんでしたよね。好きなことに思う存分、打ち込めていいじゃないですか」
「だから困ってるんです。結局勉強なんか、そっちのけ。大学まで行けるからこそ受験勉強じゃない勉強をしてほしかった。うちはテニスは、スポーツを楽しむ程度でよかったんです」
「選ばれし者は大変ですね。柊くん、選手なんでしょう」
「選手になったり、ならなかったりです。柊はいつも何も言わないの。たんたんとしているのは、いいところでもあったのですが、何を考えているのか、まったくわからない」
「テニスは好きなんでしょう」
「やめるとは言いませんから、好きなのかしら。自分が産んでも、子どもって別の人間。あたしだったら、こんなこと、やってられないってやめちゃうところですよ」
 小学生のとき、柊くんは、ひいらぎの「ひ」は、ひよわの「ひ」だと友達から悪口を言われた。昔も今もほっそりとした印象は変わりなく、首と手足がとりわけ長い。そしてちょっと猫背だ。成長の途上にある今は、背の伸びに対して、体重が追いつかない時期なのかもしれない。コートに立つと、確かに勝つとは思えないのだ。と言うか、なんとなく不安になってくる不思議な身体。
 小学生なんかでも、そこにいるだけで何かをやりそうだと感じさせる子どもがいる。スクールでの練習試合風景を見ていると、確実なストロークで球を打ち返し、めりはりがあって安定感がある。たとえ相手に敗けたとしても、その身体は、コートに立つだけで積極的に物を言っていた。簡単にいえば「存在感」というものがあった。一種の役者で、身体表現が豊かなのだ。独創的な演技でなく、むしろパターン化された演技ではあるが、点を決めたときには拳を固めてガッツポーズ、ゲームに勝てば身体全体で喜びを表す。時には何もなかったかのように、喜びを抑制し、しかしその実、勝者となったことを自分自身で隈なく味わっているというふうの冷静な子どももいた。テニスの試合には独特の決まった「仕草」がある。テレビでテニス番組を観るようになってそれに気づいた。プロの選手たちも、同じような仕草をしている。子どもたちはそれを自然に模倣しているのかもしれない。
 比べて柊くんは、身体で感情を表すには至っていない。勝つということにあまり熱心でないようにみえる。敗けても諦めが早いのか、たんたんとして見える。勝つか敗けるかのスポーツでは、前提として相手に打ち勝とうとする覇気が必要で、本来ならばその意志が、ときに身体から透けてみえるようなのが、よしとされるのだろう。
 先日、アパートの中庭で、柊くんのお父さんとすれ違った。
「テニス、がんばってますか?」
 柊くんの様子を聞こうとしただけなのだが、お父さんの、告白めいた愚痴が長く続いた。
「いやはや、中学の部活動、予想外に大変です。週のうち、休みは一日だけ。帰りも遅くなります。スクールにも通っていますから一週間は目一杯です。塾にも通わせたかったんですが、生活はもはやテニス一色。楽しむなんて範囲は超えました」
「いま、何年生でしたっけ」
「二年です。テニス部、各学年二十人くらいいて、学年をはずして選手、いわゆるレギュラーを決めるんですが、そのレギュラーはたった六人」
「あとの子はみんな補欠というわけですか」
「補欠の枠は一名、あとの子どもたちは、そう、なんといったらいいのだか。ただの部員です。部内戦をやって選手を決めるらしいんですが、全員があたるわけでもないらしく、どんな仕組みで選んで入るのかはよくわかりません。選手になれるのはごく一部でも、全員の底上げと称して、部員はみんな学外のテニスクラブに入ることを強制されます」
「お金もかかりますね」
「スポーツに補欠は必須のものでしょうから、それ自体は仕方がないと思うのです。でもね、学校という場で、卒業するまでこれだけ浮かばれない子どもたちを出し続けるのは日本の部活動の悪しき特徴じゃないかと思うこともありますよ。もはや柊が選手になれるかどうかの問題じゃないんです。すべて選手が優先され、補欠以下は部活に出ても打てないこともある。しかしどんなことがあっても応援だけはさぼるわけにはいかない。団体競技の掟です」
「はあ。テニスって団体競技なんですか」
「学校単位で戦う団体戦もありますからね。ぼくは昔から体育会系の団体の理屈というのがどうも苦手で、それでもスポーツをやりたかったんで、水泳をやったんです。水泳にも、競技会というのはあって、学校の代表だの、タイムがどうのってのは多少ありますけど、ぼくはあんまり競争に興味が持てなくて、ただ、泳ぐのが好きだった。幸い、それが許されるクラブだったんです。先輩も後輩もなく、アメリカ人の神父が顧問の先生で、クラブ活動といっても、ただ、楽しく泳ぐだけ。あまいです。でもそれのどこが問題なんです? そんなのがあってもいいでしょう。積極的に上を目指して戦いたい者は、学外のクラブがあるんですからそこでやればいい。まだらでいいのに、統一しようとするから無理が出て苦しくなる。そんなわけでぼくは中高通じて水泳を楽しみました。柊は、ぼくと似たところがあるし、やつは、団体としての規律を常に求められる体育会というのが苦手だろうなあとなんとなく思ったものですから、そしてテニスは基本的に個人競技だから、柊に向いているのではないかと本人にすすめたんですよ。だけど部活動となれば、結局、体育系はどこも同じようなものだったようです」
「ふーん」
「やつを見ていて思うんですが、勝負事には向いていないのかもしれない。なにがなんでも勝つという覇気がないのです。そのせいで、居場所がないのかもしれませんね。近頃はなんだか暗い顔をしている。おそらくテニス部では浮いてるんじゃないかと」
「あはは。独立独歩の柊くんらしいじゃないですか。色々考える子ですからね」
「中高一貫、大学までつながっているとなると、文武両道の名のもと、学校のほうも名をあげたいということがあるんでしょうか。試験前は部活動が禁止されているんですが、試合が近くに控えていればそんな規則もとっぱらわれます。夏休みも、部活動、合宿、試合とあって、選手でなくっても家族旅行なんてできません。一人抜けるのはご法度なんです」
 柊くんのお父さんは、そこではっとしたように、「ああ、すみません、つい長話の愚痴になってしまった。やるのは本人ですから、親はもう引っ込みますよ」と詫び、そそくさと去っていった。

 思い出していたのは、学校時代のことだ。わたしもそうだった。何が何でも勝ちたいという気持ちの薄い子どもだった。運動会などで組別対抗の競技に出ても、敗けて悔しかったとか、勝ってうれしかったという鮮明な記憶がない。ただ、スポーツは得意で、陸上競技が好きだった。だから柊くんのお父さんと似ている。ちょっと自慢すると短距離とハードルでは学校代表メンバーに選ばれたこともある。中学校のときの話。最終的にはタイムが伸びなくて、わたしは補欠になった。
 補欠として、みんなと一緒に遠いところまで行って(遠い、暑かった、というほかは、記憶が残っていない)競技会に出た。誰からも声をかけられることなく、ずっとむしろのうえに座っていた。出番はなかった。青空が広がっていた。太陽がわたしを照りつけていた。わたしはただ待っていた。誰かが負傷したら出番が来る。けれどそんなことは期待することでもないし、考えられなかった。わたしは出たいとも思わなかった。全身で、「控え」を生きた。複雑な思い出だが、味のある経験だったとも思う。しかしあんなことばかりだったら、それもおかしい。数えるくらいでいい。たまに出番も来るというのがいい。わたしはそう思う。
 スポーツには、光のあたる選手もいれば、その影に必ずレギュラーになれない子というのが多数、出る。レギュラーになれなかった子などが、後年、部活動の思い出を語り、それでも学ぶ事が多かったなどと話すのを見たり聞いたり読んだりすると、なんだか、いたたまれないような気持ちになったりする。耐えることを学んだか。悔しさを学んだのか。
 人生で自分に光が当たる場面など、誰だってそう多くはないのはわかっている。だがスポーツをすることを目的として一つの集団に参加したにもかかわらず、時間のほとんどを、スポーツの実践よりも、トレーニングや待つこと、応援することだけで終わるなんて、やっぱり少し変じゃないか。選手は選手であることを極めればいい。そうではない子どもも、ときには選手の影から脱し、太陽のもとで輝けるような、そういうゆるさが部活動にあればいい。
 夏。高校野球の季節になって、今年もテレビでつい見てしまう。声援している子どもたちが映る。太陽が照りつけるなか、真っ黒になって大声をはりあげている。チームが敗けると泣いてしまう女の子もいる。すごいなあと思う。偉いなあと思う。そんなふうに一体感を持てることを羨ましいとも思う。
 柊くんが試合に出て、そしてそのときたまたま勝ったとしても、こぶしを上下に激しく振って、ガッツポーツをするところを想像できない。そんな柊くんの姿を見てみたいような気もするが、スクールでの柊くんはいつも電信柱だ。柊くんはお決まりのポーズをすることに対して、恥ずかしいという気持ちを持っているんじゃないかな。そしてその恥ずかしさのようなもの、自意識のようなものが有る限り、コートに立つ柊くんは、今後も弱々しく、とても勝ちそうには見えないのであろう。だけど、わたしは知っている。柊くんは精神的に決してひよわな子どもではないということを。
 コートに立って目立つ子どもがいる。目立たず弱々しく見える子どももいる。最初から敗けているような身体。大人でもいる。最初から敗けている、なんだか頼りなく見える、受け身の身体。勝ちそうな身体は目を引くが、わたしは敗けそうな身体にも興味をひかれる。むしろそういう身体に惹きつけられるといってもいい。スポーツの局面では話題にされない弱い身体。なぜ、そんな身体が気になるのだろう。
 どうやって人に勝ったらよいのかを、わたしは誰にも教えられない。教わったこともない。勝とうとしたことがないから。こんな母親を持った息子は、勝つということを目標に掲げてがんばれるだろうか。
 勝ち負けのことを考えていたとき、わたしは唐突だが戦争のことを思った。わたしは日本が戦争に敗けたことを結果としてよかったと思うが、他の人はどうだろう。勝とうと思ったことは間違っていたと、あのとき勝とうとした人は天皇以下、言うべきだったと思う。もしいったん戦争を始めたのならば、そこに発生する必然の流れは、敗けてもいいではなく、どうしたって勝つことだろう。戦争を始めてはいけない。コントロールがおそらくできなくなる。
 いや、話は、テニス部のことだった。
 スポーツの話をしていたのだった。
 スポーツと戦争はまったく別のものである。勝ち負けの話が戦争のところにまで行ってしまうのは変だと思う。思うがどこか、つながっているような気もする。わたしは勝者と敗者のでないスポーツを退屈だと思うし、他人の勝ち負けを鈍感に楽しむ。どうしたって、勝負をつけるという運命から人間は逃れられないし、それを時には見たい。自ら参入していくこともある。それがわたしたちという人間。
 だがうまく解決がつけられないのだ。スポーツにかかわらず、勝ち負けということが自分にふりかかってくるとき、なぜわたしは勝つという積極的な目的に自分をあわせることができず、そこから逃げる傾向があるのだろう。弱いのか、ずるいのか、本当は敗けたくない卑怯者なのか。嘘つき、偽善者、矛盾だらけの人間。自分が勝つことよりも敗けていると見える状態を楽しんだり、安心したり、好む傾向すらあるような気がするのはなぜなのだろう。
 大昔、勝ったわけでもないし逃げたわけでもないのに、「勝ち逃げした」と非難されたことがあった。スポーツではない、別の場面だ。何が勝つことで負けることか。あのとき、いたたまれない気持ちになった。怒りも虚しさもあわれさもあって、それを言った彼女との縁を、わたしは喧嘩をすることもなく切ってしまった。喧嘩すればよかったと思う。
 柊くんは今朝も、大きなテニスバッグに、教科書もノートもラケットも靴も弁当も詰め込み、一人、家を出る。お母さんが言うには、背中の肉が千切れそうなほど重いのだそうだ。相変わらず、親に何も言わず、テロリストにもならず、その背中は黙々と駅へ向かう。何を考えているのか。わからない。こっちもかける言葉がうまく見つからない。その身体は、身体よりも大きいバッグに覆われ、もはや勝ちも敗けもない。押し潰されそうになりながらも決して潰れない。歩いているのは柊くんというよりバッグだが、それでも動いている、前へ進んでいる。

 

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 小池昌代(こいけ・まさよ)
1959年東京生まれ。詩と小説に従事。津田塾大学国際関係学科卒。詩集に『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)、『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)、『コルカタ』思潮社(萩原朔太郎賞)などがある。小説・エッセイに『屋上への誘惑』岩波書店(講談社エッセイ賞)、短編集『タタド』新潮社(表題作で川端康成文学賞)、長編小説『たまもの』講談社(泉鏡花文学賞)などがある。