影を歩く

影を歩く

古語辞典で「影」をひくと、筆頭の意味に「光」と出てくる。日の光、月光、光り輝くものを、古の人間は「影」と捉えた。月影とはすなわち月の光のことでもあった。いつから光と影とは明確に分かれたのだろう。二つを再び一つの混沌に戻してやることは可能だろうか。あるいは今、光のあたっているところを退かせ、影に入っているものらを前面に押し出してみるのは。(中略)影は影として、そっとしておいたほうがいい。そう思いながら、影へ踏み出す。低い声で語ろう。影が騒ぎ出さないように。(第1回目より)

 


  第七回(2017.10.14)

柿の木坂

 柿の木坂に住む同僚を訪ねたことがある。その家の庭には柿の木があった。訪ねる前から彼女には言われていた。
「迷ったら、大きな柿の木がある家だと言って。たいてい、わかるから」。
 よほどに目立つ木なのだろうと思った。
 その日のことはよく覚えている。
 夏の盛りの頃だった。地図の読めないわたしは、案の定迷い、吹き出る汗をぬぐいながら、道ゆく人にたずねていた。
「大きな柿の木がある家なんです。ご存知ないでしょうか」
 すでに見たことがあるかのように、わたしは聞いた。想像のなかで、確かにそれは、屋根を覆うほどに枝葉を広げていた。
 近くまで来ていることは確かだった。
 三人に聞いたが、三人共にわからない。最後の一人はとても綺麗なおばあさんで、古くからこのあたりに暮らすという親切な人だった。
「柿の木は、昔、この一帯にたくさんあったのよ。農家が多くてね。秋になると、柿の赤い実があっちにもこっちにも。近頃はすっかり見かけなくなったわ。今は広い庭を持つお屋敷ほど、相続のときに切り売りされてしまう。一軒の敷地が、カステラのように細長い三つの土地になったり、時にはそのあとに素早くアパートが建ったり。住民もだいぶ入れ替わったはずよ。柿の木だけじゃ、わからないわね。他に情報はないの?」
「住所があります」
 最初から素直にこれを言えばよかった。
「なんだ、柿の木坂じゃないの、ここからはちょっと歩くわ。六、七分かしら。このあたり、初めて?」
「ええ。初めて来たんです」
 飯田橋にあった小さな雑誌社。わたしたちは、編集長を加えた、たった三人で、さまざまな印刷物の編集を手がけていた。タウン誌、パンフレット、個人の詩歌集……。細かい仕事が、途切れもなくあった。
 同僚といっても、彼女はわたしよりも一回り上。けれど中身は、わたしほどもすれておらず、純粋でお嬢さんのようなひとだった。
 わたしたちは、どちらも独身だったが、わたしには結婚の予定もないままつきあっている人がいた。彼女には、その影もなかった。そもそも男性とは、つきあったことがないと言う。同性から見ても魅力のある人だけに驚いてしまった。お茶くらいは飲めても、怖くて深い関係にはふみこめないのだそうだ。
 そんな彼女が、ときどき、とてつもなく激しい「性夢」を見るというのだから、聞かされたときにはこれまた驚いた。セームなどと言われても、即座に意味すらわからない。なんて虚しい二文字熟語だろう。
 どんな夢なの? と聞いたが、恥ずかしいと言って何も教えてはくれない。とにかくそれは、目覚めたあとも痕跡がはっきりと肉体に刻まれているほどの、たいへん生々しい経験なのだという。
「へええ。わたしもそんなリアルな夢、見てみたいわ」
 好奇心からそう言ったが、妄想の肉体より、実際のほうがいい。彼女を現実のなかへ押し出したい気持ちだったが、夢を語るときの彼女は、まさに夢見る人。誰のどんな言葉も聞かないというふうだ。自らそれを夢と言っておきながら、リアルな実体験だと考えているふしもあり、聞いたこちらが困惑する。
 あの日は結局、約束していた時間に、少し遅れて到着した。携帯電話も、広く出回っていないころのことだ。
 辿り着いたそこは、古いが風情のある平屋の日本家屋。時代はバブルに湧く頃だったから、ひっそりと取り残された感じもあった。木製の外門には木の屋根までついている。家のぐるりを背の高い緑の生け垣が囲っていた。生け垣の向こうには庭が広がり、その中央に、きっと柿の木がある。ここからはまだ、何も見えないけれど。柿の木はどこかしら。柿の木は。
「遅かったわねえ、心配していたのよ」
 彼女の声がして、玄関の戸ががらがらと開いた。到着するまでのことは口にしないで、ごめんなさいとあやまった。
 招き入れられた玄関脇で、「柿の木は」と尋ねようとすると、わずかに早く、彼女が言った。
「あれよ、あれが柿の木よ」
 指差す方向には庭があると思われたが、言い方が曖昧で、よくわからない。だが確かに樹木の一部は見える。たくさんの木のなかから、柿の木を選べと言われて、わたしは正確に言い当てることができるだろうか。そのとき初めて、自分が柿の木のことを、まるで知らないというということに気がついた。
 奥から彼女のお母様が出てきた。
「まあまあ、よくいらっしゃいました。娘がいつもお世話になっておりまして」
「いえいえ、お世話になっているのはわたしのほうです」
 言葉どおり、わたしは彼女に、すごく世話になっていた。神経質で鬼のような編集長の叱責を、彼女は常に、間に立ってかばってくれた。編集長には、よく言えば入念、いわば執拗で偏執的なところがあり、部下二人のやり方が少しでも気に入らないと、すぐに感情を爆発させる。彼女自身もよく叱られていた。苦労を知らない人だと思っていたのに予想外に打たれ強く、すぐにメソメソするわたしなんかとは違って、きつく叱られるのがうれしいみたいだった。わたしマゾだもんとニコニコして言うその顔は、少し紅潮し輝いている。怒る編集長のほうが滑稽に見えたくらいだ。
 暑かったでしょう。水出し緑茶を、あなたのために作ったの。暗い廊下を伝って居間へ通される。庭に面したガラス戸が全面開け放たれていた。
 庭の中央に、ひときわ大きな木が一本立っている。つやつやと濡れたような濃い緑の葉っぱが、ざわざわと音をたてている。正面から眺めるそれは、幹の太い、実にりっぱな木だ。
「あれが柿の木ですよね」
 わたしは確かめるように聞いた。
「そうよ、あれが柿の木よ」
 彼女も少しほこらしげに答えた。
 秋になれば、たくさんの実をつけるのだろう。
 お酒を飲むと、彼女はいつも、「子供を産んでみたかった」と悔やむのが常だったが、そうよ、あれが柿の木よ、というその声には、自分の子供をほこらしげに自慢するような響きもあった。
 昼でもひんやりとした暗い居間。そこから眺める庭は、緑が異様な迫力を帯び、前のめりになってこちらに向かってくる。
 柿の木の根本には、小さな池があり、池には石の橋がかかっていた。
 居間から眺める庭の姿は、まさに一枚の絵のようである。
 お茶と和菓子をいただいたあと、彼女とお母様とつれだって、三人で縁側から庭におりた。わたし用の小さなサンダルまで用意されていた。
 庭に立つと、不思議なことに、居間から眺めていたときの奥行きが消えた。庭はとたんに平板になった。どうしたのだろうとわたしは思った。数歩、歩けばすぐに行き止まりになる。おもちゃのような庭だった。池は暗い水たまりにすぎず、鯉が泳いでいるように見えたのはとんでもない錯覚で、池の上にかかる橋も石ではなく発泡スチロール。
 そして中央のシンボル、柿の木は、細い幹から細い枝をひわひわ伸ばし、わびしい姿で立っている。
 また遊びにいらしてくださいませね。お母様はそうおっしゃったが、二度目はもう、ないような気がした。おそらく彼女も同じことを思ったはずだ。その後わたしを誘うようなことはなかった。
 ただ一度、あのときだけ。なぜ彼女はわたしを呼んだのだろう。交友を深めたかったというより、何かを見せたかったのではないか。家だろうか。母だろうか。庭だろうか。柿の木だろうか。
 彼女とわたしの間には、それから薄い幕ができたような感じだったが、仕事の上では支障なかった。わたしたちは、少なくとも表面上は、すべてが前と変わらないという態度で、協力的に働いた。
 彼女はそれから雑誌社をやめ、わたしも数ヶ月遅れて職場を去った。手帖にはしばらく彼女の連絡先を残したが、携帯、そしてスマホへと移行するうち、彼女の連絡先は、木の葉が枝から離れるがごとく、ごく自然に、剥がれ落ちた。
 夢に柿の木が出てきたことがある。そう、あれは確かに柿の木だった。その木の下で、わたしは意外な人物と抱擁をかわしていた。郵便局の郵便受付にいる男性だ。名前も知らないし、話を交わしたこともない。なのになぜか抱き合っている。わたしたちは、固く結ばれていた。肌と肌、頬と頬とが触れ合うだけで、燃え上がるような快感が身体を突き抜ける。
 行為の途中、下から見上げる柿の木は、実に豊かな枝を伸ばし、青空が見えないくらいに葉を茂らせていた。こんなに鮮やかに生い茂っていても、これは夢、きっと錯覚。本物の柿の木は、もっと粗末で寂しい姿をしている。抱き合っているこの人だって、実際につきあったら、とてもつまらない人かもしれないし、とても恐ろしい人かもしれない。
 そう思いながらも、わたしは彼との行為をやめられない。ついに実をつけない柿の木の下。深まるばかりの快楽に身を委ねていた。

 

Back number


 小池昌代(こいけ・まさよ)
1959年東京生まれ。詩と小説に従事。津田塾大学国際関係学科卒。詩集に『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)、『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)、『コルカタ』思潮社(萩原朔太郎賞)などがある。小説・エッセイに『屋上への誘惑』岩波書店(講談社エッセイ賞)、短編集『タタド』新潮社(表題作で川端康成文学賞)、長編小説『たまもの』講談社(泉鏡花文学賞)などがある。