影を歩く

影を歩く

古語辞典で「影」をひくと、筆頭の意味に「光」と出てくる。日の光、月光、光り輝くものを、古の人間は「影」と捉えた。月影とはすなわち月の光のことでもあった。いつから光と影とは明確に分かれたのだろう。二つを再び一つの混沌に戻してやることは可能だろうか。あるいは今、光のあたっているところを退かせ、影に入っているものらを前面に押し出してみるのは。(中略)影は影として、そっとしておいたほうがいい。そう思いながら、影へ踏み出す。低い声で語ろう。影が騒ぎ出さないように。(第1回目より)

 


  第十回(2018.04.02)

墓荒らし

 Y霊園は巨大な墓地である。東京都の霊園だが、なぜか千葉にある。
 六、七歳のころまで、わたしは父の運転する車で、しばしばここへやってきた。父の父、つまりわたしにとっての祖父が、亡くなってまだ数年という頃で、父の心は、土の下の死者の、まだ近くをさまよっていたはずだ。祖父は六十の手前で死んだ。癌だった。
 記憶にある霊園は、わたしにとって、墓地というより楽園だ。中央の広場には芝山があり、わたしはそのてっぺんで横たわると、そこから一気に、コロコロと転がり落ちた。服は芝だらけになったが、楽しかった。
 墓地正門へ至る道には欅の並木道があり、暑い日には樹下に涼しく濃い影が落ちる。両脇には、墓石などを扱う石材店がぎっしりと並んでいた。ただ、当時も今も、石ばかりを売っているというわけではなく、墓参人たちの窓口のような役目も兼ねていて、父は決まってそのうちの一軒で、水桶や掃除道具一式を借りた。界隈は観光地のように、多くの人でにぎわっていた。
 その父が、八十八歳で逝き、数十年ぶりに、今度はわたしが一人で来てみると、当時の華やかさは何か夢を見ていたかのようだ。
 居並ぶ石材店も、廃業したわけでもないのに固く戸を閉ざし、かつていた客など、どこにも見当たらない。瀟洒な並木道も裸木が並ぶばかり。季節は冬。冬に墓参りにやってくる客は、やはり少ないのだろうか。霊園はひどくわびしい。しかしこれこそが、霊園本来の姿であるような気もして、こころのうちはむしろ清々しい。
 墓地を歩く。若いころには考えもしないことだったが、今のわたしは、意外な喜びを覚える。親の眠る墓地に限ったことではない。特に縁もない、見知らぬ墓地をたずねるのでもいい。墓場を歩いていると、心の底が、何ものかを煮ている鍋のように、次第にぐつぐつと沸騰してくる。名字を読み、墓碑に書かれた死者の名を確認し、時にはその中に、まだ存命中をあらわす朱色の文字を発見する。そんなことの一つ一つが、心を沸きたたせる、というのも暗い趣味だ。
 昼間はどこの墓地も、しんとしているのに、そこを縫うように歩いていく時間は、内側が派手でにぎやかで、触れば、しんなりと冷たいものの温度がある。
 かつて父がそうしたように、わたしもある一軒の石材店で、水桶と掃除道具一式を貸してもらう。父と違うのは、そこで花と線香も買い求めること。わたしは運転ができないので、その石材店で自転車を借りる。そのための借り賃のようなものだ。巨大な霊園だから、墓まで行き着くのにはかなりの距離がある。歩いていけないことはないが、坂道を一気に駆け下りる快感は捨てがたい。
 ここに、父の親族が眠る。父の両親、そして今年、父が入った。一人、忘れてはならないのが和子という女の子で、早くに死んだ父の妹だったらしい。墓碑には祖父を筆頭に、そのすぐあと、和子の名も刻まれている。
 それまでにも、家のなかで、ときどき「カズコ」という名前を耳にすることはあった。家の仏壇にも、それらしき位牌があった。カズコって誰なの? どんな顔をしていて、どんな性格の子供だったの? 何で死んだの? 聞きたいことはたくさんあったが、早くになくなったその子のことは、聞くに聞けないタブーのようなものになっていて、そのうち事情を知っているような人は、ことごとく死んでしまった。
 ふしぎだ、いや、ふしぎを通り越しておもしろい。誰も彼も、確かに生きていた。ついこのあいだまで。ところが死ぬと消えてしまう。どこにもいない。どこにもいないというそのことが、なんだかおかしい。面白い。あまりにあっけらかんとした、いなくなりよう。こういう人の消え方を、わたしは父が死んで、初めて味わっている。根本から。
 一般的な話だけれど、何か物が消滅することがある。わたしにはどこか気の抜けたところがあり、子供のころの部屋は散らかっていた。それでよく物をなくした。というより、わたしの感覚では、物が消えた。高校生のときには一度、通信簿まで「消えてしまった」。そういうとき、自分のミスで捨ててしまったか、あるいは家族の者が間違って捨ててしまったか(それもわたしの保存が悪いために)、あるいは本当は、家のどこかに在るのに、見つけられないだけだと考える。だがこのたびの父のなくなりかたは、そういうものとはまるで違う。ごぼっと音をたてて、存在がひきぬかれてしまった。どこを探してもついに見つからない。

 墓に到着した。
 すでに彫ってある、父の戒名を確認する。さかのぼること一ヶ月ほど前、石材店から校正が届いていた。それは石に彫った文字に、パラフィン紙をあて、上から鉛筆をあて、文字を浮き彫りにさせるという原始的な方法で作られていた。
 間違いないと印を押して返送した。戒名などというもの、不要という考え方もあるし、遺族が適当に考え、つけてもいいと知ったのは、菩提寺のお坊さんに高い費用を払ってつけてもらった後のこと。わたし自身、戒名はいらないと考えている。だが父の代までは、前例を踏襲しておくことにする。
 祖父の墓参りをしたのは、子供のころのある一時期だけだった。墓の雑草を抜き、朽ちた花を取替え、最後に線香をたて、最後に甘いモノが好きだった祖父のために、決まって何か和菓子の包を置いた。今のように、ペットボトルのお茶などないから、瀬戸物の茶碗に熱いお茶を注ぐ。だが、墓石に置かれたお茶は、急速に温度を失ってしまう。まるで死者に奪われたかのように。湯気のたつあの温度は、どうしたって生きる世界に属している。
 一通りお参りがすみ、さあ、帰ろうというころになると、いつもちょっとしたさざなみがたつ。松の木の陰に揺れる人影がある。お供えを盗みに来る男の子だ。幾度も出会ったから顔も見ている。
 広大な霊園で、お彼岸でもないかぎり、めったに参拝人に行き交うことがない。
 どこに潜んでいるのだろう、その子は、線香の煙と人の気配をかぎつけ、いつも、わたしたちが帰り支度をしていると、ふうっと木の陰に姿を半分、現す。何というタイミングのよさだろうと、同じ子供ながら、わたしは感心する。
「また、来てる」と父に言う。すると父は見るのをやめなさい、気にするなと言う。仕方がない、とも。しかし祖父にあげたばかりのお菓子が、すぐに盗まれてしまうのだと思うと、理不尽で悔しくてその場を離れがたい。それにもまして、死者へのお供え物を窃取するというその行為が、冒涜のような気がして、わたしは怖い。もっとも、両親は少し違って、そんなことも含めての墓参りなのだと言わんばかりだ。
 あの子は、とても貧しくて、食べるものがないのだろうか。それとも、お供えものを取るというゲームに夢中だったのだろうか。しかし見るからに服は汚く、目つきも悪い。わたしにはとうてい遊びなどでなく、生存に関わる必死の行いという気がしていた。こちらを盗み見ては、さっと動く所作は、不敵極まりなく、すでに墓場を我が職場として生きる職業人の逞しさ。紅潮した頬は、小猿にも、小鬼にも見える。一言で言えば、ひねこびた顔だ。子供なのに、目つきだけはすっかり成熟して、場合によってはこちらが傷つけられることも、覚悟しなければならないような不穏なものがある。
 もうあの子は、どこにもいない。いま、墓参りの心得を見ると、お供えものは、カラスが食い荒らすので必ず持ち帰るようにとの注意書きがなされている。
 ただ大人になって、わたしはあのときの子供に、もう一度、めぐりあった気がしている。
 ある日、一人で泊まっていた京都のホテル。宿泊階のエレベータホールで降りると、ささっと柱に隠れた小柄な影がある。怪しげな気配に不安を覚え、急ぎ、鍵をあけ、部屋へ入った。
 入るなり、外から誰かが、とんとんとんと、ノックする。ドアの小窓から外をのぞいた。すると扉のはるか下方、小さなイキモノが、上目遣いにこちらを見上げ、ハアハアと息荒く何かをつぶやきながら、慌ただしく戸を叩く姿が見えた。
 それはわたしが子供のころ、確かにY霊園で出会った、墓場荒らしのあの少年の顔だった。真っ赤な頬と目、額に汗にかき、必死に何かを乞いていた。ドアを開けろ。ドアを開けろ。そうすることを、わたしは求めているのに、気づいていないだけなのだというふうに、彼の叩き方は確信的で脅迫的だ。
 怖ろしさから、部屋から出られなくなったわたしは、事情を話して、ホテルマンに部屋まで迎えに来てもらう。
 わたしはもう、若くないのに、こんなことで人を煩わせることが申し訳ないような気がした。そしてもしかしたら、幻聴と幻想と狂気に侵された老女が、ありもしないことを言っていると思われているのではないかとも危惧して言った。
「すみません、本当なんです。ずっとドアを叩き続けている、小さな人がいるんです。外へ行きたいのですが、怖くてドアが開けられず……」
 控えめに冷静に、状況を告げる。
 すると迎えに来てくれた人が言うのだ。
「お客様、申し訳ございません。確かに柱の陰に隠れておりました。さきほど、追い払いましたからご安心ください。困ったことに、時々入り込んでは女性を狙うのです。小柄な男だったでしょう。まだ子供なのですよ。油断のならぬ子供です」
 Y霊園を荒らしていたあの子のはずはない。あの子であれば、もうとうに老年の域に達しているだろう。だがその顔は、確かに懐かしい、かの墓荒らしと瓜二つだ。

 

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 小池昌代(こいけ・まさよ)
1959年東京生まれ。詩と小説に従事。津田塾大学国際関係学科卒。詩集に『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)、『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)、『コルカタ』思潮社(萩原朔太郎賞)などがある。小説・エッセイに『屋上への誘惑』岩波書店(講談社エッセイ賞)、短編集『タタド』新潮社(表題作で川端康成文学賞)、長編小説『たまもの』講談社(泉鏡花文学賞)などがある。