影を歩く

影を歩く

古語辞典で「影」をひくと、筆頭の意味に「光」と出てくる。日の光、月光、光り輝くものを、古の人間は「影」と捉えた。月影とはすなわち月の光のことでもあった。いつから光と影とは明確に分かれたのだろう。二つを再び一つの混沌に戻してやることは可能だろうか。あるいは今、光のあたっているところを退かせ、影に入っているものらを前面に押し出してみるのは。(中略)影は影として、そっとしておいたほうがいい。そう思いながら、影へ踏み出す。低い声で語ろう。影が騒ぎ出さないように。(第1回目より)

 


  第三回(2017.04.17)

不思議な矢印

 銀座の地下街を歩いていた。銀座線に乗って家に帰ろうと思った。銀座線は、山手の渋谷と下町の上野を結ぶ。電車が走っているのは暗い地下でも、沿線の駅名は、地上へあがればそのままあたたかな地名となる。下町から山手へ、山手から下町へ。次第に変わる空気感を、駅名はにじむように教えてくれる。
 銀座駅は、路線のちょうど中ほどにある。柄の違う二つの土地の、銀座はまさに結び目といっていい。文字通りそこは、人々が集い、まざりあう「座」で、はなやかなイメージが全線を照らす。
 丸の内線、日比谷線、銀座線の、三線が乗り入れていることもあって、駅自体、混乱のうずのなかだが、その分、迷う人のために、親切な案内も行き届いているはずだ。
 そんな場所で、わたしは迷った。入った口が悪かったのかもしれない。どこかのビルの地下が入り口になっていて、実際の乗り場にはだいぶ歩かなければならないということがわかった。わたしの知る銀座駅中央のにぎやかさに比べると、あたりの歩行者も、まだ、まばらだ。
 至る所に方向を示す矢印があった。銀座の地下は、矢印だらけといってもいい。しかし混乱を招きそうな場所ほど、人間工学的にうまく作られていて、標識ひとつで、人をスムーズに誘導する。
 あまり、あらがったりうたがったりせずに、素直に表示に従っていけば、必ず目的地にでられるだろう。それをわたしは今までの経験から知っていた。少なくとも信じてはいた。これは自分がさんざん道に迷ったことから得た、教訓のひとつだった。
 素直に考えればたいていそっちへ行くだろうというところを、なぜか一人、逆に行ってしまい、迷ったり、遅刻したり。そのあげく、あきれられたり、うとんじられたり。そんなことが幾度もあった。
 頭でっかちだったと思う。自分のからだを、ある自然な流れ――それは土地や道がかもしだす流れかもしれないし、人の動きがつくりだす流れかもしれない――にうまく乗せることができず、余計なことを考えてしまう。そしてとんでもない方向へ行ってしまう。
 よく、道案内に出てくる言葉に「道なり」という言葉がある。まっすぐでなく、微妙に曲線のある道などに使われる。「道なりに歩いてきてください」というのは、「この道にはカーブもあるけど、とりあえず道にそって歩けば着きますよ」ということだ。
 その「道なり」で、道をそれて失敗したことがあり、以来、道に心を素直に添わせることを胸に刻んだ。刻んだはずだが、しかし迷った。
 言い訳のようだが、今回に限ってはわたしだけが悪いとも思えない。
 頼って歩いてきた、その案内の矢印が消えた。途中で消えたのだ。消えたそこには何もなく、わたしはただ、途上に捨てられた。
 えっ。ここはどこ? どっちへ行けばいいの?
 とたんに足がとまってしまった。かなり歩いてから、人に教えてもらい、来た道をまた、てくてくと戻った過去の記憶が、脳裏に浮かぶ。同じことはもうしたくない。わたしは消えた矢印とともに、自分もまたこの世から消えてしまったような気がした。
 少し先に階段があった。階段をあがってしまったら終わりだと思った。何が終わるのか、よくはわからないが、階段をあがることには、ある勇気が必要だった。突き進む勇気、そして間違ったときには引き返してくる勇気。たかが地下鉄の駅まで行く話が、なにやら大げさなことになってきた。
 とにかくわたしは、階段の手前まで行っては戻り、また数歩、歩いては戻った。
 自分ながら何をしているのかと思った。
 すると、後ろから、「小池さんじゃない?」と声がかかった。かつて高校でいっしょに過ごした同級生。ものすごく、久しぶりだ。数年前に同窓会をやって、メールのやりとりが始まったが、それも最近は途絶えていた。彼女は仕事の途中だという。銀座にある弁護士事務所で長く秘書をしている。銀座は彼女の「庭」といっていい。
「どうしたの?」
 うろうろしているわたしを見ていたのではないか。
「実は迷ってしまって。銀座線に乗りたいのに、行き先を示す矢印が、突然消えちゃったのよ」
 迷っているとだけ言えばよかった。なのにわたしは矢印を責め、東京メトロを心のなかでうらみ、しかし声には、面白いことを見つけたという、よろこびが響いていたかも。
「消えた?」
 彼女はいぶかしく問い、次の瞬間にはそれを忘れたように明るく言った。
「銀座線は、この階段のずっと先よ。途中まで行くよ。時間があったら、お茶するのにザンネン」
 ああ、そうなのか。階段をあがればよかったのか。わたしはぎくしゃくとした自分の体をだいて、彼女といっしょに階段をのぼる。するとその先に矢印が見えた。ドーナツの形をした銀座線の黄色も。
 ああ、現れた! ほっとすると同時にうらめしかった。すっかり矢印に心乱されたわたし。あまり頼るのも考えものだが、初めてのルート、確実に目的地に近づいていることを、わたしは逐次、確信したかった。
 そういう感覚を支えてもらうためには、一定の間隔で出てくる矢印が必要で、わたしが「消えた!」と不安を覚えたのも、おそらくその間隔が多少なりとも開いたのだろう。そう、間隔が開いたにすぎない。
「ありがとう、また会いたいね」
 いつとも決めない別れの言葉。もう永遠に会わないかもしれない。
 わたしは彼女と別れ、改札を入ったが、矢印が消えたあたりに、もうひとりの自分を置いて来たような気がして、心のなかがすうすうとした。その「わたし」は、彼女と出会わず、階段もあがらず、矢印が消滅した一点の穴に吸い込まれ、向こうに開けた世界で生きる。まったく別の新しい町。ま新しい人生。
 あのとき、助けてくれた杉本さんは、高校のとき、葛飾のお花茶屋に住んでいた。当時、地図をもらい、何人かで遊びに行く約束をした。その日、わたしは無事、杉本さんの家へ行き着いたが、杉本さんはいなかった。
 お花茶屋は遠いところだ。いるはずの人がいなかったこともあり、わたしは、地の果てへ流れ着いたような気がした。仕方なく家へ戻ったが、あとで電話がかかってきた。
「約束した日は明日だよ。明日も来るのが大変だったら、もう来なくてもいいよ」
 杉本さんは、わざわざ来てもらって、とっても悪かったという調子で言ってくれた。
 わたしはその明日、なにも用事がなかったけれど、もう来なくていいと言われた気がして行かなかった。実際、そのとおりのことを彼女は言ったが、拒絶から出た言葉でないのは明らかだった。間違えたのは自分なのだから、もう一度行く、行きたいと言うべきだった。しかし一気に気力が落ちた。自分をのろい、もう来なくていいというその言葉にすがった。
 葛飾区には、今でも高校生のころの自分がいるだろう。お花茶屋のあたりを、ふらふら歩いているだろう。

 

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 小池昌代(こいけ・まさよ)
1959年東京生まれ。詩と小説に従事。津田塾大学国際関係学科卒。詩集に『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)、『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)、『コルカタ』思潮社(萩原朔太郎賞)などがある。小説・エッセイに『屋上への誘惑』岩波書店(講談社エッセイ賞)、短編集『タタド』新潮社(表題作で川端康成文学賞)、長編小説『たまもの』講談社(泉鏡花文学賞)などがある。