愉快、痛快! スカッとする落語のことば
愉快、痛快!
スカッとする落語のことば
「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。
その十八(2018.08.08)
“ドーモ
(初代三遊亭円遊『星野屋』より)
毎年8月、東京・歌舞伎座では若手中堅を核にした納涼歌舞伎の幕が開く。猛暑、酷暑(今年はとくに!)の日々が続く夏芝居では、大幹部に無理をさせず、伸び盛りの若手にひと暴れしてもらおうというわけだ。
配役が少々見劣りする分は、出し物や演出に工夫を凝らす。亡くなった中村勘三郎らの肝いりで始まった「一回の上演時間を短く、料金を抑える」という年に一度の三部制も定着した。8月の歌舞伎座、隅に置けないのである。
「歌舞伎座130年」を冠した今年の「八月納涼歌舞伎」(9~27日)。三部構成のラインナップを書き出してみよう。
第一部「花魁草」「龍虎」「心中月夜星野屋」
第二部「東海道中膝栗毛」「雨乞其角」
第三部「盟三五大切 序幕 二幕 大詰」
歌舞伎ファンが気になるのは、やっぱり二部の「東海道中膝栗毛」だろう。おなじみの弥次喜多は登場するけれど、完全新作。去年はたしか、歌舞伎座殺人事件を弥次さん喜多さんが解決したんだっけ。はたして今年はどんな事件が起こるやら。今年は猿之助・幸四郎の宙乗りもあるらしい。
歌舞伎ファンには、落語好きも多い。いや、落語ファンに歌舞伎好きが多いのか。どちらにしても、「歌舞伎もいいけど、落語もね」という連中は、宙乗り付きの殺人事件よりも、ずっとずっと注目している。何がどう気になるのか。それはなんと、第一部の最期の演目なのだよ、明智君。
「心中月夜星野屋」。これは、「星野屋」という古典落語をベースに、大阪ナンバーワンの落語作家、小佐田定雄氏が書き下ろした落語歌舞伎である。
何だ、「星野屋」か、それなら落語通なみんな知っているーー。と、書きたいところだが、実は「星野屋」はそれほどポピュラーな噺ではない。明治の落語雑誌「百花園」をパラパラめくると、1990年(明治23年)には「入れ髪」というタイトルで「ステテコの円遊」「鼻の円遊」等のあだ名で人気者だった初代三遊亭円遊の口演速記が掲載され、その3年後には四代目春風亭柳枝の速記も載っている。明治の昔は、あちこちの寄席で演じられていたようだが、平成末期の現在、「星野屋」の演者は少なく、たまに演じられても「なんだか暗めの心中騒動で、登場人物も癖のあるやつばかり」と、噺そのものの評判もさほど良くないのだ。
不人気の原因の一つは、噺の展開にあるような気がする。
星野屋の旦那は芸者上がりの妾お梅を囲っているが、これが本妻にばれてしまい、ただでさえ気が合わない本妻から執拗に嫌味を言われ、本気で離縁を考えている。本妻を追い出した後、かわいいお梅を後釜に据えようと思うのだが、肝心のお梅の本性がわからない。それならと、お出入りの庄吉と二人、お梅の料簡を試す策略を練る。旦那からお梅に「経営に失敗したので死のうと思う。お前とはこれまでだ」と手切れ金を渡すが、お梅が「それなら私も一緒に」と言い出し、吾妻橋から飛び込み心中をすることになる。ここでお梅が本当に飛び込めば、すぐに助けて星野屋のおかみに据える計画だったが、お梅は飛び込まず、「私はまだ若いし、現世でやりたいこともある。年を取ったらそちらに行くから、蓮の花の上で待っててね。それじゃ失礼」と家に帰ってしまう。お梅の不実に怒った庄吉は「旦那の幽霊が出てお前を取り殺す。それがいやなら尼になって菩提を弔え」と脅し、お梅の自慢の黒髪を下ろさせるのだ……。
噺の前半、本妻が旦那の不行跡を責める場面が重く、そのあと心中騒動と続くので、噺全体がじめじめと暗い印象になってしまう。現在では、時間の関係からか、本妻のくだりはカットされているようだが、全体のトーンの暗さ重さはあい変わらずで、唯一の面白い場面である庄吉とお梅のだましあいがかすんでしまうだ。
これと同趣向の噺に、若旦那がなじみの芸者の料簡を試すため心中を持ち掛けるという「辰巳の辻占」があり、若旦那、芸者ともにふわふわと軽いキャラクターであるため、「同じタイプなら『辻占』のほうがウケる」とこちらを演じる噺家もいる。
かくて「星野屋」は、古い江戸落語なのに、長いこと不遇をかこっていた。
これに目を付けたのが、江戸落語ではなく、上方落語の重鎮、桂文珍である。
「後半のだましあいが面白いのだから、これを活かすために、お梅を思い切り軽く、ちゃらんぽらんの性格にしてしまおう」
文珍はブレーンでもある小佐田定雄氏と二人、知恵を絞って、従来とは違う「星野屋」を作り上げた。噺の筋は同じなのに、中身は大違い。「新版」は、しめっぽい商家のお梅騒動ではなく、軽妙なタッチのコン・ゲーム(だましあい)の噺にしてしまった。
セピア色の「星野屋」は、からりと明るく変身を遂げたのだ。その「新版星野屋」が、同じ小佐田氏の筆で、歌舞伎化されるのだ。期待するなというのが無理というものだろう。
さて、冒頭の啖呵は、結果的に星野屋の旦那を裏切ったお梅に対し、庄吉がその不誠実をなじるとともに、「お梅を本妻にする」計画の全貌を明らかにして「お前は最大のチャンスを棒に振ったのだ」と告げるのである。
泳ぎ上手を「河童に親類が五軒有つて竜宮のお祭りの時には赤飯の取遣りをする」といい、「
文珍演じる「新版」にももちろんこのくだりはあるのだが、お梅の反応は、格調高い(?)円遊版とはかなり異なる。
「あら、そうだったのォ。ぜーんぜん、知らんかった」「そういう計画なら、最初にちゃんと言っておいてもらわんとォ」
ニコニコ笑って、こたえた様子はみじんもない。自分の立場がわかっていないのか、おもいきりポジティブ志向なのか。これでは、庄吉がどんなに流ちょうな江戸弁で啖呵をきったとしても、暖簾に腕押し、糠に釘である。本音を隠さず、終始あっけらかんとしているお梅の言動にふれるうち、「もしかしたら、彼女の方が正しいのではないか」と思うようになる。何ともかわいい女なのである。
長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。