愉快、痛快! スカッとする落語のことば(back)

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば


 その一(2017.01.30) 

 

全体(ぜんてえ)ここの家が癪に障るってんだ。高慢な面ァしやがって、猫なんぞ飼やァがったって魚ァ買ってあてがったことがねえから、猫が近所じゅう行って泥棒する。大方お昼のおかずなんざァ、猫が稼いでくるんだろう。こんな物騒な猫が隣近所にいられた日にゃァ、長屋じゅう枕を高く飯を食うこたァできねえッ。
       (八代目林家正蔵「二十四孝」より、八五郎と隣家の猫)

 

 

 落語の登場人物は多種多彩だ。
「え~、八っつぁん熊さんにご隠居さん、人のいいのが甚兵衛さん、バカで与太郎・・・」
噺家の真似をしながらおなじみの名前を並べてると、与太郎の次あたりから、「人物」ばかりではなくなってくる。人を化かすのが狐と狸。子丑寅卯辰己午未申酉犬亥、十二支の動物たちも何かしら役を与えられているのだ。
 訳あって(?)十二支には入っていないが、落語の中での猫の存在感は半端ではない。
「猫の災難」「猫久」「猫忠」「猫定」「猫怪談」に「猫と金魚」。思いつくまま「猫」がつく演目を挙げてみれば、おおっ、けっこうな名作ばかりではないか。
 ただ、これほど重宝に使われていながら、われらが猫の役柄は、よそ様に自慢できるようなものが少ない。
 落語の猫はたいてい主人公の「隣の家」に飼われていて、旦那が丹精込めた金魚を狙ったり(「猫と金魚」)するので、「泥棒猫」というありがたくない通り名をいただいている。
 逆に、何も悪いことをしていないのにひどい目にあうこともある。「猫の災難」では、隣家の八五郎から「大事な鯛を盗んだうえ、一升瓶を蹴倒して逃げた」と濡れ衣を着せられるし、「金の大黒」や「船徳」では、腹減らしの町内の若い衆に食われてしまう(!)こともあるのだ。
 寄席の定番である滑稽噺「二十四孝」は、長屋の乱暴者・八五郎と、隣の猫とのバトルで幕を開ける。活きのいい鯵を十三尾も手に入れた八五郎が「あいつを塩焼きにしていっぱい飲もう」と、勇躍、湯から帰って来てくると、事件が起きていた。十三尾の鯵が影も形もないのだ。家にいた母親や女房に聞いても「知らないよ」とつれない返事。
「向こうの屋根をひょいと見るとね、悪いことはできねえもんだな、隣の女所帯の泥棒猫、あれがお前さん、大あぐらをひっかいて、もそもそ食らってやがん・・」「猫が胡坐をかくかい?」「そう見えちゃった、あっしの目には。豆ッ絞りの手ぬぐいを肩にのっけて」「噓をつけ!」
 話を聞かされた家主はあきれ顔だが、八五郎は怒り心頭である。「とんでもねえ猫だってんだ。魚ァ食やがった猫だから、猫を食っちまおう」と飛びかかったが、屋根までは届かない。いったん家に戻って出刃包丁を逆手に握ってまた飛び出した。
「さあ、この泥棒猫、尋常にこれへ降りて勝負しろッ」「そんなこと言って猫にわかるか」「ニャンとも言わねえ」
 八五郎が出鼻膨張を物干し竿の先に結わえつけて振り回すと、猫は驚いて隣の家へ逃げ込んだ。そこで、八五郎が隣家に向かって大音声で叫ぶのである。
「こんな物騒な猫が隣近所にいられた日にゃァ、長屋じゅう枕を高く飯を食うこたァできねえッ!」
 何だかわからないが、いいがかりのような啖呵だが、楽しみにしていた「鰯で一杯」を台無しにされた八五郎の怒りと落胆だけが実にストレートに伝わってくる。鰯、そんなに食べたかったのか。
 八五郎の勢いに驚いて隣家からは何の反応もなし。逆に、八五郎の母親とカミサンが慌てふためいた。
「お隣には普段からいろいろご厄介になっているに、猫が魚をくわえだしたぐらいのこッて・・」
 八五郎にだって近所づきあいの難しさは理解できるが、「因果と人間のカミサンに生まれて来ながら何も隣の猫の肩ァ持つ」のが気に入らない。
「十三の鯵を猫がどうして持っていくてんだ。まさかァ笊や味噌漉しを持ってきて、そん中ィさらいこんで、ぶる下げてく気遣いはねえ。口でくわえりゃ十三度(たび)、一人の猫が流しを出たり入ったりしてェるのを人間が二匹も居やァがって」
 猫と人間の数え方が逆になるほど憤慨した八五郎は、あろうことか、母親とカミサンにまで鉄拳を振るってしまう。そのため、八五郎は家主から厳しく戒められ、もろこし(中国)の賢人の逸話「二十四孝」を引き合いに出しての説教を受けることになる。
「二十四孝」という噺は、これからが本題なのだが、八五郎のタンカがあまりに印象的なので、家主の説教でこの乱暴者が改心するとは思えない。ところが、噺の先を聞いてくと、八五郎は説教された後、母親に鯉やタケノコを食わせようとするなど「二十四孝」の逸話をなぞって、母親相手に孝行の真似事を始めるのである。もちろん、本気で改心したのではなく、賢人たちの孝心に感じるところがあったのではなく、「親孝行をするとお上から褒美が出るらしい」という高利的な理由が一番の動機らしい。
 今日孝行の真似事をしても、明日になれば「この提灯婆(横にしわが寄っているから「提灯婆」。縦にしわだと「からかさ婆」だ)!」と母親に悪態をついて、家主に叱られるのだろう。
「毎日毎日、何をやってるのかニャ」
 再び八五郎家の台所を狙いながら、隣の猫があきれ顔をしているのが目に見えるようだ。


 その二(2017.02.22) 

 

 俺なんざア変な話をするやうだが、ここに居る婆さん、今ぢや皺くちや婆アだが、櫓下で姐さん株、此奴(こいつ)のお陰でとうとう勘当され、お前の親父だが弟が跡を取つて、僅か貰つた勘当金、其を資本(もとで)に一生懸命働いて好いた同志で夫婦になつて今ぢやア斯うして家主(おほや)とか何とか人に立てられて、一寸間違ひがあつても、済みませんけれどもどうか来て呉れと云はれ、俺が行けば何うにか斯うにか物が納まるといふ工合になり、貧乏ながら人の世話を随分して居る。汝は何だ、五十両といふ金を阿母(おふくろ)から貰つて出て、何所へ持つてつて捨ててきた馬鹿野郎、これからは俺がウンとたたき直してやる。人間は酸いも甘いも知らなくツちやいけねえ、汝の親父のやうでも困る、これから確かりやれよ。
      (三代目柳家小さん「唐茄子屋」より、本所の伯父の意見)

 

 

 落語の世界に登場する商家の若旦那は、どこか憎めない道楽者だ。
 親旦那も心配するほどの堅物が、町内のごろつきに連れられ初体験。薬が効きすぎて、将来の道楽者を予感させるほどにのぼせ上る「明烏」のうぶな時次郎。
 勘当されて裏長屋に落ちぶれても料簡は変わらず、幽霊の金を持ち出す手伝いをして儲けた百五十両を吉原で豪遊して一夜で使い果たす「へっつい幽霊」の銀ちゃん。
 吉原へ行けぬよう家の二階に閉じ込められるが、自分の声色が得意な善公を身代わりに置いて脱出を果たす「干物箱」の孝太郎。
 勘当されて職人宅に居候でも能天気は変わらず。湯屋へ奉公に出て、憧れの番台に座り妄想にふける「湯屋番」のあいつ。
 どれもこれも名うての道楽者。江戸の昔だろうが平成の現在だろうが、一言ガツンといってやらなきゃ目が覚めない奴だ。
 それなのに、どうしても、この連中を責めることが出来ない。
 落語の国の若旦那たちは、ただひたすら自分の気持ちに忠実なだけ。勘当されようが、汚い長屋に逼塞しようが、金に困って怪しい商売を始めようが、料簡を入れ替えるなんて殊勝なヤツは1人もいない。欲望の対象が「酒」「女」「ばくち」の違いはあるが、「いい思いをしたい」という一点だけはブレがない。これでは、真面目に生きてる我々の方が野暮に見えてくる。常識やら世間体やらに縛られてがんじがらめの現代人にとっては、そんな自由な生き方がうらやましくもある。つい小言の切っ先が鈍ってしまうのである。
 そんな若旦那に敵対するのは、大旦那という名の父親か、その参謀である店の番頭か。だが、道徳や世間体ぐらいしか武器のない小言に、大した説得力がない。
「まじめにやれ」「孝行をしろ」「遊びは悪だ」「無駄遣いをするな」
 そんなことを言ってる彼らだって、「確かに外で遊ばないが、家の奉公人に次々手を付ける大旦那」(木乃伊取り)「奉公人には厳しいが、自分だけはちゃっかり粋筋の女を囲っている番頭」(山崎や)等々、建前と本音をうまく使い分けている。自分を棚に上げての説教なんか、道楽者の若旦那の心に響くわけがないのである。
「勘当、結構ですね。あたしには花魁というものがおります。お天道様とコメの飯はどこへ行ってもついて回りますから」
「唐茄子屋」の主人公の伊之助は、こんな啖呵を切って生家である大商店を出ていった。だが、晴れて勘当の身の上になった伊之助を、花魁は歓迎してくれなかった。金の切れ目が縁の切れ間。やむなく友達の家を渡り歩くが、働きもせず日がな一日ごろごろしている居候の世話をやくお人よしなどいるわけがない。親戚縁者を訪ねても、すでに本家から「御構い無用」のお達しが届いており、敷居も跨がせてはくれない。「お天道様はついて回るが、米の飯が」
 空腹を抱えて真夏の江戸をさ迷う伊之助。吾妻橋の上から隅田川の急流を見下ろした。
「何所へ行つてもお銭(あし)一文握飯一つ呉れません。食はずに居りやア死んで終ふんで、其位ならいっそ一ト思ひに川へ飛び込んで死んだ方が涼しく死ねると……」
 ふらふらと橋の欄干に足をかけた伊之助を救ったのは本所の伯父さん。大店の主人である伊之助の父親の兄である。この時の伯父さんの啖呵が粋で親身で実に魅力的なのだ。
「馬鹿野郎、涼しく死ねるツて、死ぬのに涼しいも暑いもねえや、下らねえ事を云つてやがる。汝(てめえ)と思やア俺は止めなかつた。今手伝つて投込(ほうりこん)で遣るから死んでしまへ。俺も散々道楽をしたものだから横山町の家は全体俺が継ぐんだつたのだが、汝のやうに俺も勘当されて汝の親父が跡を継いだんだ。けれども俺は勘当されたつて、そんな意気地のねえ真似はしねえ、何だべらぼうめえ、食ふに困つて死ぬような料簡ならはじめツから道楽なんぞするな、サア飛込んじまへ、モウ俺は止めねえから」
 目の覚めるような伯父の啖呵を聞いて、本当に目が覚めた。伊之助は本所中之郷の伯父の家に連れて行かれ、そこで散々説教される。それこそが、今回のお題。落語の中で、僕が勝手に最強だと僕が思っている、ほれぼれするような小言なのである。
 今はしわくちゃ婆の伯母さんが、実は江戸の岡場所「深川七場所」の一つ、「櫓下(やぐらした)」の売れっ子女郎であり、伯父さんはこの女に入れあげて勘当される。それでも懸命に生きて、町内では人に頼られるほどの存在になったーー衝撃の事実である。
 愛すべき過去の告白を交えながらの、矜持と自負に満ちた説教を聞かされれば、伊之助ぐうの音も出ないだろう。
 一夜明けて、朝食の膳を前にしての、伯父さんの味噌汁談義がまた素敵なのだ。
「おいしい味噌汁だつて、あたりめえよ、汝の所の知るとは違はア、道楽をした人間だ、鰹節(かつぶし)だつて良いのを使つてるんだ。汝の親父なざア鰹節を汁の中へ入れると云ふと、肝を潰して居やがる、金ばかりこしらへたつて碌なものも食はずに居るナア生涯の損だ。汝もいくらか道楽をしただけこんなうめえ汁を吸うだけも徳だろう」
 味噌汁にこと寄せて、堅物の弟を揶揄し、道楽者の伊之助の肩を持っているのである。
 実は、こうした本所の伯父さんの名セリフの数々が、現在の寄席ではほとんど聞くことが出来ないのである。
 勘当息子の伊之助が市井の様々な生き方や真心に触れ成長していく姿を描く「唐茄子屋」は、すべての逸話を演じれば優に一時間を超す大ネタだ。寄席の持ち時間は、その日の主任であるトリであっても三十分余り。その制限の中で演じるには伯父さんの登場する前半のくだり、本筋にさほどかかわらない説教の部分をカットするのは仕方のないことだ。
 かくいう僕も、ずっと本所の伯父さんの「過去」を知らなかった。商家の跡取りに生まれながら、本所で長屋暮らし。どうしてそんなことになったのか、堅物の弟と何があったのか。疑問が氷解したのは、明治末から大正にかけて「名人」と呼ばれた三代目柳家小さんの速記を読んでからだ。
 三代目は、「唐茄子屋」の後半部分、伊之助が貧しい母子を助ける人情噺的な部分を演じないやり方なので、さほどの長講にはならないから、伯父さんの出番を縮小する必要がなかったのだろう。
 本所の伯父さんは、死に損なって生まれ変わろうとしている伊之助の名指南役にピッタリのはまり役である。
「俺は何も吉原へ行くのがいけないといってるんじゃねえ。自分で働いた金で何をしようがかまわねえ。『伯父さん、これこれの仕事でこれだけ稼いだんで、吉原へ行きたいんですが』といわれりゃあ、俺も一緒に行ってやろうじゃねえか」「そんなら、さっそく今晩」「今晩じゃねえ!」
 三代目の速記にはないが、平成の「唐茄子屋」にあるこんなくすぐりに、小さん流の「粋な伯父さん」のにおいがする。平成の後進たちは、この三代目風の伯父さんを克明に伝えてはくれないが、その料簡はしっかりと噺の中に根付いている。

 


 その三(2017.03.25) 

 

 「(渡し船から、岸に置き去りにされた若侍へ)やいコノヤロウ、テメエなんざァなあ、こちらのお侍さまと立ち会うなんざァ生意気だァ。そんなに立ち会いたかったら、そこの柳の木と立ち会え。どうしても人間と立ち会いてえのか。俺が相手になってやるからここまで来い、ざまァみやがれ、バカー!」「お前ずいぶん強くなるね」「俺ァ、相手が来ねえてェと強えんだ。お前も何か言ってやれよ」「そうだな。やーい、いいこと教えてやろうか。両国橋渡って向こう岸まで来い。それまでにな、俺は家に帰って小便して寝ちまうんだから。俺の家なんざなァ、自慢じゃねえけど小せえから探したってわからねェぞ。ざまァみやがれ、宵越しの天ぷらァ〜」「なんだその、宵越しの天ぷらてェのは」「揚げっぱなしィ!」
                       (入船亭扇遊「巌流島」より)

 

 

 隅田川を行き来する御厩の渡し。満員の舟に、無理やり若侍が乗ってきた。町人たちを隅に追いやり、舟の真ん中で大あぐらをかきながら、自慢の煙管をプカプカとふかしていたが、舟べりで煙管をポンと叩いたのが運の尽き、雁首が外れて川の中に落ちてしまった。商売っ気を出した船客のくず屋が、「残りの吸い口だけでも売ってほしい」と申し出るが、これが若侍の怒りに火をつけた。
「無礼なヤツだ。煙管の雁首を落としたから、お前の首も落としてくれる。遠慮をするな」って、これは遠慮をするだろう。
 若侍は仲裁に入った老旗本にもくってかかり、ついには舟を左岸に戻して果たし合いをすることに。ところが老旗本の機転で、若侍だけが岸に置き去りされ、渡し舟はゆうゆうと対岸へ向かう。

 ふう、ちゃんとあらすじを書くのは骨が折れる。
 さて、船中では、それまで事の成り行きを見ながら「お年寄りが勝つかも」「バカ言え、若侍にかなうわけないよ。若侍がじいさんを斬って、ついでにお前の首も」「何言ってンだ!」など戦々恐々だった江戸っ子連中が、形勢逆転と見て、急に強気になった。
「船頭さん、あの若侍、泳げるかな」「泳げません!」「ハッキリ言ったねェ」「泳げるなら、もうとっくに川へ飛び込んでますよ」「そうか、泳げねえんだな。間違いねえな」
 我が身の安泰を何度も何度も確認し、大丈夫だと確信する江戸っ子連中。ここでようやく、冒頭に揚げた「やいコノヤロウ」が始まるのだ。
「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 口先ばかりではらわたはなし」
 江戸っ子は反権力というわけではない。政治や社会制度の矛盾などにはさほど関心がなく、ただ「威張ってるヤツ」「偉そうなヤツ」が嫌いなのだ。とはいえ、侍にやたらにかみついては無礼打ちにあうだけ。自分の安心安泰を確認しつつ、それでも腰が引けた状態で悪態をつく。見栄と気取りと正直が身上だが、意外に小心な江戸っ子は、実に表情豊かな啖呵を切ってくれる。
 とりわけ面白いのが「両国橋渡って向こう岸まで来い」という提案(?)である。
 明治以前の隅田川にかかる橋は少ない。下流からさかのぼると、永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋に、千住大橋。わずか五橋である。御厩の渡しがあったのは、両国橋と吾妻橋の中間あたりだろう。してみると、このとき隅田川左岸、渡しの本所側に置き去りにされた若侍は、いったん両国まで南下し、両国橋を渡って、今度は蔵前橋を北上しつつ、「自慢じゃないが小さい」船客の家を探すのは、どう考えても無理だろう。江戸っ子の挑発に歯がみする若侍の顔が目に浮かぶようだ。

 啖呵の最後、捨てぜりふとしか思えない「宵越しの天ぷら」「揚げっぱなし〜」は、この噺には必ずといってもいい位に登場するクスグリだ。明治大正の噺家が考案したというより、その頃の東京人がこうした他愛のない洒落を日常的に使っていたのだろう。
 三代目三遊亭金馬の名著「浮世断語」に、「昔の噺家が使っていたシャレを集めてみた」として、同様の言い回しが大量に載っている。
「金魚のおかず」で、煮ても焼いても食えない。
「イワシ煮た鍋」=二人はくさい仲。
「木挽の弁当」=きにかかる
「やかんの蛸」=手も足もでない
「おでん屋のはんぺん」=そんなにふくれるな
「春の夕暮」=くれそうでくれない
 こんな具合に、昔のシャレが数十も続き、最後は「迷子の鳳凰」で「きりがない」で締めくくる。
 シャレを解説するのは野暮の骨頂だが、最後の「鳳凰」だけが分かりにくいので、一応絵解きをしておこう。
 難しい話ではなく、花札の「桐」の絵柄を思い出してほしい。桐にとまっている鳥が、鳳凰である。この鳳凰が迷子になったのだから、シャレの意味は「きりがない」……、説明しない方がよかったか。
 どう考えてもいまどきのシャレではないと思うのだが、明治から大正へ、昭和を越えて平成の現在まで、この噺を受け継いだ落語家たちは、まず間違いなく「宵越しの天ぷら」を叫んでいる。現代の観客にウケようがウケまいが、このクラシックなダジャレは「巌流島」という噺には切っても切れないクスグリなのだ。
 昭和の名人、古今亭志ん生は数多くの音源を残したが、高座の映像はわずか四編しかない。その貴重な「絵」の一つが、1956年に演じた「巌流島」なのである。映像の中の志ん生は痛快な啖呵で喝采を浴び、「宵越しの天ぷら」でもしっかり笑いを取っている。
「胸の空く」という程ではないが、調子が良くて、ちょっと弱腰の啖呵。俺でもいえるかなと思えるところに、江戸っ子の愛嬌がある。

「その四」へ


長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。