「監督が怒ってはいけない大会」にやってきた「それでも怒らない」(Back)

「監督が怒ってはいけない大会」にやってきた
「それでも怒らない」人々

「みさみさがあそこまでやるんだから、もっとハジけていいんだ」って、子どもたちが自分の枠を、殻を破りにいく。それが私の役目なのかなと思ったりもするんです

それでも怒らない人 01
杉山美紗さん

杉山美紗(すぎやま・みさ)
神奈川県出身。アーティスティックスイミング日本代表として世界選手権やワールドカップに出場。2014年に選手を引退。その後、シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして7年間、舞台に立つ。2022年末に帰国し、現在は水中・空中・フィットネスモデルや講演会、スポーツイベントなど幅広く活動(愛称:みさみさ)。

アーティスティックスイミングの元日本代表で、現役引退後はシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活躍した杉山美紗さん。「監督が怒ってはいけない大会」にはHEROs※の一員として2023年6月の広島大会を皮切りに、同年8月の秋田大会、2024年6月の広島大会と立て続けに参加しています。「大会での経験が日々の活動とつながる瞬間がある」と語る杉山さんに、大会の印象やご自身の変化についてうかがいました。

※HEROs
日本財団が運営する「HEROs Sportsmanship for the future(HEROs)」プロジェクト。元日本代表などのアスリートが、災害復興支援・難病児支援・少年院更生支援など、全国のさまざまな社会課題の現場で、取り組みの輪を広げようと活動しています。


 ——まずは「監督が怒ってはいけない大会」に参加した理由を教えてください。

私は選手引退後、ラスベガスに拠点を移し、シルク・ドゥ・ソレイユ“O”のパフォーマーとして7年間活動していました。2022年に帰国し、アーティスティックスイミングの指導現場にうかがう機会も増えたのですが、そこで指導者さんたちの「〜しなさい!」といった強い口調を聞くことがあって。それに違和感を覚えていたんです。「これは、どうしたらいいのかな」「何かできないのかな?」と考えていたとき、この大会のことを知って、参加させていただきました。

 ——初参加は2023年6月の第1回広島大会。そのときの印象はいかがでしたか?

第1回広島大会は、HEROsから私を含め10人のアスリートが参加して、1チームにひとりアスリートがサポートに入って。私がついたチームは、結成してまもない新しいチームだったんです。 そのことは後から知ったのですが、チームとしてまだ形ができていない状態で、なかなか試合に勝てなくて、子どもたちも元気がなくなってしまって。

 ——負けたあとの気持ちの切り替えは大人でもむずかしいです。

試合結果ではなく、笑顔でこの大会を終わってもらいたくて、子どもたちには「何ができるかな?」「監督の目を見て、心を向けて話を聞こう」と声をかけたり。監督にも「言葉を変えていきませんか?」とお伝えしたりしました。

子どもたちも監督も一生懸命チャレンジしてくれたんですけど、結局、1勝もできなかったんです。閉会式で子どもたちみんな、シュンとなってしまって、その姿がすごくさびしそうで。

 ——監督が怒ってはいけない大会は、勝つことよりも笑顔を大切にしています。勝てなかったのはしかたがないとしても、さびしい閉会式だったのは残念です。

「私自身、もっと何かできたんじゃないか?」「もっと伝えられることがあったんじゃないか?」と、力不足だなっていうのをすごい感じて。だから、広島大会が終わってすぐ、次の大会に参加させてほしいとお願いしたんです。

だから、2回目の秋田大会は私にとってはリベンジだったんです。

 ——“リベンジ”の秋田大会で意識されたことはあったのですか?

子どもたちを観察して、その子にとってのチャレンジが何かを考え、一緒にやることを意識しました。勝つことはスポーツの中でもちろん大切だけど、自らの成長を愉しむという視点を持っていてほしい。そして、いちばんは「全身で、全力で、私自身が愉しもう!」って。チームの雰囲気が沈んでいても、浮かない顔で笑顔を見せてくれない子がいても、私は笑って声をかけ続けようって思っていました。
やっぱり、大人が楽しむ、本気でやるみたいなところっていちばん大事だから。大人の私たちから変わってかなきゃいけないよねって、すごく思います。

 ——たしかに杉山さん、全力で楽しんでいる姿が毎回、印象的です。ぜんぜん休憩しないし。

子どもたちのためにたいしたことはできないけれど、「そっか、みさみさがあそこまでやるんだから、もっとハジけていいんだ」って思ってもらえたらいい。枠を、殻を、自ら破りにいく。そして、失敗を恐れずにチャレンジする。それがひょっとしたら私の役目なのかなと思ったりもするんです。

……あ、いや、ただ、大会を楽しんでいるだけかもしれない(笑)。毎回、全力で楽しみすぎて、のどがガラガラになるんですけど、翌日、声がでないのがむしろ全力で皆さんと向き合った象徴のようでうれしくて。

 ——「監督が怒ってはいけない大会」に参加するようになって、ご自身の考え方や意識に変化はありましたか?

「怒ると叱るの違いって、なんなんだろう?」とか「子どもたちが本当にのびのびいられるためには、どうしたらいいんだろう?」とか、毎回、感じることや考えることはたくさんあります。

私は今、愛媛県にあるFC今治高校里山校で特別講師として関わらせてもらっているのですが、そのFC今治高校の辻正太校長がこんなことをおっしゃっていたんです。 「廊下ですれ違ったときに『こんにちは』とあいさつができないのは、あいさつをしないこと自体が問題ではない。生徒たちが『挨拶をしたいと思えない』ことが問題なんだ。原因は深いところにある」って。

そんなふうに深掘りして考えるというか、「本質はどこにあるのか」ということに今、すごく興味があって、それは監督が怒ってはいけない大会でも感じることがありますね。
たとえば、子どもたちがチャレンジできないのは「失敗すると怒られる」というチャレンジさせない環境が根本にあるからですよね。それ以外でも「そういえば、『監督が怒ってはいけない大会』ではこうだった」と、つながることがあってそれがすごい面白いです。

 ——「本質」だから、さまざまなこととつながっていくのかもしれませんね。

大会は人と人もつなぐんですよね。北川新二さん(監督が怒ってはいけない大会実行委員長)が「アスリートが『監督が怒ってはいけない大会』に参加したことが話題になること自体に意味がある」とおっしゃっていて、それがすごく印象に残っていたんです。
実際、「『監督が怒ってはいけない大会』に参加しました」とSNSにアップすると反響は大きくて、周囲からは「どうだった?」みたい反応をたくさんいただくんです。そこから、怒らない指導のしかたに対してお話をする機会があったりして、広がっていって。

そうした、変化や影響を私は肌で感じる側。こんなふうにして、ちょっとずつちょっとずつ歴史とか空気感とかは変わってくるんだなって思います。

 ——回数を重ねるたびに、大会の変化は感じますか?

1年たって広島大会に再び来たときに、何かちょっとフェーズが変わった感じがすごくありました。大会自体なのか、広島のバレー界なのかはわかりませんが、たしかに変わってきているなって。
以前は「怒っちゃいけないなら、何もできない」みたいな監督もいたなかで、第2回大会では「怒らないのはあたりまえだよね」「バッテンマークなんて出ないよね」みたいな。
指導者さんたちも真剣に愉しんでいて、大会が大人にとってもチャレンジの場になっているからですよね。

「監督が怒ってはいけない大会」がスタートして10年がたち、益子直美さんや北川さんたちが、ずっと深めて深めて深めてきて。深めていくことで、自然に横にも広がっていくんだなって。

これからどんどんどんどん変わっていくんだろし、こう、なんていうか水面下で変化の兆しがぐるぐるうごめいている感じがしますよね。とにかく、今後がすごい楽しみです、もうホント、「これからこの大会、いったいどうなっちゃうの〜⁉︎」みたいな(笑)。


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