介護カフェのつくりかた(back01)
介護カフェのつくりかた
ケアマネジャーとして介護現場で働くかたわら、対話によって新しい介護のカタチを考えていくコミュニティ「未来をつくるkaigoカフェ」を運営しています。
これまで8年間のカフェ活動では、一般的な「介護」のネガティブイメージを払拭するような、“あったらいい介護”の実践者とたくさんの出会いがありました。
介護業界内外から注目され、介護専門職も自らサービスを受けたいと思うような場(コミュニティ)づくりにチャレンジしている先駆者たち。最前線で始まっている「これからの介護」を紹介します。
Vol.1(2019.02.18)
働いて報酬を得るデイサービスで、
「お世話する」のではない介護のかたちをつくる
前田隆行さん(「DAYS BLG! NPO町田市つながりの開」理事長)を訪ねて
「介護」というと、自力で生活や外出をすることが困難になった人がお世話を受ける。そんなイメージをもっている人が多いでしょうか。
そのため、介護をする立場になったら〝大変〟。そして、なるべくなら介護を受ける立場にはなりたくない。そんなふうに思う人が少なくないのかもしれません。
しかし「人生100年時代」といわれるようになり、多くの人が人生のどこかで介護をする立場、受ける立場になるのが現実です。
ならば、「ただ大変で、自分は受けたくないような介護」ではなく、介護をする人も、受ける人も豊かな時間を過ごし、人生の醍醐味を分かち合うような、そんな介護があったらいいと思いませんか?
「そんなの無理でしょ!」
ネガティブイメージをもつ人はいぶかしく思うかもしれませんが、もうあります! 始まっています。そこで、連載初回にふさわしく、認知症の人たちの就労支援を中心とした介護の実践者、前田隆行さんの活動を通じて、ひとつの「これからの介護」のかたちをお伝えします。
なぜ前田さんの活動が「初回にふさわしい」のでしょうか?
それは、「社会の中で役割をもって働き、人の役に立ち、結果として報酬を得たい」「労働で汗して、くたびれて、ちょっとグチったりもして励まし合う仲間を得たい」「そうした活動から充実感を得て、生きたい!」という人たちの〝自然な欲求〟に向き合い、サポートするという、ありそうでなかなかない支援を「デイサービス」の事業としておこなっているからです。
「デイサービス」とは介護保険のサービスで、その多くは、介護を必要とする人が日中、機能訓練(リハビリ)やレクリエーション、食事、入浴などのサービスを受けて過ごす場所です。
もちろんそのような居場所が必要な人、心地よいと感じる人にはそれでよいのですが、中には、多少のサポートを必要としていても社会の中で働き、役に立ちたいと思う人、年齢にかかわらず、趣味やレクリエーションは生きがいにならない人もいるのです。
しかし、病気や障害をもつと同時に、本人の意思にかかわらず「社会活動が困難な人」「お世話を受ける人」として扱われてしまうことは多く、社会とのつながりが断たれてしまうことは往々にしてあります。
とくに認知症は「何もわからなくなる、できなくなる」などと誤解されていることも多く、原因となった病気や障害の状態について、身近な人にさえ正しく理解されにくいことが少なくありません。
しかし、前田さんは、病気や障害があっても、その人がしたいこと、意欲的にできることをともに考える支援者となり、地域や企業とのつながりを具体化していくことを目的とした「デイサービス・DAYS BLG!」をつくりました(2012年)。
ディーラーの車の洗車や、地域のコミュニティー情報誌のポスティング、公共の場の装飾等に用いられる小物のハンドメイドなど、DAYS BLG!が請け負った仕事に、デイサービス利用者(以下、メンバー)が就き、報酬を得ています。
東京町田市成瀬町の住宅街の一角にある、一見福祉施設とはわからないような普通の住居を改装してつくられたデイサービス、それがDAYS BLG!です。そこではメンバーの方が生き生きと働いています。
朝の10時になると、テーブルを囲んで1日の過ごし方を決めていきます。前田さんはホワイトボードに、洗車、情報誌のポスティング、デザートづくりなどの「仕事」を書き出し、メンバーのみなさんに選んでもらいます。
「就労によって地域社会とつながり、ともに働く仲間と絆ができます。報酬によって新たな夢が生まれ、その夢をかなえていく基盤にもなる。僕や職員も、メンバーみなさんとともにそうやって生きているのです」
前田さんは、仕事の遂行や、ここ(DAYS BLG!)での過ごし方について、あまり世話を焼かないし、その必要もないとも言います。
「大事にしていることは、あまり介入しないことです(笑)。だから僕らが一方的に管理するのでも、お世話するのでもなく、対等で互いにツッコミ合う、楽しい日々です(笑)。小さな事業所ですが、ここも、家庭とは違う顔を見せ合う、ひとつの社会ということです」
寿命が伸び、医療が進歩して、人生の半ばから障害とともに生きるなどという状況は誰にでも起こり得る。それは私たちも他人事ではありません。
「だから、そうなっても生きづらくないように、こうした仕組みは全国に広げたいと思って、着々準備しています」
取材時、DAYS BLG!は全国3事業所(東京都・町田、八王子、青森県・盛岡)があり、前田さんは「全国各地で開設を待っている人がいるから、広げなければいけない」と話しました。
前田さんが広げようとしている仕組みは、現行の介護保険制度の枠に収まりきらない感もありますが、本人の意思に添い、心・体(機能)のリハビリにもなって、本人主役の人生を取り戻す支えを提供する仕組みで、就労支援はその一部とのことです。
病気や障害による生活(仕事)への影響は一人ひとり違います。それは固定化されるものではなくて、その後の体験、環境によって変化していくでしょう。そのときどき、変わっていく状態に目を配り、意思に耳を傾け続けることが、本来、介護にもっとも望まれていることかもしれません。
病気や障害と共に生きるとき、もっともつらいことは孤独になってしまうことです。それを防ぐには、本人の思いを聞き、勝手な分別をせずに受け止める人が必要なのです。
取材時、前田さんと居合わせたメンバーの方の会話を耳にしたところ、「介護をする人、される人」という雰囲気は微塵もなく、信頼関係がうかがい知れました。
利用する人にとって居心地がいい場。本来は当たり前なことですが、事業所都合を優先するとむずかしいことを前田さんは守っています。
そんな前田さんがDAYS BLG!利用の条件として唯一、決めていること。それは「必ず利用希望者本人がDAYS BLG!を見学、体験参加して通所を決める」ということ。「家族やケアマネジャーだけが見て決めるのはNG」ということです。
まだ介護に無縁な方は「子どもの幼稚園じゃあるまいし、本人が選ぶのは当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、現実には、高齢の方や障害のある方の介護サービス利用において本人の意思が確かめられず、家族の意思=本人の意思として、すり替わってしまうことは間々あります。
ご本人も、周囲の人の支援を必要とすることを「やっかいをかける」と思い、「わがままを言ってはいけない」など、極端に謙虚に考えてしまう場合も。
しかし本来、介護は利用者本位が原則です。仮にも人の尊厳を守るべき福祉の分野で、人権侵害とも言える手前勝手(家族本位、事業所本位)はあってはならないことでしょう。「これからの介護」は、介護をする人も受ける人も、利用される方の尊厳が侵されることがないよう、意識的になる必要があるかもしれません。
利用される方自らが意思を表し、必要なサポートを求め、選ぶ。それが〝普通〟になると、みなにとって暮らしやすい社会になるでしょう。介護の専門職としては、意思決定や選択のサポートをしっかりしていきたいと改めて思いました。
Vol.2(2019.06.17)
我はむらびと。ひとりの青年として「むらづくり」に立ち上がる
糟谷明範さん(株式会社シンクハピネス代表取締役・理学療法士)を訪ねて
一概には言えませんが、医療や福祉の専門職になると“資格”のアイデンティティを大事にして生きていくのが一般的で、専門性に磨きをかけることに熱心で、大変な勉強家であっても、医療や福祉を利用する人の実生活や気持ちにうとい、というのは残念ながら往々にしてあることです。
健康指導や、生活指導をするような立場になると、年配の患者さんからも“先生”と呼ばれ、上から目線で教科書的にものを言うことに慣れてしまうと、もう病院や施設を離れても資格の鎧を脱いでコミュニケーションはとりにくい。すると市井に暮らすふつうの人の、生活上の困り事に寄り添うために磨いたはずの専門性が活かしきれないまま、専門家と市民の距離はますます遠のいてしまう場合も。
しかし、医療や福祉の専門職の中にはそういった隔絶に違和感をもち、変えようと行動を起こす人が出てきています。
そのような関係性は「おかしい」「間違っている」から変えようというより、自分自身がより健やかに、楽しく生きるために、資格や制度に縛られず、自らがイメージするケアのスタイルをつくっていこうとチャレンジを始めているのです。
今回は、そんな若手経営者のひとり、糟谷明範さんを訪ねました。
糟谷さんは理学療法士として病院などで勤務した後、独立し、2014年12月より生まれ育った東京都府中市を拠点に「むらづくり」をしています。
むらづくり!? そうです。糟谷さんは「訪問看護・リハビリステーション」と、「居宅介護支援事業所」の運営といった医療専門職らしい経営もしているのですが、一方で、地元・京王線多磨霊園駅近商店街に「FLAT STAND」、武蔵野台駅中に「武蔵野台商店」という2件のカフェ兼多目的スペースを経営して、さまざまな市民交流イベントを仕掛けるなども行っています。
どちらかが本業で、一方は副業としてやっているのではなく、全体が糟谷さん流の地域丸ごとケア=むらづくり、というお話をうかがいました。
糟谷さんは、地域には医療・福祉に限らずさまざまな課題があり、それは“むらびと”のひとりとして糟谷さん自身の課題でもあると話し、同時に、課題の解消に役立つかもしれない多様な資源や強みをもった人や集団も“むら”の中にあるので、そうしたことがつながる拠点としてカフェ兼多目的スペースを運営しているというのです。
「今よりもっと気持ちよく、すこやかに暮らせる。そのために選べる選択肢が地域にあるのに、知らないまま困っている人が多いというのは、町で、医療専門職として働いていて感じることです。
だからカフェは、誰でも、とくに目的がなく、暇つぶしでも利用できる場所。そんなところに何かが得意な人も集まって来ていて、『こんな選択肢があるよ』と発信しているのが大事です。
聞くともなしに聞いていた人の耳に残って、いざというとき思い出してもらえるかもしれない。
別の人は『自分の問題にはどんな選択肢があるだろう?』と問いをもつかもしれない。
『私はこんな選択肢を知っている!』という声が上がるかもしれない。
みんなが幸せを考えるきっかけになって、そういった先に、健康寿命が延びたり、社会保障費が減ったり、子どもの教育の問題が解決したりすると思っています。
地域にさまざまな課題があっても、“むらびと”のいろんな専門家が一緒に“むらづくり”すればなんとかなっていくのではないかと。
僕も御用のあるときはスパイダーマンみたいに一瞬、理学療法士になります(笑)」
医療や介護など公的制度には限界があり、それだけで暮らしの課題をすべて解決していくことはできないといわれます。しかし、地域にあるさまざまな資源とつながっていれば、制度からは漏れてしまうニーズを満たし、人生をより豊かにすることができるでしょう。WHO(世界保健機関)の健康の定義でも「社会的なつながりの有無」は、健康の重要な要素のひとつと考えられています。
そして、すでにそうしたことに気づき、多様な人たちが自然な形で混ざり合うコミュニティを求める人は増えていて、より多様な「場(集い場、居場所)」が必要とされています。
糟谷さんに経営上の利益やリスクについて問うと、「キャッシュポイントは訪問看護事業で、カフェ&スペースの現状は投資。地場の、民間企業らしくやれることを形にしていく作業を続けていることで、お金には換えられない信用を得ている時期」と話しました。
「そもそも人が好きで、人の役に立ちたいという気持ちから理学療法士になって、『選択肢を知らない人たち』に気づいてしまったら、地域にはほかにどんな課題があるんだろう、もっと知りたいという気持ちが強くなり、やりたいことが増えてしまった(笑)」
やりたいことをひとつずつ形にしていたら、地元行政や私鉄などとのコラボレーションも実現して、リスクを否定しないまでも「失敗しても死ぬわけではない。何かあったらあやまります」と、力んでいません。
「自分が60、70歳になったとき、自分たちがつくった場を使って楽しく生きられたらいいなと思っています」とも話した糟谷さん。
“地元に貢献したい”といった思いからの活動というのは、たとえば定年を迎えた方などが第二の人生として取り組むことはよく聞きますが、若い世代が積極的に地域課題に関わっていく姿勢をもち、行動しているのはより頼もしいと思いませんか?
医療や福祉の範囲にとどまらず、地域丸ごとケアを志向している姿は、これからケア関連の仕事や、起業をめざす若者の目標にもなると思います。
昨今、ケアに関わる専門職の間では「病院や施設だけが働く場所ではない」「地域で働き、貢献したい」といった新たな価値観が広がりつつあるのです。多職種・他業種と協働することも、志向されるようになってきました。自分ができることを身近な地域社会で発揮し、いきいき生きたい! というNPO的な思考をもった若者が増えていますので、その活躍にぜひ期待し、応援してください。
ケアの専門職が主宰しているとは限りませんが、読者のみなさんの身近な場所でも、コミュニティの力を醸成し、市民がゆるくつながる機会をつくる活動は始まっているのではないかと思います。
そうした活動に「楽しそう」「おいしそう」「リラックスできそう」などと感じたら、参加してみると、地域のさまざまな人と出会うきっかけにもなるのでは、と思います。
Vol.3(2019.08.29)
介護で進学支援スキーム
学生に「成長&奨学金返済」の機会を提供
奥平幹也さん(介護インターンシップ型自立支援プログラム ミライ塾代表)を訪ねて
介護業界が慢性的に人材不足といわれているのはご存知でしょうか? 超高齢社会となって10余年が過ぎ、ニーズが拡大する一方で、働く人の絶対的な不足と、介護の質の向上のための組織づくりや教育が間に合わない状態が長く続いています。
一般向けのメディアでは「必要な介護を受けられない日が来る」といった不安を煽るような見出しを目にすることがあり、確かに担い手不足の現実はありますが、こうした社会課題にユニークな視点で解を見出す活動を起こしている人もいます。
いわば新聞奨学生の介護版で、若者が介護の仕事をしながら大学や専門学校などへ通い、奨学金を返済するしくみをつくっているミライ塾。塾長の奥平幹也さんにお話をうかがってきました。
そもそも奥平さんは不動産のコンサルティング会社に長く在籍していて、その仕事で主要都市の多数の介護施設に関わったことがきっかけで介護現場について知り、人材不足や組織・教育の脆弱さといった課題を見出したといいます。
「生活者のひとりとして自分の家族のことも考えたら、介護は決して他人事ではなくて、介護の課題は“業界の”というより『社会課題』だと思え、それならば自分も何かできることはないか? と考えるようになりました。
そこでイメージしたのが、自分が過去にやっていた新聞奨学生を介護と組み合わせることです」
奥平さん自身が新聞奨学生の制度を利用して大学を卒業し、学業と労働、奨学金返済の苦労をよく理解していたことが強みで、ミライ塾は「経済的事情で進学できない人の支援」である以上に、「本気でやりたいことがある人を支える」「学生時代に就労を通じて社会勉強もし、高いスキルを身につけて社会に出る」「奨学金は就学中になるべく返済」といったポジティブなスキームを提供しています。
すでにミライ塾卒業生が4名、社会人となっていて、全員が就学期間中に介護の専門性を身につけましたが、就職はそれぞれがめざした別の業種に就いています。
「ミライ塾は介護業界の人材不足を補うことだけをめざしているのではありません。介護の経験と専門性で新たなものをつくりだす人を排出する、新たな人材育成のしくみです。
だから、卒業後に介護業界に残ってくれとはいいません。むしろそのまま残るより、介護経験を他業界で生かし、さらに“今はない何か”をつくり出す人になってほしい。きっとなってくれると信じて支援しています。新しい福祉サービスを生み出す経営者になって、介護業界に戻ってきてくれる可能性もありますね(笑)。
ある卒業生は“介護福祉士の資格をもったシステムエンジニア”で、超高齢社会の現実を経験的に知っている人材というわけです。
未知数の可能性を感じるでしょう⁈ こういった若い人材がたくさん社会に出ると、みんなが生きやすい超高齢社会は夢じゃなくなる。
介護の仕事をしながら学業を修めるのはラクではないけれど、新聞奨学生と比べたら生活リズムはつくりやすいし、奨学金返済も無理はないです。
東京都内の介護施設で就労すると、週2回(平日1日・土日のいずれか1日)の夜勤で月16万程度の収入になります。もしも夜の居酒屋のバイトで同じぐらいの収入を得ようとしたら、週5、6で深夜までアルバイトして、生活のリズムがぐちゃぐちゃになってしまう。私自身の経験から働きながら学ぶことにもっと意味をもたせ、両立できるスキームをつくろうと思いました」
現在、塾生は24人。受け入れ先となる法人は10数法人とのこと。奥平さんは「現在は、大学生が7割、専門学校生が3割程度です。専門学校はメディアやアニメーションなど人気の高い分野が目立ちます。将来、希望の仕事につけるとは限りませんが、やりたいことの勉強ができ、そのために頑張れるのは幸せなことです。ただし、もしも夢破れても他の職業で通用できる人材に育てなくてはならないので、社会人として大切なことを伝えています」と話します。
「介護ほど社会人基礎力が鍛えられる仕事はありません。コミュニケーション能力が磨け、チームで働く経験、課題に対して計画・実行・成果を出す経験ができます。一般的には、学業や普通のアルバイトでは気づけないことに気づかせてもらえるでしょう。
たとえば、排泄ケア。最初はいやだなと思うのも当然です。ただ、ケアを受けている人はケアされていることをどう思っているのか? 人の世話になることを不甲斐なく思っているかもしれない。介護者を選べない利用者のほうがよっぽどストレスが強い。そんなふうに相手の気持ちを想像するようになると、あらゆるコミュニケーションが一方通行に終わらなくなる。こうした、いわばビジネスマインド修養に意識的に取り組めば、学生時代に人間力が高まり、その経験は社会で生きるはず。塾生にはそういった話を繰り返し伝えます」
奥平さんは覚悟とチャレンジ意欲がある学生を見出し、社会人基礎力を高める教育が可能な介護施設を見出し、双方をマッチングさせ、就業中もフォローを続けます。課題を発見した場合、塾生のフォローだけでなくときには施設にも組織運営上の課題などに気づいてもらえるようなはたらきかけも行うとのこと。
労働者斡旋をしているのではないと自負する奥平さんは事業性を最優先にはせず、理念を説いて学校や施設の開拓をし、塾生のサポートをしているのです。斡旋に終わらない奥平さんの姿から、塾生たちが学ぶことも多いのではないかと思います。
「たとえば介護現場は新入社員(塾生)にやり方(作業)を教えがちです。OJTの現場では『何時から何時までにこの仕事を終わらせて』といった教え方が多いでしょう。しかし本来はなぜそれをするのか、マインドを教える必要があるんです。
塾生自身に『なぜ?』と向き合わせていくことが大切です。『今、何を感じている?』と尋ねるだけでいい。それだけで意識ができるようになるでしょう。
そう頻繁に塾生に会うわけではないですが、何の疑問ももたない人にはなってほしくはないので、問いかけ続けています。
いつでも『なぜ?』を追及できる人になれば、どこでも働ける人になります。ただ作業をして終わってしまう人は仕事で悦びを得にくいのではないでしょうか」
ミライ塾の課題は知名度の向上による塾生数の拡大とのこと。当面の目標として安定的に年間30名以上の新塾生を迎え、2年目の塾生が1年目の塾生をサポートする体制をつくりたいとも考えているそうです。そしてどこか地方で、地方モデルの立ち上げも検討しているといいます。
就労条件の地域格差といった課題はあると思いますが、地方の学生、大学(専門学校)、介護施設ともに有益なしくみですから、広がりを願います。
また、奥平さんの塾生サポートの様子を聞いて、同様の動機づけやフォローは人材育成に欠かせないと思いました。介護に限らず、志をもって就職してきた若者の離職を防ぐには、その人自身が仕事の奥深さに分け入っていき、悦びを見出す助けが必要なのかもしれません。
Vol.4(2019.11.21)
福祉はだれのもの?
いくつもの顔で未来へ種をまく人
増田靖さん(「NPO法人ASUの会」理事、「まちかどステーション八百萬屋」管理者、「株式会社ふくのこ」代表、「SOCIAL GOOD CAFE」オーナー)を訪ねて
介護や就労支援など、何らかのケアを必要とするご家族がいる等すれば別ですが、そうでない方は福祉サービスや福祉行政とは、直接、縁のない生活をしているかもしれません。すると、社会福祉というのは何か特別な状態にある人のためのものとイメージされているでしょうか。
実際のところ、さまざまな制度やサービスを利用するにあたっては、適応要件があるので、確かに社会福祉の一面はいま何らかの援助を必要としている人のために設計されています。
しかし、人の暮らしの中には適応要件や縦割り、種分けなどからはみ出している困り事や、放置すればさまざまな問題につながることもある“もやもや”や“生きづらさ”があります。
社会福祉に関する仕事に携わっていても、特定の施設の中で働いているとそのことには気づきにくいのですが、地域に出て対人支援の仕事をしていると「はみ出し課題&矛盾」に気づかされます。そして福祉らしからぬ福祉というか、多様な人々が集い、社会課題を語り合い、変化を生み出していくプラットホームづくりが必要だと思います。
今回は、そんな「はみ出し課題&矛盾」を見なかったことにはせず、働き盛りの40代に20年つとめた社会福祉法人を辞めて起業し、自分なりのアクションに踏み切った増田靖さんを紹介します。
増田さんは以前、大阪府堺市では有数の大規模な社会福祉法人に勤め、障害者福祉の専門職として第一線で働いていました。市が障害者雇用を条件とする市役所内食堂を公募した2014年には、企画(森のキッチン)が採択され、その運営に携わり、「前例のないフラットな場づくり」を成功させたことで、福祉関係者等から注目を集めました。
事業は全国からだけでなく、海外からも視察を受ける先駆事例として知られ、増田さんは仕事と仲間に恵まれて充実した日々を過ごしていましたが、3年が過ぎた頃、「次に何をする」と具体的には決めずに退社します。
「辞めた理由はうまく言葉にできません。辞めたいと思っていたわけでもなかった。
ただ年々、本当の課題は地域の中にあると思うようになり、福祉・教育・農業・町づくりなどを縦割りで考える矛盾に気づいていた。たとえば、障害の有無にかかわらず、もうすこし柔軟な就労支援があれば働ける人は増えるでしょう。
さらに自分も父親になり、社会全体を覆う閉塞感に目をそむけられなくなっていました。
『森のキッチン』のように誰もが思い思いに過ごし、他者とも自然につながれる場所がもっと地域にあるといいと思ったし、福祉の枠にとらわれず、自分や、自分の家族にも必要な場をデザインしていきたいという気持ちがありました」(増田さん)
会社を辞め、半年間は大阪府の非常勤職員として働き、堺市内の福祉事業所のアドバイザーなどをしました。その後、高齢者のいきがいづくりの活動として農業の取り組みをしていたNPO法人ASUの会を受け継ぎ、障害者の就労の場として米づくり「ヤオヨロズヤ」をはじめ、高齢者がスタッフとして関わる仕組みに刷新しました。
2019年8月に設立した株式会社「ふくのこ」は、企業の社会貢献に関するコンサルティング、プロデュースを行う一方、すべての人が働くことを提案・実現するハブになる活動をしています。
また9月にはタクシー会社の車庫をリノベーションして「SOCIAL GOOD CAFE」をオープン。森のキッチンの立ち上げで知り合い、仲間になったクリエイターとともに自由度の高い福祉プラットホームとして育てていこうとしています。
「2年ほどかけてチームでDIYで場づくりし、はじめは自分たちの遊び場にしようと思ったが、みんなが使いたいといってくれたのでカフェにしました。現在は子育て中のスタッフなどが週3日営業していて、自分がやりたいという人が出てくれば、営業日が増えるかも(笑)。
廃材を集めてつくったので、椅子もばらばら。チェーン店のカフェでこんな並べ方をしたらおかしい、でもここではこれが普通。だれにも見向きもされないようなものが生かされています。
一見、生産性のないようなものが集まっている、これこそ僕が求める社会なのかもしれません」(増田さん)
世間的には「生産性向上!」の潮流のある現代。それが息苦しい人、息苦しいとき、独特のオシャレ感とごちゃまぜ感が何ともいえない安心感を感じさせる空間ですから、さまざまな人がさっそく集まり始めているようです。
将来的には障害のある人もない人もフラットに働き、集える場にしていくとのことでした。
こうした活動をする増田さんの心根には「福子思想」があります。古事記の「蛭子神話」は全国各地にさまざまな伝承がありますが、堺市にも「障害のある子どもが流され、大阪湾にたどりつき、石津川の漁師が拾い上げ、村人と大切に育てたところ地域が栄えた」という昔話があるそうです。
「勤めていた社会福祉法人の以前の理事長から『福子思想』を教わりました。
いま風にいうと、バリアフリーの社会はみんなにやさしいし、支援が必要な人の暮らしを支える仕組みをつくると自分たちのためにもなる、ということでしょう!? 僕はいま3つ以上の名刺をもって仕事をしていますが、やっていることはこの思想の実践で、共通性があるのです。
この世界観を自由に表現するために独立しました。起業によって協力者とダイレクトにつながり、共感し合う仲間になれるというのが醍醐味でしょうか。
自分の役割を考え、自分の幸せを考えて活動していて、3つのチームにはそれぞれの専門性をもった仲間がいて、彼らも自分の役割や幸せについて考えて活動していると思っています。運営は安定していないし、現状は苦しいが、家族の理解と支えで前に進めています」(増田さん)
経験と知識を活かして、収入が下がったとしても、生まれ育った堺市を「福子思想」でよくしていく。志のある事業が軌道に乗り、他の地域にもそれぞれの地域に根ざし、フィットした活動が広がることを願っています。
Vol.5(2020.1.7)
これからの“緩和ケア”
元気なうちに知っておきたい町場のケア
西智弘さん(一般社団法人プラスケア代表、緩和ケア医)を訪ねて
国立がん研究センターがまとめた推計「生涯でがんにかかる確率」から日本人の2人に1人が生涯のどこかでがんになるとされ、国の人口動態統計から日本人の3人に1人ががんで亡くなるとされています。
そして、がんにならなかったとしても、誰もが何らかの病気やけが、中途障害などで、医療や支援(介護)が必要になるのを避け難いでしょう。
ただ元気なときにはそういったことをあまり考えません。毎日を生きるのに精一杯ですし、未来は誰にもわからないので、考えすぎるのもあまり意味はないですね。
とはいえ、いざというときにも自分らしく、いのちを生き切るために、頭の隅に入れておくといいことがあります。今回は緩和ケア医の西智弘さんの活動を紹介しながら、いざというときの支えについて知っておくとよいことをまとめます。
緩和ケアというと病気が進んだがん患者のための医療的ケアだとイメージする人もいるかもしれませんが、それは緩和ケアの一部にすぎません。広い意味で緩和ケアの対象となるのはがん患者に限りませんし、ケアの内容は激しい痛みのコントロールやスピリチュアルケアなどに限らないのです。
たとえば「がんとともに生きる時代」などとも言われる通り、がんの診断がついた後も続く人生上の意思決定にも支えが必要です。病気によって複雑になる生活やお金の悩み、治療法を選ぶうえでの迷い、治療しながら働く苦労など、病院や行政の相談窓口、家族・友人などには話しにくいことも「話せる場面」があることが大変重要な緩和ケアの一面になります。
場合によっては問題を解決するために適切な制度やマンパワーとつなげるなどの支援が必要になりますが、ときとして“スナックのママ”みたいに是も非もなく話を聞き、自分と向き合って答えを出そうとしている患者のそばにいるような、支援らしからぬ支援が人を支えます。
このようなケアは大いにソーシャルワーク(対人支援職)と重なります。
そしてケア(医療・介護)の専門職でなければできないということでもありません。アメリカ・アラバマ州には「レイナビゲーター」という仕組みがあり、ケアに関する知識を得た一般の人が闘病中の人に伴走するような支援をしています。日本も超高齢社会となって久しく、支援を必要とする人が増大することを考えれば、同じような仕組みをつくる必要性に迫られているでしょう。
それはさておき、そのような広い意味での緩和ケアの場づくりをめざし、白衣を脱いで町に出て、ことさら緩和ケアの看板を掲げずに活動している緩和ケア医が西智弘さんです。西さんは神奈川県川崎市の市立病院で腫瘍内科・緩和ケア内科医として勤務しながら、一般社団法人プラスケアを設立。2017年から「暮らしの保健室」事業など町場でのケアを実践しています。
「暮らしの保健室」は健康や病気に関する話もできるカフェで、詳細はウェブサイト(https://www.kosugipluscare.com)
に委ねますが、ローコストで持続可能な運営を実現するため、常設店ではなく、民間から業務委託を受け、川崎市近郊で転々と開催する出張型で運営しています。
西さんは「町の中に緩和ケアがあればいい」と言い、
「生きづらさや苦しみを『暮らしの保健室』のような場で話せるようなら話してくれればいいし、話さなくてもいい。
僕らの活動も昨日よりは今日うまくいけばいいと思い、日々試行錯誤しながらそのプロセスがよりよくなればいいと思っている。プロセスに視点を置いている」と話します。
一方で西さんは患者自身が主体者である医療(医療の民主化)を志向し、それを医師として支えようとしていて、併行して医療者の働き方に変化を起こそうともしているのです。
既に潮目は変わっていて、医療に関する意思決定を自分でしたい(医者任せにしない)人が増える傾向にあります。2018年に亡くなった俳優・樹木希林さんの言葉「死ぬときぐらい好きにさせてよ」や晩年の生き方が、多くの人の共感を得たのを覚えている方も多いでしょう。そのような人にとっては西さんのような考えの医療の専門家が頼りになるアドバイザーになります。
そして、それは医療者にとっては病院の外での新しい働き方になります。需要と供給が成立し、地域の中の新しいビジネスモデルとなっていくだけでなく、今後、先述の「レイナビゲーター」の育成といった広がりも期待されます。
西さんは自ら“過程にある”としてほかにも「社会的処方研究所」などユニークな活動も行っています。社会的処方とは体力や気力、意欲が低下している人に、薬ではなく地域とのつながりを処方するという、イギリスですでに行われている取り組みです。西さんは暮らしの保健室がよろず相談の一環で介護予防になるような「高齢者と地域のマッチング」といった社会的処方に取り組むことを考えているのです。
いざというときには問題解決型の支援とは別に、伴走型支援が必要になることがある。そのような支えを求めることが、自分自身としっかり対話し、自分らしく生き切るのに役立つことを覚えておいてください。
そして可能であれば元気なときにこそ、自分の身近にある社会資源を探しておくといいかもしれません。「暮らしの保健室」のような場は全国で増えてきています。身近な場を探してみませんか? 闘病経験、介護経験がある方は、そのような場で支援者のひとりとして活動することも、自分自身の未来への備えになると思います。
高瀬比左子(たかせ・ひさこ)
NPO法人未来をつくるkaigoカフェ代表。
介護福祉士・社会福祉士・介護支援専門員。大学卒業後、訪問介護事業所や施設での現場経験ののち、ケアマネージャーとして勤務。自らの対話力不足や介護現場での対話の必要性を感じ、平成24年より介護職やケアに関わるもの同士が立場や役職に関係なくフラットに対話できる場として「未来をつくるkaigoカフェ」をスタート。介護関係者のみならず多職種を交えた活動には、これまで8000人以上が参加。通常のカフェ開催の他、小中高への出張カフェ、一般企業や専門学校などでのキャリアアップ勉強会や講演、カフェ型の対話の場づくりができる人材を育成するカフェファシリテーター講座の開催を通じて地域でのカフェ設立支援もおこなう。