一度、死んでみませんか

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ

 浄土真宗僧侶の浦上哲也氏が講師をつとめる「死の体験旅行® 」は、自分が病にかかり、病気が進行し、やがて命を終えていく物語を疑似体験するワークショップである。
 浦上氏はいう。「死を目前にした人が直面する苦しみ、悲しみ、喪失感などを通して自分にとっての『生と死』を考え、本当に大切なものは何かを再確認していきます。自分と深く向き合うことができるのが、このプログラムなのです」。

「死の体験旅行」は、もともと欧米で考案されたと言われ、ホスピスなど死に関わる仕事をしている人たちに、死にゆく人の気持ちを少しでも理解してもらうのが、もともとの目的だった。
 具体的には、物語の進行とともに自分が大切だと思うものをひとつずつ手放していく。最後には参加者全員で顔を合わせ、自分の大切なものについて語り、思いをシェアしていく 。
「使うものは想像力とペンだけです。まずは今から配る20枚のカードに、みなさんの大切な人やもの、行為などをひとつずつ書いていってください」
  参加者はカードに大切な「物」「人」「風景」「記憶」「場所」などを書いて並べる。しばらくすると照明が暗くなり、浦上氏の声が聞こえ始める。参加者の「私」は病にかかり、心身がだんだん弱っていく。その中で「大切」なものをあきらめ、書かれたカードを一枚ずつ手放していく。
 病状が進むにつれ大切なものが少なくなってゆき、最期を迎える。「あなたは今、命を終えました。これであなたの死の体験旅行は終わりです」。
 何を手放し、何を残し、何も残せなくなり、最後には何もなくなった―。

 死には一人称の死、二人称の死、三人称の死があるといわれる。そのような「死」を通して、生きることを考えてみる。


  第十九回(2020.05.01)

『メメント・モリ 死を想う』(後編)

 前編に書いた通り、一時は生存率に話が及ぶほどがんが進行していたOさん。しかし幸い病状は回復し再発もありませんが、しかし闘病中に感じた「澄みわたった気持ち」とはいったい何だったのでしょうか。それは、いのちの期限を眼前に突きつけられたことによって、よけいなことが頭から取り除かれ、純粋に「生きる」ことに目が向いた結果に生じた副産物だったのではないでしょうか。

 私はOさんの話を聞きながら、ある詩を思い出していました。北海道のお寺の奥さんで、幼稚園の園長もしていた鈴木章子(あやこ)さんの『ヘドロ』という詩です。鈴木さんはお寺と幼稚園の仕事で忙しかったさ中の43歳でがんになり、闘病をしながらさまざまな詩を書き、そして47歳で亡くなられました。

    『ヘドロ』
    体力が回復するにつれ
    こころに
    ヘドロがまとわりついてきた
    癌告知のあとの
    あの数日間の
    洗い流したような
    われながら
    サッパリとした
    清涼なこころが
    汚れてゆくのがわかる
    (『癌告知のあとで なんでもないことが、こんなにうれしい』鈴木章子 探究社)

この詩をOさんに紹介すると、こんな感想が返ってきました。

     ヘドロがまとわりつく。生々しい表現ですが本当にそんな気がします。
     闘病中は命と向き合いながら生きていたので、今日も一日過ごせたというだけで純粋に全てに感謝する毎日でした。それが健康になるのと反比例するように忘却のかなたへ遠のいていく、あんな貴重な体験を生かせないと思うと反省しきりです。


 現代の日本は医学も科学も進歩し、日常ではあまり「死」を身近に感じることはありません。しかし期せずして今、死の気配がその濃さを徐々に増しています。
 この記事を書いているのは2020年4月中旬、新型コロナウイルス騒動のさ中です。日に日に感染者は増え、亡くなる方もおられます。私たちにも、少しずつ死の恐怖や不安がにじり寄ってきているように感じ、著名人が感染したり亡くなったりするニュースを見ると死について想わずにはいられません。

「メメント・モリ」という言葉があります。
 もともとはラテン語で、「自分がいつか必ず死すべき身であることを忘れるな」という意味の言葉で、古代ローマの将軍が戦に勝って凱旋をした時、使用人に耳元で囁かせたという逸話があります。戦勝によって気分が高揚している時こそ、冷静になって我が身を省みるための警句だったのでしょう。日本にも「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがありますが、通ずるものがあります。

 元の意味から派生して、死について考える、死について想う、といった使われ方もします。私たちは生まれた瞬間から、片足どころか両足を棺桶に突っ込んでいますが、それを見ないよう、気づかないようにしながら暮らしています。しかし「メメント・モリ」のような死にまつわる格言・箴言は数多くあり、それだけ死を見つめるのは大切なことなのだと古今東西で考えられていたのでしょう。

 いま、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい、私たちは不安におののき、死の恐怖を感じています。一刻も早く治療薬やワクチンが開発され、安心して元の生活に戻っていきたいと心の底から願っています。

 しかしそれと同時に、いま私たちが味わっている不安・恐怖・焦り・苛立ち・悲しみ・絶望などを無かったことにしてはいけないとも感じています。Oさんがそう受け止めている通り、私たちは一見マイナスに思えるような事柄からも何かをを学び、そして成長することができるからです。

そのためにも今、予防に努め体調に気を配って生きていきましょう。
将来、この騒動の記憶も薄らいだころ、次の世代の若い人々に対して、私たちが学び得たものをともに伝えるために。

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 浦上哲也(うらかみ・てつや)
1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。
慈陽院なごみ庵 https://753an.net