一度、死んでみませんか(back01)

一度、死んでみませんか

一人称、二人称、三人称の死をおもう
死の体験旅行へようこそ


  第一回(2018.10.31)

死の体験旅行へようこそ

「死」について話したり考えたりすることは、ちょっと前まで「縁起でもない」と避けられていました。
 たとえば両親に「亡くなった後のことを考えよう」などと持ち出せば、「お前は親が死ぬのを待っているのか!」と怒られましたし、重い病気になった人が「自分に万が一のことがあった場合は…」と話しはじめると、「そんなことを考えたらダメだ」と思考そのものをストップさせられました。

 1996年に発表されたTHE YELLOW MONKEYの名曲『JAM』に、それを象徴するような歌詞があります。
 外国で飛行機の墜落事故があったことを報じる日本のニュースキャスターは、嬉しそうな顔で「乗客に日本人はいなかった」と伝えている、という言葉です。
 歌詞の一部分を抜き出して、良いとか悪いとか言いたいわけではありません。ただこの頃はまだ、多くの乗客が亡くなったであろう「死」の面からは視線をそらせ、犠牲者に日本人はいなかったという「生」の面を強調した報道があった、ということではないかと思います。

 けれど最近になって「終活」や「エンディングノート」や「デスカフェ」など、「死」にまつわることを口にするタブー感が薄れてきたように感じます。最近と書きましたが、もっと具体的には2011年3月11日。そう、東日本大震災が大きな転機だったように感じています。
 あの大災害は、私たち日本人の意識を変えました。いえ、むしろそれまで日本人が何度も何度も経験して体得した、「いつ天変地異が起こって、人は亡くなり町は消えるかわからないぞ」という無常観を思い出させてくれた、と言った方が正しいかもしれません。
 文明や医学が発達して、我々は自然を征服した、死すらコントロールできるのではないか。そう思い上がっていた私たちに、自然の猛威の前には人間の力など微小なものであり、「死」も突然に私たちの眼前に現れるのだ、と思い出させてくれたのです。
 あの時から私たちは、「死」を考え語ることが必要だと思うようになったのではないでしょうか。

 フランスの哲学者、V.ジャンケレヴィッチに『死』という著書があり、一人称の死、二人称の死、三人称の死、ということが書かれています。文法の授業みたいですが、それぞれ「自分の死」、「近親者の死」、「他者の死」となります。
 ジャンケレヴィッチは、それぞれの違いをこう記しています。
「第三人称の無名性と第一人称の悲劇の主体性との間に、第二人称という、中間的でいわば特権的な場合がある。遠くて関心をそそらぬ他者の死と、そのままわれわれの存在である自分自身の死との間に、近親の死という親近さが存在する」

 三人称の死はあまりに自分とかけ離れていて、私たちに何か大切なことを気づかせてくれるにはやや力不足です。
 かと言って一人称の死、つまり私の死は大ごと過ぎて、そこから何かを学ぶのは難しいことです。
 だから本来、自分にとって大切な近親者の死こそが、自分に何か大切なことを気づかせてくれる機縁たりうるのだと思います。

 とはいえ、今まで目をそらしてきた「死」について考えるのは容易ではありません。だからこそ前述のように「終活」や「エンディングノート」や「デスカフェ」などが人々の注目を集め、また私が主催するワークショップ「死の体験旅行」に多くの人が集まっているように感じます。
「死の体験旅行」は、もともと欧米のホスピスで開発されたといわれています。本来の目的は、ホスピスのスタッフが、患者が体験する喪失感・苦しみ・悲しみを疑似体験し、よりよい看護・介護に生かし、患者のQOL(quality of life=生活の質)を高めるというものです。
 20枚の紙に、自分の大切な物であったり夢であったり、思い出であったり人であったり、様々なかけがえのないモノを書きだしていきます。こうして書きだすだけでも、自分の人生を振り返り俯瞰するような非日常的な感覚になります。

 しかしこれは準備段階。本編では、私が「ある人物」のストーリーを語り、参加者はそれを「わがこと」として耳を傾けます。「ある人物」は体調の変化をおぼえ、病状が悪化し、やがて死に向かって進んでいきます。
 その過程で「あなた」は、最初に書いた大切なモノたちを手放し、捨てていきます。どれも大切なモノですが、私たちは死出の旅に何も持っていくことはできません。ある時は力およばず、ある時はあきらめ、ある時は解放してあげるような気持ちで手放していきます。
 多くの場合、ワークショップが終わった静寂のなかに低い嗚咽が響きます。でもそれは悲しいだけの涙ではなく、自分がいかに大切なものに囲まれていたのかに気づいた喜びの涙、感謝の涙でもあります。
 多くのかたが受けていますので、受講の動機も感想もさまざまです。これから、「死の体験旅行」を受けたかたの思いや気づきをご紹介し、また私が僧侶として学び経験してきたことを綴っていければと思っています。

「縁起が悪い」などと言わず、しばらくお付き合いいただければ幸いです。


  第二回(2018.11.27)

「恐怖」

「死の体験旅行」では、ワークショップ終了後にシェアの時間を設けています。そこで参加者の言葉に耳を傾け、その奥にある気持ちに思いを馳せるのは、私にとって大切なライフワークになっています。
 ただ、ワークショップの時間の中では、おひとりおひとりの気持ちをくわしく掘り下げていくことはできません。ですので、Facebookや掲示板を利用して、時間内に話せなかったお気持ちをうかがっています。
 今回は掲示板に書かれたなかで、ある意味もっとも私が嬉しく感じた感想を紹介させていただきます。

「WS当時、私はもう死んでも良いと真剣に思っていました。死に関して本を読んだり、死後について考えたりの日々でした。それもあってのWS参加でした。
(中略)驚いたのは、あんなに死んでもいい、人生終わりでいいと思っていた自分が、ストーリーが進むにつれて死ぬことを恐れているのです。
 受講後、冷静に自分の人生を振り返るようになりました。最近は死が訪れるまで真剣に生きようと思えるようになっています。死に対する恐怖はずっとあり続けるでしょう。でも、それを認めて暮らそうと思っています。」

 私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」という、宗派を超えた僧侶の集まりで活動をしています。文字通り自死問題に対応する会なので、「死にたい」という声にはとても敏感になってしまいます。
 この参加者さん(掲示板には「mk」と書かれていました)は、くわしい理由はわかりませんが、もともと希死念慮を持っていらしたようです。死について思いを巡らす日々のなか、「死の体験旅行」を知り参加しようと思ってくださったのは必然だったように思います。
 mkさんはワークショップを進めるなかで、あれほど思い焦がれていた「死」に恐怖感を感じました。そして「死が訪れるまで真剣に生きよう」と思うほどに気持ちが変化をしたというのです。

 ごく最近になるまで、死はもっと身近にあるものでした。1976年(昭和51年)までは病院や施設よりも自宅で亡くなる方が多かったので、看取りは日常的なことだったでしょう。さらに明治以前にさかのぼれば、道端に行き倒れの遺体が転がっていることも珍しくなかったと思います。
 また東日本大震災でも、震災直後は被災地の自殺率が大幅に下がったというデータがあります(とはいっても時間の経過とともに、震災によって発生した大きな苦悩によって自死される方は増える傾向にあるのですが)。
 つまり、死が身近に感じられる状況では「死」は恐ろしいものとして捉えられ、自死したいと思う方、実行してしまう方が減るものと思われます。
 それが現代に近づくにつれ、福祉や医療が発達し、「死」は私たちの視界から見えにくくなりました。それ自体は悪いことではありませんが、死をリアルに感じることが難しくなった結果、かえって死にたいと思う方が増えたというのは皮肉なことです。

 お釈迦さまは2500年前、シャカ族の王子としてお生まれになりました。非常に繊細な性格を心配した父王から、過剰なまでに大切に育てられ、宮殿の中で病人や老人や死者などを見ることなく成長したと伝わっています。
 しかしある時、続けざまに病人・老人・死者を目の当たりにします。そして「やがて自分も病み、年老い、死んでいく存在なんだ」と我がこととして受け止め、どう生きていくべきかを追い求め出家をされました。
「死」から目をそらしていれば死なないというのなら、別に考える必要はありません。しかし考えようと考えまいと、かならず死は私たちのもとを訪れます。であれば、死について時には真剣に向きあい考えることは、自分の人生を誠実に生きることに繋がるのではないでしょうか。
 そう、mkさんが「死の体験旅行」を受けて死の恐怖を感じ、そして「真剣に生きよう」と感じてくださったように。


  第三回(2018.12.20)

「私の中のエゴに……」

「死の体験旅行」を始めて間もない頃、印象的な感想を口にした若い女性がいました。その頃は30代ぐらいの受講者が多かったのですが、その方は20歳前後に見え、学生さんかな、それとも社会人なりたてかな、という初々しい雰囲気でした。平日夜の開催なので仕事帰りの方が多いのですが、彼女は服装やメイクの感じも少し華やかだったので、より印象に残ったのかもしれません。

「死の体験旅行」の本編を終え、最後の全体シェアでひとりひとりの感想に耳を傾けていました。彼女は「最後の1枚は、ママです」と言いました。
 最後の1枚が「母親」というのは、とくに珍しくはありません。というより、おそらく最も多いのが「母親」ではないかと思います。父親も母親も大事な親であることに違いはないのでしょうが、自分を産み育んでくれた存在ということで、ギリギリの選択では「母」となるのでしょう。また、ストーリーの中で自分が体調を崩している場面を想像した時、幼い頃に母に看病された記憶が脳裏に浮かぶのかもしれません。
 受講者の年代が若く、親が元気でいらっしゃる方が多いということもあるのだと思います。これが年配者向けの開催で、親が亡くなっている年代の方が受講すれば、また結果は違ってきます。

「最後の1枚は、ママです」と言った彼女は、さらに言葉を続けました。
「私はママととても仲が良くて、友だちみたいな親子なんです。ママのことが誰よりも一番大事だと思っていました。けど最後の1枚のカードを見て、私はその大事な人に、自分の子どもが死ぬ姿を見せてしまっているという状景が目に浮かんだんです。ママが一番大事だと言いながら、それよりも自分の方が大事だっていうエゴがあることに気がつきました」
 私はその言葉を聞いて驚きました。思わず尼僧にスカウトしようかと思ったほどです。
「私はママが大好きで、やっぱり一番大事でした」という言葉だけだったら、記憶に強くは残らなかったでしょう。しかし、そこから一歩も二歩も踏み込んだ自己認識の言葉にギャップを感じ、驚かされたのです。

「エゴ」は「エゴイズム」の略で「自我」と訳されます。自我は誰にでも備わっているものですから、本来は良い・悪いというニュアンスを含まない言葉ですが、一般に言う「エゴ」は「自己中心的・利己的」という意味で使われます。彼女が口にした「エゴ」も、その意味で使われました。
 一方、仏教では「自我を捨てて無我の境地に至れ」と説きます。現代風に言い換えると、「自分が持っている自己中心性に気づき、あらゆる苦悩の原因が自我に執着することであると知り、それを手放す努力をしなさい」という意味になります。
 もちろんそう簡単に達成できることではありませんし、難しいことだからこそ仏教には多くの宗派があって、それぞれに自我を手放すためのメソッド(修行)があります。
 一般の方は無我の境地に至ることまで考えないでしょうが、それでも時として無我に近づいて心をラクにしたい、抱え込んでいるものを一度肩から下ろして一息つきたい。そう思って坐禅会や写経会に足を運ぶのではないでしょうか。

 彼女は無我になったわけではなく、その手前の自我に気づいただけです。でも、「気づく」ことは「変わる」ことの入り口です。その後の彼女の生き方は、おのずと変化していったのではないかと思います。
 また、このワークショップを始めて間もなかった私は、一見仏教的な要素が色濃くない内容ではあっても、そこから得られる気づきは仏教的なものに成り得るのだと気づきました。それまではある意味、状況に流されるように開催していたものが、「死の体験旅行」も仏教で説いている大切なことを伝える手段になるんだ、そう気づかされたのです。
 彼女の言葉はきっと彼女自身を変え、また私をも変えてくれたのです。


  第四回(2018.12.28)

「仏教と正月と生と死と」

 いつも拙い文をお読みいただき、ありがとうございます。
 今回は「死の体験旅行」受講者の声ではなく、「仏教と正月と生と死と」と題してお送りします。

「おめでたい」正月と、葬儀やお墓の印象が強い仏教と、真反対のイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。ですが、お盆やお彼岸と並び、お正月に墓参をされる方は少なくありませんし、初詣ではお寺に行くという方も大勢いらっしゃると思います。また、お寺でお正月ならではの行事に参加したという方も多いでしょう。

 お正月といえば、一休さんに多くのエピソードがあります。往年のアニメの影響で、一休さんと聞けばかわいらしい小僧さんを思い浮かべるかもしれませんが、伝わっている肖像画は味わいのある風貌で、歌手の槙原敬之さんにどことなく似ています。名を一休宗純といい、奇行で知られた室町時代の臨済宗僧侶です。
 ある時、知り合いの商人に、「正月に床の間に飾る書をしたためてほしい」と頼まれた一休禅師。それを引き受け、書いたのは「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という文字。それを見た商人は「めでたい書を頼んだのに!」と腹を立てますが、「世の中には逆縁と言って、親より先に子や孫がいのちを落とすこともある。この書のように親が死に、やがて子が死に、またやがて孫が死ぬ。こんなめでたいことが他にあろうか」と一休禅師に諭されたといいます。
 一休さんに書を頼むような粋な方ですから、きっとなるほどと得心がいって床の間に飾り、正月の来客に自慢気に語って聞かせたことでしょう。

「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という歌も、一休さん作と伝えられています。
 最近は家庭ではあまり見ませんが、商業施設や会社の入り口には門松が飾られています。言わずとしれた正月の縁起物です。かたや一里塚は、昔の街道で距離の目安にするため、一里(約4km)ごとに目印を付けたものです。門松をこの一里塚に見立てているのですが、そこには昔の年齢の数えかたが関係します。
 今でこそ誕生した時は0歳、丸1年経って誕生日が来れば1歳と数えます。しかし明治以前は「数え年」といって、生まれた時は「ひとつ」で、正月にみないっせいに年をとるという数えかたをしていました。年末に生まれれば、生後数日で「ふたつ」になってしまうこともあったようです。
 正月にいっせいに年を取るので、門松を「冥土の旅の一里塚」と喩えたのでしょう。その後の「めでたくもあり めでたくもなし」は、正月だからおめでたいけれど、半面、ひとつ年をとってあの世に近づいてしまったなぁ、ということでしょう。
 また、この言葉を言い放った時の一休さん、伝わるところによると杖の先に人間の髑髏(どくろ)を突き刺し、家を一軒一軒まわったそうです。正月で楽しい気分でいるところに、突然坊さんがやって来て頭蓋骨を見せつけながら「門松や〜」なんて言うのですから、世にも稀な僧侶として、現代までその言動が伝わっているのかもしれません。ちなみに今それをやれば、死体損壊罪で逮捕です。

 3年ほど前、正月早々のご葬儀がありました。人の生き死には正月も連休も関係なくやってきます。とくに年末年始は寒い季節なので、火葬場が閉まってしまう元日などを除き、いつお参りに行くことになるか油断できません。まさに「盆も正月もない」といった状態です。
 亡くなった男性は70代後半。とてもお元気で赫灼(かくしゃく)としていて、マメな性格の方でした。年末に亡くなったので、年を越して1月3日・4日で通夜葬儀だったかと思います。
 日も暮れ、気温もいっそう下がりつつある夕刻、家族や親族、亡くなった方の友人知人が集まってきました。その方たちの多くが、手に手に年賀状を持っているのです。葬儀の場に年賀状? と思ったのですが、話をうかがうとそれは故人が出した年賀状でした。
 マメで律義な性格の方なので、年賀状は毎年12月半ばの受付開始日に投函していたそうです。ところがその年末に急逝してしまい、ご縁のある人々には訃報とほぼ同時に故人からの年賀状が届きました。
 悲しいながらも「あの人らしいね」と微笑み合いたい気持ちがあって、みなさん年賀状を手にお参りにいらしたのでしょう。

 おめでたいイメージの正月ですが、数え年ではなくなった現代でも、新しい年を迎えるのはそれだけ年を重ねたということになります。生きることと死ぬことは生死一如、コインの表と裏のように切り離せない関係性にあります。
 楽しい気分も味わいつつ、自分が何を大切にして新しい一年を過ごすのか、大切なことを深く考えられるような良い年末年始をお過ごしください。


  第五回(2019.01.14)

『自分を好きに』

 大切なカードとして「笑う」を書く人は少なくありませんが、くわしくうかがってみると、自分が笑顔でいることであったり、他者を笑わせることであったりと、細かい部分で違いがあります。
 笑うというのは大切な行為で、ことわざの「笑う門には福来る」は有名ですし、ドイツの哲学者アルフォンス・デーケンの言葉に、「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うことだ」というものがあり、枚挙にいとまがありません。
 私のお寺でも坊守(妻)が「笑いヨガ」教室を開催していて、多くの方が参加してくださいます。

 ワークショップ「死の体験旅行」では、参加者が自分の人生において大切なものをカードに書き出し、それを取捨選択していきます。2時間のワークショップの最後に、今の自分にとって何か一番大事だと感じたかをお聞きしていますが、女性参加者のHさんは一瞬迷ったような表情を見せ、「最後のカードは『毎日笑う』でした」と言いました。しかし続けてすぐに「そのひとつ前は『自分を好きになる』でした」と口にしました。最後の1枚よりもむしろ「自分を好きになる」のほうを口にしたい、そんな印象を私は受けました。

「なぜそのカードが最後に残ったのでしょうか?」と尋ねると、Hさんは「自分が嫌いだから、自分を好きになるというのが最も大切な目標として残ると思っていました。けれど最後の最後、入院している自分を見舞いに来てくれる人に笑顔で接したい。自分が嫌いなままでも、見舞いに来てくれた人に嫌な思いをさせたくないからです」と答えたのです。

 後日、なぜ自分が嫌いなのかを尋ねしました。
 Hさんは3人きょうだいの長姉で、実家が自営業だったため、ご両親は挨拶や礼儀にとても厳しく、また常に弟妹の手本になるよう育てられたのだそうです。Hさんはそれに応えようと、勉強でも部活でも一所懸命に努力をしますが、どんなに努力しても褒められた記憶はほとんどなく、自分自身を減点法で見るようになっていったのだそうです。
「足りていない自分はダメな人間」「ダメな自分ではいけない」
 そう暗示をかけてしまったのは間違いなく自分自身なのに、自分が嫌いという思いを未だに捨てられない、とも言ってました。

 私はHさんの吐露を聴きながら、胸がきゅっと締めつけられるような感覚を覚えました。幼少期において、親の評価や愛情は絶対的なものです。ご両親に悪気はなかったのでしょうが、大人になった現在にまで影響を与えるほど、Hさんの幼い頃の記憶は自分を厳しく見ることで埋められていたからです。

 また、ワークショップの準備段階で自分の大切なものを書き出している時、一番苦労して時間ギリギリにフッと出てきたのが「自分を好きになる」だったそうです。Hさんはそれが出てきたことに驚き、でもだからこそ、このカードが最後まで残るだろうと直感しました。

 しかし、なぜ最後の最後に直感が覆ったのか。それはご本人にも明確な答えが出ているわけではないそうですが、「不完全な自分が嫌いだと思う一方で、心の奥底では不完全なままの自分でも好きになりたい、そう思っていることがはっきりわかりました。また、自分が好きになれなかったとしても、それが私なんだ、と思う部分もあることに気づいた」のだそうです。

 珍しく私は仏教の話をしました。
 私は浄土真宗の僧侶で、浄土真宗の本尊は阿弥陀如来という仏さまです。この仏さまは、「どんな人であっても絶対的に肯定して救いとる」という特徴があります。「仏さまに背を向けて逃げる者も、追いかけてでも救う」と言われるほどです。
 浄土真宗が芽吹いたのは平安末期から鎌倉時代ですが、当時の一般民衆の生活レベルは過酷なもので、「生きていても地獄、死んでも地獄」と歎いていたのだと思います。そんな中、「あなたを決して見捨てない、と誓う仏さまがいるのですよ」という教えは、慈雨のごとく人々の心に沁み込んでいったのでしょう。
 仏さまであっても、お日さまであっても、ご先祖さまであっても、あるいは自分自身であっても、誰かが自分を絶対的に肯定してくれているということは、自分を強く支えてくれるものになるのだと思います。

 Hさんからは、「このやりとりで、気づかなかった心のうちを言葉にしていただいたように感じています。阿弥陀如来のお話も、胸に響きました。何度読み返しても、涙が止まらなくなります」とお返事が来て、私は「ああ、答えにくいこともあっただろうけど、いろいろお尋ねして、やりとりができてよかった」とホッとするような気持ちになりました。

 フランスの哲学者アランの言葉に「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」というものがあります。Hさんに当てはめてアレンジすれば、「自分が完全になったから笑うのではない、不完全なままでも笑えることが幸福なのだ」となるでしょうか。

 もしHさんが病床にあったとして、それでも見舞いに来てくれる人たちのために笑顔でいることができれば、Hさん自身は不完全なままであっても自分を好きになることができるのではないでしょうか。そしてその気持ちに気づけば、心の底から笑える時がやってくるのではないでしょうか。


  第六回(2019.02.04)

「ガンを宣告されて」

 江東区のお寺で「死の体験旅行」を開催した際、ヨガの女性インストラクターであるMさんが受講をしてくれました。他の多くのヨガインストラクターもそうであるように、Mさんにとってのヨガは単なる仕事というだけではなく、自分自身の生き方に大きな影響を与えています。
 また、ヨガに関わっている方は多かれ少なかれ、精神的な世界を大切にする方が多いように思いますが、彼女もまた心の奥底を見つめるような受け方をしてくれました。

 Mさんはヨガを学ぶ中で、「全ては安心と安全の上に成り立つ」ということを学んでいまます。難しいヨガのポーズを取るとき、身体はもちろん心の根底に「安心と安全」があることで視野を広く保ち、また広げていくことができるのだそうです。
 それによってゆとりが生まれ、さまざまな変化を受け止めやすくなり、また変化を認める覚悟を持ちやすくなる、とも言いました。
 ヨガによって身体の根底は確立されつつあるけど、では自分の心の根底に何があるのだろうか? それが、Mさんが「死の体験旅行」を受けようと思った動機だったそうです。

 ワークショップは、「私」の物語で始まります。
「(私は)しばらく前からの体調不良はあまりよくならず……」
「医師から、精密検査をしましょうと言われ、不安な気持ちが芽生えます……」
 物語が進むにつれ、Mさんが知りたかった心の根底に「あるだろう」と思っていたものが確信に変わり、はっきりと実感されるようになっていったそうです。

 その根底にあったものは何だったのですか?
 私がそう尋ねると、Mさんは「言葉にしにくいのですけれど」と前置きしつつ「愛情です」と口にしました。私は重ねて、「それは誰か特定の相手に対する愛情ですか?」と聞くと、「家族など特定の相手というよりは、もう少し広い範囲、いろいろな人からの愛情です」と答えたのです。
 自分の根底にあるものが「愛情」であると確信すると、それは「感謝」という気持ちにも変わっていったのだそうです。そしてその思いはMさんの中に継続し、以前よりも心地よい時間が増していったのだそうです。
 それはきっと、自分の周囲に漫然とあった人やものが、自分の周囲に「こそ」あってくれたのだ、という気づきだったのだと思います。「当たり前」の反対語は「有り難う」だそうですが、自分が大切だと思う人やものは、自分の周囲にあって「当たり前」ではなく、「有ることが難しい」ことだったのだという視点の転換があったのでしょう。

「死の体験旅行」を受けた直後、多くの方がすがすがしい表情になったり、満ち足りた表情になったりします。その方々も同じようにワークショップの体験を通じ、自分を支えてくれている多くの人やものの「有り難さ」に気づいたのでしょう。
 ただ、現代人にとって毎日インプットされる情報量は圧倒的で、せっかく感じた「有り難さ」を長続きさせることは至難の業のように思います。けれどMさんはヨガインストラクターだからこそ、日常的に自分の内面を見つめ、心に得た感覚を幾度も反芻することができ、心地よい時間が継続していったのでしょう。

 その継続する気持ちは、思わぬところで彼女を支える根になりました。
「死の体験旅行」を受けた翌年、彼女は若年性のガンを宣告されるのです。
 診断を受けた時、Mさんは自分の無力さや、何も成し遂げていなかったことに気づき、全身の力が抜けていってしまったと言います。
 また、治療を進める上で発症する可能性のあるさまざまな副作用の項目の中に、抗ガン剤や不安に支配される心の変化で、うつ病を発症するかもしれないとも書かれていたのだそうです。

 しかしMさんは、「愛情と感謝」という自分の心の根を見つけていました。また、病の宣告はワークショップの中で、仮想体験とはいえ、一度受けています。その根と体験があったから、彼女は診断された現実を受け止めることができ、これからどうすべきかという前向きな思考に結びつく心構えができ、結果としてうつ病の発症はなかったのだそうです。
 最後に彼女の言葉を、少し長いですが紹介して筆を置きます。

 私がこのワークショップで確信したものは、私の生きていく上で自然とそこにあったもの、根っこ・基盤でした。
 病の宣告を受け不安や恐怖を感じても、治療によって肉体が苦しくなっても、この根っこに気持ちが戻ると、心がぶれずに感謝を強く感じて、さらに恩返しをしたい気持ちになりました。この気持ちが、前向きな姿勢に結びついたのだと思います。
「死の体験旅行」は、本来持っている真実の自分に気付かせてくれるものだと思います。
 真実の自分自身を知っていることは、人生の岐路で大いに役立ちます。人生の見方にも大きな影響があります。
 私にとっての大きな岐路=ガンの診断をされた時、この経験が乗り越える大きな力のひとつになりました。


  第七回(2019.03.15)

「1年おきに自分を見つめる」

「死の体験旅行」には、ときどきリピーターがいらっしゃいます。始めた当初は「5年、10年たてば、再び来る方もいるかもしれないな」と思っていたのですが、意外にももっと早くからリピーターがいらして、中には「先月受けたんですが、動揺しすぎてしまったので、もう一度受けに来ました!」なんて方もいらっしゃいます。

 ある時もワークショップの最後に受講者1人ひとりと言葉を交わしていると、なんとなく見覚えのある男性が、「実は私、ちょうど1年前に受けたんです」と言いました。
 その方は障害者福祉の仕事をしていて、人の苦悩や、時には死に接する機会が多いということもあり、1年前に興味を持って受講したのだそうです。その時に気づいたのは……。

  • 普段、大事だと思っていた仕事に関することが出てこないことに驚いた。
  • 日ごろ意識に上がらないもの……高校時代の思い出の場所や、仕事そのものでなく仕事に関する学びなどが、実は大切だった気づくことができた。
  • 大脳で一生懸命考えて出した答えではない感覚、自然とわき上がる感覚がとても新鮮で意味があった。

 ということだったそうです。

 そして1年が経ち、自分自身のメンテナンスをするような気持ちで2回目の参加となりました。ストーリーは大きく変わっていませんし、ワークショップの流れも覚えているでしょう。先読みしながら受けてしまえば、あまり心に響かないものになった可能性もあったと思います。でも去年と自分がどう変化したのかを確かめてみたいと思い、心をニュートラルな状態にして受けてくださいました。

 その場では他にも多くの受講者がいますので、後日じっくりとお話をお聞きし、1年ぶりの受講でどんなことを感じたかを教えていただきました。

  • 1年ぶりの受講、変わらないものと、変わったものがあった。
  • 1回目ではどれも大切だと感じなかった「物」は、2回目に書いた「本」が、自分にとって大切な「物」だと気づいた。それは、仕事や生き方に関する、自分にとって学びの源泉を大切にする気持ちに気づけたから。
  • 大きく変わったのは「活動」で、仕事に関する学び(福祉学・心理学・社会学・幸福学など)が多い点では同じだが、抽象的なものから具体的なものに変化をした。また、「やってみたい」から、「やってみよう」「やっている」に変化をした。これは意識的に変えようと思っていたことでもあるので、嬉しい変化だった。
  • 変わらないものは家族。改めてその大切さを味わい、感謝の気持ちがわいた。
  •  同じ人物で、たった1年しか経っていなくても、周囲を取り巻く環境や心境の変化があります。2回目の受講をした彼も、自分の中で変わらぬ価値を持つもの、価値に変化があったものを発見しました。そして変わらぬ大切なものがより大切に思え、感謝の念がわいたというのです。それはきっと、とても嬉しくなるような体験だったと思います。

    • この年齢(38歳)になってもあらたに大切に感じられるものができたことが、うれしい。とくに以前は、家族さえ大切にしていればいいと思っていたが、1回目の受講以降、意識して友人を大切にしようと努めた。それは仕事柄、人には「怖がらずチャレンジしよう」と言ってはいるものの、自分がそれをできていないことに気づき、積極的に世界を広げた結果でもある。2回目を受けて、それが自分の思いに反映していたことをうれしく感じた。
    • 帰宅して、昨年の振り返り用紙と比較して、より多くのことが感じられた。
    •  1年前の自分と今の自分がどう変化しているのか。健康診断を受けていれば数値上の変化を把握することはできますが、心の中のことなど私たちはあまり考えずに生きています。しかし「死の体験旅行」を受け、終了後の記録用紙を保管しておくことで、目に見えるかたちで変化を把握することができます。

       2回目の受講をされた方に、これだけくわしく感想をうかがえたのも、帰宅後に記録用紙を見ながら話していただけたからだと思います。そして彼は38歳という年齢でもなお、自分があらたな大切なものを得たことを嬉しいと感じました。これも、もしかしたらワークショップを再受講しなければハッキリとは気づかないことだったかもしれません。

       こうした変化を、仏教では「諸行無常」と言い表し、すべての事物は一刻も止まることなく変化をし続けていると説いています。人間の身体さえ、多くの細胞が新陳代謝によって入れ替わり続けているのですから、1年前の私と今の私はまったくの同じ人間ではありません。肉体的にもそうなのですから、精神的にも「変化し続ける」状況は当然起こっています。その意識しにくい変化を知らしめてくれる、そんな役割もこのワークショップにはあるようです。

       最後に、彼のこんな言葉が私の胸を打ちました。
       彼にとって、とても大切な存在だとわかっていても、今日までと変わらぬ日々が明日からも続いていくと漫然と思ってしまえば、その大切さを見失ってしまいます。死を体験して、あらためて平凡な「今日」が、かけがえのないものだと感じてくださったのです。

      • 昨年受けてから1日1日が大切に感じられるようになり、娘との接し方が変わりました。

      •   第八回(2019.04.02)

        『申しわけない』

         日本人男性は、感情表現があまりうまくないと感じます。うまくないというより、ストレートな感情表現をよしとしない文化の中で育ったということかもしれません。
         日本男児を象徴するような大相撲の力士(とは言っても外国出身者が多くなりましたが)は、単独トップになってインタビューのマイクを向けられても、「明日からも一番一番精進するだけッス」と感情を抑えてコメントし、優勝した瞬間に土俵上でガッツポーズを取れば、あとで注意を受けてしまいます。

         人前で涙を流すなんてもってのほか、なんてイメージもありますが、ある時「死の体験旅行」の最中に涙を流している30〜40代ほどの男性がいました。男性受講者でも涙ぐむぐらいは珍しくありませんが、かなり涙を流している様子で、けれど途中でワークショップを止めるわけにもいかず、心配しながら続けた記憶があります。

         後日、その方にくわしく話をうかがうと、涙の根源にあったのは「申しわけなさ」だと言いました。30代後半だという彼が「死の体験旅行」の紙に書いたものは、自分の家族であったり夢であったり、それほど特殊なものではなかったようです。しかし、受講のタイミングが特別なものでした。

         受講は9月でしたが、5月には夢を抱いて独立して仕事を始めたばかり。また2年前に結婚し、間もなく第1子が誕生という、妻・子・仕事と自分を取り巻く環境すべてが大切で愛おしく、また大きな責任を背負って歩み始めたという時期でした。
         おそらく、大切なものを紙に書く作業は難なく進められたのではないかと思います。紙が足りないと思ったかもしれません。しかし、ワークショップが始まり、自分が手に入れて間もない大切なモノが次々と失われていくのです。苦しくないわけがありません。

           私がワークショップの中で最も強く抱いた感情は、「申しわけない」という気持ちでした。残される大切な人を思い、まだ成し遂げられていない夢を思いました。涙がとめどなくあふれ、一つひとつの紙を捨てるのが、本当に苦しかったし、先に進めたくありませんでした。

         彼が伝えてくれた感想です。自分の存在が消えてしまう恐怖ではなく、大切な人や夢など自分を取り巻くものに、「一緒にいられず」「かなえることができず」、申しわけないという気持ちを抱きながら、彼は「死の体験」をしました。
         また彼は、こうも言いました。

           私が「死の体験旅行」を通して学んだ最も貴重なことは、「今のままでは死ねない」ということでした。「苦痛や困難から逃れ、自我や快楽ばかり求める人生は、のちにもっと大きな苦痛を生む」ということを、身をもって体感し、腹落ちもしました。

        「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。辞書をひくと「力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる」(大辞泉)とあります。しかし、天命に任せるといっても、人間は努力をすればどうしてもいい結果を望んでしまうものです。
         似た言葉ですが、明治時代の浄土真宗僧侶、清沢満之は「天命に安んじて人事を尽くす」と言いました。
         清沢満之は仏教者だから、仏教的な人生観が根底にあります。「天命に安んじて」とは、無数の縁に支えられ、生かされている自分を自覚するということでしょう。
         その視点に立った時、いい結果であってほしいという我執を離れ、「人事を尽くす」、つまり結果に執われずに精いっぱいの努力をしようという境地に至るというのです。

         涙を流しながら受講した彼の「申しわけない」という気持ちは、後悔です。彼は自分の背負ったものに対し、後悔したくないという気持ちを抱いたのだと思います。しかしいい結果だけを追い求めてしまえば、人間の欲求はもっともっとと、限りなく増幅するものなので、後悔と縁を切るのは困難になります。
         目的を結果に置きすぎるのではなく、努力する行為そのものにシフトすること。それが自分の人生を肯定的に受け入れ、後悔しない生き方を送る最善の道ではないでしょうか。


          第九回(2019.05.10)

        『蘇った気持ち』

         仲間の僧侶に助けられた経験がありました。
         毎年ゴールデンウィークに都内の寺院などで、寺社フェス「向源(こうげん)」という大きなイベントが開催されています。最初は一寺院の音楽イベントに数十人の聴衆が集うものでしたが、年によっては大本山を全面的に借り切ったり、1万人を超える来客があったり、ニコニコ超会議コラボしたりと、仏教が関わる若者向けのイベントとしては最大級のものです。
         この向源に「死の体験旅行」は初期のころから毎回携わっていて、そして毎回のように最初に予約が埋まってしまうものとして注目を集めることになりました。

         2016年、日本橋の商業ビルなどで開催された向源で、私は例年のように数回のワークショップを受け持っていました。あまり記憶力が良くないのですが、向源では1日に複数回の開催があるので、よけいに人の顔と名前が覚えられません。しかし北海道からやってきたFさん(40代・女性)のことは鮮明に記憶に残りました。

         Fさんが「死の体験旅行」を受けた時、20枚のカードに書いた大切なもののうち、最後のカードになったのは16年前に亡くなった彼でした。しかも、大切な存在として思ってはいたものの、彼の死はずっと以前に乗り越えられたと自分では感じていたのに、思いがけず最後の1枚になってしまったのです。

         ワークショップの最後、私が「あなたは今、いのちを終えました」と告げた時の気持ちは、「やっと死ねる、やっと会える」というもので、それはとても暖かく、恐怖心は無かったそうです。そしてその時、自分は彼の死を乗り越えてなどいなかったと気づき、16年間積み重ねてきたものが一瞬で崩れるような思いを味わったのだそうです。
         彼女は自分の気持ちに驚き、涙を流していました。その姿が心配で終了後に話しかけはしたのですが、次の回の準備があって充分に耳を傾けることができず、それが心残りでした。

         ここで、思いがけず仲間の僧侶に助けられたのです。
         向源ではさまざまなイベント・体験・講演などがおこなわれていますが、人気コンテンツに「お坊さんと話そう」があります。文字通り、普段接する機会のあまりないお坊さんと、ざっくばらんに会話し、あるいは真面目に相談もできるというものです。これが「死の体験旅行」と同じフロアでおこなわれていて、Fさんは導かれるように僧侶の前に座りました。

         たったいま経験したワークショップのこと、亡くなった彼への想い、気がついてしまった自分の気持ち……それらを、耳を傾けてくれる僧侶に話していきました。
         悲しみや苦しみは、人と分かちあうと軽くなる。言い古された言葉ですが、Fさんはその時それを実感したでしょう。もし「お坊さんと話そう」がなかったら、彼女の心を大きく揺さぶったまま、傷つけたままにしてしまっていたかもしれません。

         わざわざ北海道から向源に来るぐらいですから、Fさんは仏教好きです。しかし1回目の「死の体験旅行」の印象が強かったのか、より仏教に興味を深く抱いていきます。彼女の言葉を借りると……。
        「受講までの流れとタイミング、そして受講時にはすでに決まっていたその後の流れ、すべてにおいて、ご縁としか言いようがありません。仏さまとのご縁が深くなったということでしょうか」
         という思いなのだそうです。

         Fさんは2年後、2回目の受講をすることになります。1回目と同じように、私が最後「あなたは今、いのちを終えました」と告げた時、最も大切だと感じたのは、尊敬し信頼する僧侶から頂いた念珠だったそうです。前回最も大切だと感じた亡き彼は、念珠の次に大切だと感じた、と彼女は気負うことなく教えてくれました。

         1回目までは、彼のことを乗り越えよう、忘れなきゃ、と思っていたのかもしれません。しかし結局、大切な人を忘れることなんてできない、悲しみを乗り越える必要もない、と気づかれたのではないかと思います。
         また、2回目では彼の大切さが下がったのではなく、彼を含めて様々な縁が実ってできた仏さまとのご縁の象徴として、念珠が最も大切になった。言い換えると、彼も念珠に内包されているというお気持ちを抱かれたのでしょう。

         Fさんは最後にこう言ってくれました。
        「いつか自分が死んだ時には、必ず彼に会える。阿弥陀さまがそう約束してくれている」
         私は僧侶として、単にワークショップを開催するだけでなく、それを通じて少しでも仏教が理解され、広まってほしいと願っています。それをとても強く感じさせてくれたのが、Fさんのこの言葉でした。


          第十回(2019.06.06)

        『月替わりの大切なもの』

        「死の体験旅行」を始めた頃は、何年か経てば再度受講に来る方がいらっしゃるだろう、と考えていましたが、思ったよりも早い時点でリピーターがいらっしゃるようになりました。
         とはいえ今回は、「また受けてみよう」と能動的に思ったわけではなく、成り行きで受けるような状況になってしまった方のお話です。

         さまざまな会場で「死の体験旅行」をさせていただいていますが、ある時期横浜市内のお寺で数ヶ月連続の開催がありました。最初の月は、そのお寺の次期住職であるIさんも受講者としてワークショップを受けてくれました。
         Iさんのお父さま、つまり先代住職が早くに亡くなり、Iさんは住職を継承するべく準備で忙しい時期でした。しかしそういった時期だからこそ自分を振り返ってみたい、そして同じように自分自身を見つめたいという人たちのために会場を提供してくれたのです。

         最初の月、ちょうどIさんの奥さんのお腹には赤ちゃんがいました。しかも7ヶ月目とお腹のふくらみも目立ってきた頃ですので、ワークショップで選択する「最も大切なカード」は当然奥さんか赤ちゃんを選ぶのだろう。そうご自身でも感じていたのではないかと思います。
         けれどIさんは迷った末に「母」のカードを選びます。実はその日はちょうど父である先代住職の月命日で、心に強く父の顔が思い浮かんだのでしょう。そしてその父の連れ合いであり、お寺を切り盛りする存在である母を守らなくてはいけない。何世代も何十世代も続くお寺に生まれた者ならではの感覚がそうさせたのかもしれません。

         そこから半年ほどの間、毎月のようにIさんのお寺で「死の体験旅行」の開催が続きました。Iさんは2ヶ月目からは受講者として席にはつかないものの、会場の隅で物語に耳を傾け、「今の自分だったらどうするだろう、何を選び、何を手放すのだろう」と真剣に自分自身と向き合い続けたのです。

         受講から長い時間を経て、家庭や仕事の環境が変化したことで「最後の1枚」が変わることはあり得ると思います。しかしIさんの場合は初めてのお子さんが授かる前後というタイミングでしたので、毎月のようにそれが変化していきました。
         2回目と3回目、奥さんのお腹はいよいよ大きくなり、大変な思いをしている奥さんをいたわる気持ちが強くなっていったのでしょう。Iさんの心の中に残った最後のカードは「妻」でした。

         年が明け、4回目の開催。そのほんの数日前に新しい生命が誕生していました。そんな大変な時期にお寺をお借りして申しわけなかったのですが、この時もIさんは会場の隅で物語に耳を傾けてくれました。胎児がこの世に生まれ、母と子の身体は別々のものになりました。しかし我が子を抱く妻と赤子の姿は不可分にしか思えず、Iさんの心の中に「妻子」と書かれたカードが残ったのだそうです。

         1ヶ月が経ち、5回目の開催になりました。この時もIさんは同じように心の中で「死の体験旅行」を受け、しかし最後に残ったカードは今までの「人」のカードから「行動」のカードに大きく変化をします。
         Iさんは「生きざま死にざまを見せたい、ということが残りました」と口にしました。私はそれを聞いて、「奥さんとお子さんに、夫や父としての生きざま死にざまを見せたいのかな」と思いました。しかし後日じっくりと話を聞くと、もっと深い気持ちがそこにはあったのです。

         5回目の当日に「生きざま死にざま」と表現された言葉は、もっと正確に言えば「手が合わさる生き方」なのだとIさんは言います。
         さまざまな縁に育まれ、支えてもらって生かされている自分の〝いのち〟を精一杯に生きる姿。またいつか年老い朽ちていく自分の〝いのち〟を通じて、老病死を考える機縁になりたいという思い。そしてその対象は妻子に限らず、家族や親族だけでもなく、縁ある全ての人のためであってほしい。そう願う気持ちが僧侶であるIさんの口からは「手が合わさる生き方」という言葉で表現をされました。
         手が合わさるというのは合掌の姿です。つまり自分が懸命に生ききったうえで、思慮分別を超えた大いなる存在に自分自身を委ねていくという念い(おもい)が込められた姿を周囲に示したい。それが最も大切なものになった、とIさんは言いました。

         私はそれを聞いて、「ああ、Iさんは住職になったのだな」と感じました。それは単にお寺の跡継ぎで住職という立場に就く、という意味ではありません。
         日本仏教は特殊で、僧侶が結婚をし、子どもが跡を継ぐ形が定着しています。それが世襲と揶揄される場合もありますし、物心ついた時から将来が決まっているという継ぐ者の息苦しさもあります。

         Iさんにとって、亡くなったお父さまもご存命のお母さまも、母となった妻も生まれたばかりの子どもも、かけがえのない大切なものであるはずです。
         しかしそれ以上に、自分自身の人生を通して周囲の多くの人に大切なことを伝えていきたい。単にお寺という「容器」を存続させるだけでなく、その器に満たされる「仏教」をこそ伝え広めていきたい。そんな覚悟が定まったように私の目には映りました。

         Iさんのそれまでの人生が、その覚悟を静かに育んできたのだと思います。そしてその芽吹きの縁のひとつが「死の体験旅行」であるのなら、それはとても嬉しいことです。

         

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         浦上哲也(うらかみ・てつや)
        1973年、東京都内の一般家庭に生まれる。一般の高校、一般の大学を卒業し、一般企業にも勤めたが、縁あって浄土真宗の僧侶となる。その後、「自分らしい方法で仏教をひろめたい」と発願し、平成18年に民家を改装して俱生山(ぐしょうさん)なごみ庵を開所。山号の「俱生山」には、「俱(とも)にこの世を生き、俱に浄土に生まれる」という願いが込められている。法話会や写経会、全国の寺院での仏教演劇公演、僧侶による自死対策など幅広く活動。さらに、もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を一般向けにアレンジし開催。死を見つめることによって〝いのち〟について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めている。