愉快、痛快! スカッとする落語のことば

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば

「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。

 


 その十二(2017.12.23)

 

 おめっちは、さっきから胡乱にこっちを見ちゃ詮索するが、おめえ、俳優わざおぎだろう。役者衆だな。おう、おめえたちはよく我々の姿を舞台に表すそうだが、痩せても枯れても三村新次郎、お旗本の端くれだぜ。もしもふざけた表し方をすると、その分には捨ておかねェぞ!
              (五代目三遊亭円楽『中村仲蔵』より)


 

 門閥のないものはどんなに優れた腕があっても出世が出来なかった時代に、大部屋の「その他大勢」から名題にまで上り詰めた初代中村仲蔵。実在した江戸の名優の“伝説”を落語化した「中村仲蔵」は、胸のすく芸談として根強い人気を保っている。
 苦労に苦労を重ねて名題にはなったものの、名家の御曹司にはバカにされ、楽屋内のねたみそねみにさらされる日々。名題になって初めての芝居「仮名手本忠臣蔵」でどんないい役がつくかと心待ちにしていたが、ついた役は「五段目・山崎街道」の斧定九郎だけだった。
「四段目・判官切腹」を満喫した観客が、「五段目」でほっと息を抜き、一斉に飲み食いにとりかかる。そんな「弁当幕」と揶揄される場面に登場するのが、斧定九郎。山賊のような身なりのやぼな侍で、とてもじゃないが名題の役者がやる役じゃない。
「こんな惨めな思いをするなら、上方へでも行こうか」とまで思い詰めた仲蔵が、女房おきしの励ましと叱咤に発奮する。
「五万三千石の家老の息子があんな格好をするのはおかしい。よし、俺が今までにない定九郎を作ってやろう!」
 気負って柳島の妙見様に願をかけたが、満願の日になっても何の工夫も浮かばない。雨に降られて駆け込んだ本所のそば屋で、奇跡が起きた。仲蔵がぼんやりとイメージしていた定九郎像にこれ以上ないほどピッタリの侍が、ずぶぬれで入ってきたのだ。
 この噺を得意にしていた八代目林家正蔵(のちの彦六)の口演速記に、その姿が生き生きと描写されている。
<(仲蔵が)食べたくもない蕎麦を口へ運んでいると・・。「許せよ」。ガラリッと音での腰障子が開いた。「ああ、ひどい降りだ」。傘ァたたんで土間へ投げ捨て、「いやァどうも、濡れた濡れた」といいながら、袂をこう絞る。乾いたそば屋の土間に時ならない絞りの模様>
<ひょいとみると年齢は三十でこぼこ。い〜い男です。髯の後を青々とさし(せ)て、月代さかやきが生い(え)ている。黒羽二重の衣類に茶献上の帯、着物の裾を端折って大小は掴み差し>
「これぞ淡島様の御利益、これを定九郎にしよう」と勢いづいた仲蔵が、「傘は?」「お召し物は?」「腰のものは?」「おつむはどのぐらい生やかしたんでございますか?」と質問攻めにする。さすがに不審に思った侍が、定九郎にポンと一本釘をさしたのが、今回の「落語のことば」だ。
 侍言葉は、もちろん町人の江戸弁とは違う。ただ、自ら「貧乏旗本」を名乗る三村は無役の小普請組で、将来への展望も目先の出世もないと諦めている。となれば、酒とバクチと女のどれか一つに(もしかしたら全部?)のめり込んでいるのだろう。付き合う人種は武士階級より、盛り場で袖すり合う事の多い江戸っ子たちのほうが圧倒的に多くなる。自然、言葉遣いも、よくいえばざっくばらんで柔らかく、悪くとるなら無頼に近いものになってくる。
「おめっち」で始まる冒頭のセリフも侍言葉に聞こえないでもないが、江戸城や屋敷内で耳にするものとは雲泥の差がある。
 実際、「ふざけた表し方をすると、その分には捨ておかねェぞ!」とすごまれた仲蔵は、「どうかご勘弁を!!」とそば屋の土間に土下座をする。侍の顔にはうっすら笑みが浮かび、「おいおい、シャレだ、シャレだ」と付け足しているのに、仲蔵は謝り続ける。二本差しも怖ければ、侍言葉と江戸弁がまじったような、ちょいと崩れた言葉の圧力に、腰が引けるのだろう。
「中村仲蔵」は昭和の大物、八代目林家正蔵(のちの彦六)の押しも押されもせぬ十八番だったが、これを教わった五代目三遊亭円楽が得意ネタに仕上げたことから、演者も贔屓客も飛躍的に増えた。芝居噺に熟達した八代目正蔵の魅力とはまたひと味違う、豪快かつ繊細な円楽の芸風が「中村仲蔵」という噺に向いていたのだろう。だから今回の冒頭の「ことば」は、円楽の速記からとらせてもらった。
 八代目正蔵の前名が「三遊亭円楽」であったことは、平成の新しい落語ファンにはあまり知られていないかもしれない。八代目正蔵は、1919年に三代目円楽となり、五代目蝶花楼馬楽を名乗った後、1950年に正蔵を襲名した。つまり、五代目円楽の「先々代」が、八代目正蔵なのである。
五代目円楽の師匠である昭和の名人、六代目三遊亭円生と、八代目正蔵はライバルであり、犬猿とまでは行かなくても、あまり仲がよくないのは関係者なら誰でも知っている。正蔵はその不仲の相手の一番弟子に「円楽」の名を譲ったのである。
「円楽ってのは、代々売れない名前だからね」
 たしかに八代目正蔵も円楽時代はパッとしなかった。「もう一つ」だった名跡を大看板にしたのは五代目円楽の功績であり、「中村仲蔵」もその躍進に手を貸したと言えるだろう。「中村仲蔵」はやはり出世物語なのである。
 仲蔵と定九郎のモデルとなった侍との劇的な出会いは、映画の題材にもなっている。内容はほぼ落語と同じだが、儲け役の侍は「貧乏旗本三村新次郎」ではなく、「浪人此村大吉」で登場する。此村というのは、落語でも「これから此村大吉の屋敷で寄合があるので、紋服ぐらいは着ていかないと」というセリフに登場する。本来は此村大吉で演じられていたが、映画に後れを取るのはシャクなので、あえて此村を脇に置いて三村という新しいキャラクターをもってきた、ということではないか。若い頃から跳ねっ返りで粋好みだった八代目正蔵なら、そのぐらいのことはやりそうではないか。
 ともあれ、戦前戦後のスクリーンの中では、阪東妻三郎、鶴田浩二らが、襤褸に身を包んでも侍の矜持は失わない此村大吉をさっそうと演じている。

 

Back number


長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。