愉快、痛快! スカッとする落語のことば

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば

「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。

 


 その十七(2018.06.29)

 

“おい、船頭さん、舟を上手うわての方にやっつくれ。これから堀ィ上がってペイイチひっかけ、夜は吉原なかへツーッと行くてェと、女が待ってて、「あらァ、ちっとも来ないじゃないか」「忙しいから来られねえンだ」「うそォおつき、脇にイイのができたんだろう」「そんなこたないよ」「そうだよ。あたしがこれほど思っているのに、本当に悔しいよッ」って食いつきやァがるから、「痛えッ!」って”
                 (古今亭志ん生「あくび指南」より)


 

 江戸の末から明治にかけて、娯楽の少なかった時代に暇をもてあました神田や日本橋あたりの若い衆は、こぞって稽古屋に通ったという。小唄、端唄、新内、常磐津に、「寝床」「軒付け」「猫忠ねこただ」「豊竹屋とよたけや」などでおなじみの義太夫。長唄はちょいとレベルが高いので、そこそこの喉と音感がなければ続かないーー。
 狭い町内にそんなにたくさんの稽古所があったのか。そんな文教地区(?)が江戸の真ん真ん中にあろうはずがない。これまでに挙げた各種習い事のほとんどは、一軒の稽古所で間に合ってしまう。「どれも音曲だから」と、同じ稽古所で同じお師匠さんが教えてくれる。「よろず指南所」という恐ろしくも便利な場所がどの町内にもあったのである。
 とはいえ、どれほどマルチプレーヤーのお師匠さんでも、「あくび」を教えようなんて酔狂な人はいない。そんなバカバカしいものを習おうとする人だって、まずいないだろう。だが、いるはずのない人が存在するのが、落語なのである。
 町内にできたばかりの稽古所が、何を教えてくれるのか。看板には「あくび指南所」と書かれている。
「えっ、あくびというのは、あの、口から出る?」「尻からは出ないだろう」「ほんとに?」
 というやりとりがあったのか、なかったのか。嫌がる友達を付き添いに頼み、江戸っ子のお兄ィさんは、「あくび指南所」の門を叩いたーー。
 と、あらためてあらすじを紹介するのも恥ずかしいほど、「あくび指南」は古くてポピュラーな落語である。寄席の客の大半は、導入部からオチまで熟知しているので、若手が勇んで高座に掛けたところで、爆笑なんて起こるはずがない。うまく演じたとしても、「クスクス」「ウフフ」というほのかな笑いがさざ波のように広がるぐらいだ。
 だが、それでも、「あくび指南」という噺が、寄席の高座から消えてなくなることはないだろう。物語は起伏に乏しく、笑いも少ないけれど、この噺の中が、どんなに時代を経ても変わらない人間の営みのスケッチだからだ。
 今、我々の周囲を見渡しても、江戸っ子や、「よろず稽古所」を見つけることはできない。だが、現代人は江戸っ子と同じように、退屈すれば「あくび」をするし、「何の役にも立たないもの我を忘れて熱中する、愛すべき大人たち」はいつの世にも存在するのである。
「あくび指南所」で教えるのは、「口の開き方」とか「声の出し方」といった、あくびそのもののテクニックではない。「いつ、どこで、だれと、どんなふうに」というシチュエーションの中での、「こうしたらカッコイイという、あくびのスタイル」なのである。
 春夏秋冬、季節によってさまざまなあくびがあるが、入門編は「夏のあくび」らしい。
 隅田川での舟遊びに飽きた通人が、ふと漏らすあくびには、どんな思いがこもっているのか。
 師匠のお手本は、こんな感じだ。
「おい、船頭さん、舟を上手の方にやっておくれよ。これから堀ィ上がって一杯やって、夜は吉原へ行って、新造しんぞ(遊女)でも買って遊ぼうか。舟もいいが、一日乗ってると……、退屈で退屈で……、はァああッ(とあくびを漏らし)ならぬ」
 これが元気いっぱいの江戸っ子の兄さんになると、まるで違ってくる。船頭を呼ぶ「おいっ!」の声が高くて大きく、後のセリフも、勢いがありすぎる。
 そればかりか、セリフの途中から、お手本から脱線し、「吉原なかへツーッと」というセリフが引き金になって、何度やっても、兄ちゃんと馴染みの女郎ののろけばなしになってしまうのである。
「堀から上がる」の「堀」は、隅田川右岸の今戸あたりから吉原方向へ流れる山谷堀のこと。「ペイイチ」は「一杯」を粋にひっくり返した物言い。「女」はもちろん、吉原の馴染みの女郎のことで、吉原を「なか」というのは、周囲をぐるりと囲まれた「廓の中」という意味である。どれもこの時代の兄ちゃんたちが普通に使っていた、いわゆる江戸っ子言葉だ。リズムよく読めば、啖呵にも聞こえるような、気持ちの良いセリフである。
 一日舟遊びに興じて、それにも飽きたら、舟を下りて吉原へ繰りだすーー。そんな贅沢を、町内の若い職人たちが気軽にできるわけがない。「あくび指南所」で教えてくれるのは、カッコイイあくびだけではなく、そんなあくびが自然に出るような「ちょっとリッチな通人生活」でもある。
「あくび指南」のまくら代わりに、同種の「変なお稽古」の小噺をつけることもある。喧嘩を教わりに行って、本当に怒り出した江戸っ子が、師匠から「お前は見込みがある」と褒められる「喧嘩指南」に、弟子が二階から釣り糸を垂らし、師匠がそれを引っ張って「何の魚だ?」と当てさせる「釣り指南」。「そんなやつはいないよ」と切り捨てられない、不思議な楽しさがある。
 人気者の三代目三遊亭金馬は「待っている友達(登場人物)より、聞いている客の方があくびをするように、ことさらまずく演じるのが口伝」だという。
 四代目柳家小さんは、「後でサゲのあくびが引き立つように、お師匠さんのあくびは、ごくあっさりとやるのがコツ」と芸談を残している。
 これらもまた広い意味での「あくび指南」だろう。

 

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長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。