愉快、痛快! スカッとする落語のことば

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば

「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。

 


 その七(2017.07.29) 

 

“イヤどうも呆れたねえ、何処どこの国に居残りが(見世の)二階を荒らすといふ事があるんだい、此の頃我々のもらひがねえと思つていると、彼奴あいつが一人でもらつちまうんだよ、何だいあの昨夜ゆんべの騒ぎは。金杉の連中、口をかけろ口をかけろといつて居るから芸妓でも入るのかと思つて居ると、居残りを呼べてえんだ、すると新造しんぞ暢気のんきだねえ、居のどーん、ヘエーイ、返事をしやアがら。十三番でお座敷、よろしい心得た、てえと何時の間にか彼奴が黒の羽織を持つてますよ、扇子をパチパチやりやアがつて、これは島田さん、頼母木たのもぎさん、高木さん、佐々木さん、花井さん、武渡部むとべさんてえんで、お客の苗字をそらでいつて、終ひには指名点呼で祝儀を集めてやアがる。遅れ馳せに来たのが芝口の連中だ、居残り呼んでくれ、ただいま居残りは塞がつて居ります、それなら早く貰ひをかけろ、そんな馬鹿な話はないぢやァないか”
               (初代柳家小せん「居残り佐平次」より)

 

 廓ばなしの舞台といえば、浅草の観音様の裏っ手にあった吉原遊廓に決まっている。
 角海老かどえび佐野槌さのづち、大文字、稲本楼と音に聞こえた大見世が並び、歌舞音曲から芸術学問までなんでもござれの高級花魁を抱え、威勢と格式を誇った江戸唯一の公許の色里。その「大吉原」に負けてはならじ、隙あらば肩を並べようと、江戸の南で気を吐いていたのが品川遊廓である。
 江戸の南境は高輪の大木戸までだから、その南にある品川は江戸ではない。東海道の第一の宿場町であり、公式には遊女屋など存在しないことになっている。源氏名などは持たない「飯盛り女」が、宿屋の「貸座敷」を使って何やら営業しているだけ……とはいうものの、どこをどう見ても、遊女のいる色里なのだった。
 品川はことごとく吉原に対抗した。島崎楼、土蔵相模などの豪華なつくりは、吉原の大見世そのまま。芸者、幇間をそろえた座敷の遊びも、吉原に劣らずにぎやかで華やかだった。
 そのうえ、品川は海が近いので、魚がうまい。二階座敷の窓を開け放ち、浜風を受け、江戸湾に浮かぶ船の白帆を見ながら盃を傾けるという趣向、吉原ではかなうべきものではない。
 品川遊廓は客層も独特だった。
 東海道を往来する旅人にとっては重宝な宿場である。上りの旅なら門出の景気づけにひと遊び。下りなら江戸の我が家に戻る前に、旅のほこりを落とすことができる。中には日本橋を立って伊勢参りに行くつもりが、第一の宿場・品川で遊女に迷い、何日も通ったあげく、旅費が尽きて江戸へ舞い戻ったという豪傑もいたらしい。
 旅人以外にも、面白い客筋があった。こんな古川柳がある。

品川の客にんべんのあるとなし

「にんべん」とは日本橋の鰹節屋ではなく、漢字の「へんつくり」の「人偏」のことだ。品川遊廓の大事な客は、芝の増上「寺」と、三田の薩摩屋敷の「侍」たち。人偏がなければ「寺」、付いていれば「侍」だ。どちらも男所帯で、日ごろはまじめな商売(?)。遊廓の需要がなくなることはないだろう。
 もちろん、芝や神田の江戸っ子たちも、しばしば品川を訪れた。江戸の住人にとっては、日帰り行楽ができる距離。実際、御殿山の桜、品川海晏寺の紅葉狩りなどは、江戸郊外屈指の観光スポット。きれいな花を見た後に、色っぽい華のもとによりたくなるのは人情である。
 吉原と品川、競い合う二つの色里のあれこれを、縦横斜め十文字と、あらゆる角度から検証してきた。
 ここまで書けば察していただけるだろう。そう、落語の世界にも「吉原VS.品川」が存在するのである。
 色里を題材にした落語をひとまとめに「廓噺くるわばなし」と呼ぶ。
若旦那の吉原初登楼を描く「明烏」、しつこいお大尽から花魁が逃げまくる「お見立て」、振られ連中の意趣返しは「三枚起請さんまいきしょう」、最下層であえぐ夫婦が哀しい「お直し」、「付き馬」「突き落とし」のだましのテクニックーー。
 吉原を舞台にした廓噺の面白さと、バラエティの豊富さ。400種、あるいは500種ともいわれる落語の中でも、廓噺というジャンルは名作、傑作の宝庫なのだ。 質量ともに充実した「吉原落語」に対し、数こそ少ないけれど、品川を舞台にしながら「吉原」に拮抗する大ネタもある。
 それが、「居残り佐平次」と「品川心中」だ。
 この演目を得意にした五代目古今亭志ん生のおかげで爆笑イメージが強い「品川心中」に比べ、色里の光と影を巧みに描いた「居残り佐平次」のほうが「大作感」が強い。2作品のさわりを盛り込んだ映画『幕末太陽伝』でも、フランキー堺演じる佐平次の印象が強く、映画を見ると「居残り」イコール「幕末太陽伝」になってしまうようだ。
 品川の廓噺の代表「居残り佐平次」には、遊廓を往来する人々の生々しい息遣いがあふれている。
 遊女や楼主、若い衆といった「内」の住人。
 なじみ客、団体客、不良客などの「外」の人々。
 そして、大尽遊びをした料金を払えず、客から「居残り」に転じて、勝手に働き出すという主人公の佐平次は、「内」と「外」の両面を体現する貴重なキャラクターになった。それが、この「居残り」という演目に、独特の陰影を与えているのである。
「居残り佐平」は大ネタで口演時間も長い。大ネタすぎるので普段の寄席のトリではまず聞くことができないが、大手のホール落語会や独演会などの「ここぞ」という高座で披露されることが多い。ベテラン、若手を問わず実力者といわれる噺家のほとんどが持ちネタにしている。というより、「居残り佐平次」を演じる技量があってこその実力者と呼ばれるのだろう。
 現在でもありとあらゆる演者で聞くことができる「居残り」だが、1950年代半ばに生まれた僕にとっては、昭和の名人六代目三遊亭円生の高座が忘れられない。といっても円生の晩年の高座にようやく間に合っただけだから、そうそう偉そうな顔はできないが。同時期に志ん生も演じていたが、前述したように志ん生というと笑いの要素が多い「品川心中」の印象のほうが強い。
 円生版、志ん生版ともに、出所は同じ、初代柳家小せんである。病気で失明し、足腰も立たなくなったため、授業料を取って噺を教えだした。円生も志ん生もその「小せん学校」の生徒時代に「居残り」を教わっているのである。
「居残り」には、魅力的なセリフがあふれている。幕末の江戸っ子、明治の東京っ子の言葉で語られる色里の人物、風景、空気は、「廓」そのものを知らない僕たちに「これぞ廓」と思わせる力がある。
 冒頭にあげた長ゼリフは、遊興費が払えずに「居残り」となり、本来は行燈部屋(この時代は夜具部屋)に軟禁されていなければいけない佐平次が、二階座敷を自由に行き来し、幇間のまねごとをして祝儀を集めまくっているのを、見世の若い衆が集まって「営業妨害だよ」と嘆く場面のものだ。
「居のどーん」「ヘエーイ」という女将と佐平次の事務連絡や、「居残りを呼んでくれ」「ただいま塞がつて居ります」「それなら貰ひをかけろ」という、今や佐平次のひいきになった客と女将との交渉のセリフから、佐平次の縦横無尽の活躍ぶりと、それを憮然としてみている若い衆の憤りが鮮やかに浮かんでくる。
 ほかにも、遊里の情景を活写するセリフがあちこちに隠れている。
 飲みすぎた朝にまた一杯。「朝直しは湯豆腐てえが、ナニ、湯豆腐に限った事はねえよ、矢ツ張り生臭物は食つて美味うめえねえ。コウ、湯豆腐か何かそいつて呉んねえか、それ蛤丁はしらの荒つぽいやつを、山葵醤油か何かで食ひてえねえ」
 一文無しがバレて居直る佐平次。「花魁から煙管の悪いのを一本貰つてますね、新聞紙で十二煙草入れを折つて刻みが一ぱい詰つてます。袂にはマツチが二個あるし、当分籠城は出来ます。行燈部屋へでも退りますかな」
 女を待ちくたびれた客・勝さん。「女の来ねえのは忙しいんだろうから仕方がねえや、そんな事を愚図愚図いふ野暮ぢやアねえんだが、新造も若い衆も面を持つて来ねえのは癪に障るねえ、いくら忙しいか知らねえが、是だけの屋台骨を張って居やアがるんだ、奉公人の二十人や三十人居るだろうに何をして居やアがるんだ。刺身を持つて来やアがつたつて醤油したじがねえぢやアねえか、余程タジレてやアがる。猫ぢやアあるめえし生魚は食へやアしねえや、手を叩きやア野暮な客にされちまうし、銭を使ひながら遊びはここが辛えや」
 楼主を口車に乗せて大金と着物一式を巻き上げ、さっそうと店を出ていく佐平次。「コウ、お前も女郎屋の若え衆で飯を食ふならく俺の面を覚えて置け。小塚(コツ=千住)へ行かうが板橋へ行かうが、対手にしてもねえ居残りを商売にして居る佐平次とは俺の事だ。まだ品川ぢやア一度もやらねえからと、お前の家へ足を突込んで、フン、オツな小遣こづけえ取りになつた、ハイ左様なら」
 まさか居残りが商売になるわけはなし。若い衆を脅かす、佐平次一流のはったりだろう。全編を通して、セリフが生きている。地の文よりも会話で運ぶのを良しとするのが落語なら、「居残り佐平次」は廓の最高ランクである大夫にも匹敵する快作である。

 

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長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。