愉快、痛快! スカッとする落語のことば

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば

「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。

 


 その十五(2018.04.28)

 

「あたしゃ寅さんにみんな話を聞いたよ。若い女ができたんだろ、他所よそへ。それと一緒ンなるためにあたしを二、三年、どこかへ叩き売って二人でその金を山分けしようッてんだ。冗談言っちゃいけないよ。そんなことをされて、おたまりこぼしがあるかい。何だい、頭のてっぺんから足の爪先まで、あたしの世話になっていたんじゃないか、何を生意気なことを言ってやがんだ、なんだいその出刃庖丁なんぞ振り回して、そんなもなァこっちィ出しやがれ! さ、着物をお脱ぎ、着物を脱いでおくれ。これはあたしが拵えた着物なんだから。さ、お前さんには寅さんの脱いだ着物があるから、これを着てさっさと出ておいで。今日からあたしの亭主てェのはここにいる寅さんなんだから!」
                     (三遊亭円生「庖丁」より)


 

 高級官僚のセクハラ疑惑やら、アイドルグループの強制わいせつ事件やら、政治や業界の力関係を背景にさまざまなハラスメントが世間をにぎわしているーー。と、まあ、こんなまくらを振りながら、新旧、男女を問わず、落語家は「そんなことは珍しくも何ともない」とうそぶいている。
 そう、明治大正の昔から、寄席の楽屋にはハラスメントがいっぱいあるらしい。
 昔は女性の噺家なんていなかったから、まかり通っているのは、もっぱらパワハラだ。
 落語界はタテ社会の権化みたいな世界だから、目上の者の「黒」といったどんな色でも「黒」になるという。
「これは黒だな」「(あきらかに違うと思いながらも)黒ですぅ」「本当に黒だな?」「ま、間違いありません」「(弟子の顔をのぞき込んで)赤じゃないのか?」「……赤かもしれません」
 最初から違うと言えばいいのだが、それが言えないのである。
「どこかに師匠に小言を言われて、それが自分のことではないと思っても、『違います』とは言わない。とにかく『すみません』と謝っておく。のちに本当のことがわかれば、その師匠が『すまなかった』と言ってくれるかもしれないし……」
 こういう世界に、昭和も後半になってから、女流の弟子が続々入ってきた。そこにセクハラがないなんて、ありえないことだ。
 ただ、落語家の世界だから、陰湿という感じはさほどせず、むしろ、すべてが開けっぴろげ。「私はセクハラ発言をしています!」と世間に公言しているような、真っ正直なセクハラと言えるかもしれない。
 誰とは言えないが、僕もそういう場面を、けっこう有名な師匠が楽屋入りしてから引き揚げるまで、高座で落語をしゃべっている以外は、ず~っとタレ(女性)の話ばかりをしているのだ。会話の中には四文字言葉が頻出し、およそ女性の前では使わないというか、恐ろしくて使えないような語句がバンバンと登場する。もちろん、師匠のまわりでは、若い女性の前座たちが、お茶を入れたり、着物をたたんだり、黙々と働いているのだ。
 女性前座にこっそり話を聞いてみると……。
「初めは驚いちゃって、受け答えもできませんでしたが、最近は慣れちゃったというか、ついつい『師匠、カワイイ』と思うこともあります」
 男社会のまっただ中で「真打」という遠い目標を目指して修業する女流落語家は、落語家レベルの幼稚なセクハラなんか屁とも思わない強さを持っているといったら、ほめすぎだろうか。
 ベテラン落語家が「エロじじい」だとしても、彼らのしゃべる落語には、あきらかにセクハラと決めつけられるようなひどい噺はめったにないというのは、落語ファンなら身を以て知っているはずだ。とりわけ滑稽落語、長屋噺に登場するオカミサンたちはしたたかである。亭主よりもはるかに口が達者で、所帯のやりくりだって一枚も二枚も上である。
 たとえば、「熊の皮」のカミサンは、仕事を終えて帰ってきた亭主を家に上げず、水を汲ませ、自分の腰巻きでもなんでも洗濯物を干しに行かせ、米まで研ぐように命令する。「米ぐらいお前が研げよ」と亭主が口答えをしても「水を汲んできた人が米を研ぐほうが、お米が喜ぶんだよ!」と訳のわからない理屈でねじ伏せてしまう。こんな男女の間にセクハラは発生しにくいし、なんだか亭主がパワハラを受けているような気もしてくる。

 もう少しシリアスなネタを見てみよう。
「庖丁」は、三遊亭円生の十八番である。地味な音曲ばなしに磨きをかけて、円生が高度な演技と音曲の素養が必要な「大ネタ」にしてしまった。あまりに難しい噺になってしまったため、円生没後四十年近くたった近年では、「庖丁」を「男と女のちょっと気が利いた噺」に戻そうという動きすらある。
 女たらしの久次が、久々にあった遊び人仲間の寅に、自分が一緒に暮らしている音曲の師匠お安喜あきを誘惑させようとする。実は他に若い女ができたため、邪魔になったお安喜に「間男」の濡れ衣を着せ、女郎屋に売り飛ばそうというのだ。
 あまりの卑劣な計画に鼻白んだ寅だが、目先の金ほしさに、酒の力を借りてお安喜を口説きにかかるが、手厳しく反撃される。
「何を言ってやがんだ、畜生め。いやらしい奴じゃないかねえ。なんだい、こっちも酔っていると思うから我慢をしていりゃァいい気ンなりゃァがって、何をするんだ。あきれかえってものが言えない。真っ昼間、独り身じゃない、亭主があるんだこっちァ。なんだい本当に。第一、女を口説くてえ顔かい。鏡と相談しやがれ、ダボハゼみたいな顔をしやがって!」
 ダボハゼと言われて、ほっぺたを二三発殴られた寅は、バカバカしくなって、お安喜に久次のたくらみをみんなバラしてしまう。そんなことは知らない久次は「そろそろ濡れ場が始まる頃だ」と庖丁を手に乗り込んでくる。そんな悪党亭主へ、お安喜の強烈なタンカを利かせるのである。
 お安喜は俺に惚れているんだから、なんでも思い通りになると甘く見ていた久次は、突然の鋭い反撃に目を白黒。身ぐるみ剥がされて追い出されてしまう。
 男が絶対優位の江戸でも、いや、江戸だからこそ、庶民の本音を語る落語の中では、強い女がぞろぞろいるのかもしれない。

「庖丁」と似たような展開の噺に「駒長こまちょう」がある。
 金に困ったお駒・長兵衛の夫婦が、お駒に傍惚れしている上方者の丈八に美人局を仕掛けるが、DV亭主の長兵衛より、丈八のほうがはるかに優しく、上があることを知ったお駒が寝返り、丈八と二人で駆け落ちをしてしまう。そんなこととは知らぬ長兵衛が駆けつけてみると、美人局の「現場」はもぬけの殻で、お駒の手紙だけが残っていた。その全文を紹介しよう。
「長兵衛さま 一筆書き残し申し候。貴方様とかねての御約束は、嘘から出た誠と相成り、丈八様を真に恋しいお方と思い候。それに引き換えお前の悪性、お前と一緒に添うならば、明ければ米の一升買い、暮れれば油の一合買い、つぎはぎだらけの着物着て、朝から晩まで釜の前、つくづくイヤになりました、ああいやな長兵衛面、チィチィパーパーの数の子野郎。丈八つぁんと手に手を取り、永の道中変わらぬ身もとと相成り候、書き残したきことは山々あれど、先を急ぐのあまり、あらあらめでたくかしく」(古今亭志ん生「駒長」より)
「庖丁」や「駒長」のようなネタを日々高座でしゃべっているのだから、楽屋では「セクハラ大王」に見えるベテラン落語家も、女性を怒らせたときの怖さを十二分に知っているはずだ。開けっぴろげのセクハラ発言を、女性前座が「カワイイ」と思うのは、彼女たちに弱い心の中を見透かされているからなのだろう。

 

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長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。