愉快、痛快! スカッとする落語のことば

愉快、痛快!

スカッとする落語のことば

「あたりめえだい。こちとら江戸っ子だい、職人だい。威勢がいいんだ俺ァ!」「何ィぬかしゃがんでえ、丸太ん棒めェ!」「自慢じゃねえが、『半ちゃん、頼む』と頭を下げられりゃあ、たとえ火の中水の中でも飛び込もうってんだ。江戸っ子だ、べらんめえ!」……そんな、なんともスカッとする愉快で痛快な落語の言葉を語らせたら右に出る人のいない(左に出る人は未確認)新聞記者、長井好弘さんが織りなす「落語の言葉」の奥深くて面白くて泣ける世界をご堪能ください。ちなみにここに取り上げることば、明治、大正、昭和の口演速記をあたり、今ではあまり演じられなくなった噺、埋もれかけた珍品などからも、名せりふ、名場面を厳選して紹介します。

 


 その八(2017.08.23) 

 

“「伴蔵、野暮だぞ」「……ヘイ!」”
      (桂歌丸「怪談牡丹燈籠 お露新三郎出逢い」より)

 

 もう20年以上前から、8月は、桂歌丸の高座を見ている。東京・国立演芸場の中席(11〜20日)で、歌丸が三遊亭円朝作品の長講を演じ続けているからだ。
 興行初日の11日は圓朝忌なので、歌丸は谷中全生庵にある圓朝の墓所にお参りし、同寺で落語協会が営む法要にも顔を出す。その足で新宿の顕性寺へまわり、歌丸の最初の師匠で、前座時代(!)に圓朝物の手ほどきを受けた五代目古今亭今輔の墓参をする。そして隼町の最高裁判所脇にある国立演芸場で、圓朝作の長編怪談を演じるのである。
「仏様とお化けのはしごだよ。毎度のことだけど、この暑さには参ちゃうねえ」
 楽屋入りした歌丸の、いかにも「くたびれましたけど」という顔が面白かった。
 この「はしご」の習慣が、数年前から崩れてしまった。肺疾患などで入退院を繰り返し、元々50キロ前後しかなかった体重が30キロ台へと減った歌丸は、圓朝と今輔に不義理をしても、国立演芸場の高座に全体重、ではない全体力と全神経を集中させると決めたようだ。
 僕は今年、圓朝忌の法要に参列した後、谷中から歌丸がトリを取る国立演芸場へ回った。
 出番の前にいったん幕を下ろし、その間に高座に座って、再び幕を上げるという「板付き」が、いつからか歌丸の高座のスタイルになってしまった。
「歩けないことはないんだけど、あたしのペースで歩いていたら、40分たっても高座に着かないよ」
 そんなことを言って楽屋連中を笑わせる歌丸。実際、こっそり舞台袖で見ていると、本当に体調が悪いときは車椅子を使うが、普段はソロリソロリと高座の座布団のことろまで歩いていた。そんな少しの体力まで落語のために温存したいという思いなのだろう。
 さらに、口演中に呼吸困難になってはいけないからと、酸素吸入のチューブが両の鼻の穴に通っている。広い会場ではチューブの存在に気がつかない観客も多いだろうが、時々、歌丸の鼻の下がピカピカ光ることがある。舞台照明に照らされたチューブのいたずらだ。
 板付きと酸素吸入。高座から普段の立ち居振る舞いまで、万事きれいごとの歌丸にとっては、耐えられない恥ずかしさに違いない。
「うすみっともないとは思うんだけど、こうしないと落語をしゃべることができないんだよ」と語る。
 すべてを捨てて、落語にかける。そんな歌丸の覚悟に触れるたいから、僕は毎年の国立通いがやめられないのである。
 ただ、そんな歌丸に対する心配やら忖度やらは、歌丸が登場するまでのことだった。
 幕が開き、歌丸が喋り始めると、何もないはずの演芸場の舞台に、江戸幕末の薄闇が広がってくるのだ。
「今回は三遊亭円朝師匠のお作の中から『怪談牡丹燈籠』の発端の部分を」
 やや高調子の繊細な口調だが、一言一言は明瞭で、観客の耳にスッキリと入ってくる。
 取材の際、歌丸から「江戸っ子言葉や東京弁が出てくるネタはやらない」と聞いたことがある。
「あたしはね、横浜生まれの横浜育ち。『てやんでえ』と言う前に、『いいじゃん、そうじゃん』が出ちゃうんですよ」
 だから江戸っ子のタンカが出てくる噺は避けて通るのだ、というのである。だが、僕は知っている。歌丸が江戸弁で啖呵を切る唯一の噺を。それが、今回のテーマ「怪談牡丹燈籠」である。
 萩原新三郎とお露の実らぬ恋の果て。幽霊になったお露が、新三郎の元に通うには、窓や玄関に張った御札をがさねばならない。幽霊から百両の金をもらい、御札剥がしの片棒を担いで新三郎の死を招いた下男の伴蔵ともぞうは、女房お峰を連れて栗橋宿へ逃げ、荒物屋の主人に収まる。そこへ女絡みでゆすりに来た浪人に一歩も譲らない伴蔵のタンカに重みがある。
「十一の時から狂い出して、抜け参りから江戸へ流れ、悪いという悪いことは二三の水出し、やらずの最中もなか野天丁半のてんちょうはんの鼻っ張、ヤアの賭場までって来たのだ、今はひびあかぎれを白足袋で隠し、なまぞらを遣っているものの、悪いことはお前より上だよ……」
 二三の水出し、やらずの最中、野天丁半の鼻っ張は、いずれもいさかまが横行するインチキばくち。今は商家の旦那でも、悪事の底の底を見て来た男だ、見くびるんじゃねえぞと、凄味を利かす伴蔵がそれまでとはまるで違う顔を見せる印象的な場面だ。
 この伴蔵のタンカを演じたいばかりに、長い長い「怪談牡丹燈籠」を手がけたということか。実際、歌丸は、この場面がある「栗橋宿」を最初に演じて高い評価を受け、周囲の強い勧めもあって「怪談牡丹燈籠」を発端から演じだしたのである。
 江戸っ子のタンカが嫌いな、ハマっ子の歌丸。
「苦手だという意識があるから、江戸弁が出てくる場面は丁寧に丁寧に、『ああじゃん』『そうじゃん』が出ないようにと集中してしゃべっています」
 ときには本物よりも本物らしく聞こえる江戸弁は、歌丸の「集中」の結果なのだろう。
 本人は「ハマっ子」を強調するが、歌丸の考え方は江戸っ子、東京っ子に近いものがある。焼いたら塩が吹き出るような塩辛い鮭や、醤油でこれでもかと煮染めた佃煮をおかずに飯をかっこみ、寿司は鮪の赤身と、コハダ、赤貝しか食べない。これでぺろりと大酒を飲み干せば立派な江戸っ子だが、残念ながら歌丸は根っからの下戸なのである。
 心の中に「江戸っ子の了見」を秘めた歌丸の「怪談牡丹燈籠」は、本家圓朝よりも江戸っ子らしい。それがよくわかるのが、今回取り上げた新三郎と伴蔵のやり取りである。
「伴蔵、野暮だぞ」「……ヘイ!」
 初めて会って心を奪われたお露の顔をもう一度みたい。そう思い詰めた新三郎は、お露の屋敷がある新川付近に釣りに行くという名目で、伴蔵に船を出させる。いざ船を降りて、恋しいお露の元へ向かおうとする新三郎に、「どこへ行くのか、私もお供に」と願う伴蔵。万感の思いを「野暮だぞ」の一言にこめた新三郎の思いを、一瞬の間のあとに汲み取って、ただ「ヘイ」とうなずく伴蔵。ほんの短いセリフで、二人の表情や思いが鮮やかに浮かび上がらせたのは、歌丸の手柄以外のなにものでもない。
 この場面、原作である圓朝版ではどうなっているのだろう。新三郎の船が本所の横川に着いたところから、読んでみようか。
 <「伴蔵、ここはどこだ」「へいここは横川です」
と云われてかたえの岸辺を見ますと、二重の建仁寺の垣に潜り門がありましたが、これは確かに飯嶋の別荘と思い、
「伴蔵や、ちょっとここへ着けてくれ、ちょっと行って来るところがあるから」「こんなところへ着けてどちらへいらっしゃるのですえ、わっちも御一緒に参りましょう」「お前はそこで待っていなよ」「だってそのための伴蔵ではございませんか。お供をいたしましょう」「野暮だのう。色にはなまじ連れは邪魔よ」「イヨお洒落でげすね、うがすねえ」>
 言葉の数は明らかに、圓朝版のほうが多く、そこだけを見ればを江戸趣味も歌丸版より濃厚である。だが、奥手のはずの新三郎が「色にはなまじ連れは邪魔よ」なんて乙を気取ったセリフを吐くのが鼻につくし、何よりも喋り過ぎである。
 圓朝と歌丸、どちらが粋でどちらが野暮か。答えは明白だろう。
 トリの高座を終えた歌丸を、楽屋に訪ねた。病気報道が続いて以降は、関係者や取材陣が次々と訪れ、狭い楽屋はつねに満員状態である。
 あれだけ元気な高座をつとめられるのだから体調万全かと思いきや、歌丸は着替えの途中も「ハアハアハア、ああ苦しい」と酸素吸入を続けていた。全精力を高座で使い果たしたのだろう。声もかけられずにいると、ようやく正常な呼吸に戻った歌丸の方から、話しかけてくれた。
「来年の春には、ここ(国立演芸場)で『小間物屋政談』をやることになったよ」
「今興行が終わってないのに、もう次の芝居の話ですか」
「いや、あたしのようになると、次の目標を定めないとダメなんだ。それに向かって頑張るという気持ちにならないとね」
 歌丸は「怪談牡丹燈籠」の公演中に、81歳の誕生日を迎えた。「まだまだ、やりたいことがいっぱいある」という。励ますつもりが、励まされて楽屋をあとにした。

 

Back number


長井好弘(ながい・よしひろ)
1955年、東京・深川新大橋生まれ。落語、講談、浪曲などの大衆演芸を核に、伝統芸能、大衆文芸、旅、グルメなどを加えた大人のためのエンターテインメントに関する著作活動を展開する。モットーは「面白くてためにならない」。鰻重(丼)と揚げ物全般が好物で、トマトとブロッコリーと高いもの(標高、値段とも)が苦手。読売新聞東京本社編集委員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆演芸担当)。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査委員。「よみうり時事川柳」五代目選者。『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』(東京かわら版新書)、『落語と川柳』(白水社)など、演芸関連の著書多数。