本が生まれた村(back03)
第三話(2017.07.31)
ここはいったいどこなのだ
晩冬の朝。霜が降りて、路面は銀色に光り冷え冷えとしている。広場にはオレンジ色の街灯がぼんやり浮かび、ミラノは暗がりに沈んでいる。土曜日で人通りは少ない。町はまだ眠っている。私は、早々に、待ち合わせの場所である広場の角で待っている。
「ミラノから近いです。あっと言う間に着きます。僕も村に行かなければならない用事があるので、ちょうどよかった! それでは土曜日の朝、何時頃にお迎えにあがりましょうか? ああ、申し遅れました! モンテレッジォの件でお電話差し上げています。はじめまして。マッシミリアーノ・ネンチォーニです。事務局のジャコモから聞き、お電話をしています。ミラノに住んでいますので、僕が村までお連れすることになりました」
受話器の向こうで弾む、若々しい声。
モンテレッジォ村紹介のホームページを立ち上げた有志の一人で、副代表を務める。親の代に村を出て、北部イタリアに移住。彼自身はそこからさらにミラノに移り、もう長いのだという。
「仕事も家庭もミラノに持ちましたが、僕の故郷はやはり、先祖代々が暮らしたモンテレッジォなんです」
顔を合わせたこともないのに、マッシミリアーノは電話の向こうでどんどん身の上を明かしていく。途中で遮るのは申し訳ないし、惜しい。私が合いの手を入れると、すぐに明るく返す。村のことを話すのが楽しくてしかたない、という調子である。
<子犬みたい……>
快活な受け答えに気持ちが和む。まるでずいぶん昔からの知り合い、という空気が流れる。計算尽くの弁口ではなく、素直で爽やかな性分なのだろう。押し付けがましくない言葉がほとばしる。さすがにこれ以上はやや冗長か、と懸念したそのとき、彼はひと息吐いて、
「では、土曜日お目に掛かれるのを楽しみにしています」
鮮やかに締めくくった。ぜひ会ってみたい、という余韻を残す見事な間合いだった。
村の関係者に手紙ではなく電話を入れたのは、一刻も早く村のことを知りたいと急く気持ちに加えて、村紹介のホームページの記載に惹かれたからだった。<お問い合わせ先>のページを開くと、村周辺の地図とアクセス方法が記されている。
<チーザ方面への高速道路A5号線をポントレモリで下り、12kmほど標べに沿う>
書いてあるのは、それだけ。<◯◯の交差点を右折して>とか<××方面へ向かう>など、いっさいない。
12km走れ。
つまり、高速道路から下りたらあとは村まで一本道ということらしい。
さらに、緯度経度標高以外に位置の目安になるようなもの、例えば村役場などの住所は記載されていないか探すと、二つ住所が書いてある。名目は、<登記本拠地>と<運営事務所所在地>。ひとつは<モンテレッジォ>の住所であり、もうひとつは<ラ・スペツィア>の住所だ。山と海。有志代表者ジャコモの<生まれ故郷>と<現在居住地>ということか?
住所の下には、<@>と<>。持ち主名と携帯電話番号が、二つ記載されている。番号の主は、<ジャコモ>と<マッシミリアーノ>とある。通常こういう欄の連絡先名称には<総合窓口>や<事務局>を使い、連絡先番号にも固定電話番号を載せるものではないか。衆人が目にするインターネットの<お問い合わせ先>に、ファーストネームと個人の携帯番号を載せるだなんて無防備に過ぎないか。悪意の電話や、時間を構わずに問い合わせがあったらどうする。無頓着なのか、無垢なのか。あるいは、いたずら電話も含めて、接してくる相手は漏れなく拾おうとする熱心さなのか。
あれこれ想像を巡らせているうちに、二つの番号から<電話をください>と誘われているようで、気が付いたら電話をかけていたという次第である。
電話で約束した時間通り、マッシミリアーノはやってきた。広場の隅に停車して降りてきた彼は、全身に上機嫌が満ちている。四十代初め、というところか。黒々と大きな目は、遠くからでもクリクリとよく動くのがわかる。長身で大きな歩幅でずんずんと近寄ってきて、
「お目に掛かれて、とても嬉しいです!」
元気よく手を差し出して握手し、それでも足りないように両手で包み込んで握り直しながら、首を少し傾げるように私の目を覗き込み笑った。気さくな様子は、想像通りだ。
助手席から続いて降りてきたのは、三十歳前後の女性である。吊り目形のミラーサングラスを持ち上げて、
「おはようございます。私も村に用事があるので、便乗させていただきました!」
ハキハキと挨拶した。今日の小さな旅に道連れがあることは、すでにマッシミリアーノから知らされていた。その女性フェデリカは、スキニージーンズにウエスト丈の深緑色の薄手のダウンジャケットを合わせ、ストレートの金髪を肩に流している。斬新なデザインのスポーツシューズに、引き締まった足首がいっそう映える。
私は、後部席に乗り込んだ。横には、ポスターやら紙包み、スーパーマーケットのビニール袋、厚めのジャケットにマフラーなどが雑然と積んである。袋に入っているのは、犬用の骨や缶入りの餌だ。
散らかしていてすみません、と詫びるマッシミリアーノに続いて、フェデリカが身を捻って後ろを向き、
「モンテレッジォを帰結点として、近くの山道を走るマラソン大会を開催することになりまして。かつての獣道もありますし。それならば飼い犬連れで走るのもまた一興では、という話になったのです……」
丸めてあったポスターを広げて見せた。
<聖なる道を六本脚で走ろう>
大きく掲げられた大会名の下に、ランナーが愛犬を連れて走る写真とコース地図が載っている。その下には、
<走り終えた後、犬には骨を、飼い主には郷土料理のご用意があります>
ヴェネツィアから古本。本から、トスカーナの山にリグリアの海。そして次は犬、か……。
「わかりにくいですよね。フェデリカは、ペット用品メーカーで広報の仕事をしています。大のランニング好きで、僕たちは近所の公園のジョギング仲間なんです」
マッシミリアーノが愉快そうに説明を加える。
彼は、都会の毎日に息が詰まると走る。機会があれば、マラソン大会にも出るほどの健脚だ。一年を通してミラノでは、アマチュアからプロまでを対象にさまざまなマラソン大会が開催される。どの大会でも必ず目にする姉妹ランナーがいた。姉妹は、いつも揃いのウエアで先頭集団を走るので目立つ。種々の大会や毎日のジョギングで顔を合わせるうちに、姉妹と話をするようになった。フェデリカは姉のほうである。
マッシミリアーノが長距離を走るようになったのは、幼い頃から休みごとに過ごしたモンテレッジォで、周辺をコースとする定例のマラソン大会があり、それに参加したのがきっかけだった。海沿いから山間を回る険しいコースである。ただ走るのが好きだから参加する、というわけではない。走りながら、故郷を存分に味わうためなのだ。春が来ると、山間の道は新緑の影に覆われる。呼吸を管理し、ひと足ごとに坂を上っていく。澄んだ空気で肺が洗われる。聞こえるのは、自分の息と足音だけ。次第に陶然としてくる。地面を蹴り返すと、足元から山の力が身体の中に入ってくるようだ。走っているうちに、山と一体になる。
厳しいコースは、上級走者にとって脚の奮いどころである。平地を走り馴らした強者たちが、連綿と続く胸突き八丁のコースに挑もうと、各地から参加するようになった。
「ラ・スペツィア港から駆け上ってくるわけですよ、モンテレッジォに向かって。一度この道を走ると、二度と忘れられません。胸一杯の清い空気と目一杯の緑の光景。完走すると、まるで自分が古代ローマ時代の伝令になったようで感激します」
<走ることが好きな人たちが、遠方からも集まってくる。モンテレッジォをより広く知ってもらう好機ではないか?>
ある朝、ジョギングしながらフェデリカに山道を走る楽しさを話しているうちに、マッシミリアーノはふと、犬連れで参加できる大会を思い付く。
フェデリカは、瞬発力のある女性である。
「きっと面白い宣伝になるわ。上司に相談して、協賛してもらいましょう」
話はトントン拍子に進み、六本脚のマラソン大会がモンテレッジォで開催されることになった。協賛金や参加費は、モンテレッジォのために使われる。高齢化する住民。増える空き家。過疎化どころか、廃村も目前だ。なんとかして村を守らなければ。
さて、車はミラノを出てエミリア地方を走り抜けていく。北イタリアの大規模農業地帯だ。春を間近に控えた大地が、見渡す限り全方位に黒々と広がっている。
「僕は、この少し先にあるピアチェンツァという町で生まれて育ちました。親の代まで、そこで書店と出版社を生業としていたからです」
遠くの記憶を引き寄せるように、マッシミリアーノが少しずつ話す。
彼の両親も、叔父叔母も、その子も姪甥も、モンテレッジォで生まれて育ち、村から他所へ働きに出た。春が来るとイタリア国内外を引き売りして回り、村へ戻っては冬越えをした。毎年それを繰り返した。代々モンテレッジォの祖先たちがしてきたように。
「行き先やそのうち定住することになる場所が異なっても、先祖代々から村人たちが変わることなく売り続けたのは、本でした」
広大な平野を突っ切る高速道路を飛ばしながら、
「本を担いで、ここを歩いて旅したのですからねえ……」
地平線まで続くこの一帯の耕地には、春から秋にかけてトマトをはじめ、麦やトウモロコシ、ジャガイモなどの多種類の野菜が輪作され、葡萄やイチジクなど果物も豊富に栽培される。イタリア最長のポー川流域で、肥沃な土地である。ずっと北イタリアの胃袋を支えてきた。今でこそ大型の散水設備やトラクター、ハーベスターなどの耕運機を導入した最新式の大農法へと改革されているものの、一八〇六年にナポレオン一世が封建制度を廃止するまでは、領主に雇われた農民たちが身を粉にして働いていた。この広大な土地を手で耕し、河川から延々と水を引き、種を蒔き、水と肥料をやり、天災や害虫から守り、収穫するのはどれほどの苦労だっただろう。
「それでも耕すところがあるのは、まだ恵まれていました」
耕地を持たない山の者たちの生活は、農村地帯の天候に翻弄された。日照りや洪水が続くと、出稼ぎ先が無くなった。
<他力を当てにせず、自力で生きる道を見つけなければ>
こうしてモンテレッジォの先人たちは他村への出稼ぎ肉体労働から次第に離れ、物売りへと稼業を変えていったのである。
もう二時間近く平野を走っただろうか。次第に両側から山が競り寄ってきた。遠方に見えていた丘陵が近づいてきて、後ろからも横からも低くなだらかな山々が現れ取り囲み、尾根が何重にも連なる。無数の屏風が隙間なく立ち並ぶようだ。春を待つ低い空が、薄青色に広がっている。山腹は灰色で、荒起こしが済んだ耕地を縁取っている。
ジェノヴァ方面へ向かう流れと分かれ高速道路を下りると、車のフロントガラスを県道の両側から伸びる木々が埋める。
道には満遍なく陽が当たり、前方も後方も見通しが良い。それでいっそう侘しい。すれ違う車は一台もない。家もない。店もない。音もない。そういう景色が、陽の下にさらされている。地方の道沿いにはショッピングセンターや地域の特産品の広告、宿泊施設などの案内板が林立しているものだ。あるいは、長距離トラック運転手が寄るざっくばらんな食堂が路面にあったりする。ところが、ここには何もない。
その道を数十メートルほど走ったところに、車が停まっていた。
中から転げるように出てきたのは、中年の男性である。ヒョロリと背が高く、白髪混じりの髪は理髪仕立てだとすぐにわかる。メガネの奥の、戸惑ったようなはにかむような目と合う。
ジャコモさんですね?
途端に、相手は相好を崩した。
「ああ、本当にいらしてくださったのですね。どうもありがとうございます。ようこそモンテレッジォへ!」
横の妻を紹介する口が、もどかしげにもつれる。
「まずは村まで行きましょう。それからゆっくりご説明します」
車を寄せていた道端に、鮮やかな青色の地に白抜きで<MONTEREGGIO>と記された道路標識が立っているのが見えた。たいてい車がぶつかり曲がっていたり、錆びたり剥げたりしているものだが、その標識は真新しい。無傷で堂々と立っている。これが、過疎化の進む村への標識とは……。
意外な思いで見入っている私に、
「僕たちのお金で立てたのです。役所を待っていたら、埒が明きませんから」
誇らしげにジャコモが言った。その笑顔の背後に、別の看板に貼られた顔写真がちらりと見えた。
あれ、ヘミングウェイ?
「ええ。第一回の『露店賞』(Premio Bancarella)の受賞作の作家ですからね」
至極当然、と返すジャコモ。
裸の枝と田舎の一本道、山峰になぜ、ヘミングウェイが……。
この『露店賞』とは、イタリアの最も由緒ある文学賞のひとつである。なぜ<露店>という名前なのか、これまで考えてみたこともなかった。本を置く書店の平台のことを、露店の商いの台に擬えてそう呼んだのだろう、というぐらいに思っていた。毎年よく売れた本に対して与えられる賞のはず。本選びの指標となる重要な賞だ。
その賞のことがなぜ、この山奥の一本道に看板になってポツンと立っているのか。
「だって『露店賞』の発祥地が、ここなもんで」
ジャコモは飄々と続ける。
「全国の書店員たちがそれぞれ一推しの本を挙げ、最終候補六作品から受賞作一作品が選ばれる。それが、<露店賞>です」
いつだったか、テレビニュースで授賞式の様子を見たのを思い出す。どこか地方での開催だったような。それが、ここだったのか。
「だってここは、本とその露店商の故郷ですので」
二台連なって、坂道を上っていく。今聞いた文学賞の話が、耳の奥で響いている。それほどの行事が開かれる場所だというのに、呆れるほど何もないところだ。おまけに道はところどころ舗装が割れて整備されないまま、下の地がむき出しになっている。どちらを向いても高低とりまぜた山々だが、中腹からえぐり取ったように崩れている山もある。より標高の高い深い山奥から川が流れ下りてきているが、岸辺や川中にいきなり大きな岩が転がっている。落石だろうか。少し行った川の両岸には、高層ビルの基礎工事に使うような無骨な鉄柱が二本渡してあり、その間に枕木のように油で腐食止めされた材木が並べ置いてある。建材はコンクリートで覆われず、錆び付いた厳(いか)つい姿をさらしている。見るからに堅牢ではあるけれど、急拵(ごしら)えで造った仮の橋に見える。荒廃したまま時間が止まったような光景の中を、車はジャリジャリと音と土埃を立てながら行く。
「2011年の豪雨で、この辺りは道も橋もすべて流されました。過疎の村は、復興工事も後回しにされる。このままでは故郷が消えてしまう、と、各地に暮らすモンテレッジォの子孫たちが力を合わせて分断された道を繋ぎ、落ちた橋を架け直したのです」
さきほど見た村の道路標識が真新しかったのは、そういう事情があったからなのか。
「道路の修復が済むまでは海側からは入れず、奥の山の尾根伝いの道から遠回りして村へ入っていました。そこからだと車が通れるのです。中世から残る道で、古の領主が<聖なる道>として導の塚を配した祈りの路程でしたので、信心深い人たちは『御加護だ!』と、ありがたがっていましたね」
損壊した道が復旧したのは、つい2016年に入ってのことだという。
「あなたはまるで道筋が付くのを待って、村にいらしたようですよ」
これまでのヴェネツィアからモンテレッジォへと繋がる、不思議な引力を思い起こす。
マッシミリアーノが車の窓から、今来た道の裾を見下ろす位置から斜向かいの山を指す。木々の間から、斜面に張り付くようにして建つ石造りの集落が見える。
「あそこが、ムラッツォ。モンテレッジォの裾にある、一番近い村です」
集落の建築様式からすると、村の起こりは遡ること、やはり中世ぐらいだろうか。古そうですね、という他に適当な相槌を思い付かないで黙っていると、
「ダンテが立ち寄った村でしてね」
車はムラッツォ村を眼下に残し、舗装されたばかりの坂道を上り続けていく。
視界には山と九十九折りの道があるばかりのようで、ヘミングウェイも佇んでいればダンテも遠くから見ている。日灼けした額に深い皺を刻み、出稼ぎに行く村人たちが黙々と山越えをしていくのも見える。その間を無数の本が飛んでいる。
いったいここはどこなのだ。
折れて、曲がって。奥へ、上へ。
車から降りて、ふらついた。山頂と思ったそこは、モンテレッジォの入り口だった。古い教会と塔が静かに立っている。冬の陽が降り注ぐ。そして360度、山。
どうです、と、ジャコモとマッシミリアーノは、腕を組んで満面の笑みである。
ゆるやかな風が下から吹き上がり、抜けていく。車を停めたのは、村の広場だった。さほど大きくはない四角い広場には、椅子が陽に向かって四、五脚ほど無造作に置いてある。
座ると、大きな白い大理石の石碑と正面から向き合った。
彫られているのは、籠を肩に担いだ男である。籠には、外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。男は強い眼差しで前を向き、一冊の本を開き持っている。スボンの裾を膝まで手繰り上げて、むき出しになった脹脛には隆隆と筋肉が盛り上がり、踏み出す一歩は重く力強い。頭上にはツバメが二羽、男に沿うように飛んでいる。
『この山に生まれ育ち、その気概を運び伝えた、つましくも雄々しかった本売りたちに捧ぐ』
碑文に、言葉を失う。
石碑の後ろで、教会と塔が見ている。
内田洋子 Yoko Uchida, Journalist
ジャーナリスト。イタリア在住。
1959年神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。
通信社ウーノ・アソシエイツ代表。2011年『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感』『ミラノの太陽、シチリアの月』『イタリアの引き出し』『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』『皿の中に、イタリア』『どうしようもないのに、好き イタリア 15の恋愛物語』『イタリアのしっぽ』『イタリアからイタリアへ』『ロベルトからの手紙』『ボローニャの吐息』『十二章のイタリア』『対岸のヴェネツィア』。
翻訳書にジャンニ・ロダーリ『パパの電話を待ちながら』などがある。
『Webでも考える人』連載エッセイ 《イタリアン・エクスプレス》