本が生まれた村(Back01)

第一話(2017.06.12)

それは、ヴェネツィアの古書店から始まった

 その書店は、商店の立ち並ぶ細い道を折れた奥にあった。

©UNO Associates INC.

 ヴェネツィアを訪れると、本を買う必要もないのにわざわざその店の前を通るように回り道をしたり、時間があるときは店に入ってざっと棚を見渡したりした。
 角の建物の外壁に沿って、書店はショーウインドーを(しつら)えている。ショーウインドーといっても、ガラスの引き戸付きの木製の本棚を並べたような簡素なものだ。そこそこの奥行きがあって、細い路地幅の三分の一ほどを占めている。中には大判の美術展の図録や写真集、ケース入りの歴史全集、私家版らしい薄い詩集や料理レシピなどが一冊ずつ、ショーウインドーの背全面には表紙を表に立てて、手前のスペースには平置きで並べてある。すべて古本。多彩な表紙は、古布を繋ぎ合わせて作ったパッチワークのようだ。弱い蛍光灯の下、表紙が白々と浮かんでいる。ほとんどの本が無名で、表紙には<−50%>と記された紙片を付け、黄ばんだり角が丸く()り減ったりしているというのに、本の格とでも呼んだらいいだろうか、貫禄に満ちた様子で並んでいる。
 ヴェネツィアは、干潟の上に造られた町である。季節を問わず湿度が高く、路地裏には一日じゅう陽の差し込まないところも多い。書店のある場所もそういう一角である。幻想的なヴェネツィアの薄暗い裏通りで古本を売る店は、異次元への入り口のように見えた。
 裏通りにあるうえ、ショーウインドーのガラス戸は木枠だけの簡素な造りなので、石や棒で容易に破られるのではないか、と通るたびに気になった。しかしこれまで一度も壊れたのを見たこともなければ、欠けたりひび割れすら目にしたことはない。いつ通っても一点の曇りもなく磨かれたガラス戸の向こうに、多様な本が整然と並んでいる。

©UNO Associates INC.

 何度か通るうちに、木製の枠や背板のおかげでショーウインドー内の通気性が保たれ結露を防いでいるのでは、と気が付いた。中の書棚が地面から五、六〇センチメートルほど上に取り付けてあるのも、おそらく頻繁に町を覆う冠水対策なのだろう。
 古い本たちは馴染んできたヴェネツィアの空気をこれまで通りに吸って吐き、ほどほどの湿り気を(まと)って、居心地が良さそうである。古びても、生きている。
 まるでゴンドラのようだ。
 木造船であるゴンドラは水路から水路を廻り、暮らしの音や匂い、水を吸い上げ、抱え込み、静かに放ち返す。船には、いくつものヴェネツィアが沁み込んでいる。「ゴンドラは揺りかごであり、棺桶でもある」。ゲーテの言葉を思い出す。
 古い本たちは、木枠の付いたショーウインドーの中でさまざまな時をページの間に抱えて、手に取られるのを待っている。


 時事報道の仕事柄、移動が多い。事件現場を見に、あるいはネタを探しに出かけていく。初めて訪れるところが多い。右も左もわからず、頼る知己はなく、土地勘もない。そういう時は、古くからの宿やそこが懇意にしているタクシーに乗ってみるのに加え、書店を訪ねてみることにしている。場所によっては、書店がないこともある。そういう過疎地でも、万屋(よろずや)の一軒はあるものだ。日用品から食材、簡単な飲食もできるような店の一角で、新聞や雑誌も売っている。深い山間地や離島では、新聞が見つかっても前日のものだったりする。
 「本ですって? まだ残っているかなあ……」
 思わぬことを問われて、店主は首を傾げながら奥へ入る。袋菓子や缶詰、ネジや電球の並ぶ横に、申し訳程度に新聞や雑誌が置いてある。その後ろの棚に、ノートやファイルと並んで数冊の背表紙が見える。
 「この先に住んでいるマリオさんが書いた本なのですがね」
 『村祭りの歴史』。
 版元を見ても、知らない名前だ。自費出版で、近くの印刷所の名前かもしれない。
 「あの、マリオさんに直かにお尋ねになってみますか?」
 ページを繰って奥付まで見入っている私に、店主が訊く‥‥‥‥。
 どんな本でも、連れてくる情報がある。一冊の本をきっかけに、思いもかけない(つる)を引き当てることもある。見知らぬ土地が、本を介してそばへ寄ってくる瞬間だ。


 大手、中堅どころの出版社や報道機関の多くが北イタリアに集まっているため、私は仕事の拠点をミラノに置いている。国内外の主要都市との連絡もよく、移動や面談をするのに無駄な時間と労力がかからない。日帰り、もしくは一泊もすれば、ほとんどの用件は済む。
 ヴェネツィアへも特急電車で二時間半である。重要な美術展や講演、文化行事の開催が多く、頻繁に行く。ところがヴェネツィアは常に観光客でごった返し、歩くのもままならず、宿は取りにくいし、物価も高く、ロマンと神秘さに業務中にもつい気を取られてしまう。用件を端的に済ませ、できるだけ日帰りで行くようにしてきた。
 ヴェネツィアでの移動は、水上バスか徒歩に限られている。混雑する中を行くには、荷物は少ないに限る。人混みを避けるため、地元の友人から教えてもらった抜け道を行く。建物と建物が互いに寄りかかるように建つその裾を、すり抜けて歩く。一人通るのがやっと、という路地は、雨が降っても傘を広げることもできないほどだ。目印になるような商店もホテルも食堂もないが、壁ごとに黒カビの付き方も異なっているし、繰り返し通るうちに足裏で石畳の凹凸を覚えるものだ。
 ある冬の日だった。細かな雨が斜めに降り続けていて、まだ昼を過ぎたばかりだというのにもう景色は無彩色に沈んでいる。サンマルコ広場での用件を終え駅へと急いでいると、先方にショーウインドーがあるのが目に入った。いつもの抜け道である。通い慣れていたはずなのに、これまで気が付かなかった。
 <前からあったのだろうか>
 狐につままれたような気分でショーウインドーに近づくと、中には多数の本が並んでいる。すぐ横のガラス扉を押して店へ入った途端、天地左右から本がどっと押し寄せてきた。店の中央の平台には、本がうず高く積んである。壁面はすべて本棚だ。床には隙間なくおびただしい数の段ボール箱が置いてある。店の入り口周辺に辛うじて人が通るスペースはあるものの、左右から積まれた本がはみ出しているので身を斜めにしなければならない。動くに動けず立ち尽くしている私を、奥にいる先客たちはちらりと見るが、すぐにまたそれぞれの本に目を戻している。

©UNO Associates INC.

 本の山に囲まれて座っている人が、店主なのだろう。コンピューターと電話を置くともうハガキほどの余地しか残っていない机の上で、メモを取ったり検索したりしている。
 無数の本は、闇雲に積み置かれているわけではなかった。山ごとに、テーマ別の区分がされている。内容も判型も多岐に(わた)るが、どれも古本だった。
 「うちの本はすべて、ヴェネツィア関連か美術ものです」
 事務をひと段落した店主が、一見の私に店内の説明をしてくれた。
 改めて、山々を見渡す。
 歴史、文芸、経済、政治、宗教、芸術、医学、薬学、科学、法学、建築、スポーツ、料理、旅行、地図、海図、潮流地図、農業、漁業、工芸、庭園、植物図鑑、魚介類図鑑、船舶図鑑、礼儀・作法、芸能、ファッション、民話、写真、展覧会の図録 ‥‥‥。
 およそ思い付くすべてが集められている。それは、細分化したヴェネツィアだ。
 どの本も一点ものである。今日買い逃すと、もう二度と入荷されないかもしれない。一期一会の本たちを前にして唸る私に向かって、常連たちは、そうだろうそうだろう、と、頷いている。
 ティツィアーノの画集の強い赤。
 ヴェネツィア語で書かれたゴルドーニの戯曲全集。
 中世の航路地図。
 干潟の漁の記録。
 カーニヴァル衣装の変遷。
 どれも欲しかった。しかしどの本も分厚く、とても持ち歩けるような重さではなかった。
 「お待ちしています。いつでもまたどうぞ」
 胸いっぱいのまま、しかし手ぶらで店主の声を後に駅へ急いだ。


 あれから数年。縁あってヴェネツィアで暮らすことになった。

©UNO Associates INC.

 通うのと暮らすのとでは、町の見え方ががらりと変わる。一番の違いは、帰りの電車を気にせず散策できることである。あてもなく、ふらりと出かける。行き当たりばったりで、未踏の路地を行く。迷えば迷うほど、ヴェネツィアの懐の奥へと分け入っていくような気がして、住人ならではの醍醐味と優越感を味わう。そして何より、件の書店へ立ち寄り好きなだけいて、気に入った本が見つかれば買って帰ることができるのが嬉しかった。
 本の山を裾から一歩ずつ登っていき、ときどきトンネルをくぐり抜けたり獣道に迷い込んだりする。本の尾根からのヴェネツィアの眺めは、店に行くたびに変わった。店主アルベルトが荷解きをし、自ら一冊ずつページを繰っては仕分け、少しずつ並べ直しているからだった。膨大な数にもかかわらず、彼は本ごとに相応しい居場所を見つけてやる。平台の隅に放り置かれているように見えて、実はその一角が真っ先に客の目に留まるところだったりする。あるいは簡単には手の届かない、奥の棚へ移される本もある。誰かに取り置くように頼まれたのかもしれない。
 「長く置けば値が上がる、という売り方はしませんので」

©UNO Associates INC.

 ワインのように熟成すればより逸品となる本もあるのか、と尋ねたら、アルベルトは<−50%>の紙片を摘み上げ、首を(すく)めてそう答えた。
 本は書店の細胞だ。頻繁に手入れされているおかげで、店内はいつも瑞々しい雰囲気に包まれている。古本なのに、投げやりだったりくたびれたりしていない。<読んで読んで!>。手に取ってもらうのが待ち切れない様子だ。刷り上ったばかりの本のように生き生きとしている。
 棚揃えは、書店主の人となりだろう。常連たちは本を探しに来るようで、本当はアルベルトとおしゃべりをしたくて訪れている。地元の客だけではなく、他都市からも美術や建築の専門家たちが来ているようだった。それぞれが、最近読んだ本や見聞きした情報、共通の知り合いの噂話などをしている。時には横で本を見ていた別の客も加わって、読後感想を熱心に述べ合うことになったり、話題が飛んで新作映画や旅先での話になったりもするのだった。
 アルベルトはニコニコしながら、客たちの話にじっと耳を傾けている。客たちの雑談にふと間が空くと、
 「これなど、どうですかね」
 絶妙の間合いで背後の棚から一冊抜き出し、客たちに見せている。たった今、四方山話に出てきたことを扱った本である。一同、ほう、と感心している。
 「それじゃあ、もらっていこうか」
 どうも。いつでもまたどうぞ。


 ヴェネツィアに暮らし始めてほどなく、離島のひとつであるジュデッカ島の近くに女性の死体が浮いた。首なし、手首から先なし。猟奇殺人事件は、被害者の身元も不明で容疑者も検挙されないまま何日か過ぎ、町には不穏な空気が流れていた。
 しかも雨が続いて沈鬱で、気分転換に、と書店を訪ねることにした。
 店に通ううちにわかってきたのだが、レジ席には買取してきたばかりの本か、店主のお勧め本が積んである。それをよく知っている常連たちは店の奥へ入る前に、<掘り出し物は?>と、ひとまず挨拶がてら店主に目で伺いを立てる。店主が席を離れ手を離せないときは、馴れた様子でレジ席周りに積んである本から見始めるのだった。
 気晴しになる本はないか、と私も常連たちに倣ってまずレジ席に目をやってみた。
 『ヴェネツィアの刑務所』
 『干潟と離島のミステリー』
 『ジュデッカ島の歴史』
 ……。
 店主は背をこちらに向けたまま、黙って棚の並べ替えをしている。


 あるとき、日本の雑誌から原稿の依頼があった。
 <イタリアの下水道についてエッセイをお願いします>
 散歩の帰りに書店に寄り、この風変わりな依頼をアルベルトに何となく話した。すると彼は入り口の近くに置いてあった段ボール箱を覗き込み、これ! と、嬉しそうな声を上げた。
 『ヴェネツィアの上下水道のしくみ』
 干潟の断面図が表紙になった、ずいぶん地味な装丁の本である。
 「ちょうど昨日入ってきました。著者は熱心な研究者のようですから、内容が濃すぎるかもしれませんがね」
 アルベルトは飄々(ひょうひょう)と言った。まるで私が探しに来るのを、本といっしょに待っていたかのようだった。仰天しながらページを繰ると、写真やスケッチに加えて、緻密な図解や数式、記号が並んでいる。都市建築や工学、生化学などの知識を駆使してまとめてあるのが素人にも亮然だった。躊躇(ちゅうちょ)し、買い控えていったんは帰宅したのだが、ひと晩明けると、やはり気が変わった。開店早々に店を訪ねると、
 「あの手の論文集は、足が速いのです」
 もうなかった。


 そういうわけで、<ヴェネツィアを舞台に女性の話を>という原稿依頼を受けたときには即、書店に直行した。
 女、女と、つぶやきながらアルベルトは本の間をすり抜け、あちこちから数冊を抜き取ってきた。
 『ヴェネツィアの女たち。中世の貴婦人からペキー・グッゲンハイムまで』
 『ヴェネツィア共和国元首夫人たち』
 『十八世紀の娼婦』
 『おばあちゃんの郷土料理集』
 「女性、と言っても、まあいろいろでしょうから……」
 ひとまず家に持ち帰ってゆっくり目を通し不要な本は戻してくれればいい、と、代金は受け取ろうとしないのだった。


 この店で本を買う人は、きっと再訪してはまた別の本を買うだろう。新刊も買うし図書館も利用するけれども、アルベルトの店にはまた戻ってくる。遠洋へ出航していった船が、いずれ必ず母港に戻ってくるように。
 本を買う必要がないときもつい店に立ち寄るのは、単に本が好きというだけではなく、客たちが自分の胸の内を彼に読み解いてもらいたいからではないか。
 読んで、読まれて。


 アルベルトの書店は、私にとってヴェネツィアの水先案内人であり百科事典である。わからないことがあると、まず店に行く。資料になる本があるかどうか。同類書が多数あるとき、あてになるのはどれなのか。アルベルトは相談を受けると難題でもけっして引き下がらず、
 「父に訊いてみます」
 と、返事することが多かった。
 数年前に彼の父親は店を任せて引退したが、今でも息子が休む週末に交代要員として店に出てくる。本に囲まれて、いつもニコニコしている。ふと目が合うと、
 「はい、何をお探しでしょう」

©UNO Associates INC.

 強いヴェネツィア訛りで早口に尋ねる。首を少し(かし)げて控え待つ様子は、忠実な執事のような、あるいは目配りの利く大番頭のようだ。老人にありがちな頑なさや訳知り顔なところがない、低姿勢で穏やかな人である。
 土日と平日とでは、客の顔ぶれが異なっている。先代であるこの父親の贔屓客と、当代アルベルトに付く客なのだろう。店主が違えば、客との雑談の内容も変わる。先代は、本のことだけではなくその著者のこと、図録からは美術展が開催されたときの賑わいぶりや当時の世評など、本が読まれた時代のことをよく覚えている。話題は多岐に亘り、話し相手になる客たちも揃って長齢のため、(おぼろ)げな記憶を頼りにそれぞれが意見を加え、雑談はとめどがない。土日に書店へ行くと、タイムトリップが楽しめる。 
 この書店の歴史はそのまま、ヴェネツィアで読まれてきた本の歴史なのか。
 目の前で歴史巻物が解かれるのを眺めるようで、感嘆する私に、
 「いいえ、私の祖父が創業しましたので、息子でまだたったの四代目です。それに祖父の家系はヴェネツィアではなく、トスカーナ州が出処でしてね」
 トスカーナ州ですって? フィレンツェ?
 いえいえ、と頭を振ってから、晴れ晴れと誇らしげな顔で言った。
 「モンテレッジォです」。

Thanks to: Libreria Bertoni
S. Marco,3637 Venezia 30124 Italia
www.bertonilibri.com

第二話(2017.07.07)

海の神、山の神

 ヴェネツィアの本好きたちが集まる書店は、もう何世紀も前からそこで商売をしているものだとばかり思っていた。観光客で賑わう地区から()れたところにあるものの、とりわけ不便というような場所でもない。抜け道さえ知っていれば、サン・マルコ広場からも十分ほどだ。周囲にあるいくつかの小さな広場と、地元の住民たちが通う軽食堂やバールを繋ぐ動線上にある。
 「空き時間ができたから、ちょっと本屋でも(のぞ)いてみるか」
 「これ、本屋の主に(ことづ)けておくかな」
 休憩所というか、中継点というか。他所の人で溢れる町で、地元の気心の知れた人たちのあいだで便利に利用されている。知る人ぞ知る店なのだ。

©UNO Associates INC.

 客の出入りが頻繁な書店というのも、居心地の悪いものである。けれどもまた逆に、息を潜めて試し読みしなければならないような店も辛気(しんき)(くさ)い。照明で煌々(こうこう)と照らされ過ぎることなく、また暗過ぎず。広くもなく狭くもない店内に、二、三人ほどの客。そして店主。あとは本。しかも扱うのは古本だけだ。ときおり聞こえるのは、ページを(めく)る音くらい。
 理想の書店を具現したような店である。旨味のある商権を手にするのが厳しいヴェネツィアで、これほどの好条件を兼ね備えた店舗を構えるのは新参では到底無理だろう。相当の老舗に違いない……。
 ところが聞くに、現在の店主でようやく世襲の四代目に過ぎず、しかも創業した曽祖父はトスカーナからの移住者だったという。
 三代目の老父は、よくぞ尋ねてくれた、と本棚から地図を抜き出し揚々(ようよう)と広げると、初代の出身地を指差した。
 <モンテレッジォ>と記された周辺には見知った地名がないどころか、あるのは山脈だけである。空白の多い地。フィレンツェが州都のトスカーナ州に属しているが、ジェノヴァが州都のリグリア州の境界線がすぐそばを走っている。北上してすぐが、ボローニャが州都のエミリア・ロマーニャ州との境だ。重要な三つの州に近接するものの、どの州都にも近いというわけでもない。交通機関はといえば、太線の道路は近くの山岳地帯の麓あたりでプツリと途絶えている。地図上で見るだけでも、ずいぶん辺鄙(へんぴ)逼塞(ひっそく)している印象である。
 美しい自然に恵まれてはいるけれど、それ以外にはこれといった特色もなく、世の中から忘れ去られてしまったような町村はそこここにある。初代は、そういう山奥の故郷を出て都会で異なる人生を試してみたかったのかもしれない。中世以前から交易で栄え、数世紀に(わた)り世界じゅうから情報と人材、財源が集まったヴェネツィアである。どうせ移住するなら、と頂点を目指したのではないか。

©UNO Associates INC.

 「そういう大志があったかどうか……。昔から、モンテレッジォの男たちは他所へ物売りに行くもの、と決まっていましたのでね。曽祖父もそれに(なら)ったのだと思いますよ」
 地元の経済基盤が脆弱(ぜいじゃく)なために他所へ働きに出る話は珍しくもない。老店主が熱心に説明するのを、そのうち彼の曽祖父が立身出世した自慢話になるのだろう、と私はときどき相槌(あいづち)を打ちながら聞き流している。物売りというからには、モンテレッジォならではの特産品もあったからこそ、とお愛想に感心すると、
 「腕力です、男たちの。それもいよいよ売れなくなると、本を売り歩くようになりました」
 三代目は、ぐっと(あご)を上げて答えた。
 彼は強いヴェネツィア(なま)りに加えて、前のめりに早口で話す。今、<腕力>と言いました? そして何ですって、<本>? 
 ()に落ちずに聞き返した私に、
 「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなれば、他所でも働き口はなくなった。村には特に売る産物もありませんでした。それで本を売ったのです」

©UNO Associates INC.

 ワイン祭りやソーセージ祭り、キノコ祭りに鴨祭り……。農繁期の夏から収穫期の秋にかけて、イタリア各地でさまざまな祭りが行われる。農業や牧畜業に携わる人たちが収穫物を持ち寄って料理を作り、飲み食いし、踊って楽しみ、労う。
 「モンテレッジォの収穫祭は、だから本なんです」
 ヴェネツィアの書店主から山村の夏祭りの話を聞いて、再び驚いた。鴨やフォカッチャの代わりに本を肴に踊るなんて。
 中世の写本の時代から長らく、ヴェネツィアが西洋の出版の中心だった。時代が移るにつれ各都市国家にも印刷所や出版社が生まれていったが、深い山奥のその小村にも個性的な出版社があったのかもしれない。あるいは山の木々を原材料に紙が生まれ、その縁続きでの本なのかもしれない。または、飼っていた牛馬や羊の皮が本へと生まれ変わったとか……。
 ヴェネツィアの国立図書館で見た、数世紀前の写本や古い海図を思い浮かべる。机に載りきるかというほどの大判の写本は、美しい書体で記された古代ギリシャ語やラテン語の本文に、ページ頭の最初の文字は装飾が施されてあり、一枚の絵画を見るようだった。
 「いや、ただの古本ですよ」
 私が古の装飾写本を連想しぼんやりとしているのを見抜いたように、老店主は事も無げに言った。
 「父もそのまた父も、私たちの先祖は皆、古本を売りに歩いて生計を立てたのです」

 帰宅して、再びじっくり地図を見る。老店主が説明したことが、よくわからなかった。山から本への飛躍は突飛過ぎた。村に特産物がないため男たちは本を売りに他所を回った?  印刷所もない村の稼業が、なぜ本売りなのか。どこから仕入れて、誰に売ったのだろう……。 
 ネットで検索する。空撮写真を眺める。山、渓谷、また山。村の概要に始まり、伝統行事、産物、自然環境、歴史、遺跡、人口の推移など。ぼんやりとした輪郭は浮かび上がったものの、村の暮らしの仔細が知れるような資料に行き当たらない。点在する情報は天災の年代や聖職高位の人物名だけで、歴史の切れ端を(つま)み上げるようだ。一枚の布に縫い繋ぐと、どのような模様を成すだろう。
 路地裏の古書店のショーウインドーを思い出す。時代も分野も異なる何冊もの本が、表紙を並べてひとつの情景を作っている。『ひとりは誰でもなく、また十万人』(注)、か。
 「行ってみることですね」
 翌日、古書店を再訪すると、老店主はただそれだけ言った。<いってらっしゃい>その背後で、店内の古本が揃って表紙をはためかせたように見えた。

 モンテレッジォの村祭りは、毎年夏に開催されているらしい。調べると、数年おきにときどき思い出したように本祭りのことは報道されてはいるのだが、どの記事も似たり寄ったりの内容だ。子引き孫引きされて、繰り返し掲載されているのだろう。
 引用の大元となっているのは、有志が立ち上げた、村を紹介するサイトのようだった。頻繁に更新はされていないけれど、壁の石や山の木に至るまでを追い、村を取り巻く要素は漏れなく記録しておこうという気概に満ちている。何より驚いたのは、紹介文の冒頭にまず村の位置を示す緯度経度と標高が記されていることだった。まとめたのは、さぞ真面目で几帳面な人なのだろう。細かく分けた項目のもとに、地名や人物名が小さなサイズのフォントで記載されている。ただ本文や写真をクリックしても、関連リンクへ飛ぶようには作られていない。熱心に調べてわかった順から箇条書きするように、画面に貼っていったように見える。勤勉な学生のノートのようだ。
 画面を繰ってみるが、サイトには広告がひとつも掲載されていない。毎夏の村祭りで本を扱っているというのに、出版社の広告すらない。バスや鉄道会社のリンクもない。宿や飲食店案内も載っていない。モンテレッジォという村に関することだけが凝縮され(かたまり)となって、インターネットという空に浮いている。他力に頼らず、口を(はさま)ませず、誰に媚びることもない。けれんのない説明が続く。
 構成は地味で、使い勝手のよいサイトとは言えず、いかにも素人の手作りという印象は否めない。しかしそれがサイトを作った人たちの実直さと熱意を代弁しているようで、端から読み進めるうちにだんだん胸が熱くなってきた。
 この人たちは、心底モンテレッジォが誇りなのだ。
 「……」
 電話の向こうは、返事に詰まっている。村についてのサイトの裾に、事務局の連絡先を見つけた。面会申し込みのために手紙を書き始めたが、少しでも早く村を訪ねてサイトを立ち上げた人たちに会いたい思いが募り、矢も盾もたまらず直接電話をかけたのである。
 自分は、日本とイタリア間でマスコミ関係の仕事をしていること。
 ヴェネツィアで知り合った古書店主から、モンテレッジォを知ったこと。
 代々、村の男性たちは本を売って生計を立ててきたと聞いた。
 本が主役の夏祭り、とか。
 その山になぜ本なのか。
 村についてのサイトを読んで胸を打たれ、こうして電話をしていること。
 等々、私は一気にまくし立てた。
 すぐにでも村を訪ねてみたいのだが、とひとまず締め括り、相手の返事を待った。
 「私どもの村にご興味を持っていただき、まことにありがとうございます」
 ひと呼吸置いて、電話の向こうからおずおずとした調子で返事があった。
 「サイトを立ち上げた有志代表の、ジャコモ・マウッチと申します」
 静かで丁寧な応対に、<想像していた通り>と私は舞い上がる気持ちを抑えながら、下調べを兼ねてこの週末にも村を訪ねたい、と伝えた。さらに続けて、村へ車で行く道順を訊き、早春のこの時期に道程には残雪や凍結した区間はないか、山道の傾斜は普通車でも上れるだろうか、お薦めの宿泊所は、バールはあるか、など矢継ぎ早に質問を重ねた。気が(はや)っている。
 ジャコモは、うーん、と戸惑ったような声を上げ、再び黙ってしまった。
 「申し訳ありませんが、少しお時間をいただけますか」
 最初の挨拶のときと同じく、静かで丁寧な声で彼は告げ、「それではさようなら」。
 私は、早々に切れてしまった電話を前に臍を噛む思いである。村の緯度も経度も知っている。地図もある。有志代表の名前も連絡先もわかった。未知の場所を訪れるのには慣れている。いつもなら、可否の返事を待つことなく車に飛び乗り現場へまず向かっていただろう。
 ところが、モンテレッジォは何か違うのだった。地図と少々の情報しか知らないというのに、心の奥を(つか)まれたような気持ちになっている。
 ヴェネツィアの路地の古書店。古書店から山の村へ。そして、本へ。
 何か特別な力に引っぱられていく。

 さて、モンテレッジォは、北緯44°17′46″ 東経9°50′36″、標高651メートルに位置する。イタリア半島北部の内陸の山岳地帯にあるが、南西に50キロメートルほど下りると、海だ。

 このリグリア海に面して、ラ・スペツィアという町がある。モンテレッジォに一番近い海の町である。奥行きが4.5キロメートル、幅が3.5キロメートルという広大な湾で知られる。入江の海岸線は、全長で50キロメートルにも及ぶ。海沿いの一帯に人々が暮らした歴史は古く、発掘された遺跡などから青銅器時代にも遡る。商業港、観光はもちろん、イタリア海軍が拠点を置く重要な軍港の町としても知られる。
 モンテレッジォの南東、海に近い内陸部には、カッラーラというイタリア最大の大理石の生産地があり、海浜部にあるマッサと合わせて砕石地一帯を通って港湾へと流れ込む河川、マグラ川の水運業でも栄えた町だ。
 ラ・スペツィア湾に繋がるすぐ西側には、チンクエ・テッレ(五つの大地)と呼ばれる、小村が海沿いに連なっている。

沿岸一帯には、断崖絶壁が続く。複雑なリアス式海岸の地形のおかげで古代から異教徒たちの上陸を阻んできたが、諸刃の剣で、長らく交通網が整備されず、電波も届かず、インフラが立ち遅れて近代化から取り残されてしまった。戦後の復興期に都市化が進んだイタリア半島北部に位置しながら時代が止まったままの一帯ではあるが、純度の濃い地域の特異性が残っている。
 こうした町は海沿いにありながら、山との連携で生き延びてきた。
 古代ローマ帝国がラ・スペツィア地帯を管下に置いたのは、紀元前一五一年とされている。理由は、商業港や軍港に最適なその地形と気候にあった。
 湾は東西に長く伸びているが、海岸線の間際まで険しい山々が迫っている。湾が広いので上陸するのは簡単のように見えるが、そう容易(たやす)くはない。周囲の山々は、強い季節風を(さえぎ)る役目を果たす。古の帆船の時代には、追い風と向かい風を使い分けて航路を取った。この湾には屏風のような山々があるために、外海から陸へ向かう一方通行の季節風しか吹かない。湾に押されて入って行ったものの、不利の戦況になっても湾から外海へは簡単には引き返せない。陸側では、この海を知り尽くした無敵の兵士たちが迎え撃つ。
 加えて、海深である。ところによっては海深が300メートルを超えるかと思えば、5メートルのところもある。したがって潮流は複雑だ。航路を読み辛い。この海を読み慣れていなければならない。そもそも広大なので、外海から湾に入ってから陸に着くまでにかなりの時間がかかる。見通しがいいため、広い湾内を遅々と行く不審な船はすぐに目に留まる。よもや上陸し戦線を突破できたとしても、先の陸路には厳しい山脈と渓谷が続く難関が待ち受けている。
 ラ・スペツィア湾を見るたびに、巨大な生簀(いけす)や仕掛け網を連想する。ここから入り込もうとした外敵は、文字通り一網打尽となった。海と山が守ってきたのだ。
 近郊の町からラ・スペツィアへ入ると、その余裕に満ちた雰囲気に気圧される。ローマのような巨大な遺跡が並び建つわけでもないのに、町に下り立つとすぐ、正面に海、背後に山、頭上に天が揃って出迎え、包み込み、護衛してくれるように感じる。私はイタリア半島の海沿いや地中海の島々を巡回しながら船上暮らしをしていたことがあるが、<見えない大きな力に守られている>という、ラ・スペツィア湾で受けた感覚は唯一無二だった。加護とはこの感覚だ、と実感した。
 この安堵感こそが、何を置いてもラ・スペツィアの特徴だろう。

 海からはさまざまなものが入っては、出ていく。異物は必ずしも害とは限らない。闇雲に水際で排斥(はいせき)したり、留めて腐らせてしまうには惜しいこともあるだろう。未知のものは好奇心を刺激し、発見や進歩へと繋がることもある。海から山を越え、遠い地へと伝えられ、再び同じ道を姿を変えて戻ってくる。新奇は転機を呼ぶ。
 古代ローマの統治者は、地中海を制した人々である。海の力を知っていた。最高神ゼウスに次ぐ力を持つ神はポセイドン、海の神である。海から陸へ、陸からまた海へ。流れは新しい産業を生み、暮らしを向上させる。人々の意欲は増し、社会が活性化する。
 守りつつ、取り込み、また流し返す。
 海へと繋がる流れに道が通り、集落が生まれ、世界が広がり、新しい歴史が作られていった。

 十六世紀の地図学の権威だった、ジョヴァンニ・アントニオ・マジーニが作った当時のイタリア半島全土地図を見てみる。各地の詳細な地名や背景を網羅し記載した、初めての通し地図だ。その後の地図の概念を大きく変え、海路や陸路の発展に大きく貢献した。
 すでにこの地図上には、ラ・スペツィアから山へ向かって何本もの道が伸びている。太線の道は、マグラ川に沿って内陸へと伸びている。川沿いには大理石の生産地帯がある。一帯で採れるのは貴重な白い大理石で、古の時代から需要の多い建築資材だった。

内陸部にはエトルリア人が先住し、リグリア人の管下に採石していたが、紀元前155年に古代ローマ人が採掘所に近い町ルーナを基地として占拠し、海に面する地点を大理石の出荷港として整備して統治下に置いた。
 古代ローマは、地中海各地で軍部拠点や資源、交易拠点など、ここぞという地点に目星を付けて廻った。後継した統治者たちは古代ローマが記した点と点を繋いで、新しい動きを生み出していった。そのひとつの点がラ・スペツィアであり、同時期に統治下に置いた大理石の生産地や基地であり、後に港町となったカッラーラやマッサだった。
 マジーニが作った十六世紀の地図には、そうした古代ローマ時代からの基点に加えて、その後、生まれていった海沿いや内陸の町が多数記されている。
 そこに、 モンテレッジォ もあった。
 山々の中に記載を見つけて嬉しく、思わず声が漏れた。村の紹介のまず最初に、朗々と緯度経度を記したジャコモたちの気持ちがよくわかった。
 モンテレッジォの地名の横に、建物の絵がある。山頂に建っているように見える。周囲の村には、建物の絵があるところとない村とがある。何の印だろう。統治者の城だろうか。あるいは、監視塔か。貴重な商材を狙って、本道ではない傍道から奇襲をかけたり砕石所や大理石の基地を侵略したりする敵もいたに違いない。海からの侵入を山頂から見張る塔だったのかもしれない。海を介しての商いの道中に設けた、検閲所の(しる)しかも……。
 それにしても、山、山、山だ。

 「遅くなりまして、申し訳ありません」
 夕刻に受けた電話は、モンテレッジォのジャコモからだった。
 「今、村にいらしても、人がほとんどおりません。残ったわずかな住民も、この時期はほとんどが山から下りて他所で暮らしているのです。一人で行かせるわけにはいきません。ただ私もラ・スペツィアに住んでいるので、土日以外はどうしてもお供できないのです」
 緯度経度に古代ローマ人が作った商いの道や港、中世の地図に記されたモンテレッジォと山頂の塔の絵が、頭の中でぐるぐる回っている。
 「それで、明後日の日曜日のご都合はいかがでしょうか。ミラノまで私たちがお迎えにあがります」
 他所で暮らしている村人の中に、ミラノ住まいの人がいるという。村の紹介サイトを立ち上げた有志の一人で、私の問い合わせを受けてジャコモが彼に相談し、集まれる村人にも声を掛けて日曜日に集合することに決めたのだ、と説明した。
 初対面の人たちである。せっかくの日曜日を邪魔するのは気が引けた。私が返事を口籠っていると、

©Associazione “Le Maestà di Montereggio”

 「この土曜日は、僕の誕生日なんです。ずいぶん前から妻がレストランの予約を入れてくれておりまして。まことに申し訳ありませんが、なんとか日曜日でお願いできれば……」
 恐縮するジャコモの声を聞きながら、訪れる前からもう村に魂を持っていかれてしまう。


Thanks to: Associazione “Le Maestà di Montereggio”
http://www.montereggio.eu

次へ >
最新記事へ >

プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida, Journalist

ジャーナリスト。イタリア在住。
1959年神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。
通信社ウーノ・アソシエイツ代表。2011年『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感』『ミラノの太陽、シチリアの月』『イタリアの引き出し』『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』『皿の中に、イタリア』『どうしようもないのに、好き イタリア 15の恋愛物語』『イタリアのしっぽ』『イタリアからイタリアへ』『ロベルトからの手紙』『ボローニャの吐息』『十二章のイタリア』。
翻訳書にジャンニ・ロダーリ『パパの電話を待ちながら』などがある。