おカネはケチらないほうが溜まる本当の話

おカネはケチらないほうが溜まる
本当の話

おカネをケチらない。つまり、おカネは使えば使うほど、おカネは貯まるーー。いや、禅問答ではありません。その答えは、経済評論家であり、「細かすぎるおカネの話」を始めたら止まらなくなる「おカネのストーリーテラー」の佐藤治彦さんが、ていねいに教えてくれます。「心を豊かにすれば、おカネも豊かになる」をテーマに掲げ、グルーブ感たっぷりの文章で、さあおカネの話、始まります。



  第六回(2017.07.21)

僕のギャンブル放浪記


 ギャンブルで借金を作った。家庭を壊した。会社を辞めた。そういう話はいくらでもあります。
 毎日100円、200円の節約をしていても、ギャンブルをやっていれば、そうした積み重ねも一瞬にして吹き飛びます。もしも、あなたがギャンブルをやっているのなら、早く他の趣味をつくったほうがいいと思います。僕の知り合いにもギャンブルを楽しんでいる人が何人もいて、時たま話す機会があると「やめたほうがいい」とストレートに言うことにしています。すると、多くの人があからさまに嫌な顔をして反論します。
「自分は節度を持ってやっているから大丈夫」
 ほぼすべてのギャンブラーはそう言います。
 きっとそうだとも思うのです。誰ひとりとして、ギャンブルに手を染めるときに「ようし、ひとつ俺の人生をぶっ壊すために持ち金を全部賭けてギャンブルをやってみるか!」なんて思ってはいないのです。多くの人が大勝ちしようとも思ってない、あのどきどきワクワクする気持ちを楽しみたい。それを大人の節度を保ってやればいいんだ、と思って手を出すのです。
 そして、実際に多くの大人が自分の許す範囲内で楽しみます。そこには各々のルールや決まりがあるのでしょう。しかし、人生の中でふとしたすきまができたとき、日々の辛さやストレスを忘れたいとき、その節度のタガははずれてしまうものです。そして、いつのまにか取り返しのつかない沼に深くはまっていってしまう。
 ギャンブルや賭けごとは、人に言われてやめられるものではないのかもしれません。自分で「やめる」と決断する必要があると思うのです。
 僕の場合はそうでした。両親に一度たりとも、賭け事をしてはいけないと言われたことはありません。自分で「こりゃ、ダメだ。制御するのもむずかしい。それなら手を出さないことだ」とわかってやめたのです。みなさんの参考になるかどうかはわかりませんが、今回は僕の『ギャンブル放浪記』を白状します。

 僕が賭け事の楽しさを知ったのは、幼すぎて何歳のころだったかおぼえていません。それは、夏の盆踊り会場などの夜店の金魚すくい、輪投げ、射的、水飴屋にあったゲームなどが最初でした。そのゲームには、必ず勝ち負けがありました。もう1匹、金魚が欲しいとか、もっとおもちゃが欲しいとかではなく、「勝負で勝ちたい」という気持ちで親にせびって遊んでました。
 とくに水飴屋は、スマートボール、コリントゲームがあり、その勝敗で水飴をひとつしかもらえなかったり、3つや4つもらえたりした。このゲームは、いまのような電飾やパソコン絡みのまったくないパチンコの台が横に置かれ、パチンコ玉の何倍もある玉を打つと、さまざまな釘にあたってゆっくり下に落ちていく。その途中の当たりの穴に入れば、勝ちというわけです。
 面白かった。メチャ面白かった。
 そのうち、夜店だけではすまなくなりました。勝負の面白さは幼稚園の年長のころには目覚めていて、小学生になるとビー玉やメンコ(めんち)に興じていました。
 ただ、面白いのですが、下手クソで勝てない。巨人の星やウルトラマン、仮面ライダーの絵の入ったメンコ、きれいなビー玉はどんどん友だちのものになっていきました。
 どうにかして取り返したい。そこで僕が考えたのが、ゲームを作って自分で仕切ればいいということでした。つまり、小学生で胴元を目指したのです。最低です。僕はベニヤ板を拾って来て、家にある釘と輪ゴムを駆使してコリントゲームを作ってみました。
 釘と釘の間に輪ゴムを張ると、そこにビー玉が当って跳ね返ります。釘の打ち方、ゴムの張り方など、微妙な調整もしました。こうした工夫を重ねていくと、夜店のものにはかないませんが、どんどん面白くなりました。
 数日後には、もっと釘が必要になり、金物屋から釘を買って金槌で釘の頭を叩いていました。小さな小学生が釘を買いに来たのです。店の主人は親のお使いだと思ったのでしょう。金物屋のおじさんは感心して初めはとても親切に接してくれましたが、次第に僕が幾種類もある釘を物色しているのを見て不思議そうにしてました。
 できあがったゲーム盤は、ひとりで何時間遊んでも楽しかった。それを友だちにも遊んでもらって、取られたメンコやビー玉を取り返しました。最初のうちは大人気で、手元のビー玉もメンコもみるみるうちに増えました。
 しかし、ぴたっと止まってしまいます。「いっぱい取り返したいから」と、釘と輪ゴムを少しずつ調整したのです。すると「ゲームをする人が負け続けるだけのゲーム盤」に、だんだんなってしまったのです。それは、小学生でも見抜きます。もちろんつまらない。
「なんだよ、これ。こんなの勝てるわけないじゃん」
 そういって、お客、いや友だちが来なくなります。
 それでは困るので、さらに調整して遊んでもらえるようにもしました。小学校にこっそり持って行き、昼休みの時間に開店したら黒山の人だかりになったこともありました。
 すると、先生から「そんなものを学校に持ってくるんじゃない」と叱られました。あたりまえです。

 次に手を出したのが、小学4年ごろの父とのカードゲームです。
 それは、厳しく容赦ない父との戦いでした。
 小学生時代の僕のこづかいは月500円で、サラリーマンだった父の給料日のすぐあとに翌月分のこづかいをもらいました。給料日は毎月25日。25日が週末に重なると前倒しで23日とか24日が給料日の場合もありました。もう給料が出たはずだと思うと、母親のところに行ってニヤニヤした。子犬が舌を出して「ハーハー」するように、「おこづかいちょうだい、おこづかい!」と言ってました。
 まだ、500円は岩倉具視のお札の時代。重みがありました。
 こづかいが出た次の週末になると、父は「治彦、やるか」と誘ってきます。そして、妹と父と3人でトランプをした。それも、少額ながらお金を賭けたのです。
 父はトランプを鮮やかにシャッフルして、カードを配ります。僕は必死に作戦を考え、今月こそ先月までの負けを取り返そうとします。しかし、そんなことはかなうはずはなかった。
 30も年の違う子どもの手口は読まれていて、毎回完膚なきまでに打ち負かされました。ときおり何ゲームか父が負けてくれることもありましたが、1時間か2時間後には月のこづかいは全部なくなっていました。まだ1か月は始まったばかりなのに、手もとのこづかいはすべてなくなるのです。妹は声を出し涙を流して泣き、僕はこれから1か月をどうやってしのいでいくかを考えていました。なぜなら、毎月必ず欲しいものがあったからです。それは、小学生向けの月刊雑誌です。
 学研の小学生向け雑誌の『科学』と『学習』は勉強に役立つ雑誌だったので親に言えば買ってもらえたのですが、藤子不二雄の「ドラえもん」も載っていた小学館の月刊誌『小学四年生』や『小学五年生』は、微妙でした。いちおう学習雑誌となっていましたが、漫画もたくさん載っていて学習の部分は少なかったのです。
 僕はこれを「10チャンネルみたいな雑誌だ」と思っていました。10チャンネル、いまの5チャンネルのテレビ朝日は、当時はNET(日本教育テレビ)という名称で午前中に何本か教育番組をやっていました。あとの時間は、いまのワイドショーやバラエティ、アニメ、ニュース、ドラマと楽しい番組がてんこ盛りのチャンネルでした。
 新聞のテレビ欄を見ると、教育系の番組は小学生が学校に行っている平日の午前中に放送している。「小学生は誰も見られないのに、なんでだろう?」と思っていました。きっと電波認可の関係で教育番組をやる必要があったのです。しかし、小学生の僕にはそんな大人の事情はわかりませんでした。
 小学館の雑誌も表紙に「学習雑誌」と書いてありましたが、子どもにしてみれば「勉強なんかは学校で十分。雑誌の難しいところは読まなければいいんだ」と思っていました。母はそういうところをちゃんと見抜いてましたが、僕が1か月のこづかいを巻き上げられたことを話し、しょぼんとしていると買ってくれました。

 父親との賭けトランプは、2年続けてお年玉の全負けという悲劇を味わって足を洗いました。「賭けなしでやろう」と誘ってくれることもありましたが、もう精神が麻痺していて、お金をかけなくちゃ面白くなくなって、トランプ自体を父親とするのをやめてしまったのです。
 それに、子どもながらに忙しくもなっていました。小学5年生の終わりごろから「四谷大塚」という中学受験のための学習塾に通い始めたのです。クラスで自分と同じくらいにできる生徒が日曜日になると学習塾に通っているという噂を聞きつけて、自分も行きたいと思ったのです。なぜなら、小学校卒業のときライバルに「自分は名門××中学に行くんだ」と得意げに出し抜かれることだけはゴメンだったからです。
 塾は都心の専門学校や大学の校舎を借りて行われていました。だから、電車やバスを乗り継いで行きます。塾に通う子どもたちの多くは、途中の新宿や池袋というターミナル駅で地下の立ち食いの店にハマりました。大阪風のうどん、カツサンド、たこ焼き。ウマいB級グルメをサラリーマンに混じって味わいました。
 しかし、僕はそれだけで終らなかった。コインゲームの店を見つけてしまい、通ったのです。100円を10枚の銀のコインに換えてもらってゲームを遊ぶ店でした。  換金性はないので勝ってもコインが増えるだけですが、勝ち負けがあったからでしょう。ハマってしまいました。父親との賭けトランプからやっと抜けられたのに、もっと深みにはまってしまったのです。
 スロットマシーンはあっというまにコインがなくなるので、面白くなくすぐに飽きたのですが、ピンボールと、とくにプッシャーというコイン落しゲームにはハマりました。プッシャーは、ガラスの向こうに動く台が2つか3つあり、その上にはコインが敷きつめられてあります。いちばん上の台にコインを落とすと、それまでにあったコインが押し出されて前のコインが下の台に落ち、それがまた下の台のコインを押し、最後に押し出されたコインが落ちて自分のものになるというゲームです。  プッシャーはそこそこ長い時間遊べて、ガラスの向こうにあるコインの状態をみて自分のコインを投入すれば、何枚かのコインが落ちるはずだと分析できて面白かったのです。もちろん分析は、はずれることも多いのです。子どもの目には敷きつめられているように見えても、何百枚ものコインにはすきまがあったり、押されても前に進まず左右にずれたりして、自分が落としたコインは敷きつめられたコインの新たな1枚になるだけで、自分の手もとに1枚もコインが落ちて来ないことが多かったのです。
 このゲームにハマり、塾の帰りにこっそり寄って遊ぶ。200円で30分は遊べたでしょうか。「きょうこそ勝つぞ」と思うのですが、コインは1枚もなくなってしまうのが常でした。

 このゲームで、子どもながらに自分が理性を制御できないほどハマってしまってることや、己の汚さを思い知りました。汚さというのは、全部負けてコインは1枚もないのに帰らないのです。それは、ほんのときたまいちばん下の台からはみ出るようにしていたコインが、誰もコインで遊んでないのにチャラーンと落ちてくることがあったからです。帰らずにその「チャラーン」を待っていました。音がすると、小学高学年の僕は走り寄って、そのコインをさっと手にしてまた遊んでいました。
 もちろん、そう簡単にコインが落ちて来るわけはありません。自分の腕時計をみて、「あと10分たって落ちて来なかったら帰ろう」と時間を区切ります。しかし、その10分後には「もう10分待ってみるか」と、帰宅時間はどんどん遅くなっていったのです。
 何十分待ってもコインが落ちて来ないことがあります。台の中を見ると「これは落ちて来たっていいじゃないか」という台があります。すると、僕はまるで転んだかのように、その台にわざとぶつかってみたりもしたのです。自分がぶつかった振動で落とそうとしたわけです。それは、一度だけ本当にこけてぶつかってコインが3枚落ちて来たことがあって、それを自ら再現しようと思ったわけです。しかし、いくらぶつかっても落ちて来ませんでした。

 毎回毎回、そんなおこぼれコインを待っている自分が情けなくなって、小学校を卒業するときにやっとやめることができました。「自分はもう賭け事をしてはいけない、ゲームの魔力に近づいてはいけない」と悟ったのです。親に叱られたわけではありません。自分でそう思ったのです。こうして、中学からはギャンブルやゲームに手を出すことはなくなりました。
 ただ、自分の能力よりもひと回り上の進学高校に受かったころ、インベーダーゲームが流行っていてハマまりそうになりました。インベーダーには、それまでのゲームと違う陶酔感がありました。とくに高校生のときにはこづかいは5000円になっており、少し余裕もありました。
 幸いなことにインベーダーゲームは喫茶店にだけ置いてあり、高校生がそこに出入りするのはちょっと不良の香りがしました。高校の同級生はみな中学のときには成績優秀だった連中です。それが、中にはくわえタバコをしながらゲームに興じていました。
 僕も誘われて、何回かやってみたらすごく面白い。しかし、「これに自分がハマったら、こづかいはなくなるし、勉強もいっさいしなくなって、人生を転げ落ちていく」と思ったのです。自分は賭け事やゲームが好きで制御がきかないのだ。小学生のときのことを自分に思い出させていました。
 そこで、インベーダーゲームはうまいヤツの妙技を見るだけにしました。こうして踏みとどまったのです。それからも、ことあるごとに「自分は賭け事が大好きなのだ。気をつけなければいけない」と、そう自分に何度も何度も言い聞かせました。
 大学時代にも「危機」はありました。あれほど言い聞かせていたのに、クラスメートから麻雀に2回誘われたのです。ルールがわからないまま二度とも誘いにのり、2回とも勝ちました。でも「これはハマって大変なことになるぞ」と思ってやめました。自分でやめたこともあるけれども、二度も勝ったからでしょうか、幸いなことに誘われなくもなったのです。

 仕事を始めてからは、賭け事をまったくしない人生です。一度だけ、放送の世界に入ったあとに食事を誰がおごるかで、ボードゲームでおなじみの「人生ゲーム」をやったことがあります。有名な業界人が何人もいました。ゲームが始まると、僕は陶酔していくタイプだからか、勝つことだけに集中しました。他の人のようにふんわり楽しく遊べないのです。他の人たちの能力やクセ、手口などがあっというまにわかってしまい、それらも使い、少々トリッキーな方法で笑えないくらい大勝ちしてしまいました。
 ただメシにはありつくことはできたのですが、その10倍くらい嫌われて仕事にはつながりませんでした。ギャンブルはやっぱり危険だと、大学の麻雀のときの何十倍も言い聞かせました。あれからホントに、競馬もパチンコも宝くじもやっていません。競艇や競輪ももちろんしません。
 こうして、ギャンブルを自分の人生から遠ざけることができました。しかし、考えてみると銀行をさっと辞めてほとんど定職にもつかず、フリーランスとして来年の収入がどうなるかわからない世界で生きてきました。どうも自分自身の人生がギャンブルみたいです。それでもう十分なので、ギャンブルに手を出さないのかもしれません。

 

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佐藤治彦(さとう・はるひこ)
経済評論家、ジャーナリスト。
東京都杉並区生まれ。東京都立富士高等学校普通科卒業、慶応義塾大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、銀行員、金融誌記者、放送作家、経営コンサルタント会社勤務を経て独立。趣味は音楽鑑賞、海外旅行。

主な著作
「年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話」(扶桑社)
「普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと」(扶桑社)
「お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本」(PHP)
「日経新聞を「早読み」する技術」(PHP)
「知識ゼロからの為替相場入門」(幻冬舎)共著
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方」(アスペクト)
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方  〜 さらに超役立ち旅テク編」(アスペクト)
「アジア自由旅行」(小学館)島田雅彦氏との共著
「ええじゃないか!」(オーエス出版)テリー伊藤氏との共著
「お金で困らない人生のための金融商品五つ星ガイド」(講談社)
「使い捨て店長」(洋泉社)編著……ほか多数