おカネはケチらないほうが溜まる本当の話

おカネはケチらないほうが溜まる
本当の話

おカネをケチらない。つまり、おカネは使えば使うほど、おカネは貯まるーー。いや、禅問答ではありません。その答えは、経済評論家であり、「細かすぎるおカネの話」を始めたら止まらなくなる「おカネのストーリーテラー」の佐藤治彦さんが、ていねいに教えてくれます。「心を豊かにすれば、おカネも豊かになる」をテーマに掲げ、グルーブ感たっぷりの文章で、さあおカネの話、始まります。



  第三回(2017.04.28)
 お客様は神様です、とは客が言ったり、思ったりするものではない。


「佐藤さん、ちょっとこれ味見してみてくださいよ」
 近くのとんかつ屋で、ときおりそんなサービスをしてくれる。
 出てきたのは海老とサーモンのチャーハンである。あんかけソースもかかっていて絶品だった。とんかつや串揚げの店なのだが、親会社の外食部門にはラーメン屋や中華もあって、店で働いている社員は中華料理で働いた経験もある。だからウマい。
「ウマいねえ、こんなの出してくれると、今日もとんかつ食わないな」
「甘エビを使ってしまいたかったんです。すいません」
 ときには、もう一杯飲もうかどうか悩んでいたら、「これ業者が、見本で置いていった日本酒なんですけれど呑んでみますか?」。
 うまいモノを食べてもらいたい、店にいる時間を楽しんでもらいたい。そんな心づかいをしてくれる店を何軒か持っている。バー、居酒屋、鮨や、焼鳥屋、フレンチやイタリアンでもある。おのずとその店に通う回数は増えるのはしかたない。ひとつ星、ふたつ星の味の店でも、自分にとっては居心地のいい三ツ星レストランになる。

 最近、そんなよくしてくれる店が増えてきた気がする。そういう店なら、人を連れて行くときも歓待してくれるので、気持ちよく会食をすることができる。
 有名レストランガイドの星付きレストランも嫌いではない。いや、むしろ好きだ。しかし、初回のときにはそこにどうしても店と客とのせめぎ合いのようなものがあるものだ。これだけ払うんだからと、それに見合ったウマいもの、いいサービスを期待する客。その客をまるでねじ伏せるかのように隙のない料理とサービスでがんばる店側。そういう緊張関係も、ときには悪くないけれども、それが日常だと疲れてしまう。
 思えば、私によくしてくれる店は自然にそうなったのではなく、そういう関係を作ろうとしてできたものだと気がついた。こちらも人間、あちらも人間。あたりまえのことだけれど、どうも、かつては消費者のひとりとして、あの言葉が身体と心のどこかで滲みていたようだ。
「お客様は神様です」
 神様と人間でなく、人間と人間の関係として付き合う。私の場合は自分の中からこの「お客様は神様です」という気持ちを完全に捨てることから始まったと思う。
 客と店は対等なのだ。おいしい料理を出し、それに対して対価を払ってる。それだけのことだ。
 あとは、お互いに人間なのだから、気持ちよく時間が過ごせるようにお互いが気を配ればいい。
 ときに、鉄人なのか炎の料理人なのか知らないが、食わしてやってるという態度で、いばりくさったラーメン屋などがあるが、二度と行かない。外で並んでまでその店で食べてみたいという客が店に入ったときに、お待たせしましたと言えない店もお断りだ。人としての配慮がない。
 反対に、お客のほうも少し配慮をする。
 お客にリピートしてほしいから、ドリンク券や割引券などのサービスチケットをくれることもあるが、前に街の小さな個人経営の店に老婆が満員のときにやって来て、450円の生ビールサービス券を使って210円の枝豆だけを注文して小一時間いたことがある。
 老婆は私は客だ、金を払う客なのだという態度で堂々と210円だけ払って帰っていった。その間に店は、多くの客に「満席なので」と頭を下げ、帰している。そんな店側への配慮のない下品なことはしたくない。

「お客様は神様だ」という気持ちを客側が思ったらおしまいなのである。これは、きっと店側がだけが言っていいのだ。もっと言わせてもらうと、嫌な客、ケチな客に対しても、客商売をする側として本音が表に出ないようにするためのおまじないとして、心の中で唱える言葉なのだと思う。
 混んでいればさっさと切り上げる、「今日は売上げが悪そうだなあ」と思ったら、ちょっといいワインを注文する。もしくは、閉店時間が近かったら、一杯くらいごちそうする。おいしい料理にはおいしいと伝え、いいサービスには感謝の気持ちを表わす。
 日本にはチップというものはないけれども、かつてはそこそこの料理屋では仲居さんや給仕の人に心づけを渡したものだ。だから、貸切で店を使ったときなどに思った以上にサービスをしてくれたり、会が盛り上がって予定の時間を過ぎて店を使わせてもらったとき、「昨年は楽しく歓待してくれて心地よかったなあ」と思った正月などに、ちょっとした心づけを渡す。それが、次の関係も作ってくれるのだ。
 美容院は、きれいな女性をより魅力的にすることをしたい人たちが集まって仕事をしている。そんな美容院で働く新人の仕事は過酷だ。一日中立ち仕事で、給料は安い。手が荒れる者もいる。だから、せっかく美容学校を卒業して職に就いたとしても長続きする人は少ない。それが、こんなおじさんにも一生懸命にシャンプーをしてくれる若者に「じょうずだね、さっぱりしたヨ」と笑顔で伝える。旅行に行ったら、ちょっとしたお菓子を買ってくる。「今日はいそがしくて昼ごはんが食べられなかった」という話を聞いたら、近くでファストフードの差し入れを買って戻ってみる。
 整体の店は施術時間でチャージされる。自分のようにでかくて身体が堅い人間も、同じ料金だ。施術してくれる人の疲労を想像すると、申し訳ないと思う。それなのに、私の担当は「今日はすごく凝ってますね、仕事がいそがしいんですか?」と言って、ときに黙って時間を延長までしてくれることがある。ありがたい。感謝でしかない。担当は、酒好きなので、ときにウマいボトルを廻したり、こちらも年末には「感謝」と書いてポチ袋を渡す。期待以上のサービスをしてくれるのだ。それに、消費者としてきちんと対応するのはあたりまえのことだ。
 店に予約の電話を入れたり、店の扉を開くときに、単なる顔なじみというだけでなく歓迎されていると感じられる場所を持っていることは、大人の嗜みだといいたい。
 私は自分がどれだけの資産を持っているのかをまわりに吹聴するがごとく、金ピカの生活を送るための経済力を欲しいとは思わないが、自分が時間をすごす場所でちょっとした交流をする人たちに対する配慮を、言葉だけでなく形にするだけの少しばかりの経済力は欲しい。

 今年も、もうすぐ熱い夏がやってくる。
 私の住むマンションの玄関には500ミリリットルのミネラルウォターを何本か置いてある。ときには缶コーヒーなどの場合もある。これらは、宅配、郵便局、集金などで訪れた人に「ありがとう」の言葉とともに一本渡すことにしている。みなさん、大変喜んでくださる。夏になると、それは玄関でなく冷蔵庫に入れて冷やしておき、インタホーンが鳴って応対してから、取り出し冷たい飲み物を渡す。このところ続く酷暑の夏の昼間に外で働いてくださる人がいるから、日本のシステムは機能している。仕事だから届けてくれるのがあたりまえでなく、ちょっとした心づかいをしてみる。私の家にそんな用事があって来た人が笑顔で帰っていくのを見るのが何よりもうれしい。
 そして、私は思っている。料理屋の、美容院の、整体の、宅配の人たち。あの人たちこそ神様だ。

 

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佐藤治彦(さとう・はるひこ)
経済評論家、ジャーナリスト。
東京都杉並区生まれ。東京都立富士高等学校普通科卒業、慶応義塾大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、銀行員、金融誌記者、放送作家、経営コンサルタント会社勤務を経て独立。趣味は音楽鑑賞、海外旅行。

主な著作
「年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話」(扶桑社)
「普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと」(扶桑社)
「お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本」(PHP)
「日経新聞を「早読み」する技術」(PHP)
「知識ゼロからの為替相場入門」(幻冬舎)共著
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方」(アスペクト)
「ガイドブックにぜったい載らない 海外パック旅行の選び方・歩き方  〜 さらに超役立ち旅テク編」(アスペクト)
「アジア自由旅行」(小学館)島田雅彦氏との共著
「ええじゃないか!」(オーエス出版)テリー伊藤氏との共著
「お金で困らない人生のための金融商品五つ星ガイド」(講談社)
「使い捨て店長」(洋泉社)編著……ほか多数