介護カフェのつくりかた 番外編(2024)

介護カフェのつくりかた 番外編
「だから介護はやめられない話」

ケアマネジャーとして介護現場で働くかたわら、対話によって新しい介護のカタチを考えていくコミュニティ「未来をつくるkaigoカフェ」を運営しています。
これまで12年間のカフェ活動では、一般的な「介護」のネガティブイメージを払拭するような、“あったらいい介護”の実践者とたくさんの出会いがありました。
今回はその番外編。介護職のみなさんが経験している、楽しく、ほっこりして、豊かになれる話を紹介します。


Vol.24(2024.1.11)

「豆腐屋さんと認知症と普通のこと」

 今回は、三重県で生活介護事業所の施設長をしている奥田史憲さんが特別養護老人ホームに勤務されていたときの実話に基づいたお話です。

* * *

 「豆腐屋さん、よかったわ~。あんたの顔見れて。安心した!」
 と、Aさんが私に話す。
 私は施設ケアマネジャーであり、豆腐屋さんは一度もしたことがない。
 否定も肯定もせず「どうしたん?」と聞く。
「『どうしたん?』て、なんでこんなとこにおんのかわからんの。知らん間に連れてこられたん」と、Aさんは言う。
「そうなん?」
 と、返すと、
「そうなん。ほんでもあんたと会えたで安心した。あんた、いつもここ来んの?」
 と、言われ、「だいたいいつも来るよ」と答える。
「そっか。それやったら安心や」

 これは特養のユニット「入居者さんの住まい」で交わされた会話です。
 私は、否定も肯定もしません。
 でも、きっとAさんが昔よく買っていた豆腐屋さんに見えたのだと思います。
 それからは、私の顔を見るといつも「ちょっと豆腐屋さん」から始まる会話で関係をつむいでいきました。

 その後、Aさんは施設での暮らしが少しずつ退屈になり、「家へ帰りたい」と言うことも増えてきました。
「豆腐屋さん。一回いっしょに連れてって。私、帰りたいの」
 ユニットの職員さんは日々の支援があり、簡単に外出はできません。
 であれば、Aさんの思いをかなえられるのは、私「豆腐屋さん」しかいないのではないかと考えました。
 そしてこのころから、話の文脈やお互いの関係性の中から読み解くと、「豆腐屋さん」とは呼ぶものの、私のことを豆腐屋さんではないと理解してくれているようでもありました。なぜなら、会話の中に一度も「豆腐売って」と言われたことはないからです。
 最初は「顔見知りの豆腐屋さん」から始まった関係が、「なんか知らんけど、頼れる『豆腐屋さんという呼び名の人』」に、Aさんの中でも変わっていっているようでした。

 その「豆腐屋さん」は、ある日、Aさんの言葉を聞き、車を走らせました。Aさんが言う『家』に向かって……。
「わー、懐かしいな……ここでいつもお菓子買うとった(買っていた)んや」なんて話しながら車を走らせていると、「ここや、ここや」と家に到着しました。

 ご自宅前でAさんと話をしていると、息子さんが玄関を開けてくれました。
「何ぃ、ばあちゃん」
 と普通に出てきてくれました。
「帰ってきたん。きょう、家で寝れん?」と、Aさん。
「きょうは、あかんわ」と、ご家族さん。
「そうか……わかった。帰るわ」と、Aさん。
「また来るでな!」
「また会いに来て」
 Aさんはご家族と、そんな会話をして帰路につきました。

 帰りの車中でのことです。
「家に行ったけど、どうでした?」
「本当にうれしかった。もう、こんなことしてもうたら感謝しかない。本当にありがとう!」
 少し涙ぐみながら、Aさんは笑顔で語ります。想いをかなえてあげられたことに感謝しながら、施設へ向かいました。
 施設に着いたあとも「ありがとう、ありがとう」と言いながら、Aさんはユニットへ戻っていきました。
 そしてその夜はいつもどおり「家に帰りたい」と言われたり、カップうどんを食べたり、夜も眠れない、いつものAさんに戻っていきました。

「本人の想いをかなえる」ということに、認知症は関係ありません。もちろん、問題行動を解決するための方法でもありません。
 ただ私は、「うれしかった感情」をそのときにAさんと共感できたことがうれしい。たとえAさんがその出来事を忘れてしまっても、「うれしい出来事」があった事実は間違いないものです。
 この世のほとんどの事柄は、同じように忘れられていくことの積み重ねです。一瞬のうれしさや充実感は、はかなくきれいものであり、同時に忘れられるものです。
 それは、認知症と診断されようと、されまいと、ほとんどの人に訪れる普通の出来事です。

 Aさんの話も、美談でもなく、Aさんの想いをかなえようと行動した1日の出来事でした。ただ、数年たった今も、Aさんとのことは自分の記憶に鮮明に残っています。「ありがとう」を言うのは、むしろ私のほうです。

* * *

 一瞬にして忘れてしまうせつなさに、「何かしてあげてもすぐに忘れてしまうから」と話していた認知症をもつ方の家族の声を思い出しました。実際に、たった今行った外食や施設でのイベントなどを、次の瞬間には忘れてしまい、「楽しかったですね」と声をかけても、「何かしたかしら?」と返されてがっかりした経験は、ケアに関わる人であればだれもが一度は経験しているかもしれません。ただ、すぐに忘れてしまったとしても、本当にうれしかったり、楽しかった経験は心に刻まれるはずです。大切なのは、その本人と分かち合う瞬間ではないでしょうか。
 奥田さんのお話を聞いて、改めて、その瞬間の価値を共有できる人を増やしていきたいと感じました。自分が高齢になり、認知症になったとき、周囲の人にどんな対応をしてもらいたいか? もしすぐに忘れてしまったとしても、いっしょに温かい時間を刻める相手が近くにいてほしい。これからも、忘れてしまうことを前提に、あきらめず、懲りずに、楽しんで実践していきたいです。


Vol.25(2024.2.18)

「波風は立つもの」

 今回は、千葉県にある特別養護老人ホームに併設する短期入所(ショートステイ)に勤務している山本詩菜さんの実話に基づいたお話です。

* * *

「お風呂に入るって言ってるじゃない! もう何日間も入っていないのよ!!」
ある日の昼食後。 Aさんの怒りは突然爆発した。
いや、きっと彼女の中でいろいろな感情が少しずつ蓄積していたのだろう。

 Aさんは専業主婦だった。働く夫を支え、子育てをし、懸命に家庭を守ってきた。そんなAさんと私の出会いは、2年ほど前。Aさんは、旦那さんと2人でショートステイを利用し始めた。ショートステイの滞在中は、どこへ行くにも旦那さんとずーっと一緒。Aさんは穏やかな方で、旦那さんの隣でいつもニコニコしていた。はたから見ていて、とても仲睦まじいご夫婦だった。
 しかし、まもなくしてAさんの旦那さんは亡くなった。だから、Aさんは1人でショートステイに来るようになった。そして施設への入所を見据えて※ロングショートの利用者となった。

 そのころからだろうか。Aさんは居室でひとり涙を流すことが増えた。理由を尋ねるとAさんは 「わからないの。でもなんだか悲しいの」と答える。出会ったころからおとなしい性格だったAさん。なんだか以前より自分のことを話さなくなってしまった気がする。人生のパートナーが隣にいなくなってしまった今、Aさんの心にぽっかりと大きな穴があいているのかもしれない。

 そんな日々が続いていたときのことだった。
 Aさんは今、「風呂に入れてよ!!」と憤慨している。Aさんがこんなふうに感情を露わにする姿を目にするのは初めてだった。Aさんの入浴は約束の回数どおり行なわれており、その日は入浴予定日とはなっていなかった。でも、希望に沿って予定を変更し、Aさんはその日お風呂に入ることができた。
 そんな一連の出来事を終え、「一件落着だなあ」とのんきにお風呂掃除をしている最中だった。
 突然、後ろから「やまもとさーん」と私を呼ぶ声がする。振り向くとそこには、うつむき加減のAさんがいた。私は驚き、思わず目を見開いた。まさかAさんに自分の名前を認識されているとは思ってもいなかったからだ。
 そんな驚きをよそに、Aさんは私に声をかけた。「山本さん、ごめんね。きょう本当はお風呂に入らない日だったのに、無理言ってごめんね。」。Aさんは下を向いたまま続ける。 「このこと、家族には伝えないでね。ここに来るとき、約束したの。『従業員の人の言うことをちゃんと聞く』って。ごめんね」。
Aさんは涙を流して「ごめんね」と繰り返していた。 私は、「Aさんが悪いことは何もないですよ」と伝えた。
 Aさんからこの話を聞いて、彼女はただ、きょうお風呂に入りたかったわけでないのだと知った。きっとAさんには今までにも、“家族との約束”を守るべく、我慢し、葛藤していたことがあったのではないか。そしてきょうは少し、自分のことを私たちにこんなかたちで教えてくれたのだ。それは、とてもエネルギーを要することだ。

 介護現場の申し送りでは、ときどき「〇〇さんは不穏な様子でした」や、「落ち着きのない様子でした」というのを耳にするし、自分もそのように言うことがときどきある。だけど内心では、「落ち着きがなくて何が悪い」と思ったりもする。だいたい、ずっと落ち着いている人なんてあまりいないだろう。そうやってお年寄りは、ひとつひとつ「私は本当はこうじゃない」ということを表現しているのだと思う。
 私は、Aさんからそんなことを教わった。ときに相手を気遣いながら、ときに包み隠さず思いのうちをさらけ出しながら。障害の有無や年齢にかかわらず、そんなごく普通の人間関係をこれからも築いていきたい。


※ロングショート
1週間を超えてショートステイのサービスを利用すること

* * *

 Aさんの気にかけてほしい気持ちやさみしさが、どう表現していいかわからず怒りとして表出してしまったのかもしれません。そんな一場面だけを切り取ってしまうと、山本さんも言うように「きょうは不穏だった」の一言でスルーされてしまうこともあるでしょう。ただ、Aさんご自身の心境としては、ご主人をなくし、あいた心の穴をどう埋めていけばいいかわからず、誰かに寄り添ってもらいたい気持ちの裏返しだったのではないかと感じます。
 介護職は、言動の裏側にある心理を読み解く力が求められます。「さすが介護職をしているだけあって、コミュニケーション力が違う!」と言われるようになりたいものですし、相手の立場に寄り添った支援ができる介護職は、AIが進展する時代にも唯一無二の存在になれるのではと感じています。


Vol.26(2024.3.12)

「壁一面の写真」

 今回は、大学に通いながら住宅型有料老人ホームで働く福永そらさんの実話に基づいたお話です。

* * *

 出勤後、Aさんに食前薬を渡すことから仕事が始まる。
 薬を持ってAさんの部屋に行くと、
「ひさしぶりだね! ずっと待ってたよ!」
 と、毎回言ってくれる。
「いつぶりだっけ?」
 と、認知症のあるAさんはいつもたずねる。
「ん〜先週かな?」などと答えると、「あらそうだっけ! 長く感じた! でも、もっとたくさん来てよ〜」と笑っている。
 そのあとは、Aさんがいろいろな愚痴を発散する時間が始まる。
 内容はだいたいいつも同じだが、しばらく傾聴するのが毎回のルーティンである。Aさんもストレスが溜まっているのだろうと感じる。

 大学が夏休みになったとき、私は実家の宮崎に半月ほど帰省した。実家から戻って、いつものように出勤すると、
「ひさしぶりだね! ずっとどこに行ってたの!」
 と言われた。たしかに、今回は本当にひさしぶりの出勤である。
「地元に帰ってました!」
 と答え、この日は、私が故郷の宮崎での思い出話を聞いてもらう番だった。
 Aさんは、いつもの愚痴を話すときの表情ではなく、ニコニコしながら自分のことのように話を喜んで聞いてくれた。私もAさんに元気をもらった。

「やっぱり宮崎は素敵なところだよ〜」
 と、言ってくれるAさんに、何かお礼をしたかった。お土産の菓子などではなく、もっと心に残るものはないだろうかと考えた。
 そして、Aさんが花が好きだと話していたことを思い出した。以前は職員とよく散歩に行っていたが、最近は腰を痛めて外出できていない。そんなAさんにきれいな花を見てもらうために、私は宮崎で撮った花や海の写真をたくさん印刷して、次の出勤日に持って行った。

「こんばんは! Aさん、よかったらこれ、もらってくれませんか? 宮崎に帰ったときに撮ってきました!」
 と渡してみると、
「まあ! こんなにきれいな写真! 全部もらっていいの?」
 と、うれしそうに写真をずっと見つめている。
 Aさんの表情を見て、思い出を写真に残しておいてよかったと心から思った。
 また、次の出勤日にAさんの部屋に行くと、私が渡した写真を模造紙にきれいにはりつけ、壁一面に飾っていた。
「これ、全部自分でやったんですか!?」
 と聞くと、
「あんたがくれた次の日に、一生懸命はったの!」
 と、自慢げに話す。腰が痛くてあまり動けないなか、長い時間、がんばってはったらしい。

 それからもう1年以上経つが、Aさんは写真を飾り続けてくれている。Aさんは今も愚痴をよく話すが、写真を見ながら話すときはとても穏やかである。
 最近のAさんは、帰る前に挨拶に行くと「次はいつ来るの?」と聞いて、私の次の出勤日をメモをするようになった。
「あんたが来る日をいつも楽しみにしてるから! ○日に早く来てね!」
 と言ってくれる。私も、Aさんのおかげで出勤するのが楽しみである。

* * *

 入居者の方も好きな職員のことは覚えているし、覚えようとする気持ちはとてもわかります。普通の日常会話や、人と人とのあたりまえの交流が楽しいですし、Aさんと福永さんのやりとりは、認知症があってもなくても信頼関係が築けることが大切、ということに気づかせてくれます。私も、介護現場で、「きょうは夜勤に誰が入るのか?」と、必ずチェックしている入居者の方がいたのをよく覚えています。どの職員が夜勤担当かによって、その日安心して過ごせるかが決まるからです。
 介護施設に入ると、外へ出かけることがままならないことが多いです。身体上の理由ももちろんですし、道を忘れて戻れなくなってしまうことなどもあるからです。そういった意味でも、写真はとても大切なツールになります。家族の写真、思い出の場所の写真や好きな写真によって、心を癒すことができます。
 このようなやりとりを見るにつけ、その人が会うのが楽しみになるような、前向きに生きることを伴走できるケア職が、これからも求められていると感じます。


Vol.27(2024.4.27)

「ああ、家に帰ってこれてよかった」

 今回は、定期巡回随時対応型訪問介護看護の管理者をされていた介護福祉士の大西晃志さんの実話に基づいたお話です。

* * *

 「家に帰りたい……」と思っても、サービス体制が整わずに実現できない方がたくさんいる。
「もう家にはいられないのかもしれない……」と、悲観的になる方もたくさんいた。
 施設から在宅の現場に移り、それらを目の当たりにした。
 事情はさまざまある。「介護のしかたがわからない」「家族の介護力がない」、はてには「家では無理だと思います」と病院で言われた……と。

―とある終末期の方の話―
 ケアマネジャーから一本の電話を受ける。「退院を希望されている方がいて、もうそんなに長くないかもしれないけど、力を貸してくれないか……」と。
 コロナ禍であり、退院前カンファレンスもできないまま自宅で初めてお会いした。  高齢で末期ガンの女性だった。つねに2リッターの酸素、少し動かすだけで呼吸が苦しくなり、とても移動などできない。
 最初は「会話さえできないんじゃないか」と思わせるほどだった。
 介護者は、同じく高齢のご主人だった。
 ご主人は体は元気だが、介護のしかたなどまったくわからない。どう触れたらいいのかさえ不安だという。
「はたして自宅で過ごせるのか?」という不安が、おそらく関係者全員の胸中にあっただろう。

「はじめまして」の挨拶をした瞬間、彼女は目を開き、ひとことつぶやいた。
「ああ、家に帰ってこれてよかった」
 その言葉を聞いた瞬間、私は「なんと自分勝手で自分本位な考えだったんだろう」と思った。どこで暮らすか、どこで死ぬか、それは本人たちが決めることであり、私たち専門職は全力でそれを支援するだけじゃないか。
 私たちがおこなった支援は、1日3回の排泄介助と、着替え、排便時の随時対応のみ。あとは介護者のご主人が、私たちの説明を聞きながら水分介助をしたり、寝返りの介助をしたりした。
 そんな状態で1か月を過ごすことができた。

 介護は、介護職のものだけではない。家族と関わり、いっしょにケアをし、教えて、ともに看取りまで支援をする。そのうえで、自宅でゆっくりを息を引き取ることができる。
 彼女のその瞬間には立ち会えなかったが、奥様の穏やかな顔、すがすがしいご主人の顔は今でも忘れられない。

 私は、約10年、介護職として働いてきた。つねに利用者が周囲にいて、認知症状が深い方も、身体的にケアがむずかしい方も、「自分はどんなケアでもできる」という浮ついた自信があったのかもしれない。しかし今、ステージを変えて。それがいかに浅はかで、自分本位だったかを思い知った。
 定期巡回随時対応型訪問介護看護というサービスをご存知だろうか。24時間365日運営し、定期的な訪問に加え、ナースコールのようなシステムで随時対応も可能なサービスだ。私は「このサービスがあれば、いろんな方が自宅で過ごせる」と思いこんでいた。しかし、そうではなく、本人や家族の強い意志が根底にあるからこそ、介護職(定期巡回)に存在意義があるのだとまざまざと見せつけられた。

 ならば、私たちには何ができるだろう。利用者たちが望む「自宅に帰る」という選択肢も、定期巡回のサービスで少しでも応えられるかもしれない。
 特別なことはできなくとも、利用者の選択肢の中にこのサービスがあることで少しでも想いをかなえるきっかけになれれば、どんなにいいだろうか。
 何かあったら、私たちがいる。だから安心して年をとってほしい。

 現実として、定期巡回事業所は全国で1300か所しかない。その多くが有料老人ホーム内などでの提供。実際に在宅提供している事業所はさらに少なくなる。私はこの現状を伝え、もっともっと地域に定期巡回が普及していけるような活動をしていきたい。少しでも多くの方の選択肢を広げられるよう、精進してまいります。


Vol.28(2024.6.22)

「タバコときいて」

 今回は、以前特別養護老人ホームで施設ケアマネジャーをされていたとき岡田英之さんの実話に基づいたお話です。

* * *

 今でも、雲ひとつない夏の青空、この時期になると思い出す方がいます。
 2006年ごろ、私は特別養護老人ホームで施設ケアマネジャーとして、※1看取りやグリーフケアを取り組むことになりました。看取りのプロセスとして、その方の歩んできた歴史をご本人やご家族から、聞き始めたころの話です。
 その方、Uさんは白髪の女性でした。初めてお会いしたときは、※2保護対応のほうで、身寄りもなく何十年も暮らし、顔、手足も真っ黒で、髪だけが白く、山姥のようなイメージでした。ノミも多く、「腕が鳴るね!」とみんなで何日もかけて風呂で垢をおとすと、鼻筋の通った真っ白な顔が出てきました。日本人離れした顔立ちでもあり、職員からも「私はUさんの推し」と言う人が現れるほどでした(そういえば、このころにもう推しってあったんだな〜なんて思ったり)。

   私自身は、Uさんの看取りに向けた聴き取りは、雲をつかむようでむずかしいと感じていました。話していても、にこにこして「ふふふ……。そう?」と言うだけで、生活歴や過去の話、今の思いもほとんど出しませんでした。
 明治、大正にあった奉公や身請けなど、悲しき風習の背景もあったのかもしれません。少しずつ話をうかがえるようになったころ、体調を崩し、看取りとなりました。好きなものを飾り、好きな音楽をかけ、帰り際に雑談するなどの支援計画をたてましたが、どうもしっくりきません。
 ある日、私はUさんと窓から池と山と雲ひとつない青空を一緒に見ながら「何かしたいことはありますか?」と聞きました。すると、Uさんはふいに「タ、バ、コ」と言うのです。
 この反応に感激した私は、タバコ、巻きタバコ、葉巻まで用意しました。しかし、Uさんは手をつけることなく、「あれ、違うのか」と頭を悩ませていると、ダンディな歌舞伎好きの利用者の方が「もしかしてキセルでは?」と提案してくれました。
「それだ!」と、さっそくキセルを準備して、火をつけて渡すと、「ぷか〜」と音がするようにみごとに煙をくゆらせました。呼吸もしんどいはずなのに、優雅な所作はみごとでした。それを見ていたみんなで、拍手喝采したものです。

 Uさんは、その日、みんなに見送られて逝かれました。
 後日、Uさんは元は芸妓さんだったと聞きました。「タ、バ、コ」というひとことの中にも時代背景や人生があり、聴くことの大切さを教えてもらえた夏の青空のもとでのUさんとの思い出は、いつまでも忘れられるものではありません。

※1看取り 高齢者が自然に亡くなられるまでの過程を見守ること。
※2保護対応 身寄りがなく、ご本人が判断できず地域や行政が判断のうえ保護をされること、措置入所。

* * *

 私も施設ケアマネジャーを長くしていますが、利用者の方の「したいこと」を引き出すむずかしさを感じていました。「施設に入ってしまうと、今までやりたいと思ってきたことをあきらめなければならない」と思う人が多いからです。
「どうせ言っても無理」と心の中に希望をしまいこんでしまっているのか。もしくは本当にやりたいと思う気持ちが失せてしまっているのか。真相はわかりません。岡田さんやまわりの職員のみなさんは、さまざまな試行錯誤をしながら「Uさんが望む生活とは何か?」に向き合い、ぽろりと出たひとことを拾い、キセルまで行きつくところはさすがです。
 そんな小さな瞬間の積み重ねをつくっていくことこそ介護の仕事の醍醐味だと思いますし、夏の雲ひとつない青空を見るとその人のことを思い出せるような、一人の利用者さんとのかけがえのない記憶を刻めるのもまた、介護の仕事の味わい深さなのではないか、と改めて思いました。


Vol.29(2024.8.6)

「役」を演じるということ

 今回は、静岡県の特別養護老人ホームにて介護職員として働かれていた増井知子さんの実話に基づいた話です。

* * *

「おい、トモコ、相談がある」
 親しげに私の名前を呼んで話しかけてくれるSさん。
 どうやら私はSさんの姪っ子だと思われている。
 その姪っ子さんはとても頭のいい方らしく、とてもかわいがっている様子。
 これまで、「お母さん」や「先生」と呼ばれることはあったけれど「姪っ子」と思われるのは初めての体験。
「親戚がいるのはいいな~」と笑顔を見せてくれる。

 Sさん、これまでいろいろな役職に就かれ、活躍されてきた方で、うちの施設へも「入所」ではなく「転勤」で仕事をしにきたと思っているので、家族からは「いろいろな仕事を任せてみてください」とのこと。職員と話し合い、できそうなことをお願いし、役割を持ってもらうことにした。あれこれお願いし、「仕事」をしてもらおうと声かけを始めた。
職員 「Sさん、これお願いします。やってもらえますか?」
Sさん「おう、こうだな、こうやるんだな?」
 しっかり説明を聞いてくれて、なんでも引き受けて、ていねいに作業してくれる。「これまでもSさんはこんなふうに一生懸命に過ごされてきたんだろうな」と尊敬する。
 しかしある日、「やってらんないよ、こんなこと」「俺はいそがしいんだよ」と拒否された。なんでもできる方なので、ついついいろいろと頼みすぎてしまったか、と反省する。
 でも、何日かすると「これやるのか?」と自ら声をかけてくれたりもする。ときどきご機嫌ななめになってしまうこともあるが、頼りになる方だ。

「おい、トモコ、相談がある」
どうやらお金のことで頭を抱えている。あるときは、お孫さんへのお祝いの金額で悩んでたり、何かの支払いの期限が近づいていると焦っていたりする。
Sさん「お母ちゃんはどこだ?」※お母ちゃんとは奥さんのこと。
「どうしたの?」
Sさん「どうしたらいいか? ○○の支払いがな」
「お母ちゃんがやってくれてるから大丈夫だよ」
Sさん「うーそ? そうかぁ~」となんだか嬉しそうな顔。
「そうだよ。ちゃんとやってくれてるよ」
Sさん「そうだな!」と納得し、さらに満面の笑みを見せる。
 奥さんとの素敵な関係性もなんとなく垣間見られる。

 私は、姪っ子という「役」なので、あえてSさんと同じように「お母ちゃん」と奥さんのことを呼んでいる。利用者さんと関わる上で、「役」を演じることも大切だと考えている。いろいろな役を演じ分け、利用者さんが「ここが自分の居場所だ」と感じてもらえるように「その人らしさ」、そして、その方の「お名前」を大切にしてたくさん話をすることを日々心がけている。これまで介護業界とは無縁だった私が、利用者さんと楽しく過ごせている毎日に感謝です。

 仕事終わりには、「気をつけて帰れよ」と声をかけてくださるSさん。
 たまに、帰った私を探して「トモコはどこだ?」って言っているらしい(笑)。
 あしたもまた、「おい、トモコ」の声を楽しみにしている私がいる。

* * *

 介護施設に入れば、介護を受けるだけの立場になる、と思っている方が多いかもしれませんが、介護職はその人のできること、もっている強みを生かした支援が求められます。認知症があっても、役割を持つことで、いきがいにつながっていくことがあります。
 介護職である増井さんを姪っ子だと思い込み、相談事をしたり、さまざまな頼みごとをしたり、介護職は利用者さんの求める役になりきって対応することで、安心感を持ってもらうことができます。
「認知症の利用者の方に嘘をついていることになるんじゃないか?」と思われる方がいるかもしれませんが、実際は、演じることと嘘をつくことは別物です。介護職にとって、目の前の利用者さんが生きる世界の中の役者として「どんな立ち回りをすれば、安心していただけるのか?」「心を開いていただけるのか?」という視点をいつも忘れずに持つ必要があります。
 自分自身が認知症になったとき「それは違うよ、そうじゃない!」と否定したり、正したりする人ばかりだったらどうでしょうか? 「不安でしかたないのでは」と思います。介護職は、認知症になっても、障害をもっても安心して暮らしていくためにどんな人に伴走してもらいたいのか? を考え、その役割を演じることが求められています。


Vol.30(2024.9.18)

「言葉の裏側にあるもの」

 今回は岩瀬美奈子さんがケアスタッフとして働いていた介護付き老人ホームでの、ある女性利用者さんとのエピソードです。

* * *

 Aさんは、いつもきれいにお化粧してきちんと身なりを整えている素敵な方でした。しかし、認知症が進み、体の状態も悪くなり、徐々に歩けなくなって車いすの生活になりました。今思うとレビー小体型認知症だったのではないか? と思います。
 あるときからAさんが、特定の男性スタッフに対して極端にケアの拒否をするようになりました。そのスタッフBさんは大学を卒業して間もない男性で、とてもまじめで一生懸命仕事をしていました。しかし、AさんはBさんが部屋に入ってくるだけで「出て行って! 近寄らないで!」など、大きな声で叫んで拒否をするのでした。それだけではなく「あの人が私を殴ったり蹴ったりした」など被害妄想的な言葉もありました。
 私たちはAさんに「Bさんはとてもまじめで真剣に仕事をしていますよ。経験は浅いけれど、一生懸命仕事を覚えているところですよ」などと伝えて理解していただこうとしていました。しかし、Aさんのケアの拒否はますます強くなり、そのうち男性ケアスタッフすべてに対して大声で拒否をするようになってしまいました。
 そして、終始不安が強い状態が続きました。当時、社内に認知症の困りごとを相談する部署があり、私たちはアドバイスをもらうことになりました。

 そのときのアドバイスは「おそらく過去に起きたことがフラッシュバックしているのではないか。Bさんを誰かと思い込み、こわい思いをしたことを思い出しているのかもしれない。いったんBさんをケアからはずして、ご本人の言うことを否定せずに擁護するようにしましょう」というものでした。
 そこで、できるだけケアには女性スタッフが入るようにしました。そして「あの人が私にひどいことをした」などの発言があったときには「ケガはありませんか? これから絶対に私たちが守ります。あの人はここにはいれません」と力強く伝えるようにしました。
 そうしたところ、1週間もしないうちにAさんは穏やかに落ち着いて過ごされるようになり、男性スタッフへの拒否も減っていきました。
 やがてBさんに対しても拒否なくケアを受けてくれるようになりました。

 私たちスタッフはほっとしていたのですが、あるときAさんの娘さんからこんな話を聞いたのです。
「母は戦時中、兵隊さんのお世話をするような仕事をしていて、そのときに相当ひどい目にあったようです。本人は何も話さないけれど、叔母から聞きました。だから戦争中のことは絶対に話題にしないでください」
 もし、Aさんがそのときのことを思い出していたのなら、私たちはどれだけつらい思いをさせてしまったでしょう。AさんがこわがっているのにBさんのことを「あの人はいい人ですよ」などと説得しようとしていたのです。私は今でもAさんの「なんで信じてくれないの? 私がうそつきだというの?」という悲しそうな声を覚えています。

 私たちがAさんの言葉を否定せずに、すべて受け入れて接したことでAさんは私たちを信頼してくれたのだと思います。そしてホームを安心な場所だと認識してくれたのだと思います。
 認知症のある人が落ち着かなくなったり不穏になり大きな声を出したりすることには何かしらの原因があり、その原因を予測して関わることで状態は良くなると実感した出来事でした。今にして思うと「認知症の人の世界に自分が合わせる」という鉄則をこのときは知らずに自分も苦労していたのだと思います。
 私はこのことをきっかけに認知症について学びを深めようと決め勉強し始めました。多くの認知症のある人と関わる中で「言葉の裏側を考える」「行動の原因を予測する」ということで、さまざまな※BPSDと呼ばれる症状が改善することを経験してきました。そのきっかけをくれたAさんにとても感謝しています。

※BPSD 認知症にともなう行動・心理症状のことを指す。幻覚、妄想、興奮、不穏、徘徊、焦燥、暴言、抑うつなどが含まれる。

* * *

 高齢になり、認知症状が進んでくる中で、Aさんのように戦時中のトラウマなど、過去に経験した強い負の経験が、何かをきっかけに呼び起こされてしまうことがあります。
 私自身も、施設ケアマネジャーとして勤務する中で、特定のスタッフをひどく毛嫌いし、「物を盗られた」「部屋を荒らされた」という入居者の方がいたことを思い出しました。そのときには、なぜその職員を嫌がるのか? 答えを導き出すことができなかったことが思い出されます。
 岩瀬さんの話の中で、改めて利用者の方が過去にどんな経験をしてきたのか? 認知症が進行する前に本人や家族に聞き取ることの大切さを感じます。
 今回のお話では、戦時中、つらい思いをしていたこと、戦争の話は絶対しないで、という娘さんの言葉をヒントにご本人のマイナス感情を呼び起こすものが何かを導きだすことができていましたが、「いったい何が原因で今の言動が引き起こされているのか?」、分析する視点を持つこと、けっして感情に流され、非難するようなことをしてはいけないことなど、改めて介護やケアに関わる者として肝に銘じなければと考えさせられました。


Vol.31(2024.11.08)

「感情を揺さぶられる仕事」

 今回は、小規模多機能型居宅介護の管理者をされている熊谷洋輔さんの実話に基づいたお話です。

* * *

「あなたは、和裁・洋裁ができますか?」「夕飯を作れますか?」
 Aさんは、口調を強めて迫ってくる。
 Aさんは見えないものが見え、聞こえるようになったのはほんの半年前からだった。突如、トイレのしかたがわからない失行症状と、失禁が続いた。
 それまでできていた歯を磨く行為も、どうしていいかわからなくなった。
「とにかく、どうしたらいいの?」と聞くようになった。

 部屋に戻ると、誰かと会話するようになる。
 Aさんはハイテンションで笑い出すなど、感情のコントロールを徐々に失っていった。
 テレビで話している内容が、目の前で起きているように怯えたり、「台風が来るから外には出られないな」と、ひどく心配したりするようになった。
 聴覚過敏症状は、隣のテーブルで話す会話を拾うようになってから、顕著になった。
「あの女は、よくしゃべりすぎる」とAさんは突如、怒りはじめた。あの女とは、職員のS子さんのことだった。
 S子さんは職場の愚痴を言うのが得意で、自分の周りを動かし、仕事をするタイプだった。彼女の愚痴は、Aさんには自分に向けられているかのごとく、不快な音として入ってくる。その音がモヤモヤとして残って、怒っているのだった。

 息子さんが面会に来ると、気を入れ直すかのごとく一瞬、母親に戻る。
「迷惑はかけません」と、精一杯の決意を息子に伝える。息子さんは「職員さんを困らせるなよ」と、ドスをきかせる。
「どうしてこの役目を息子さんにさせる必要があるのだろうか」と思いながら、最大の悪役は自分ではないだろうかという思いがありながら、息子さんに面会の礼を言って見送る。
 息子さんが帰った後には、記憶は薄れ「息子はヤクザの親分になってしまったらしい」と、打ち明ける。理解もやさしさも環境も作れない現状に、悲しみとやるせなさを覚える。

「あなたは、和裁・洋裁ができますか?」「食事は作れますか?」
 Aさんは、今日もこの問いを最大出力の怒りでぶつけてくる。
「できないだろうね」「無理なんだろ」「できないやつ?」と詰める言葉で、すごいエネルギーで何度も問いかけてくる。
 Aさんは、人生の悲しみや悔しさを今、人生のリュックサックから取り出し始めている。私は、向き合うしかないのである。
「あなたは、こんな私に、どんな対応をするのか?」
「あなたもまた、その場しのぎのウソを私につくのか?」
「あなたもまた、めんどくさいような表情をするのか?」
「あなたもまた、私を裏切るのか?」
 そんな問いかけに思う。
 人と向き合う仕事は、こんなにも感情が揺さぶられ大変だが、人生が垣間見え、振り回される心地よさともに、楽しい仕事だと思えるのだろう。

* * *

 熊谷さんの施設は、小規模多機能型居宅介護といって、通いと訪問、泊りのサービスが組み合わされ、自分でできることは自分で行ない、得意な家事などがあればそれを生かしして生活をしていただく場になります。
 ほつれた衣類を繕ったり、雑巾を縫ったりも、できる方はしていただきますし、夕食の準備などもできる人は一緒に行っていただきます。Aさんは、ご自身が今までできていたことがだんだんとできなくなってきて、悲観する気持ちがマイナスの感情を呼び起こしてしまっているのかもしれません。
 年を取っていくということは、失われていく能力を受け入れて生きていくということになり、現実は嬉しい、楽しいことばかりではないということを改めて気づかされます。そんな中で、信頼できる人との心地よい関係はどれだけ救いになることでしょうか。家族なのか? それとも他人がいいのか? わかりませんが、ケアに関わる私たちは少なくとも、一番身近に生活を支える立場に置かれるものとして、接していて心が軽くなり、わずかな希望でも感じることができるような関係性を築きたいものですし、それこそが介護の仕事の奥深さであり、やりがいといえるのではないかと感じています。


Vol.32(2024.12.23)

「100円クオリティー」

 今回は、介護老人保健施設で理学療法士として働く山越博正さんの実話に基づいたお話です。

* * *

「チョレイ!」とある朝、テレビから威勢のいいかけ声が響きます。ニュースで、パリオリンピック卓球男子の結果を伝えていました。
「おはようございます。張本君すごいですね」
 私は、スタッフに話しかけながら、ふと机の上に目をやるとピンポン球とネットがセットになったものが置いてありました。
「なんですこれ?」
私の問いにスタッフは得意げに「昨日100円ショップに行ったら気になって買ってきたんだ。きょうはこれやるの!」と答えました。そのとき、私はこの「100円の卓球セット」がこれから引き起こす出来事について想像もしていませんでした。

 いつもどおりホールでリハビリをしていると、何やら後ろが騒がしくなってきました。先ほどのスタッフが、テーブルを引っ張り出しています。
「みなさん、卓球やりましょう!」と言いながら、車いすの利用者さんを2人連れてきて卓球を始めました。
 100円のピンポン球は意外にもしっかり弾んでくれています。しかし、オリンピックのようなラリーは起きるはずもなく、職員が球拾いに走り回るほうが多いようです。私のもとにも何度か球が転がってきたので、拾い上げてスタッフに投げ返していました。
 しばらくすると、2人だった利用者さんが3人、4人と増えていき、最終的には10人くらいがテーブルを囲んで卓球を見守っていました。もちろん、見ているだけでは終わりません。 「私もやってみたい」とそんな声も増え、順番に替わりながら卓球は進んでいきます。
 そんな中、ひとりの女性の利用者さんが車椅子でこちらに向かってきました。そして、人だかりの奥で卓球の様子をじっと見てました。この方は、既往歴に腰椎圧迫骨折があり、日によっては腰痛をひどく訴えることがあります。痛みがひどいと一日中ベッドから出てこないこともあります。

「興味ありますか?」と私が声をかけます。
「昔ちょっとやっていたからね」
「やってみますか?」
 私は彼女がコクっとうなずいたのを見て、車いすを押してテーブルの前に行き、ラケットと球を渡します。その方はおもむろに球を放り投げ、ラケットを振ります。空振り。一度、二度と繰り返し、やっと相手のコートに球はたどり着きました。今度はサーブを受ける番です。車いすに座ったままなので、前や横に球がそれるとラケットが届きません。
 そのとき、出来事は起こりました。その方は、おもむろに立ち上がり、ラケットを振り始めたのです。ケアスタッフが目を丸くして、その方のもとに走り寄ります。私は、手を挙げてそれを静止すると、首を左右に振りました。ややオープンスタンスに立ち上がったその姿は、初めて卓球をやる立ち姿ではありませんでした。
「大丈夫です。僕が見てます」と、私はその方の後方で寄り添いながら、ゲームを見守っていました。
「すごかったですね。腰、大丈夫ですか?」
 ゲームが終わり、その方に声をかけると、「ずいぶん下手くそになってしまったね。昔はもっとできたのにね」と、いつも「腰が痛い」と泣いていた顔とは違い、息を弾ませながら、はにかんだ笑顔を見せてくれました。

「痛みは、ケガに対する反射的な反応というよりは、生体の健康状態についての意見である」と言われ、感情や認知面に左右されます。その利用者さんは「家に帰りたい」「家族に会いたい」と不安を訴えてました。そういった不安やイライラが痛みを増幅させていたのかもしれません。「卓球をやりたい!」という情動が痛みをコントロールし、あのプレイに繋がったのだと思います。100 円の卓球セットがもたらした効果はとても大きいものでした。 「100 円クオリティー」をちょっぴりなめていた自分に反省です。

* * *

 100円ショップは実は介護施設のアクティビティでは欠かせないお店です。脳トレ、大人の塗り絵から、お誕生日祝いのグッズや季節の飾り付け用品など、たくさんの行事で活用します。そんな中で、卓球セットをチョイスしたスタッフさん。体を動かすことがままならない方も多い中で、簡単にラリーができるものではないはずですが、今回は大当たりだったようです。
 まさか、車椅子の利用者さんが立ち上がってまで、ボールを返そうとするなんて思いもしなかったかもしれません。まさに、好きなことに集中するあまり出た行動だったのだと思います。何かに集中して取り組んだり、楽しむことは、痛みや心配事をひととき忘れさせてくれます。
 私自身も以前、「帰りたい」と繰り返し言われている方に、お得意だった調理の依頼をすると、とたんに「帰る」と言わなくなり、鼻歌を歌いながら食材を切ってくれるということがありました。介護職は、気分を切り替えられる家事や趣味等、生活の中の楽しみを提案できることもまた大切な役割のひとつなのだ、と感じるお話でした。


最新記事へ

番外編バックナンバー(2021-2023)

介護カフェのつくりかた Back number


高瀬比左子(たかせ・ひさこ)
NPO法人未来をつくるkaigoカフェ代表。
介護福祉士・社会福祉士・介護支援専門員。大学卒業後、訪問介護事業所や施設での現場経験ののち、ケアマネージャーとして勤務。自らの対話力不足や介護現場での対話の必要性を感じ、平成24年より介護職やケアに関わるもの同士が立場や役職に関係なくフラットに対話できる場として「未来をつくるkaigoカフェ」をスタート。介護関係者のみならず多職種を交えた活動には、これまで8000人以上が参加。通常のカフェ開催の他、小中高への出張カフェ、一般企業や専門学校などでのキャリアアップ勉強会や講演、カフェ型の対話の場づくりができる人材を育成するカフェファシリテーター講座の開催を通じて地域でのカフェ設立支援もおこなう。