「ぼっち」ですが、何か?

「ぼっち」ですが、何か?

孤独を淡々と生きる

 困ったものである。わたしは世間の隅で、淡々と孤独に生きたいのである。どちらかといえばストイックに、いや超然とした態度で生きていきたい。物静かに暮らしたいが、他人にナメられるのは絶対に嫌だ。もちろん、烏合の衆の一員に甘んじるというのも嫌だ。ではどうすればいいのか。そのあたりの戸惑いを巡って、少し真剣に考えてみたい。



  第二回(2018.06.15)

「察して欲しい」の罠


 さて、わたしはこの連載を通じて「孤独に生きることの大切さ」「ぼっち・・・ですが、何か?」「群れて生きる醜悪さ」といった話をしたいのである。多かれ少なかれそれはわたしが自己肯定をするための言い訳と重なるだろう。だが詭弁を弄してまで、自己肯定をしようとは思わない。今までの人生において、出来る限り孤独でいるのが自分にとって気が安らぐための条件だったし、そのおかげで迷惑や不快感を世間に比較的与えずに済んできたと考えている。つまり孤独はわたしにとっても世の中にとっても「望ましい状態」、という単純至極な結論になる。
 にもかかわらず、孤独でいるとそれを異常ないし不自然である、さもなければ恥ずべき事態であると判断する傾向が社会にはあるようだ。孤独が平気なのは、心のみずみずしさや精神の豊かさの欠落を意味すると見なしているのだろうか。
 どうして世間の多くは群れたりツルんで人生を送りたがるのか。それがいまひとつ合点がいかないのである。そんなことを言いつつ、わたしには配偶者がいる。子どもは最初から作らない前提で結婚したが、べつに世捨て人や仙人になりたいわけではない。自宅へ人を招いて談笑することもある。2ちゃんねるをチェックするいっぽう、年末になると救世軍の社会鍋に二千円を入れて善人ぶろうとする(無宗教である、念のため)。きちんと挨拶の出来ない人間を嫌悪し、でも自宅の電話が鳴っても絶対に受話器を取らない。SNSを毛嫌いし、スマホも持たない。そのくせ、自分が書いた本の評価はひどく気にする。要するに、孤独癖はあるが超然としているわけではなく、友人が少ないのもメインテナンスが面倒だからだ。世の中をどちらといえば嫌っているが、自分が世間から見捨てられる状況は御免被りたい。承認欲求は人一倍である。
 そんな矛盾だらけで勝手なことを思っているが、いずれにせよベクトルは孤独の方向に合わせてある。そして孤独であることには危険や副作用が潜んでいることも自覚している。そうした危険性のひとつが、たった今紹介した小説に顕現している。
 リリアンはトラヴァーズに好感を持っていた。その好感に影が差したきっかけは何であっただろう。彼の肉体的不完全さに気づいたときである。さらに、その不完全さは無教養で鈍感そうな母親とか、彼らの暮らし向きの不運さとか、そういったどうしようもないマイナス要素へと芋蔓式に繋がっていく。障害者が駄目とかそういったストレートな話ではなく、彼の障害にはすべてが象徴されていた。わたしは象徴というものが決して芸術とか思想領域の玩具ではなく、あたかも地中に埋まったピラミッドの天辺が路傍の三角形をした石ころのように見えるのと同じではないかと考える。その石を目にしただけで、地中のピラミッドを直感してしまう場合があり、でもそうした直感を人は自ら否定してしまいがちではないだろうか。「まさか、そんなわけがない」と。
 自分が感じたこと、直感したことに対して、それをそのまま受け入れるのは難しい。状況や成り行きに引っ張られ、人は自らを欺く。そうやって世の中と仲良くやっていこうと思ってしまう。だが実はそれが間違いであることをしっかりと頭の片隅で自覚している。こうした罠には、人は孤独であるほど劣悪な形で陥りがちな気がするのである。当人は理屈を駆使して自分を騙そうとする。あたかも世の中と調和を図るためのように。そうして違和感を抱いたままどんどん間違った方向に歩いて行く。
 自分ひとりで考え抜いても、根本的に間違っているケースは珍しくない。考えに考え、煩悶し、その挙げ句に自殺するしかないと結論づける者が毎年二万人を超えるのである。やはり他人が必要なのである。愚痴をこぼしたり、迷いを素直に口にするだけで良い。他人に向かって語るというプロセスを挟むことによって、「我に返る」チャンスが訪れる。自分だけで煮詰まるのは危険である。その点において、リリアンは大きな失策を犯している。人生を棒に振るような失策を。

 不幸に陥らないように孤独を生きるには、話し合える他人が必要なのだ。自己撞着のような言い方であるが、ロビンソン・クルーソーのような生活イコール「孤独を生きる」と勘違いしないほうが良い。孤島の住人とは違うのである。べたべたといつも一緒にいる必要はないけれども、迷ったり当惑した際には耳を傾けてくれる相手を確保しておくべきと思う。ただし小賢しい助言や、つまらぬ原則論を言い立ててくる人物は避けるべきだ。バカと熱血漢は危険である。羞恥心や自己嫌悪、身も蓋もない率直さや露悪趣味を適度に持った人物が理想的だと思う。つまりクールで、表面的な「和」よりも正直な態度のほうが大切と思えるだけの度胸を携えた人間である。まあそんな人物は少数派だろうが。
 ロビンソン・クルーソーだって鸚鵡を飼い、最終的にはフライデーという他者を身近に得た。そうでなければ人は気が狂う。まっとうな判断能力を失う。

 ところで、絶海の孤島ではなくこの人と情報にあふれた世界に生きるのを前提として、孤独な人間が犯しやすい誤りのひとつに、「察して欲しい」という心の働きがある。これはかなり重要な心理的袋小路だと思う。
 普通に生活を送りつつ、内面のスタンスとして孤独を選ぶといったライフスタイルを考えた場合、「付き合い」を何もかも拒否するわけにはいくまい。職場の歓送迎会にはちゃんと出席すべきだろうし、行事の類をすべて避けるのは得策ではない。それこそ孤立どころか、嫌われ、忌避され、最終的には職場や学校から追い出されかねない。損をするだけで、そんなのはアホらしいではないか。わたしは変人と周囲から思われても一向に平気だけれど、読者諸氏はそうもいかないかもしれない。適度に環境へ溶け込みつつ自分という存在を堅持し、愚かな多数決主義に流されないようにしたいところである。心の中には鴨長明みたいに庵を結びつつも、そこそこの笑顔で上手く世渡りをしていきたいものである。
 そういった生き方をした場合、どうしても他者とのコミュニケーションは表面的なものになりがちだろう。本当はそうじゃないんだ、自分はもっと違ったことを考えているのさ、といった気持をいつも抱えることになる。まあそれが当然なわけで、だからそのままやっていけばいい。だがどうも人間には厄介なところが備わっている。自分の本心を分かってもらいたい、汲んでもらいたいといった気持がいつの間にか出てくる。しっかりと付き合うのは面倒だが、オレの本心、オレの屈折を察して欲しいと思うようになる。早い話が一種の甘えであり、きちんと態度を表明しないくせに相手が心の中を察すべきだなんて、そりゃ無理だろう。
 事実上コミュニケーションを拒否しながら、そのくせ周囲に対し「自分を理解し、あまつさえ認めて欲しい」と願う。といって他人が自分の内面に踏み込むことには烈火の如く怒る。言動のちょっとしたニュアンスや顔つき、あるいはオーラからオレを察して欲しいと熱望するのだ。さきほど紹介した小説では、リリアンは自分だけで問題を抱え込んだために「我に返る」ことが出来ずに不本意な成り行きに絡め取られてしまった。これが孤独における危険の第一であり、第二は今述べているように「察して欲しい」といった気持に多かれ少なかれ囚われてしまうことなのである。

 安岡章太郎の短篇小説に「陰気な愉しみ」(1953)という作品がある。私小説に近い立ち位置で書かれている。
 神奈川県のK海岸に両親と住む「私」は、太平洋戦争で傷を負ったのが元で脊椎カリエスを患い、働くことが出来ない。何しろギプスで胴体を固めているのだから、日常生活にすら差し支える。傷病兵手当でどうにか一家は生計を立てている。「私」はいわば戦争の犠牲者であり、だから手当を貰うのは当然である。だが本人には深い鬱屈があり、手当を貰うことに抵抗がある。もし病人でなかったとしても自分のような駄目人間には手当に相当する金額など稼ぎ出せないだろうから、そうなると「私」は病気に事寄せてアンフェアな金を受け取っていることになる――そんな奇妙な理屈に基づいた気まずさを覚え、自己卑下しているのだ。
 そんなわけで毎月一時間もかけて横浜の役所へ手当を受け取りに行くのは、身体的にも精神的にも苦痛なのである。でも貰わなければ一家の暮らしは成り立たない。いつも顔を合わせる災害給与係の小役人の一挙手一投足にさえ、「私」はおどおどしてしまう。
 手当金を受け取ると、それを懐にして「私」は終戦直後の横浜の猥雑な街並みを歩き回る。土地柄、ハイカラな食べ物もいろいろ売られている。肉屋には骨付きハムまで陳列されているし、アメリカ兵一家の出入りする瀟洒なレストランさえある。いずれも自分には高嶺の花だ。そうしたものを羨望の眼差しで眺めることで「私」は屈折した快感と「麻痺するほどの自己嫌悪」に囚われる。その自己嫌悪で、傷病兵手当を受け取る気まずさを帳消しにしているわけだ。そして「浮浪人の多くあつまるナミダ橋といふ辺の、屋台の店で一ぱい十円の出がらしのコーヒーをのんで帰途につく」。
 そんな惨めで孤独な生活を送っていたのだけれど、「もう十一月もをはりに近い、最後の秋晴れで、空気のばかにすがすがしい日」に、ささやかな幸運に巡り会う。普段よりも手当金が千円ばかり多かったのだ。たちまち気が大きくなった。「飯をくふ、映画をみる、お茶をのむ、それからついでに親孝行のためにお菓子でも買はう」。というわけでいつものように雑踏に繰り出したのだが、いざレストランや喫茶店に入ろうとすると、「光にけつして近づけない獣のやうに、きまつて私の体は引きかへしてしまう」。なぜか店内に足を踏み入れられないのだ。じゃあせめてあの骨付きハムを売っていた肉屋でソーセージでも買って、「山手の外人住宅地の丘にのぼり、丸囓りにそいつを頬ばりながら港の景色でも見物しよう」と企む。しかし店のショー・ウインドウのガラスに映った自分の顔があまりに下卑ているうえに弛緩していたのを目にして、たちまち心は萎縮してソーセージもあっさり諦めてしまう。
 そんな調子で、せっかく得た千円を使おうにもどうしてか自分で自分にブレーキを掛けてしまう。「私」はささやかな楽しみを享受することすら叶わないのか。
 絶望しかけたとき、ふと思い出した光景があった。先月横浜へ手当金を貰いに来たとき、ナミダ橋のたもとにあるビルディングの前に靴磨きが四、五人並んでいた。その中の一人、婆さんの磨き屋が自分に向かってちょっと手を振った。彼女は日だまりの中でペタンと座り、手拭いで頭を包んだモンペ姿で笑いを浮かべながら、磨いていきなよと手招きをしたのだ。それを見て「私は、はッとした」。孤独で惨めな自分なんかにアプローチしてくれるというそのこと自体に、嬉しいような恥ずかしいような戸惑ったような感情を覚えたのである。でもそのときには、靴を磨いてもらわなかった。そんな資格は自分にはないように思えたのである。
 今度こそあの婆さんに靴を磨いてもらおうと「私」は思いつく。そこでナミダ橋のほうに歩を進めた。
 いわば心温まる触れ合いを期待して赴いてみると、婆さんは思っていたよりも若かった。先月と違ってどことなく活気もない。微妙な違和感を覚えつつも、とにかく「私」は靴を磨いてもらうべく「鉄の一本脚の丸椅子にすわって足を台にのせた」。すると、違和感どころではない事態が生じた。彼女の靴の磨き方が尋常ではない。途方もなくダイナミックなのである。

 ……そんな方法で靴を磨くのははじめてだが、細い一本のヒモを両手でぴんとはつて靴の垢をこくのである。しかも、それが物凄い力だ。あわてて足をフンばらうとしたが、その拍子にギプスで胴を固めた身体は自由がきかず、あやふく私は椅子もろともに、どうと倒れさうになった。
「しつかりしてください。」と婆さんは云つた。私は椅子から立ち上がつて膝頭を両手で力いつぱいおさへたが、それでもなほ婆さんがヒモを引ッぱつてやりはじめると、足は木の台の上でふらふら動き出す。

 そんな闇雲なエネルギーで婆さんは懸命に靴を磨き上げる。「私」は振り回されないように必死で踏ん張るしかない。それは果てしなく続くように思われ、しかしとうとう靴磨きが終わったとき、「……堀割の暗い水面から吹いてくる風はうそ寒いのだが、婆さんのひたひは汗で光つている。靴はもう自分がはいてゐるものとは信じられない程のかがやき方だ」。
 磨き賃はわずか二十円だった。たったそれだけ。心の触れ合いと呼ぶべきものもなかった。でも靴は驚くばかりに光り輝いている。まるで奇跡のように。そして「私」は帰途に就くべく夕刻の駅に立つ。いや、じっと立っていた訳ではない。最後の段落はこう書かれている。

 ながいプラットフォームを私は、はじからはじまで歩いた。……けふ一日中の愉しみを塗りこめて光つてゐる靴をはいた足で。

 さてこの作品を、「察して欲しい」の観点から眺めてみよう。追い込まれ鬱屈した「私」は、深い孤独感に囚われていた。それどころかその孤独感を通じて自己憐憫に耽り、さらにそんな状況に倒錯した楽しみさえ覚えるような状態に陥っていた。なるほど孤独で不本意な状況に置かれ続けると、人はそんな傾向になりがちだろう。
 自嘲的な気分のとき、誰もが必ず「察して欲しい」といった想いを抱く。積極的に思うか、それとも無意識レベルか、いずれにせよそう思う(それは世間が具体的に自分を理解し共感してくれると同時に、運命とか神様もまたわたしの辛さを〈察して〉、その辛さの代償として幸運を与えてくれるべきだといった発想につながるようである)。わたし自身がそうだし、このような気持はいつしか「察して欲しい」乞食みたいな卑しさにまでエスカレートしかねない。まさに孤独な状態が引き起こしかねない危険のひとつだ。
 どうやら「察して欲しい」の気分の裏側には、「そう簡単に察せられてたまるものか」といった意地も生ずるようである。自分を安売りしたくない、自分を奥行きのある人間と思いたいといった願望があるのだろう。だから子どものお年玉レベルの幸福なんかがもたらされても、つい小馬鹿にされたように感じてそれを拒絶してしまうような態度が自然に出てしまったりするのだろう。人はなかなか素直にはなれない。
 そこで靴磨きの婆さんである。彼女は決して「私」を察してくれる訳ではない。たんに仕事として「私」と向き合うだけである。そもそも「察して欲しい」と願うのは、自分が誤解されているか無視されていると思うからであろう。だが婆さんは誤解も無視もしない。それどころか不可解とすら感じられるほどのパワーと真摯さで靴磨きをやり遂げる。おまけに彼女はそのようにするのが普通だと思っている。だから椅子から転げ落ちそうになった「私」に、「しっかりしてください」と声を掛けることになった。励ましではない、彼女の「普通」にこちらがついて行けなくなりそうになったからだ。
 無視と誤解、さもなければ共感と理解――そんな二項対立しか実感出来なくなっていた「私」に靴磨きの婆さんは、そんなものを超越した闇雲なエネルギーを突きつけてみせた。しかもそれを特別なことと彼女は思っていない。その無頓着さがなおのこと「私」を精神的視野狭窄状態から引きずり出す。ささやかながら啓示に近い体験なのではあるまいか。そして現実に「私」の靴は、オズの魔法に掛かったみたいにぴかぴか輝いているのだ。そりゃあホームの端から端まで歩いてみたくもなるだろうよ。

 ここで再びリリアンに話を戻せば、彼女は孤独の殻に閉じこもったまま「我に返る」機会をみすみす逃してしまった。と同時に、リリアンはトラヴァーズに対して「察して欲しい」と思い続けていたに違いない。引くに引けぬ状況にどんどん陥りつつも、「察して欲しい」と願うだけで自然に解決が訪れるような甘っちょろい夢想を抱いていたのではないか。もちろんそんな願いが通用する筈などないと分かっているくせに、彼女は現状に甘んじていた。なぜなのか? 答えは明白である。「面倒だったから」だ。
 孤独でいることは、群れ集って付和雷同しているよりもパワーを要すると思う。でも、孤独でいればいるなりに、「我に返る」ためのアクションや、被害者意識にも似た「察して欲しい」という感情からの脱出のために、尋常ならざるエネルギーを必要とすると思うのである。そこで踏ん張れないと、もう「面倒だから」の罠に落ち込む。
 まあ面倒だからと思ってしまうのは仕方がない、人間だもの。だがせめて靴磨きの婆さんとの出会いのような僥倖において、それに反応出来るだけの感性は磨いておきたいものだと考える次第である。
 なお、わたしはさっきから「察して欲しい」について熱を込めて語っているが、それは「察して欲しい」という心情が予想以上に人の行動原理として作用しているように思えるからだ。どんな形のコミュニケーション手段であっても、テレパシーでないのだから限度がある。「なぜ察してくれない?」「察してくれて当然じゃないか!」といった不満や悔しさが多かれ少なかれ生じ、それが関係性をややこしくしていく。微妙なニュアンス、繊細なディティールにこそ重大な意味は宿りがちなのだから、わたしたちは「察する」という営みに頼らざるを得ないのである。
 自分が腹立たしく思ったり悔しく感じたことの多くは、相手が(故意か否かはともかくとして)核心部分を察してくれなかったことに由来するだろう。自分が厄介な立場に追い込まれたり面倒に巻き込まれた場合も、重要なところを察してもらえなかったからというケースが多いのではないか。もしあなたが小説かドラマを作ろうと思ったら、「察して欲しい」感情を意識して話を組み立てるのは重要な戦術だと思う。わたしは精神科医を生業としているが、神経症やうつ病の人たちの多くも、結局は「察してもらえない」という失望が病状の根底にある。いや、それどころか統合失調症の妄想も、脳内に生じた病的不安感の苦しさや恐ろしさを他者に察してもらいたいがために産み出された苦肉のストーリーと見なすことが出来よう。
 というわけで、孤独について考察するには、孤独に伴う危険性に関連して「我に返る」「察して欲しい」がキーワードとなることをここであらためて指摘しておきたいのである。

 

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年京都府出身。日本医科大学卒。医学博士、精神科専門医。産婦人科医として6年間勤務した後、精神科へ移る。大学病院、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長等を経て、現在も臨床に携わる。藤枝静男とイギー・ポップに憧れ、ゴルフとカラオケとSNSを嫌う。
著書に、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)、『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)などがある。