歩く人 牧水

歩く人

牧 水

「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」。―― 旅を愛し、酒を愛し、何より歌を愛した歌人若山牧水。43年の生涯で約9000首(未発表含む)の歌を残し、いまでも全国各地の多くの人々に愛されている。国民的歌人ともいえるその魅力、その源泉はどこにあるのか? 詩人の正津勉氏が、牧水を「歩く人」と、とらえなおし、旅の巨人、歌の巨人のたたずまいを探る。



  第八回(2017.09.11)

「生活? そんなことは召使どもに任せておけ」


 前章では「難儀至極」と題して、天然歌人のとんでもない生活失格ぶりにふれた。そのことに関わってここで、あらためてその懐中事情におよんでみる。

われ二十六歳にじふろく歌をつくりいひに代ふ世にもわびしきなりはひをする (路上)

 明治四十三年、二十六歳。三月、牧水編集の詩歌誌「創作」を発刊(註、同誌は翌秋休刊、大正二年復刊、以後、現在も続刊)。四月、第三歌集『別離』(先行二歌集『海の声』『独り歌へる』自選歌を中心に新作を収録)刊行、これが好評裡に迎えられ、部数は明らかでないが版を重ねてはいる。だけどここまで繰り返してきたが「歌をつくり飯に代ふ」などとはわびしさのきわみ。牧水は、たしかによく歌作に邁進することほぼ一年に一冊のペースで律儀に歌集をだしてきた。だがもとより歌集にかぎっては売れたとしても微々たるものだ。とてもでないが「なりはひ」とはいえるものでない。くわえて新聞などにものする雑文などの稿料もまたごく僅少でしかない。
 それなのに落ち着かずいつも旅をしつづけるわ、それこそもう酒は浴びるほど飲みまくると。むろんそこには好き勝手だけでない用や算段もあってなのだ。あちこちに講演会に出たり、また揮毫会を催したりする。そうして幾許いくばくかいただく。さらには主宰誌の支持層を広めるため、各地へ足を伸ばし、交遊を深める要があった。旅に出て、杯を重ねる。これもまあ仕事なのである。それはさて、ほんとうにこの天然歌人(マザコン、ワイルドボーイ)の勝手気儘ぶりといったらない、のではないか。まったく世の凡人の範囲を超えている。
 そのあたりをいま少しみてみることにしょう。牧水は、外面はまあまあ悪くない方であるが、いわずもがな表現者であれば、内面はというと決して良くはない。だいたい家居にあるときは、歌作でうんうんと呻吟しているか、ひねもす深酒をしているかだ。家に金が入らない。幼い児に手がかかる。これではどうしても妻がもつはずがない。「あけくれ」と題して詠んでいる。

貧しさに妻のこころのおのづから険しくなるを見て居るこころ (『砂丘』以下)

 朝に夕べに「妻のこころ」がとげとしく眉を寄せるようになってゆく。それをそんな「見て居るこころ」とはどういうか。どうにもちょっと冷ややかすぎないか。そのうちやはり妻が伏しがちになっている。
 大正四年、三十一歳。三月、腸結核を病む喜志子の転地療養のため、神奈川県三浦郡北下浦に転居。「病妻を伴ひ三浦半島の海岸に移住す。三月中旬の事なりき」と詞書して詠んでいる。

海超えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず

 妻は病を養い、いよいよ生活は「浪立ちやま」ない。しかしながらこのときの牧水であるが、病む妻といとけない幼児をおいて旅の空、という相変わらずなしだいなのである。この七月、下野より信州へと旅立つ。その折の連作「山の雲」の一連、下野喜連川町に友を訊ね「友と相酌む歌」と題して詠む。

飽かずしも酌めるものかなみじかき夜を眠ることすらなほ惜みつつ
時をおき老樹おいきの雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ

 このときとばかり短か夜を惜しみ朝まで飲みつづけたのだろう。ここでわたしごとにおよぶと酒飲みの口なれば「老樹の雫おつるごと」という朝酒の酔いのよろしさはよくわかる。でつづいて喜連川より信州へ入り蓼科山麓の春日温泉に遊ぶことに。その折の「窓辺遠望」と題する歌がおかしい。

ふくよかに肥えも肥えつれ人怖ぢず真向ふそのつぶら乳
丈長に濡髪垂らし昼の湯屋出でて真裸躰まはだかつと走りたれ

 なんともなんと温泉宿の窓辺から御婦人の「つぶら乳」「真裸躰」を御覧になって御満悦おいでという。いやはやほんとうに脳天気なものではないか。
それはさてとして。めずらしくもこの秋から冬にかけては家に居ることになった。なにぶん病妻が身重だったのだ。十一月、長女みさき誕生。そういうしだいで鬱勃として家居するものの旅心はつのりつづけたか。
 大正五年、三十二歳。三月中旬から一ヶ月半、宮城、岩手、青森、秋田、福島の東北各県を歩くのだ。南国育ちの牧水にはみちのく行脚は夢だった。それがどれほど胸躍るものだったか。連作「残雪行」、そのうちでも最果ての青森での一連がよろしくある。

  青森駅着、旧知未見の人々出で迎ふ
やと握るその手この手のいづれみな大きからぬなき青森人よ (『朝の歌』以下)

  宿望かなひて雪中の青森市を見る
いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
鈴鳴らすそりにか乗らなむいないな先づこの白雪を踏みてか行かなむ

 雪が嬉しい。人が宜しい。こうなっては、いつにもまして熱烈歓迎とあいなって、いるのである。

  明けぬとて酒、暮れぬとてまた
酒戦さかいくさたれか負けむとみちのくの大男どもい群れどよもす
たくたくと大酒樽のひもすがらえず吹雪きて夜となりしかな

「酒戦」とは、酒の飲み競い合戦。「大酒樽」を据えつけて、大盃に「たくたくと」注ぎ、やんやの掛け声とともに飲み干すこと。まったくいまのガキの一気飲みとまるでかわらぬ。
 天然歌人、面目躍如。そうよ「生活? そんなことは召使どもに任せておけ」(オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン)だって!

 

Buck number


 若山牧水(一八八五〜一九二八)
草鞋よ お前もいよいよ切れるか 今日 昨日 一昨日 これで三日履いて来た……。旅と、酒と、歌を、愛した歌びと。一世紀前の大歩行者。

 正津 勉(しょうづ・べん)
1945年、福井県生まれ。同志社大学文学部卒業。72年、第一詩集『惨事』(国文社)刊行。81年、米国オークランド大学客員詩人。代表的な詩集に『正津勉詩集』、『死ノ歌』(思潮社)があるほか、小説『笑いかわせみ』『小説尾形亀之助』『河童芋銭』、評伝『忘れられた俳人 河東碧梧桐』(平凡社新書)、エッセイ『脱力の人』(河出書房新社)『詩人の死』(東洋出版)など幅広い分野で執筆を行う。山関係の著述に詩集『嬉遊曲』『子供の領分|遊山譜』、評伝『山水の飄客 前田普羅』エッセイ『人はなぜ山を詠うのか』(アートアンドクラフツ)『山に遊ぶ 山を想う』(茗渓堂)ほか多数。近著に『乞食路通』(作品社)がある。