本に書かれていないモンテレッジォ

本に書かれていないモンテレッジォ

本に書かれていないモンテレッジォ

モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語

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第四回(2018.09.03)
村のDNA

 連載が決まって、喉元に心臓が上がる。五臓六腑がフツフツと音を立てるような感じ。肝を据えて、とはよく言ったものだ。

 実際にモンテレッジォ村を訪れるまでは、さまざまな家族の歴史を並列に書き、〈同時進行で読む、あるイタリアの歴史〉という構成にすればよいのではないか、と漠然と考えていた。本を主軸にした、村人たちのサガ。大きなショッピングモールに並ぶ個々のショップの品々をひとつずつ見ていく感じ、か。
 ところが実際に行ってみると、もちろん村人たちの話は十人十色で興味深いのだが、今生きている人たちが自慢に思うのは自分たちの父であり祖父であり、祖先だった。自慢に思う理由は、毎年春になると家族のために働き、それがやがて本の行商へと移ったときには、読者と出版社が追加されて、変わらず黙々と働いたことだった。
 立身出世した特別なリーダーがいて皆がその後をついていった、ということでもないらしかった。村人はまとまって、代が変わっても迷うことなく本を売り歩き続けた。モンテレッジォ村のDNAと考えようか。『種の起源』を思う。過去にはさまざまな植生があった周囲の山々は、現在は栗が単種で植生している。土壌や気候との相性、運、同種だけで生存していく楽さと難しさを想像する。長い時間の流れの中でみれば、昆虫も植物も牛馬も、そして人間も世界を作る要素のひとつだ。植物は水と太陽に合わせ、微生物や昆虫、動物が生態系を作る。そして人間。世知以前に、この地で生きるということの根源を探れば、モンテレッジォの人たちの骨肉を成すものがわかるのではないか。
 直接に会って話せる相手はごく限られている。でもそれだからよりわかりやすいのではないか。会える人こそ、この地のエキスだと思おう。
 事件が起こって取材する、という方法ではなく、まるで植物や鉱物、動物、気象の調査員の気持ちになった。環境調査のような、あるいは考古学の遺跡発掘のような。標本採集に行こう。あるときはルーペで微に入り細に入り、またあるときは目を閉じて指先で触れるだけ。六感での第一印象を原稿にしよう。これは、歴史という樹海に分け入っていく探検なのだから。

 瞬時の印象をメモするとその言葉で感想が固定してしまうかも、と写真を撮った。子供達と会うかもしれないので、ポラロイドも用意した。今の子達はイタリアでも、昭和っぽいモノに弱い。会って、その場で撮り合い、すぐに写真が出てくる。余白に日付とひと言書き、相手にプレゼントする(渡す前に、ポラロイド写真をデジカメで記録しておくけれど)。するとお互い、撮影したときのことはけっして忘れないものだ。

今なのにもう〈昔〉になってしまった、今日の出会いのことを。
 名刺入れに入るサイズなのが取材資料的には、また最高。

「次回、村にいらっしゃるときは、うちでアルバムをぜひご覧ください」


 バールの店外に出したテーブルに陣取り、朝から前を通る子供達とポラロイドごっこをしているのを隣席からずっとニコニコと見ていた、セルジォが言った。ジャコモの父。90歳。彼ひとりで、三章分くらいの話が聞けそうだった。モンテレッジォ初心者の私には、ハードルが高過ぎる。
 夏の本祭り頃にぜひ!

 記念に夫人と並んで写真を撮った。

 「私の話もなかなか面白いのよ」

 ジャコモの母が、写されながらそう言った。


 たしかに。同じ歴史でも、男から見た版と女版がある。

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