本に書かれていないモンテレッジォ

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本に書かれていないモンテレッジォ

モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語

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第九回(2018.12.08)
足るを知る

 本当に栗ばかりなのだった。山の色が変わり、栗が降る。
 村の人に案内してもらい、山道を歩いた。ところどころに小屋の跡のようなものがある。四本の柱がかろうじて残り、屋根が朽ちてぶら下がっている。
「ここに栗や払った枝を集めて、干したり蒸し焼きにしたりしたのです」
 イガから外し皮を剥き、実を取り出す。実はすり潰して粉にする。周囲すべてが栗だけが植生する山なのだから、山麓に機械化した加工工場があってもよさそうだったが、ない。製粉の原材料として栗の実を出荷する大型の集積所もないのだった。

 自分たちの使う分だけ山から貰う。必要以上の栗を取り、商売にして儲けようとしない。手の届かないところで落ちた実は、動物の餌になったり土に戻ってモンテレッジォの滋養となる。自分たちでできる範囲で暮らす。足るを知る。
 初めて村を訪れると、「こんなに質素なところで、どう暮らすのか。もの足りなくないのか」と不安に思う。ところが何度か通ううちに、あるいは少し暮らしてみると、充足する、ということの本来の意味を実感する。
 村人達は、学校もなく病院もなく店もなく銀行もなく、足りないことだらけの生活を送っている。

「なくても困らないように、それぞれ工夫するようになりますから」
 バールで隣り合わせた女性が言う。バスが通っていなくて不便だが、送り迎えのための時間は一日の流れにメリハリが付く。気候の良い時期には、父親とオートバイで通学する女子高校生のアレッシア。父親の背中にしっかり掴まって、山を下っていく。話はできなくても、大切な父娘の会話のひと時だ。

 週に二回、小型冷蔵トラックが村の広場にやってくる。箱型の荷台の扉を開けると、小さな商店に早変わりだ。野菜から卵、肉魚、パン、乾物、乳製品、缶詰にはじまり、日用品も売る。運転席から車内に移り乗った店主が、一人で肉を切り分け、魚を包み、野菜を量って、衣服を

袋に入れる。ないのは本くらいか。品揃えは、山村の暮らしを映す鏡だ。

 広場の陽溜まりにミニトラックが店開きをすると、あちこちから人々が三々五々現れる。杖の老人に手を添える子供達。さかんに尻尾を振ってトラックの下で待つ犬。立ち話。次回への注文を告げる人。店主が積んできた何足かの運動靴を試す人。車内には数センチの隙間もない。すべてが何かの商品棚になっている。同乗して山々を回ってみたい。
 店主は気持ち良さそうに物を売っている。手際良く商売が成り立つ

のは、客筋もいいからだ。そうか、この客達は行商の先輩なのだった、

と思い出す。
 村人達は店主の手元と目を見ながら、自分の番が来たら間髪を入れずに声を上手にかけて、あれこれと注文したり尋ねたりしている。
 広場の一角に、露天商の学校を見る思いだった。
 これ以上の何が必要だろう。



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