本に書かれていないモンテレッジォ

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本に書かれていないモンテレッジォ

モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語

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第七回(2018.10.29)
山の小学校で起きたこと

 1981年。私にとって初めてのイタリアは、ナポリだった。暮らしの難易度の高い町だった。世知に()けていないと即座に出し抜かれるような土地柄であるうえ、前年、町に壊滅的な被害をもたらした大地震後という非日常の状況の中、移住したこともあっただろう。しかし困難に感じた理由は、何より私自身にあった。二十歳そこそこだった私は、日本やイタリアという国の違い以前にそもそも世の中のことがよくわかっていなかった。
 初めての土地で風習も環境も知らず、知己も当てもない。ナポリの強い方言はもはや他の国の言葉で、日本での大学時代に机上で得た知識など実生活ではほとんど役に立たなかった。
 身が(すく)む思いを最初に解してくれたのは、近所の子供達だった。幼い子の限られた語彙は、直球の言葉だった。痛い、怖い、嬉しい、好き、嫌い。こういうときにはそう言うのか。小さくて弱いけれど、敏速で柔軟。隙をよく知っている。手や目の届かないところまで見ようとしなくても、足元や目の前にも観るべきものがたくさんあった。目線を下から上げていくと、それまでとは違う世界に出会ったりした。

 モンテレッジォに通い始めてしばらく経ってから、小学校へ行ってみることにした。ヴェネツィアの離島に暮らしていたときに、市立図書館で幼児向けの読み聞かせに参加する機会があった。幼子と本を入口に、離島が抱えるさまざまな問題や利点を知るきっかけとなり、それはどんな文献や専門家へのインタビューよりも役に立った。読み聞かせで知り合った幼稚園と日本の幼稚園を繋げてみたらどうだろう。

 市立図書館の職員達は提案に喜び、日本側でも興味を持ってくれる幼稚園があり、それから子供達のやりとりが始まった。まだ読み書きのできない就学前の子供達なので、好きに絵を描いてもらい送ることになった。頻度もテーマも方法も決めない自由なやりとりは、穏やかで温かな気持ちの交換に繋がった。
〈同じことをモンテレッジォの子供達ともできると楽しいかもしれない〉
 村には学校がない。幼稚園や小学校はどこへ通うのか、とジャコモに訊くと、学区の校長を紹介してくれる、とすぐに返事がきた。一帯の山々に点在する小さな町村には学校はなく、その小学校へ集まってくる。多くの家庭がずっとそこで暮らしてきて、これからも変わらず暮らしていく。子供達の周りには、都市部では当たり前の産業も機関も店舗も娯楽施設もない。

 幼い子供達に関わる提案というのは、どこでもどんな目的でも、即時には承諾されないことが多い。昨今の時勢柄、当然のことだろう。でもヴェネツィアで経験した本が世界の扉を開くような経験を、ぜひ山の小学校にも体験してもらいたかった。ナポリの頃のように、子供達から簡素で真の言葉で土地のことをいろいろ教えてもらいたかった。渋面をされてもあきらめずに話してみよう、と校長の返事を(かしこ)まって待った。

「ぜひ始めましょう。日本の小学校と交流する機会ができれば、どれほど子供達の視野が広がるでしょう!」
 面談に同席したフランチェスカは、小学校三年生の担任教師である。校長の承諾を得るとすぐその場で、一年生から五年生まで(イタリアの小学校は五年教育)全生徒の家庭にこの提案を説明する算段を校長と相談しながら決めていった。フランチェスカ先生がまず、嬉しくてたまらないのだった。
 東京の目黒区立五本木小学校との接点を得る機会を得て、こちらも校長、副校長から即、「交流しましょう」との快諾を受けた。
「山村には本の行商人がいた、という歴史を大人も子供達もほとんど知りません。それを、日本人が調べて本にしようとしている。何も無い、と思っていた自分たちの住むところにそんなに重要な歴史があったのか、と驚いたのです。皆、『ぜひ知りたい!』と興奮しています。本の行商人についていっしょに調べ、教え、思い通りに絵を描いてもらおうと思います」

 フランチェスカ先生から連絡があった。取材仲間、現る!
 新学期が始まる九月から、子供達は任意で学校が休みの土曜日の午前中にも通学し、本の行商人についてジャコモから話を聞き、絵を描き始めた。休日を返上して、遠くの山から子供達を送り迎えする保護者達も、教師たちも、小一時間かけて自宅のある海の町から通うジャコモも大変だったろう。三十名余りの子供達が、それぞれ十点以上の絵を描いた。「描きに描いた」という様子だったそうだ。
 クリスマスに合わせて東京の小学校へ絵を送ってきた山の小学校の子供達に、ぜひ礼を言いに会いに行きたかった。連載のためにちょうど行商人達の個別の資料にあたっていた頃で、その血を受け継ぐ子供達に会い、彼らのご先祖達の話に会えた嬉しさとありがたさを伝えたかった。しかしながら日本に戻っていた私はどうしてもイタリアに行くことがならず、「それならばテレビ電話で話しましょう」ということになった。

 日本とイタリアの時差は、八時間。日本が夜、イタリアが昼。イタリアで子供達が授業を終えて下校する前を見計らって、私はタブレットから電話をかけた。
 黒板! フランチェスカ先生。大勢の子供達。全員がカチンコチンに緊張しているのが、タブレット越しにも伝わってくる。一人ずつ自己紹介をしてくれる。誰もふざけない。きちんと立って、一生懸命に名前を言い、何か言おうとしてでも黙り込む。
 素晴らしい絵のお礼。ご先祖の話が本になる報告。「そういう村に住んでいるなんて、すごいことです」。

 モンテレッジォの近くの山村と日本。お互いに信じられない。真っ暗な窓から日本の夜を見せ、足元の畳の目を見せ、障子に触れて音を聴かせる。
「とても遠いのに、ごくそばにいるみたい」
 本は魔法の絨毯です、と電話を切った。

 三月に子供達の描いた絵と文章を、校長とジャコモとフランチェスカ先生が力を尽くして本にした。

〈私たちの本とヨーコの本と、いっしょに書店に並ぶ日が来ますように〉
 出来上がった本といっしょに小学校からメッセージが届いた。
 本を作るということ、本を届けたいと思う気持ちを子供達から教わった。

次回11月13日掲載

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