デカメロン2020を待ちながら

デカメロン2020を待ちながら

朝日新聞、朝日新聞出版、イタリア文化会館、伊日財団、講談社、Jwave、集英社、集英社インターナショナル、週刊読書人、小学館、せとうちスタイル、東京創元社、ハルメク、文藝春秋、ほぼ日、読売新聞のご各位、<デカメロン2020>の24人の若者やこの連載をご紹介してくださり心からお礼申し上げます。
(敬称略、五十音順)

内田洋子
株式会社 方丈社


「24人から届いた20万字の「ラブリーレター」へ、今度は私が返事を書きます」(内田洋子さん)

 ジョヴァンニ・ボッカチォの古典『デカメロン』のリアル・イタリア版として好評をいただいた連載『デカメロン2020』は、緊急事態宣言の緩和とともに、4月28日の日記をもって終了しました。
 悩み、笑い、悲しみながらも希望をつないで書き続けた24人の若者たちは、その後どんな思いを持ち、どう過ごしているのか――
 来る日も来る日もコロナ禍からの再出発を待っていた若者たち。
 未来へ続く「小さな声」をつむぐエッセイです。


©Cesare Cremonini


第10回(最終回)(2020.08.24)
消してはならないことがある


 雪の舞う日もあった3月から、24人からの連絡を待って過ごしてきた。気が付いたら、8月も終わろうとしている。
 この半年間、全世界が同じ理由で難局に面し、でも誰もが初めての経験で対処法を知らずに暮らしてきた。手探りのような状態が続き不安で、次第に不信感も募ってくる。家で過ごす時間が長くなっているおかげで、これまで以上に多様な情報に囲まれる。
 その中から、なぜ<イタリア>を選んだのか。
 しかも重要事件でもない、普通の人々の毎日を追ってきたのはなぜなのか。

 「『デカメロン』を再読することにしました」
 非常事態宣言が発動された日、ヴェネツィアで下宿する23歳がごく当たり前のように言った。
 14世紀半ばにボッカッチョがこの作品を書いたのは、アジアで発生したペストが海運業の船団によってイタリア半島へ運ばれ、(またた)く間にヨーロッパ全域に拡大し、ついには世界人口の3分の1が死滅した直後だった。<ペストで壊滅寸前となったフィレンツェから10人の若い男女が郊外へ逃れ、外界と接触を絶ち10日間、生活を共にする。その間に毎日1人1話ずつ話を披露する>という設定の物語である。男女の艶話に始まり、人生の可笑(おか)しみや不可思議について書かれている。凄惨な現実からは離れ、明るく、自由で人間味に満ちた100篇だ。
 しかしその<前がき>には、疫病の症状や感染が拡大していく実態、感染患者の苦しみや死んでいく様子が、細大もらさずに記されている。ペストの恐ろしさもさることながら、感染が拡大していくにつれて人々が次第に精神を(むしば)まれいく過程を読むと、700年近く経った現在にも通じるところが多く(おのの)く。
 イタリア半島で最初にペストが上陸したのは、ヴェネツィアだった。長らくオリエント(東方)から西の世界への玄関だったからである。
 <海の向こうから襲ってくる、見えない敵とどう戦うか>
 (いにしえ)の時代から一貫して、疫病対策は統治者の大きな責務である。問題は、発明を生む。叩きのめされ、()い上がり、再生するための方策は、時の叡智(えいち)の結集によって成される。新しい時代の起動力と繋がってきた。
 2020年の春、ヨーロッパでの新型コロナウイルスの感染拡大がイタリアから始まった。そのときイタリアのコンテ首相は記者会見で、
 「イタリアは、諸国に対しての責任がある。皆の健康のために力を合わせて食い止めよう」
いの一番に呼びかけた。玄関を守る者としての、確固たる気構えを聞く思いだった。人心をひとつにまとめて乗り越えてみせる、という強いリーダーの宣言だった。

 イタリアで起きていることを、<対岸の火事>としない。
 外界との接触が減ると、自分の苦しみは人にはわかってもらえない、と閉塞感にとらわれることもあるかもしれない。自暴自棄になってはならない。やり場のない不安や苦しみから逃れようと、自分より弱いもの(動物や植物も)をいじめない。人種や性別、社会階級や年齢、職業で差別しない。患者や医療関係者を疎外しない。いったい誰のせいだ、と悪者探しをしてはならない。
 こうしたことすべては、中世のヴェネツィアで生まれた公衆衛生学がすでに説いている。歴史は繰り返す。都度、社会は変容していく。劣化せず、より生きやすい世の中へと進んでいってほしい。

 このコロナ禍も、いずれは収束する。国の対応や大きな出来事は、公的な記録として残る。しかしそれ以外のことは、煮え湯がどれだけ熱かったのか、喉元(のどもと)を過ぎればすっかり忘れられてしまうだろう。
 消してはならないことがある。
 1度だけのその瞬間。あの目。言葉にならない想い。窓を打つ雨の音。犬が尾を振る。コーヒーの香り。パスタの生地を練る父親のいかつい手。グラスの中の真っ赤なスプリッツ。電話口で押し黙った母親。伸びた髪の毛。コンピューターの画面越しに吹き消す真似をした誕生祝いのケーキ。人のいない広場。1度も袖を通さないままの外出着。過ぎていった季節。
 それは、イタリアだけの情景だろうか。

 <自分は何者でもなく、誰にも知られず、たいしたこともせずに生きている>
 そう思っている人は多い。でも、どんな人にも大切なことはある。
 自分を大切にし、時間を粗末にしないように暮らす。伝えたいことがあれば、すぐに言ってみる。会えない人には、手紙を書こうか。今の自分を未来の自分へ伝えるために、メモやスケッチや写真を残したい。
 そして、誰かと話すために本を読むのはどうだろう。思いもかけない時空の旅に出かけられるかもしれない。そこで、今まで気が付かなかった自分に会う。
 毎日、同じことを繰り返せることほど、大切なことはない。
 『デカメロン2020』が、そういう日々のエールとなることを祈っている。

(完)


引き続き、読者のみなさまからの若者たちへのメッセージをお待ちしています。

内田洋子さんがイタリア語に訳して伝えます。若者たちが、イタリアから動画でイタリア語でお答えすることもあります(いただいたメッセージの一部を掲載させていただくことがあります。ご了承ください)。
問い合わせ先:
https://hojosha.co.jp/free/inquirydesk


タイトル読者のみなさんからのメッセージ

イタリアの若者へ
貴方が無条件に信頼を置けるものは何ですか?
人でもものでも思想でも構いません。
今個人的に山本五十六がマイブームで彼に纏わる本を色々読んでいます。その中で、山本五十六氏夫人は、神は信じられなくても自分の夫のことは信じられると語り、戦時中の中傷にも、戦後の手のひらを返したような人々の対応にも毅然として立ち向かったという記述を目にしたからです。
宜しくお願い致します。
S.Oさん(女性)
「チャオ!
さて、ご質問をくださった読者の方にお返事をしようと思います。遅れてすみません。
でも、簡単な質問ではありません。
僕が全面的に信頼をしているのは何か、ですか。
何人かの人達です。
とても限られた少数、というわけではありません。開放的な性格なので、信頼するに値すると思う人達に囲まれています。
その人だ、と選ぶ基準というのは特に持ってはいないのですが、なんというか、第六感というか皮膚感覚というのか、それでわかるのです。どういうメカニズムかはわかりませんが、会って数分で信用できる人なのかどうか、わかるのです。
けっこう大勢に恵まれています。同年齢にもたくさん見つかるものです。幸いなことに!
これが僕の答えかな。
そうそう、あと僕の犬もとても信頼しています。犬は人間の最良の友、というのは衆知のことですよね。
日本へトスカーナからご挨拶を送ります!」

(C)Giovanni Pintus/UNO Associates Inc.

ミラノのジォヴァン二・ピントゥスさんより
イタリア時間8/10(月)

「デカメロン2020」をずっと読んで下さっていた雑誌「ハルメク」の編集者さんが、「ハルメク WEB」https://halmek.co.jp/column/editing/2607にて、トリノ在住のアレッシアさんに「あなたは甥っ子に会えた?会えたら、よかったね!と喜び、まだだったら、共にがんばろう、と励まし合えるような気がします」とメッセージを下さいました。
「チャオ! ピエモンテ州サヴィリアーノ自宅にいます。
『ハルメク』の記者の方へお返事します。私はとても元気です。小さないとこ達も大変に元気です。同じ町に住んでいるので、幸いにロックダウンが明けてすぐに会うことができました。
記者さんも、早く甥子さん達に会えますように! ハグとご挨拶を送ります。チャオ!」

(C)Alessia Trombin/UNO Associates Inc.

アレッシア・トロンビンさんより
イタリア時間7/15(水)

カリアリ Cagliari (サルデーニァ島 Sardegna)のアニェーゼ・セッティ
Agnese Settiさんへ。

こんにちは。教えて下さったお2人のおばあ様のお話が心にとても響き、この厳しい状況に勇気をいただきました。ありがとうございます。大好きな私の祖父は、幼稚園の時事故で亡くなりました。祖母も早くに病気で他界し、母方父方4人の人生の大先輩は共に残念ながら天国です。母方の祖父も幼くして両親を亡くして苦労し、戦争を体験した人生でした。生きていたなら、アニェーゼ・セッティさんのように、沢山お話を聞きたかったです。ぜひお時間のある時におばあ様のお話を貴女自身が文章にしてあげて下さいね。私はきっとその時間は貴女にもおばあ様にも今後の人生の宝になると思います。ラビオリの美味しいお母様やご兄弟とご自分を比べていらっしゃいましたが、アニェーゼさんはこんなにも心惹かれる素敵な文章を書けるのですから。文章を読んでいるうちに、私もまるで南米へ旅をしている気持ちになりました。私も毎日空想で様々な場所を旅しているのです。いつか美しい渓谷の山道ですれ違うかも知れませんね。どうぞこれからもお元気で。
E.Iさん(女性)
「ブオンジョルノ。アニェーゼです。友達に山の家に招かれて、ダニエラといっしょに行く途中です。
すばらしいお便りをくださった読者の方にお礼を申し上げたいです。ヨーコが訳してくれました。こうしてお手紙をいだたけて、とても感激しました。読者さんの大切な思い出を私と共有してくださったこと、そして私達二人には似たような経験があることを教えてくださったこと、心からお礼を申し上げたいです。
いつか旅の途中でお目にかかれるといいですね!
ラテンアメリカの旅で会えたりして!
ではみなさんにご挨拶を。チャオ!」

(C)Agnese Setti/UNO Associates Inc.

アニェーゼ・セッティさんより
イタリア時間7/13(日)
トレンティーノの山中を走る車中から
(運転手でないアニェーゼさん本人により、安全セルフィー撮影です)

内田洋子さま
お元気でいらっしゃいますか?
さて、イタリアの若者への私からの最初の質問は、今過去に戻れるとすれば、どの時代、どこで何をしてみたいですか?です。
よろしくお願い致します。
S.Oさん(女性)
「チャオ! 今、友達カルロと公園に来ています。
質問にお答えするのですが、えっと、私は<今>がいいです。他の時代の居心地はわからないし。この瞬間が、私には一番です。
ヴェネツィアはとても美しいし(横からカルロが、「皆さん、ぜひ来てね!」)、友人達は皆とてもステキだし。
というところ、かな。メッセージをどうもありがとうございました!」

「締めくくりに、サンタエレナ公園をお見せします」

©︎Elisa Santi/UNO Associates Inc.

エリーザ・サンティさんより
イタリア時間7/7(火)
ヴェネツィア・サンタエレナ公園から

ミラノ Milano(Lombardia) オット・スカッチーニ
Otto Scacciniさんへ。
コロナの前と後の生き方についてのオットさんの思いにとても感動しました。確かに私たちは、今コロナという苦しみの共通体験をしていますね。これまでと違い、人種も国も年齢も性別も超えての地球規模の苦悩の体験。
もちろん、これからも国や人種、社会の中でも様々な違いから衝突や問題が起きてくると思いますし、以前と比較して生活が変わった事への喪失感は度々襲ってきています。でも、オットさんの言われたように『いたみを分かち合う』『同じ苦悩を共有している』ことは、互いの存在を理解しようとする上で、希望の光にもなり得る体験なのかもしれません。私も同じようにそう信じたいです。素敵なメッセージに勇気づけられました。ありがとうございます。
美術が好きな私にとってイタリアは、いつか苦難を乗り越えたら行きたい憧れの国です。お父様撮影のお写真も素敵でした。どうぞお元気で。
E.Iさん(女性)
22時。山の中、ブレーニからです。とても重い試験を終え、ミラノからここへ休憩しに数日来ていました。もう発つので、今荷造りをしているところです。
メッセージをくださった方へお礼を申し上げます。僕がミラノで書いたメッセージを読んで気分を上げてくださったことを知り、本当にとてもうれしいです。(メッセージをいただけるなんて)思いもよりませんでしたから。
デカメロン2020を読んでくださるみなさんに向けて!

©Otto Scaccini/UNO Associates Inc.

オット・スカッチーニさんより
イタリア時間7/3(木)ブレーニから

数年前の夏休みにシチリアへ行き、美しい海や美味しい食事を堪能しました。
「デカメロン2020」のキアラさんの記事を待ちながら、いつもシチリアのあの美しい風景を思い出していました。
非常事態宣言が解かれた今、シチリアの人々の生活は以前と何か変わったことはありますか?
賑やかだったカフェやレストランは、今はどんな様子でしょうか?
またぜひシチリアを訪れたいです。
Y.Kさん(女性)
「チャオ、キアラです。読者さん、お便りどうもありがとうございます。ロックダウンのあとシチリアでもすべてが変わってしまいましたが、おっしゃるようにバールやレストランがとりわけ変化があったのではないでしょうか。テーブルにはプラスチックのパティーションができ、席でも人と人との間隔を空けなければならないとか、(触れることができる)リアルメニューがもうなくなってしまい、店から渡されるQRコードをスキャンして携帯電話でメニューをダウンロードする、などいろいろなことが変わっています。
他は、人々は海に行き始めたし、私もやっとバカンスでこれでも十分にうれしいです。シチリアからでした!」

撮影©J.G.Pisu/UNO Associates Inc.

キアラ・ランツァさんより
イタリア時間6/30(火)現地から。


内田洋子さんの新連載を読んで、今まであまり関心のなかった公文書館というものに大変興味を持ちました。世界最多の所蔵数量を誇り、「過去から未来への旅の入り口です」と案内されるヴェネツィアの公文書館とはいったいどんなところなのでしょうか?
ぜひ教えて下さい。
J.M さん(女性)
コンニチワ、ブオンジォルノ!
私のうしろに見える赤い建物が、ジュデッカ島にある公文書館です。ヴェネツィアには他にもたくさん公文書館があります。
とても大きく、かつてはタバコの倉庫でした。ですから、建物はとても乾燥しているわけです。
これが表札です。<公文書館>。
今、ブザーを押してみますね。誰か、返事をしてくれるでしょうか。
(ブザーを押す。沈黙・・・・)
閉まっているみたいですね。
えっとさて、
うしろには、ジュデッカ運河が見えます。


(C)UNO Associates Inc.

ジュリ・G・ピズさんより
イタリア時間6/24(水)午前10:10現地から。

「デカメロン2020を待ちながら」を楽しみにしています。「デカメロン2020」のミケーレ・ロッシ・カイロさんの弟、アレッサンドロ君は今どのようにお過ごしでしょうか。
8歳の子が友達と一緒に教室で勉強できないこと、お母さんともきょうだいとも離れて暮らしていたことを思うと、切なくなります。
早く日常が戻って来ますように。
M.Kさん(女性)2020/6/22
「チャオ。気にかけてくださり、ありがとう。弟はちょうど先週、誕生日を友達と祝ったところです。僕はミラノに戻り、来週から仕事を始めます。イタリアから心を込めてご挨拶します。チャオ!」

ミケーレ・ロッシ・カイロさんより
イタリア時間6/22(月)午前9:30ミラノの自宅前を散歩しながら。


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プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年、『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
2019年、<ウンベルト・アニエッリ記念ジャーナリスト賞>受賞。2020年、国際ブックシティ財団、イタリア書店員連盟、<露天商賞>委員会から外国人として初めて<金の籠賞>受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社文庫)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館)。翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。