デカメロン2020を待ちながら

デカメロン2020を待ちながら

朝日新聞、朝日新聞出版、イタリア文化会館、伊日財団、講談社、Jwave、集英社、集英社インターナショナル、週刊読書人、小学館、せとうちスタイル、東京創元社、ハルメク、文藝春秋、ほぼ日、読売新聞のご各位、<デカメロン2020>の24人の若者やこの連載をご紹介してくださり心からお礼申し上げます。
(敬称略、五十音順)

内田洋子
株式会社 方丈社


「24人から届いた20万字の「ラブリーレター」へ、今度は私が返事を書きます」(内田洋子さん)

ジョヴァンニ・ボッカチォの古典『デカメロン』のリアル・イタリア版として好評をいただいた連載『デカメロン2020』は、緊急事態宣言の緩和とともに、4月28日の日記をもって終了しました。
悩み、笑い、悲しみながらも希望をつないで書き続けた24人の若者たちは、その後どんな思いをもち、どう過ごしているのか――。来る日も来る日もコロナ禍からの再出発を待っていた若者たち。
未来へ続く「小さな声」をつむぐエッセイです。


第2回(2020.06.29)
いくつものミラノが重なる店。あの日に会いに行く。


 いつもそばにいた大切な人やペット、物が、ある日消えてしまう。次の日から、周囲の景色が変わる。失ったピースに、代えはない。穴が空いたまま四季を一巡し、しかたなく、いなくなってからの毎日がこれからの日常の風景になっていく。
 前と今、これから。いくつもの時間が並び、進む。パラレルワールドのように。

 2020年1月30日、イタリアのローマで、ヨーロッパで最初の新型コロナウイルス感染者が出た。3月に全土封鎖令が発動されたものの感染拡大は収まらず、連日1,000人を超す死者が続出する事態に陥った。イタリアには、人口1,000人未満の町村が2,000近くある。毎日ひとつずつ、小さな村が丸ごと消滅していったようなものだった。
「イタリアの医療が優れておらず、医療崩壊が起きたからでしょう」
 そう一次元には言えない。北イタリアの医療水準は、欧州連合と同レベルである。その証拠に平均健康寿命は長く、日本に次いで長寿世界2位だ。しかし近年の財政困難により、非常時に備えての数千単位でのICUベッドや人工呼吸器の用意は十分ではなかった。さらに、当初、感染症対応がまだできていなかった病院にも病人が行っために、医師や看護師が感染し医療施設自体が感染源となってしまった。
 また、多くのイタリアの家庭では、週末ごとに2、3世代が集まって食事をする習慣がある。親の近くに住んだり、同居の率も高い。祖父母が孫を学校へ送り迎えもし、放課後もいっしょに過ごす。結果的に、重症化しやすく致死率も高い老人から先に感染が広まっていった。イタリアの長所である家族主義と温かな人間関係も、あだとなったところもあるかもしれない。

 厳しい状況が続くある朝現地のニュースを見ていると、ウイルス感染専門医とアナウンサーの一問一答が流れてきた。
――先生、私達は、これからどのように挨拶すればよいのでしょう? もう抱きしめたり、頬にキスしたりできないのでしょうか。
 医師はふと黙り、
「愛情いっぱいの挨拶があってこそのイタリア、ですのにね……」
 いったん口をつぐんでから、
「健康なイタリアに戻れるよう、大切な人のために我慢しましょう」 
 カメラに自ら頬を寄せるようにして、笑った。

 祖父は病み、在宅で祖母が看ている。通りを挟んだ向いに住んでいるのに、会いに行けない。「永遠に祖父母といっしょにいられるわけではないのに」。アレッシアはとうとう堪えきれなくなって、自宅に居ながらもさらに自主的に厳しい隔離をしたあと、全身を消毒して祖父母に会いに行く。「祖母の焼くパンは最高」。レシピと焼きたてのパンの写真が送られてくる。

2020年6月20日撮影 
Alessia Antoniotti 


 匂いは、遠くの記憶に連れていってくれる。
 私はふだん、ミラノの南部に住んでいる。運河が残る古い地区だ。郊外へ続く道沿いに、古い店が並ぶ商店街がある。歴史ある、といっても高級な銘品を扱うような店ではなく、ごくあたりまえの生活必需品を売る店ばかりだ。一帯は、職人が工房を兼ねて住んだ下町だった。パン屋や惣菜店は店の奥が厨房になっていて、そこで店主が手作りしたものを店頭に並べて売っている。今でも裏表のないあけっぴろげで気やすい雰囲気が残っている。
 私は、毎日の買い物をこの商店街で済ませてきた。焼きたてのパンで買い物をしめくくるとほんのりと温かい紙袋を抱えて、きまって立ち寄る店があった。
 文房具店。創業して百年余り。
 女店主は3代目で、その本人が当時すでに80歳を超えていた。小さな店で、入ると甘い匂いがした。カウンターはガラスケースになっていて、その向こうに女店主がひとりで立ち、客の注文をていねいに聞いた。近所には新しい事務用品店もあるのだが、遠くからこの店まで鉛筆やノートを買いに来る人たちがいた。老いた女店主は、界隈の皆の母であり祖母だった。
 天井までの造り付けの何段もの引き出しは木製で、封筒やノート、包装紙、ハトロン紙や画用紙など、ありとあらゆる紙の商品が折れ曲がらないように薄い引き出しに整理されている。
 母親に手を引かれて入ってきた男の子は、やっとカウンターに頭が届くかという小さな身体を緊張で固くしている。
 女店主は、今どきこんな、と思うような昔風の絵が表紙になったノートを引き出しから取り出した。
「お母さんも小さいとき、このノートで勉強したのよ!」
 光が差したような笑顔になり、母親は言った。
 店の引き出しには、いくつものミラノが静かに重なっていた。親は子供に同行するふりをして、<あの日>に会いに来ていたのかもしれない。
####

                                    *次回は7月6日(月)更新予定です。


読者のみなさまからの若者たちへのメッセージをお待ちしています。

内田洋子さんがイタリア語に訳して伝えます。若者たちが、イタリアから動画でイタリア語でお答えすることもあります(いただいたメッセージの一部を掲載させていただくことがあります。ご了承ください)。
問い合わせ先:
https://hojosha.co.jp/free/inquirydesk


タイトル読者のみなさんからのメッセージ

数年前の夏休みにシチリアへ行き、美しい海や美味しい食事を堪能しました。
「デカメロン2020」のキアラさんの記事を待ちながら、いつもシチリアのあの美しい風景を思い出していました。
非常事態宣言が解かれた今、シチリアの人々の生活は以前と何か変わったことはありますか?
賑やかだったカフェやレストランは、今はどんな様子でしょうか?
またぜひシチリアを訪れたいです。
Y.Kさん(女性)
「チャオ、キアラです。読者さん、お便りどうもありがとうございます。ロックダウンのあとシチリアでもすべてが変わってしまいましたが、おっしゃるようにバールやレストランがとりわけ変化があったのではないでしょうか。テーブルにはプラスチックのパティーションができ、席でも人と人との間隔を空けなければならないとか、(触れることができる)リアルメニューがもうなくなってしまい、店から渡されるQRコードをスキャンして携帯電話でメニューをダウンロードする、などいろいろなことが変わっています。
他は、人々は海に行き始めたし、私もやっとバカンスでこれでも十分にうれしいです。シチリアからでした!」

撮影©J.G.Pisu/UNO Associates Inc.

キアラ・ランツァさんより
イタリア時間6/30(火)現地から。

内田洋子さんの新連載を読んで、今まであまり関心のなかった公文書館というものに大変興味を持ちました。世界最多の所蔵数量を誇り、「過去から未来への旅の入り口です」と案内されるヴェネツィアの公文書館とはいったいどんなところなのでしょうか?ぜひ教えて下さい。
J.M さん(女性)
コンニチワ、ブオンジォルノ!
私のうしろに見える赤い建物が、ジュデッカ島にある公文書館です。ヴェネツィアには他にもたくさん公文書館があります。
とても大きく、かつてはタバコの倉庫でした。ですから、建物はとても乾燥しているわけです。
これが表札です。<公文書館>。
今、ブザーを押してみますね。誰か、返事をしてくれるでしょうか。
(ブザーを押す。沈黙・・・・)
閉まっているみたいですね。
えっとさて、
うしろには、ジュデッカ運河が見えます。

(C)UNO Associates Inc.

ジュリ・G・ピズさんより
イタリア時間6/24(水)午前10:10現地から。

「デカメロン2020を待ちながら」を楽しみにしています。「デカメロン2020」のミケーレ・ロッシ・カイロさんの弟、アレッサンドロ君は今どのようにお過ごしでしょうか。
8歳の子が友達と一緒に教室で勉強できないこと、お母さんともきょうだいとも離れて暮らしていたことを思うと、切なくなります。
早く日常が戻って来ますように。
M.Kさん(女性)
「チャオ。気にかけてくださり、ありがとう。弟はちょうど先週、誕生日を友達と祝ったところです。僕はミラノに戻り、来週から仕事を始めます。イタリアから心を込めてご挨拶します。チャオ!」
ミケーレ・ロッシ・カイロさんより
イタリア時間6/22(月)午前9:30ミラノの自宅前を散歩しながら。


Back number

Decameron2020 インデックス


プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館)。翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。