デカメロン2020(Decameron2020)_22

デカメロン2020(Decameron2020)

「デカメロン2020」©(Decameron2020)©

緊急非常事態宣言が発動されたイタリアを、
イタリアの若者が語る、描く、見つめる、歌う

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、非常事態宣言が発動されたイタリア。ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、ローマ、モンテレッジォ、シチリア島などで暮らす17歳から29歳の若者たちが、ささやかだけど私たちにも届く声をつむぎ始めました。彼らが、耳をすませ、見て、感じて、触れた、いまのイタリアの姿を届けます。
 これから始める「デカメロン2020」は、1348年のペストの蔓延からフィレンツェ郊外に逃れた若い男女10人が10日間語りつくす古典『デカメロン』の「リアル・イタリア版」です。


Decameron2020 Index

最新情報

イタリア公告

コラムNEW(2020.04.23 20:00更新)

これまでの掲載記事


非日常になってしまった普通の生活

©MiBACT#IORESTOACASA


 この画像は、2020年3月9日に政府が発令した全国封鎖、非常事態宣言に追随して、イタリアの文化財・文化活動省が発信したツイートです。
説明は一字もありません。
 これだけ。
 <#私は家に居る>というタグが付いて、広まりました。
 現状を軽く考えずに外出を避けて家にいよう、と呼びかけたのです。

 しのごの言わずに、発令。
 中世にヴェネツィア共和国のペスト対策で発案された、隔離対策と疫病/感染学をそのまま踏襲するかのように、断固と実践しています。

「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう」

 イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました。
 同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、
「皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます」
 という公告も出しています。

 交通機関の多くが運休となり、徒歩での外出にすら自己申請の認証書の提示が必要となった現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。

内田洋子
2020年3月16日




2020年3月8日イタリア。非常事態宣言発動。
新型コロナウイルス感染拡大防止のために首相令が発令された。3月10日朝から4月3日までイタリア全土で、移動制限や学校の一時閉鎖、飲食店の夜間営業停止等の措置が決定。
刻々と深刻化していく状況を受けてさらに、3月12日からは生活必需品の販売店,薬局、ドラッグストアを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表(期限は3月25日)。
具体的には(以下、在ミラノ日本国総領事館による、2020年3月11日イタリア首相令DPCMの抄訳 https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200311_dpcm.pdf):

食料品、生活必需品の販売店や薬局及びスーパーマーケットを除く、全ての商業及び小売り販売活動の休止を規定する。つまり、スーパーマーケットに食料品を買いに走る必要はない。
しかし店舗、喫茶店、パブ、レストランは、宅配サービスできる可能性を残して休業する。

対人距離1メートルの確保ができない理美容院、美容エステ店、食堂サービスは休業する。
生産業及び専門性の高い業務は可能な限りテレワークで活動を続け、従業員には休暇の取得を推奨する。

企業内の生産部門に必須でない部門は活動中止する。感染を避けるため,自社の従業員に安全ルールを守らせることができるのであれば、生産活動は継続することができる。製造会社では現状を乗り越えるための措置として、シフトの調整、休暇の前倒し、不必要な部門の閉鎖を採ることが推奨される。

公共交通機関、公益に資するサービス、銀行・郵便・金融・保険サービス、その他活動を続ける分野が正しく機能するために必要な、生活に不可欠な公共サービスは保証されている。
保健衛生の規則を守る限り、農業・畜産業・農産品加工業、及びこれらの業者に物品・サービスを提供する流通業の継続も保証されている。基本となる規則は変わらない。

我々の移動は、仕事上、健康上あるいは買い物といった必要な理由に制限しなければならない。期限は3月25日。
注:2020年4月10日時点で、<非常事態宣言首相令の有効期限は暫定的に5月3日>と延長されている。


2020年4月12日復活祭の日曜日、ミラノ市とドゥオーモ大聖堂の招聘により、大聖堂にて無観客のソロ・コンサートを開催し世界に向けて生中継された。

歌: アンドレア・ボチェッリ 『MUSIC FOR HOPE』
オルガン伴奏(ミラノ ドゥオーモ専属):  エマヌエーレ・ヴィアネッリ

演奏曲目:
1. 天使のパン(フランク)
2. アヴェ・マリア(J.S.バッハ/グノー)
3. 聖なるマリアよ(マスカーニ/メルクリオ編)
4. 主なる神~《小ミサ・ソレムニス》より(ロッシーニ)
5. アメイジング・グレイス(伝承曲)


Decameron2020-22(4.21 16:30更新)

2020/4/16 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


ひと通り試験を終えたら、数日は休めるかと思っていた。まあ、甘かった。来週月曜日までに提出しなければならない課題がすでにある。週末をコンピューターの前に張り付いて過ごすのかと思うと実にうれしくて、教授へも感謝の思いでいっぱいだ、よ。
そんなことを言っていても始まらない。大学院を出ておくことは、きっと私の未来に役に立つことなのだから、がんばらなければ!
気持ちを奮い立たせて、課題についての資料を読み始める。外は、快晴。まるで地中海のような暖かで明るい太陽に見える。小鳥が声高にさえずる。自然が呼んでいる。私が必要なのかも!
庭に出てみる。太陽はうちの庭のテーブルまで届かない。隣家がじゃましている。でもよく見ると、庭の隅ぎりぎりに薄く陽が差し込んでいる。よし、行こう!
椅子と延長コードでつないだコンピューター、コーヒー、タバコといっしょに、移動完了。これで落ち着いて勉強に取りかかれる。ひょっとしたら、日灼けもするかも・・・・・。
(追伸。草ぼうぼうでジャングルみたいな庭、と思っているでしょう? 週末に草抜きする予定なので、ご心配なく)


2020/4/16
ヴェネツィア Venezia(ベネト Veneto)

ジュリ・G・ピズ
Julie G.Pisu

ハンモックが届いて数日経つ。春らしい好天気で、すぐに日向に組み立てた。昼過ぎに揺られて午睡をするのが日課になっている。
午前中、リモート講義を受けたあと、ヴァレと軽く昼食を済ませ、ハンモックで横になった。日差しはもう暑いくらいだが、涼しい風がハンモックを揺らす。あっという間に寝入ってしまったらしい。
夢を見た。
どこにいるのだろう? ビーチタオルの下に、熱い砂が広がる。遠くに子供たちがはしゃぐ声が聞こえる。髪には乾いた塩。なんとなく胸苦しい。周囲を見回す。視界が曇っている。寝ぼけ眼をこすり、天を見る。真っ青に澄み切った空だ。ところが周りの景色はかすんだままである。
海へ入ろうと立ち上がり、数歩踏み出して見えない壁にぶつかった!
ああ、そうだった。新しい規則で、ビーチでも透明のアクリル樹脂の衝立でビーチパラソルとチェアの周りを囲まなければならないのだ。息苦しい。

そこで目が覚めた。頭を強く打ったような気分だ。


2020/4/16 ミラノ Milano(ロンバルディア Lombardia)

オット・スカッチーニ
Otto Scaccini


本当に僕たちは今、いつもよりも劇的な時期を通り過ぎようとしているのだろうか?
本当に社会や人々が日々直面している状況は、より劇的なのだろうか?
そう問いかけようとして、命を失いかけている人、危険にさらされながら働き続けている人、仕事を失う危機に追い詰められている人を思い、深い罪悪感にかられる。
この人たちは、まったく予期していなかった、そして劇的な運命を負わされている。少しでも現状について疑問や不服を感じることは、この人たちに対して失礼なことだ。
でも、どうしてもこのコロナ禍のおかげでこれからの人や社会が良くなる、ということもあるのだと考え、励みにしたい気持ちがある。
外出禁止以前のほうが世の中はよかった、と言えるのだろうか? 自分たちの生きている意義が、以前とは変わった。大きくなったり、深まったりしたわけではない。人は以前と同じように死ぬ。人は以前と同じように苦しむ。私たちは他の人から遠ざかり、ひとりひとりが個別の苦しみを抱えている。苦しみは今、公のものに変わった。共有するものになった。苦しんでいる多くの人たちが、皆いっしょに共通の苦しみのために辛い思いをしている。自分の苦しみを、そのまま他の人の苦しみに見る。そのおかげで、励まされ他の人を思いやることができる。
世の中がいっしょに苦しみを共有できること。それは、今後、僕たちをもっと強くしてくれるのではないだろうか?
そう考えると、僕は力が湧いてくる。


2020/4/17
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


午後4時に外に出る。犬の散歩だ。犬は元気いっぱいで歩いている。私は、午後一番のリモート講義が長引いたせいで、昼食が胃にもたれている。
幸い、今日の散歩はいつもと違う。4時半にグルーミングに行くからだ。愛犬ルーフォはすでにわかっているのだろう。明らかに興奮している。これからどれだけたくさんの未知の柱や木にオシッコできるのか、柵の向こうの他の犬たちから吠えられるのか、を想像しているのかもしれない。
町の中央に向かって歩く。途中、あの水車のそばの見晴台を通り、自由を深呼吸する。とても暖かで、フジの香りに満ちている。遠くから肉を焼く匂いが流れてくる。水を張り始めたプールから、クロルの臭いがする。庭にプールがあるなんて、幸運な人たちだ。
高台から町へ向かって下り坂を歩く。軍警察が常時監視している中央広場を避けるために、脇道を選ぶ。何も隠すことはないのだけれど、尋問はされたくないからだ。
どんどん歩く。中庭の門のペンキを塗り替えている男の人がいる。運動のためなのだろう。安全な距離を保ちながら、女性2人がかなりの早足で歩いている。上の階のバルニーから、老女が退屈そうに外を見ている。彼女の足元には空の植木鉢が並んでいる。
もうすぐで着く。閉館中の映画館を通り過ぎる。<2020年3月4日時点: 館内では少なくとも1メートルの安全距離を守りましょう>と書かれた黄色い紙が貼られたままになっている。賑やかな声が聞こえる。外国語だ。映画館の真向かいの中国人の店かららしい。店の横には猫の額ほどの庭があり、お義理程度の柵で囲んである。その庭で子供たちが遊んでいる。母親が家の中から子供たちに向かって、私にはわからない言葉で声をかけている。あまりに当たり前の平穏な情景に、私は思わず涙ぐんでしまう。店のシャッターは下ろされていて、軒下には雨風ですっかり古びた赤い中華提灯がぶら下がっている。ごく小さな庭の陽だまりで遊ぶ2人の子供たちの様子とのコントラストに心を打たれる。
ぼうっとしている私を、ルーフォが<1日ここにいるつもり?>と、見上げる。
そうだね。行こうか。
私達の行き先は、そこからほんの数メートル先なのだ。


2020/4/17 ミラノ Milano
(ロンバルディア Lombardia)

ミケーレ・ロッシ・カイロ
Michele Rossi Cairo


前回は、この状況下の教師の様子を話したが、今回は1人の女子高校生のコロナ禍の毎日を話そうと思う。
ヴィオラは、僕の腹違いの妹だ。高校最後の学年で(注:イタリアでは高校は5年制)、高校修了試験を控えている。高校生にとっての悪夢だ。今年はコロナの影響で、大きく簡略化されての実施となる予定だ。筆記試験は省略され、口頭試験だけになる。ヴィオラは修了試験の重荷から解放されて、興味のある課目を主に勉強できる。コロナに関係なく、勉強はそうでなければならないと思うが。高校修了試験は結果の点数ばかりが非常に重要視されているが、実際に評価されるのは在学5年間、どのように勉強してきたかの総体だ。よりよい点数を取れば認められることに重点が置かれているせいで、自分で考えどう判断するかという思考能力は二の次になっている。コロナ禍は、これからを担う若者たちが何をどのように学んだらよいのか、あらためてよく考えてみる機会だ。勉強は義務だからするのか、それとも本当に学びたいからするのかを再考するチャンスだ。


2020/4/18 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


明日は、復活祭を祝う。また、かって? 今回は、ギリシャ正教の復活祭ですから。下宿仲間の大半がギリシャ正教の国の出身だから合わせるわけだけれど、こういう状況なのだ。祝えるものなら、どんな理由でも祝おう!
きまりは、すごく簡単だ。おしゃれして、それぞれの国の料理を作り、きっちり正午に持ち寄って庭に集まること。
台所は順番で使うように決めた。皆、明日当日の朝に料理を作りたがるはずだ。混雑は避けたい。私は、今晩から準備することにした。前夜から準備にかかるなんて、いったいどういうものを作るのかって? とてもシンプルなレシピだ。トルタ・パスクワリーナ!(復活祭のタルト、Torta Pasqualina)
。パイ生地をベースに、リコッタチーズとホウレンソウ、卵をほどほどの数(写真には撮らない。いくつ入れたのか知らないほうがいいから)を混ぜ合わせた具を入れて焼くだけ。
代々継がれてきた美味しさ。
出来上がりからはあまり食指がそそられないかもしれないけれど、肝心なのは、味だ。明日が楽しみ!
今日は幸せな気分。食べ物は、心に偉大な効き目を持つ。特に、家の味は。


2020/4/19 バーリ Bari
(プーリア Puglia)

ソーダ・マレム・ロ
Soda Marem Lo

3月初旬から、3人以上いる空間に行っていないということを考えていた。
外出禁止になってから、一度も買い物に行っていない。母については行ったが、いつも車の中で待っていた。本当は、先週、薬局へ行ったのだが、客は私1人。店内に店員2人になった。すごく変な気分だった。どのように振舞っていいのかわからない。疫病の流行る中での初めての買い物はシュールで、オンラインで読んださまざまな情報をいっぺんに思い浮かべた。店員たちにとっては、この事態が残念ながらもう当たり前のことになっている。それが彼らの仕事なのだ。
このあとどうなるのだろう。人混みに行くのが少し怖い。身体が触れ合うというのが、好きではない。これまでも誰かと何かの拍子で少しでも触れ合うだけで、生理的な嫌悪感が全身を走り、なかなか振り払えなかった。自分の欠点のひとつだとずっと思ってきた。でも今は、問題はもっと奥深い。1か月半前から私の周りには3人以上人との接点がない。車で出た数回以外は、玄関から200メートル以上、離れたことがない。家を出るときは、いつも罰せられるのではないかと恐れている。このあと、外との隔たりが、境界線が、私の身体に貼り付いたままにならないことを祈る。


2020/4/19
トリノ Torino
(ピエモンテ Piemonte)

アレッシア・トロンビン
Alessia Trombin


鬱陶しく寂しい今日、昔の写真を見た。ショートヘアだった頃。いろいろな恋の思い出。
素足で柔らかな草の上で、フローレンス・アンド・ザ・マシーン(Florence + The Machine)の『Dog days are over』で踊りながら、タンポポの白いポンポンを吹き飛ばしたい。
タンポポの綿毛のように、軽やかに自由に、空を舞いたい。


2020/4/19
ヴェネツィア Venezia(ヴェネト Veneto)

ヴァレンティーナ・スルブリエヴィチ
Valentina Srbuljevic


夜が明けて、濃い霧が町を覆っている。ヴェネツィアが見えない。
再び、檻に閉じ込められた気分だ。今回は動物ではなく、囚人の気持ちだ。外に出なければ。マスクと手袋を着ける。外出の際に厳守しなければならない規則だが、今朝は心底、わずらわしく感じる。建物の外に出ると、歩いている人達はそろってマスク顏になっている。表情が消えている。
私は今、自分のことすら持て余して顔も見たくないのに、他人までは到底気が回らない。囚人になった私が、大勢の囚人たちの中にいる気分だ。
憂鬱と重くかぶさる霧とマスク姿の人たちの中、何年か前に読んだ『Eudemonia(ユーダイモニア。人類の繁栄)』を思い出す。物語の中のその社会は、そこに暮らす人たちが全員、完璧に幸福であるように規制し、運営されている。規則に従わなければ、部外者として人の人生を傍観することになる。外界から隔絶されていくが、収監されるわけではない。世の中とのあらゆる接点を止められてしまう。話すことも肉体的にも、許されない。精神が隔離され、その状態が各人の独房となる。
歩いている人たちは、目だけになっている。疑惑、警戒、心配、好奇。
道にマスクが落ちている。使い古しだろう。何日か前には、ゴム手袋が落ちていた。
気持ちが沈む。
外出禁止で皆は家にこもっているとき、理由があって出かけられる人が、拾ってゴミ箱へ捨てるまでの10歩を惜しむ。

寝起きから、今日は間違えている。いつもより私は批判的だ。
家に戻り、これからするべきことを挙げてひとつずつ考える。
『ブラック・ホール: イタリアの地下を見つめる』 を読む。読みふける。

Black Hole : uno sguardo sull’underground italiano,
Turi Mesineo, Eris Edizioni, Torino 2015


2020/4/19
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


19:30。淡いブルー色の空の遠い裾が、暮れの紫色に染まり始めている。北東の空は、数日前に噴火し始めたエトナ火山の煤煙で曇っている。エトナのブツブツ声を聞きながら暮らしている。外気は、寒くもなく暑くもなく。半袖がちょうどいい。
過ぎゆく春に、目前の夏を感じる夜のことを懐かしく思う。気持ちが高ぶり、夏物のショートパンツやサンダル、大好きなのに薄地過ぎて冬は着られないブラウスで、出かけていった。
家にいる格好は、あまり変わらない。服を着るあの喜びを味わえない。
できるだけ、切なさを明るさに変えよう。
外出禁止の今、励ましになるのは、私の場合、<食べること>だ。
そういうわけで、わが家では、非日常の昼食をときどき楽しむことになった。今朝、母は魚屋へ行き、バーベキュー用の魚介類を買ってきた。イカにタイ、エビだ。
プロセッコ(発泡白ワイン)の栓を抜く。何かを祝っているように見えるでしょう。


2020/4/19
ヴェネツィア Venezia(ヴェネト Veneto)

ジュリ・G・ピズ
Julie G.Pisu

今日は、とても日曜日の空気だ。 玄関口から200メートル以内、という外出制限が解けたものの、遠くまで出歩かないこと、という厳しい警告が引き続き出ている。レオンを連れて、昨日までの見えないバリアーを超えて、散歩に行く。
犬はうれしそうだ。これまでと違うコースに繰り返し立ち止まっては、<いいの?>と、こちらを見上げる。信じられない、という様子で尻尾をふりふり歩いていく。
犬を目で追う。私が笑っているのが、マスク越しでも犬に伝わっているだろうか。
突然、レオンがしかと一点を目掛けてぐいぐいとリードを引いて小走りになった。何を見つけたのだろう? 何か気になる気配を感じたのだろうか?
路地の奥の奥に、レオンの親友がいた。カップッチーノ! 飼い主のアタランタさんといっしょだ。外出禁止前は毎朝の散歩でいっしょになったし、私が長時間留守にしなければならないときはいつも、アタランタさんに犬を預かってもらっていた。
リードを緩めてやる。2匹は久しぶりの再会に大喜びで、じゃれあっている。
犬のそばまで追いついて、アタランタさんに挨拶しようとして、心臓が止まりそうになった!
彼女はマスクを着けている。でも衛生用のマスクではない。薄いシリコンかゴム製のマスク(仮面)
ですっぽりと顔を覆っていたからだ。真っ白のドーランを塗ったような顔にはブルーで目が描きこまれている。
「これだと、人に笑顔がわかるでしょ?!」
真っ赤に描かれた口が笑っている。


2020/4/19
インペリア Imperia
(リグリア Liguria)

マルティーナ・ライネーリ
Martina Raineri


「つまらないよ、まったく退屈だ、つまらない」 サンドラ・モンダイーニ(イタリア人女優)は、テレビ番組『ヴィアネッロ家』で事あるごとにこのセリフを言っていた。
今日は外出禁止になってから41日目だ。今週、私には一番きつい週だった。家の中ではもう何もすることがない。早々に衣替えも済ませた。せっかくビニール袋から取り出しても、外出できないのなら着るかどうかわからない服もある。料理ももうつまらなくなってきた。ピッツァを作り、タルトを作り、いつもと違うレシピで野菜を調理し、パスタを茹で・・・・・。その繰り返し。
さまざまな規則は必要不可欠で厳守しなければならないのは、当然だとわかっている。ただ、いつどのようにしてほぼ以前の暮らしに戻れるのかがはっきりしていないことが、本当に辛い。すべて見通しが立っていれば、生活をどう立て直すかも考えられるのに。ちょいと指をひと振りすれば元の生活が戻るなど、ありえない。わかっている。しばらくの間は、元の通りには戻らないだろう。いつ、どのように仕事を再開できるのだろうか。場所や時間の割り振りや、2か月以上、治療から離れている患者さんたちとのアポ入れはどのようにすればいいのだろうか。
こうして書いている間にも、不安に駆られて胸苦しくなってくる。外出禁止になってからの1、2週間は、なんとかやり過ごせた。むしろ新しい生活に挑戦するようで、昂揚したくらいだった。でも今は、違う。同じ毎日の繰り返しだ。なんとか耐えて、少なくともあと2週間は乗り切らなければならない。
気分をまぎわらせることを見つけた。酵母菌の世話である。昨日、父が持っている酵母菌の<子供>をもらった。自分の酵母菌に名前を付けるのだ教わった。私の子は、もちろん<女性>で、名前は<クロティルデ>という。


プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館から5月刊行予定)。
翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。