デカメロン2020(Decameron2020)_13

デカメロン2020(Decameron2020)

「デカメロン2020」©(Decameron2020)©

緊急非常事態宣言が発動されたイタリアを、
イタリアの若者が語る、描く、見つめる、歌う

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、非常事態宣言が発動されたイタリア。ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、ローマ、モンテレッジォ、シチリア島などで暮らす17歳から29歳の若者たちが、ささやかだけど私たちにも届く声をつむぎ始めました。彼らが、耳をすませ、見て、感じて、触れた、いまのイタリアの姿を届けます。
 これから始める「デカメロン2020」は、1348年のペストの蔓延からフィレンツェ郊外に逃れた若い男女10人が10日間語りつくす古典『デカメロン』の「リアル・イタリア版」です。


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非日常になってしまった普通の生活

©MiBACT


 この画像は、2020年3月9日に政府が発令した全国封鎖 非常事態宣言に追随して、イタリアの文化財・文化活動賞のツイートです。
説明は一字もありません。
 これだけ。
 <#私は家に居る>というタグが付いて、広まりました。
 現状を軽く考えずに外出を避けて家にいよう、と呼びかけたのです。

 しのごの言わずに、発令。
 中世にヴェネツィア共和国のペスト対策で発案された、隔離対策と疫病/感染学をそのまま踏襲するかのように、断固と実践しています。

「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう」

 イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました。
 同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、
「皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます」
 という公告も出しています。

 交通機関の多くが運休となり、徒歩での外出にすら自己申請の認証書の提示が必要となった現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。

内田洋子
2020年3月16日




2020年3月8日イタリア。非常事態宣言発動。
新型コロナウイルス感染拡大防止のために首相令が発令された。3月10日朝から4月3日までイタリア全土で、移動制限や学校の一時閉鎖、飲食店の夜間営業停止等の措置が決定。
刻々と深刻化していく状況を受けてさらに、3月12日からは生活必需品の販売店,薬局、ドラッグストアを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表(期限は3月25日)。
具体的には(以下、在ミラノ日本国総領事館による、2020年3月11日イタリア首相令DPCMの抄訳 https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200311_dpcm.pdf):

食料品、生活必需品の販売店や薬局及びスーパーマーケットを除く、全ての商業及び小売り販売活動の休止を規定する。つまり、スーパーマーケットに食料品を買いに走る必要はない。
しかし店舗、喫茶店、パブ、レストランは、宅配サービスできる可能性を残して休業する。

対人距離1メートルの確保ができない理美容院、美容エステ店、食堂サービスは休業する。
生産業及び専門性の高い業務は可能な限りテレワークで活動を続け、従業員には休暇の取得を推奨する。

企業内の生産部門に必須でない部門は活動中止する。感染を避けるため,自社の従業員に安全ルールを守らせることができるのであれば、生産活動は継続することができる。製造会社では現状を乗り越えるための措置として、シフトの調整、休暇の前倒し、不必要な部門の閉鎖を採ることが推奨される。

公共交通機関、公益に資するサービス、銀行・郵便・金融・保険サービス、その他活動を続ける分野が正しく機能するために必要な、生活に不可欠な公共サービスは保証されている。
保健衛生の規則を守る限り、農業・畜産業・農産品加工業、及びこれらの業者に物品・サービスを提供する流通業の継続も保証されている。基本となる規則は変わらない。

我々の移動は、仕事上、健康上あるいは買い物といった必要な理由に制限しなければならない。期限は3月25日。
注:2020年3月25日時点で、<非常事態宣言首相令の有効期限は未定>となっている。


 Decameron2020-13(3.30 15:00更新)

2020/3/28
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

シモーネ・モリナーリ
Simone Molinari


今読んでいる本は、『古生物学、古代の生物に関するデッサンと考察(原題:Palæntographica, Il disegno e l’immaginario della vita antica)』 エマヌエーレ・ガルビン著 (Emanuele Garbin)。書名の通り、主に19世紀に残された、古代生物についてのデッサンと考察の記録をたどる。骨格や化石、歯、足跡についての研究記録だ。図説は非常に精密で細部までくまなく及んでいるが、その一方でシュールでもある。これらの図説は、想像するのが難しい古代に関して、世界中で少しずつ発見される遺物が増えてきた際に、それをできるだけわかりやすい形でカタログ化するのが目的で、編さんされた。
古代生物の研究者は、関節や角(つの)のひとかけらから、残りの骨格の全体像を視覚化しようとする。この、自由に想像する(ほぼ)という研究法を支える基盤は、科学の知識と科学への忠実な誠意だ。二つの異なる分野がうまく協調して成り立つ学問をこの本は紹介している。デッサンはほぼすべてが手書きで、そこからは図解するためにどれだけの観察力と時間をかけたかが伝わってくる。
速くて正確に記録できる写真技術が誕生する前から、鉛筆と紙、手、物を視てその謎を考える目が存在した。研究者たちは、うすぐらいロウソクの明かりのもとで未知の物体を前にして考察し、想像して描いたのだ。はるか彼方から古代を現代に引き寄せる学問だ。
外出禁止になってから、時計が暴れている。暴走したかと思うと、眠りこける。未来は遠くに平らに伸びきって、過去は速度を上げて遠のいていくようだ。僕たちはつかまるものもなく、中間地点に取り残される。
想像する訓練は、僕たちの手から世界がこぼれ落ちてしまうのを防ぐ唯一の手段だ。未来を観る目で、過去を視る。あるいはその逆も。
僕たちの周りにある、化石や残骸のごく小さなかけらの中に、流されていく<時>が存在する。


2020/3/28
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

ジュリ・G・ピズ
Julie G.Pisu

「レオン、止まれ! どこ行くの? 船には乗らないのよ!」
今日は、レオンも外出禁止がこたえてるようだ。毎朝、家から水上バスの停留所まで歩く。だいたい200メートルで、許可されている<ひと息吐ける>外出距離内だ。行って、帰る。行って、帰る。それを1日3回まで。
今朝、停留所に着いたとたん、レオンは待合所に走り込んでいった。運河を渡って、久しぶりに岸壁を歩き、公園へ行きたいのだろう。その気持ちは、よくわかる。
犬を連れ戻しているところに、待合所の自動販売機の前に中年の男性2人が来て、立ち止まった。2人ともコーヒーを買って、飲みながら雑談を始める。
「今日は寒くないな」
「風が止んだからな」
「そうだな、たぶんそうだろうな」
以前にも同じ会話を聞いた気がする。数週間前に、たぶん、バールで耳にした。まだ生活は普通で、レオンとずっと長い距離を歩いて、帰りに必ず停留所パランカ(Palanca)の近くにある、店主アンドレアのバールに立ち寄っていた。さっさとエスプレッソコーヒーを飲み、店主と二言三言交わし、店内の客たちの雑談を聞くともなしに聞いていた。それが私の1日の、大切な始まりだった。
繰り返せなくなった、毎日の習慣。

「でも油断するなよ。明日はまた風が戻るぞ。今度は雨もいっしょだからな」
「わかった。気をつける。これでクシャミでもし始めたら、えらいことだからな!」
 コーヒーを飲み終えた2人は立ち上がり、右左に分かれて歩き始めた。
「じゃあ、また明日な」


2020/3/28 ミラノ Milano(Lombardia)

ミケーレ・ロッシ・カイロ
Michele Rossi Cairo


今日、政府は<4月3日には非常事態の規制は解除されない>と発表した。そうだろうと思っていた。感染者数は少し減ってはきたもののの、規制を解けるような現状ではない。皆が祈るような気持ちで待っていたのだが。
非常に難しい状態だ。苦しいのは、その終焉がいつになるのかわからないことである。不安定な状態で、未来へのプログラムができない。くじけそうだ。待って、待って、ただ待つしかない。
ウイルスのせいで、さまざまな教習が無料でインターネットで受けられるようになっている。僕は、インターネット・プログラミングのコースを始めた。


2020/3/28 ミラノ Milano(Lombardia)

マルタ・ヴォアリーノ
Marta Voarino



私が大変な甘いもの好きなのは、知人にはつとに知られたことだ。チョコレートだけ食べて生きていける、としょっちゅう言っている。うちの家族全員も同じ。
今日、友達キアラと電話で話しているとき、彼女の父の得意なタルトの話になった。ものすごくうらやましい!
「ああ、チョコレートタルトが食べたい。あまりに食べたくて、夢にもみるくらいよ!」読みかけの本を持ったまま、ぐっすり昼寝をしていた。遠くで玄関ブザーが聞こえている。弟が大声で、「マルタ、ブザーが鳴ってるよ! キアラからの届け物だって!」もうろうとしながら玄関ドアを開けると、キアラからのチョコレートタルトの宅配だった。その甘い優しさに感激して、泣きながらひと口ずつ味わった。
こういう友達がいれば、たとえ遠く離れていても、けっして独りぼっちとは感じない。
まわりの人からの愛情を受け取り、私も皆を愛おしむ。温かな気持ちに満ちて、なんと自分は幸運なのかと思う。毎日。


台所でチョコレートタルトを食べる私。

2020/3/28
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


くだらないことで、母と言い争いになった。荒れた気持ちがおさまらないまま、自分の部屋に閉じこもる。
ベッドであれこれ考え続けているところに、携帯電話が鳴った。18キロメートル離れたところにいる、友達 Gからだった。私がちょうど誰かと話したいと思っているのを、察知したのかもしれない。天からの恵みだ。
私たちは、夏が待ちきれない。毎年、夏が何より楽しみだ。大学の授業が終わり、夏休みで里帰りする。そして今年の夏は、この時点で空想すると、完璧に素晴らしく思える。夏までには、すべて解決しているだろう。この辛さを乗り越えた私たち全員が、夏を満喫するのだ。
海岸で過ごす夕べを想う。
踊りたい。

電話を終えて、あるものを探すために箱を開ける。ヘッドフォンを見つける。新しいイヤフォンに替えてから、何年も前に箱にしまったまま忘れていた。でも音の遮断には、この古いのには敵わない。すぐに携帯電話の音楽アーカイブへ飛ぶ。今、この私を踊らせてくれるのが誰だか、よくわかっている。
そう。マイケル・ジャクソンだ。少し古いし、問題ありだけれど。永遠に不滅だ。
『ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール(原題:The Way You Make Me Feel)』をかける。これ! 数秒で全身にエネルギーが充ちる。鏡だけが知っている。
この瞬間、他には何も無い。何も無い。どんな壁にも私は閉じ込められはしない。私は自由だ。


2020/3/28
ローマ Roma (ラツィオ州 Lazio)

サーラ・パリアルーロ
Sara Pagliarulo

外出禁止になってから、ちょうど3週間になる。自分が、20歳より80歳に近い感じ。こういう状況を乗り切るには日課を作ること、と言う。
私は自分なりの日課を作ったが、うちはどんどん高齢者の施設のようになってきている。退屈したらトランプをする。放りっぱなしにしていた編み物まで再開した(これを編み始めたときも、相当に退屈していたのだろう)。代わりに、食生活はよくなった。おいしいものを食べている。今日、母はピスタチオを具にしたラビオリを作ったしし、昨夕は私がチコリ(注:キク科の野菜。少し苦味がある)とゴルゴンゾーラチーズのリゾットを作った。その前の晩は、ものすごくおいしいニョッキを食べた。
でも、今私が一番欲しいのは、ローマの真ん中で飲むスプリッツだ。


2020/3/28 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


今日、突然、強烈で太刀打ちできないホームシックに襲われた。下宿は、静まり返っている。同居人たちは自室にこもり、物音もせず、誰も出てこない。人間の姿を見たのは、ただ1人。3階に住んでいるリトアニアの男子学生だ。昼寝から起きたらしく、台所に下りてきた。毛布をマント代わりに羽織っている。ちらっと挨拶ごときものをして、マーガリンをたっぷり塗ったパンを2片手にして、また部屋へ戻っていった。
生きている人がいたな。他の人たちはどうしているのだろう。私も部屋へ戻り、コンピューターを点けた。音楽が必要だった。あまりに静かだと耳が変になる。ミラノに住んでいた頃、隣人が父に音楽の音がうるさい、とよく文句を言いに来ていたのを思い出す。それで、今何が必要なのかがわかった。
午後じゅうベッドに寝転がって、大音量でないと聴く意味がない、と父が言っていたアルバムを、低い音で聞いた。
けっこういけるじゃないの、ボリュームを絞っても。
そんなことを父に言う勇気は、絶対にないけれど。


2020/3/28 バーリ Bari(Puglia)

ソーダ・マレム・ロ
Soda Marem Lo

昨日、マリオ・ベネデッティが死んだ。
ジェルマーナと会った7月を思い出す。何年も私たちは会っておらず、たくさんのことがあったのにもかかわらず、まるで昨日別れたばかりのように話をした。ガラス張りの喫茶店でコーヒーを飲みながら、お互いのそれまでを延々と話した。懐かしげな目に、優しく抱き合っての挨拶。
しばらくして友達は立ち上がると、カバンからベネデッティの詩集を取り出した。本を開いて、読んでみて、と私に言い化粧室へ行った。私は胸を打たれた。数少ない言葉に、美しさが凝縮していた。授かりものだった。それほどに大きな恵みを感じたのは、高校以来だった。一晩じゅう海で楽しんだあと、ジェルマーナと私は本の読み合いをしたものだった。本を読みながら、感激して目を合わせる。
しょっちゅう思い出し、懐かしくなる。今はますます、あの頃が懐かしい。


生きることは、大きな夢だった
いつも真実であり、辛いがでも幸せなことだ。
私たちの米のために
食卓と畑仕事を嘆くために
やってきた。
私たちを見るためにやってきた。どうだ、この素晴らしきこと。
それが人間であり、それらすべてが人間ということなのだ。

Mario Benedetti. Tutte le poesie, Garzanti, Milano, 2017 より


2020/3/28 カリアリ Cagliari (サルデーニァ島 Sardegna)

アニェーゼ・セッティ
Agnese Setti

幸せでない日々が続いている。
ハーブティーを飲みながら、思いはイタリアとスペインに半々に分かれている。新型コロナウイルスの被害が最も甚大な国だ。
怖い。もう安心してはいられなくなった、と自覚する。規制を厳守しても、疫病感染は鎮まることなく拡散し続けている。大切な人たちのことをずっと考えている。心配でたまらない。スペインの友人たちと常に連絡を取り合っては、互いの安否を確認している。
イタリアがこの非常事態の準備ができていなかったのなら、スペインはなおさらのことだっただろう。スペインからのニュースで、大勢の人々が病院の床に直かに寝かされたり、ホテルが病院として使われたりしているのをみて、心が凍りつく。
私よりもひどい状況にいる人たちのことを考える。狭い家に多数で住んでいる人たちがいる。私がラビオリやタルトを作っているときに、数週間前から仕事がなくなり買い物に行けずにひもじい思いをしている人たちがいる。
自分を追い込まずに、なんとか気持ちを落ち着けなければ。
1日の時間はどんどん長くなっていく。毎日、同じことを繰り返している。朝起きて、勉強し、昼食を食べ、休憩し、勉強し、ときどき運動をし、本を読み、夕食、友達との電話、そして就寝、だ。
人生の困難はこんなものではない、ともちろんよくわかっている。炭鉱に働きに行くようにも、戦争に行くようにも命じられず、私は幸せだ。
<明日もまた今日と同じことの繰り返し>と知ることが、人の魂にとってどれほど悲惨なことだろう、と再び考え込む。
必要としている人を助けられるよう、強くありたい。自分にはきっとできると信じている。
ふと視線を落とすと、<belive you can> とあった。


2020/3/29
ローマ Roma (ラツィオ州 Lazio)

シルヴィア・パリアルーロ
Silvia Pagliarulo

<人間はポリス的な動物である>
アリストテレスは述べた。
”どんなことがあっても”
と、私は付け加えてみる。
他の人と接点を持つ必要がある。テレビ電話で話すほどに、直接に会えないさみしさやもどかしさをいっそう強く感じいる。
バルコニーに出て、向こうの遠くの住人と大声でしゃべり合う女性たちの様子は、胸に刺さる。あちこちの窓やベランダにイタリアの国旗が翻っている。外出禁止の今、愛国心が強まったかのように見える。でもそれは国粋主義ではなく、いつも共にいる、という互いを認めて励まし合う気持ちだ。隔離されて独りで過ごすなか、皆の連帯感は必要である。
「それじゃ、また近いうちに!」
本当に。そばに寄って会えるときが、どうか早く来ますように。


2020/3/29
トリノ(ピエモンテ)Torino(Piemonte)

アレッシア・トロンビン
Alessia Trombin


悲しい。
鏡を見る。髪の毛も私の重い気分がわかっているようだ。天然パーマは乱れて、毛先が伸びている。気に入らない。髪の毛には、自分たちは生きている、と感じる権利があるだろう。
切ろう。
3日間かけて、巻き毛を自分でカットする方法をインターネットの美容動画で研究する。いよいよカットばさみを手にバスルームへ入り、緊張する。
なかなかよくできた。たぶんアシンメトリックなヘアスタイルになったかもしれないけれど、髪の毛はずっと幸せそうだ。
髪を切ると何かが変わる、と言う。本当だといいな。変化が欲しい。


2020/3/29
インペリア  Imperia(Liguria)

マルティーナ・ライネーリ
Martina Raineri


外出禁止になって20日目。
昨日始まったようにも思うし、はるか昔から家に閉じ込められているようにも感じる。
昼食後から金槌で打たれるような強い頭痛がしていたが、やっと少し鎮まってきた。頭痛がひどいと、目を開けているのも辛い。ベッドかソファで横になる。眠れず、気を紛らわすこともできないため、考えごとがせきを切ったように湧き上がってくる。
世の中の状況は重い。できるだけテレビやSNSは見ないようにして、<保護壁の中>で暮らすように心がけていても、世の中の様子を思わずにはいられない。感染の矢面に立っている患者や医療関係者たちの苦しみを思う。病院で働く友人たちがいる。同年輩の女性は、怖がっている。別にアパートを借りて、家族ににうつさないように独りで暮らしている。
どうか皆が安全で元気でいますように。
知人たちとの電話では、「ご家族の皆さんはだいじょうぶ? まわりで誰か感染した人はいない? だいじょうぶ?」と、確かめ合っている。
情けない。自分には何もできない。私にできるのは、家にいることだけだ。
当然、外出禁止は4月3日以降も続くことになった。トンネルの出口が見えない。悲観的なのは、頭痛のせいかもしれない。もっと光と色にまわりを照らしてもらいたい。見えるのは、灰色だけだ。


2020/3/29
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

シモーネ・モリナーリ
Simone Molinari


人は家の中に閉じこもっている。町は空っぽになった。建物や露店には鍵がかけられて閉まり、路地や運河を額縁のように静かに囲んでいる。
パドヴァに住むフランチェスカはこの数週間、同じ地区内にある墓地へ通っている。昨日電話で、彼女が僕にそう明かした。墓地の入り口は、閉められていない。門戸はいつも開けたままになっている。生きている人たちは自分のことで精一杯で、墓地へ行こうと思う人はいない。もう死んでしまった人たちだけのいる場所。
この数日の強風のせいで、墓地の献花が吹き飛ばされている。墓石の前には、花びらが散乱している。生きた人たちが住む町の中の、もうひとつの死んだ人たちの町だ。
疫病で境界があいまいになっている。生きている人たちのすぐ足元に、これまで冷たい大理石の墓石に閉じ込めらていた恐怖が姿を現している。今まで保たれていた均衡が、壊れていく。
ベルガモで、軍隊が感染で亡くなった人たちの棺を装甲車に載せて墓地へ向かう、長い葬列を見る。不合理で気持ちの整理がつかない、痛恨の極みの光景だ。


2020/3/29
ミラノ Milano(Lombardia)

ジォヴァンニ・ピントゥス
Giovanni Pintus


<古い情熱と新たな発見>
月末に近い。時間の流れがよくわからなくなっている。なんとか単調さを打開しようとしているが、同じ毎日が過ぎていく。新しい携帯電話はまだ届かない。でもおそらくそれはいいことかもしれない。少なくとも目のためには。長時間、画面を見続けることもなく、目も喜んでいるだろう。
こう書くと、すべてが悪い方へ向かっているように読めるが、今日はいくつかポジティブなことを記しておきたい。
僕は本を読み始めた。とても自分が誇らしい。ごく幼い頃から僕は本を読むのが大好きだった。読書中毒と言えるほどに。児童向けの本を片っ端から読みあさり、小説に移った。最初に夢中になったのはSFで、その次は推理小説、それから古典、名作へ。ガルシア・マルケス、アーネスト・ヘミングウェイ、イザベル・アジェンデなど。
それが最近になって、本を読んでいる時間がなくなっていた。あるいは、自分でそうと思っていた。本を読むには注意力が必要だが、新たに本に集中しようと思えなくなっていたのだろう。
今、読みふけっているのは、『モンテクリスト伯』。昨夜は途中で読み止められず、眠らずに4時間で200ページを読み進んだ。この調子でいけば、今週中には読み終わるだろう。
読書の楽しみを再び満喫しながら、別のことに気がついた。これまで自分の気持ちを表すことのなかった人にとって、外出禁止は自分を見返すきっかけになっているのではないか。引き出しにしまったままになっていた歌を録音し、皆に聴いてもらう人。頭の中で考えていたことを書いて発表する人。料理のブログを書いてみたいと以前から思っていたが、レシピを書き料理手順を動画に撮って配信する人。
皆が、これまでより自由に自分自身を表現できるようになっている、と感じる。物理的に離れていて、直かに会えない上、画面というフィルターでワンクッション置かれているため、他の人から非難されるかも、と気にせずに試せるからではないか。人からどう思われるのか、気に入られなかったらどうしよう、と気にするあまり、さまざまなアイデアや計画が披露せず終いになっていたのではないだろうか。
この外出禁止の経験のおかげで、自己評価を高めて自己実現や改善へとつなげられる人がたくさんいるのではないか。もしそうなら、予測もしなかったポジティブな展開がやってくる。そのうち僕にも何かを披露する順番が回ってくるかもしれない。それが何なのか、ラップなのか自転車についてのブログなのか、他のことなのかはわからない。でもこうしてここに書いていることが、すでに僕の未来への展開なのだ。僕はこれまで何も発表したことがなかった。でもここに、僕はいる。

   ©Benedetta Pintus

2020/3/29
モンテレッジォ(トスカーナ州)
Montereggio(Toscana)

アレッシア・アントニオッティ
Alessia Antoniotti

今日、再び美容師をすることになった。
今回は、弟の髪の毛をカットした。失敗するのが怖くて、最初はためらっていたが・・・・・。ヘアーカッターを持ったら、覚悟がついた。
弟は、もし失敗しても髪の毛はすぐに伸びるので全然問題はないから、と何度も繰り返した。なかなかの仕上がりだった。もちろん理髪店のようにはいかなかったけれど、私にとっての初めてカットにしては、全然悪くない。
外出禁止になって、私は生産的な気分だ。これまで自分がそんなことをするなど思いよらなかったことをしている。
あれこれ考えすぎないように、何かしているだけなのかもしれないが。


2020/3/29 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


今日は大祝賀会だ。とうとう居間がきた! ビッグ・イベントである。下宿仲間とインターネットで必死検索して、中古のソファを10ユーロで見つけた。今日の午後、皆で一列に並んで(安全距離を空けて)、取りにいってきた。あまり快適な散歩ではなかったけれど。往路に40分、帰路に少なくとも80分はかかった。 抜けるような青空だったが、非人情な風が吹いていた。ソファは小ぶりなのに、なぜかとても重い。仲間のうち男性は2人だけで、そのうち1人は戦争の古傷持ちのようで(本当の理由は忘れたが)、重いものを運べない。ほとんど死にそうなミッションだったが、なんとか達成した! 今晩さらにコーヒーテーブルとクッションも追加されて、私たちの小さな居間が完成した。ワインとルーマニア人の下宿仲間が焼いたクルミ入りパンと音楽で祝った。 暗闇の毎日に、皆が待ち望んでいたポジティブな出来事がやっと起きたのだった。


プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館から5月刊行予定)。
翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。