デカメロン2020(Decameron2020)_09

デカメロン2020(Decameron2020)

「デカメロン2020」©(Decameron2020)©

緊急非常事態宣言が発動されたイタリアを、
イタリアの若者が語る、描く、見つめる、歌う

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、非常事態宣言が発動されたイタリア。ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、ローマ、モンテレッジォ、シチリア島などで暮らす17歳から29歳の若者たちが、ささやかだけど私たちにも届く声をつむぎ始めました。彼らが、耳をすませ、見て、感じて、触れた、いまのイタリアの姿を届けます。
 これから始める「デカメロン2020」は、1348年のペストの蔓延からフィレンツェ郊外に逃れた若い男女10人が10日間語りつくす古典『デカメロン』の「リアル・イタリア版」です。


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非日常になってしまった普通の生活

©MiBACT


 この画像は、2020年3月9日に政府が発令した全国封鎖 非常事態宣言に追随して、イタリアの文化財・文化活動賞のツイートです。
説明は一字もありません。
 これだけ。
 <#私は家に居る>というタグが付いて、広まりました。
 現状を軽く考えずに外出を避けて家にいよう、と呼びかけたのです。

 しのごの言わずに、発令。
 中世にヴェネツィア共和国のペスト対策で発案された、隔離対策と疫病/感染学をそのまま踏襲するかのように、断固と実践しています。

「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう」

 イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました。
 同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、
「皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます」
 という公告も出しています。

 交通機関の多くが運休となり、徒歩での外出にすら自己申請の認証書の提示が必要となった現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。

内田洋子
2020年3月16日




2020年3月8日イタリア。非常事態宣言発動。
新型コロナウイルス感染拡大防止のために首相令が発令された。3月10日朝から4月3日までイタリア全土で、移動制限や学校の一時閉鎖、飲食店の夜間営業停止等の措置が決定。
刻々と深刻化していく状況を受けてさらに、3月12日からは生活必需品の販売店,薬局、ドラッグストアを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表(期限は3月25日)。
具体的には(以下、在ミラノ日本国総領事館による、2020年3月11日イタリア首相令DPCMの抄訳 https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200311_dpcm.pdf):

食料品、生活必需品の販売店や薬局及びスーパーマーケットを除く、全ての商業及び小売り販売活動の休止を規定する。つまり、スーパーマーケットに食料品を買いに走る必要はない。
しかし店舗、喫茶店、パブ、レストランは、宅配サービスできる可能性を残して休業する。

対人距離1メートルの確保ができない理美容院、美容エステ店、食堂サービスは休業する。
生産業及び専門性の高い業務は可能な限りテレワークで活動を続け、従業員には休暇の取得を推奨する。

企業内の生産部門に必須でない部門は活動中止する。感染を避けるため,自社の従業員に安全ルールを守らせることができるのであれば、生産活動は継続することができる。製造会社では現状を乗り越えるための措置として、シフトの調整、休暇の前倒し、不必要な部門の閉鎖を採ることが推奨される。

公共交通機関、公益に資するサービス、銀行・郵便・金融・保険サービス、その他活動を続ける分野が正しく機能するために必要な、生活に不可欠な公共サービスは保証されている。
保健衛生の規則を守る限り、農業・畜産業・農産品加工業、及びこれらの業者に物品・サービスを提供する流通業の継続も保証されている。基本となる規則は変わらない。

我々の移動は、仕事上、健康上あるいは買い物といった必要な理由に制限しなければならない。期限は3月25日。
注:2020年3月25日時点で、<非常事態宣言首相令の有効期限は未定>となっている。


Decameron2020-09(3.25 19:00更新)

2020/3/23
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


今日は、女友達Mの誕生日。高校卒業後、それぞれ異なる進路を取った。私は大学へ進学し、彼女はフィレンツェにある国家憲兵養成専門学校を選んだ。以来、私たちはあまり会っていない。大学生と憲兵養成校の学生とは、学校のカレンダーがうまく合わないからだ。
まだ2回生であっても、将来の警察官はイタリア各地での任務に就く。特に今のような非常事態のときは、そうだ。先週Mと学校の同期生達は、イタリアの中でも特に警戒が必要な場所へと派遣されている。Mはフィレンツェからフェルラ(Ferla)へ発った。シチリア島シラクサ市(Siracusa)近郊の、小さな町だ。
現在、あちこちで警察や憲兵を見かける。寄ってきて、外出の際に義務付けられている自己証明書の提示を言っている。イタリアの一部の地域では、軍隊まで出動している。 Mは緊張し張り切って初任務に就いたのだが、大きく予想と違って元気がない。なぜなら、フェルラには人間より牛の方が多いからだ。牛は放し飼いされていて、道路の際、そこらじゅうの野原まで草を食みにくる。見渡す限り、牛。
彼女に誕生日を祝うメッセージを送った。きっとよい日がやってくる、そうしたら2人で祝おう、夏にそれができるといいけれど、と書いた。
<変な誕生日になった> メッセージを書きながら、そう思う。新型コロナウイルスなど関係なく悠々と町を行く牛に、友達が罰金切符を切っているのを想像する。

(国家憲兵は、陸軍、海軍、空軍と並びイタリア軍を構成する4軍のひとつ。国家憲兵養成学校は軍組織に属し、就学期間は3年間。履歴の範疇は大学と同等だが、普通大学とは異なる学習課目となっている)


2020/3/23
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

シモーネ・モリナーリ
Simone Molinari


コロナ時代には愛だ、と父が電話で言った。ふざけて言った言葉だったが、僕の頭の中に強く残った。今、僕はれティツィアの家にいる。ここへ移ってきたのだ。自宅待機が終わるのをいっしょに待とう、と2人で決めた。今のところ、同居はうまくいっている。僕は皿洗いをして食卓を整える。彼女は料理を作る。彼女はヴィーガン主義者なのだけれど、そんなことは問題ではない。僕はきちんとした食生活をしなければならない。ヴィーガン料理は、世の中で一番健康的かもしれない。彼女は僕が今まで知らなかった野菜を食べさせてくれる。トウフ、グルテンミート(注:<セイタン>)、テンペ(注:いわゆる<インドネシア納豆>)・・・・・。
初めのうちは、その姿形と未知の味に少しひるんだが、少しずつ慣れてきて、ヴィーガン料理が好きになりつつある。
それに彼女はとても思いやりがある。僕が朝食に牛乳とビスケットを食べるとき、見ないふりをしてくれる。完璧な人間などいない。
友達マッテオと電話で話した。感極まって、でも満足そうな声で、昨日、ついに恋人ができた、と報告した。会えないまま、距離を置いて始まった付き合い。だいぶん前から2人はお互いに密かに思いあっていたのだが、ここへきて愛が開花した。春が来たのは、暦の上だけではない。


2020/3/24 カリアリ Cagliari (サルデーニァ島 Sardegna)

アニェーゼ・セッティ
Agnese Setti

目が覚めて、1日の始まりのコーヒー(何杯も飲むうちの)を飲みに台所へ行く。
すでに台所が調理体制、準備万端整っている。リコッタチーズの大きな塊と並んで、パスタの生地が二つの山に分けてある。ひとつはアーティーチョークが具に入り、もうひと山にはほうれん草が入るらしい。
今日はママがラヴィオリを作る。
<私と母がラヴィオリを作る>とは言わない。なぜなら、こういう場面になると母の中には、言葉では言い表せないような、主役意識がムクムクと沸き起こり、彼女だけが他の存在を認めない、絶対の女王に変身するからだ。
母の悪いところとして言っているのではない。母の中に、観客を必要としない、誰にも有無を言わせない表現者の強い思いが立ち上がり、神聖な儀式のように調理に没頭する様子に、私はただ驚いて横で見ているのだ。手馴れていない他人の手など、必要なし。下手に手出しなどしたら、母のリズムが崩れてしまう。
どうぞご覧あれ。生地を練り、伸ばし、具を詰め、包み込むと、ラヴィオリだ。
生まれてからずっとそうしてきたように、今日も私はそばでじっと観ている。
家では私はいつも観察者だった。何も特技はないし、気の利いた意見や感想も言えない。母が料理をするのを観るのが大好きだ。惚れ惚れする。スペクタクルだ。
兄は私と違って器用で、魔法使いのような手仕事をする。ミリ単位の正確さだ。
彼にはたくさんの才能がある。
そして、父。鍵盤楽器の演奏ができる。際限なく演奏できるレパートリーを持っている。幼い頃から22年間、私は父が演奏する手元を見ながら、<いったいどうやって?>と思ってきた。
今日も私は観る。そばに座って、母の手が手際よく動くのを。母は生地を練り始める前に、オペラをかける。彼女の小麦粉のスペクタクルにぴったりの曲が台所に流れる。
数時間後、昼食の時間になった。何を食べたかわかるでしょう? サルデーニャ産のオリーブオイルとカラスミで和えたアーティーチョーク入りのラヴィオリ。
アーティーチョークとカラスミ。私が一番好きな組み合わせだ。大地の花を海の宝物。
これだけで、今日1日を幸せに過ごせる。



2020/3/24
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

ジュリ・G・ピズ
Julie G.Pisu





< 私は詩人だった、だからトロイアから来たアンキセスの
        正義感の強い息子<アネエアス>のことを歌った。
        誇り高いトロイアの城は焼け落ちてしまったからだ。 >
(日本語訳 平川祐弘 :『神曲』 地獄篇 ダンテ・アリギエーリ 河出文庫 より)


イタリアのラッパー、ムルブトゥ(Murubutu)が、クラヴァー・ゴールド&ジュリアーノ・パルマ(Claver GoldとGiuliano Palma)とのコラボによる新曲の予告をインスタグラムで発表して以来、ファンたちは今か今かと待ち焦がれている。今日3/25の<ダンテの日>に合わせて、『パオロとフランチェスカ』というタイトルのシングルだ。この曲は、彼の新しいアルバム『地獄』の予告でもある。地獄への旅の(ダンテ)ムルブトゥなりの解釈だろうか? イタリアの名作古典を現代イタリア風に読み下したものだろうか?
もう1か月以上前から、私は彼のアルバムの発売を心待ちにしている。3月31日に発売予定だ。
3月のカレンダーに、過ぎた日の上にX印を付けている。自宅待機になってから過ぎ去った日の確認でもあり、あと何日したら25日なのか、と楽しむためでもある。
高校時代からムルブトゥを聴き始めた。唯一無二の人だ。日中は、古典高校の哲学の教師で、夜になるとラッパー。彼の詩と曲を聴くと、異次元の世界の物語が染み入る。どの曲も心に深く残っている。静かに泣き、さまざまなことを考えた。社会の問題や政治などに触れる。それだけではなく、愛についても、苦しみについても教わった。古代からの哲人達の言葉を通して、詩となり音楽に載せてラップとなる。
<文学にインスピレーションを得て生まれるラップ、文学ラップ(Letteraturap)>と呼ばれている。

ムルブトゥが、ダンテの三行詩からアルバムを録音する。それは彼がアーティストとしてたどる芸術の道だ。刺激に満ちた、そして難しい創作だったろう。
ダンテ。イタリア文学の父である。
だから、早く聴きたい。ずっと『パオロとフランチェスカ』がもしかしたらアップされているかもしれない、と、音楽関連の情報データベースを頻繁に検索している。
泣くだろう。
絶対に泣く。


2020/3/24
ヴェネツィア Venezia(Veneto)

シモーネ・モリナーリ
Simone Molinari


距離を置いて、人間関係にこれまでと異なる光があたる。取り囲む壁は、その物理的な<囲い>だけではなく、少しずつ<精神的な>囲いを示し始める。自分が、世の中の物事から独立したひとりの人間であることを気づかせてくれる。ウェブやSNSから、部分的にそういうことが浮き上がり、見えてくる。
自宅待機になってから20日。もう携帯電話を見るのも疲れた。視線は、周りの壁に向く。僕の存在を囲み、阻む。地球上がつながり、なんでも簡単に手に入るような感じがする。距離は消え、境界も無い。僕を含む、恵まれた側にいる者にとっての話だが。かつては、そうではなかった。ウイルスが、進化を追い続けるのは幻想だと、警告している。蜃気楼にすぎないのだ。壁を崩すことはできない。なぜなら壁は僕たちの中にあるからだ。大切なのは、壁に気づき、おのれの恐怖と向き合い、人と目を合わせて、手を差し伸べることだ。自宅待機が終わらないと、手は触れられないけれど。


2020/3/24 ヴェネツィア Venezia(Veneto)

アンナ・ミオット
Anna Miotto


今朝、広場に出る露店へ魚を買いに行った。 サンタ・マルゲリータ広場のすぐ近くに住んでいるおかげで、毎朝ここで露店を営む2人から新鮮な魚が手に入るのだ。
カレイとエビ、ホタテにタイを買い、包んでくれるのを待ちながら、少し雑談をした。彼らはこれまで通りの毎日で、朝5時に起きて卸売市場へ仕入れに行ったあと、露店の準備をして8時に開店する。
ただひとつこれまでと違うのは、誰もいなくなったことだ。数少ない客たちも、一刻も早く家に帰ろうと忙しない。他愛のない話をしながら買い物を楽しんでいたのに、そういう気持ちが皆になくなってしまった。ふつうなら大勢の客がいるのに、今朝は私とカモメだけだった。店の上を旋回しながら、いつ魚の残骸を盗ってやろうか、と虎視眈々である。露天商はカモメに気づき、人情で(あるいは、いきなりの襲撃を避けるために)魚の残骸を路面にばらまいてやった。路面の餌をついばもうと、無数のカモメがいっせいに飛び下りてきた。
その光景に微笑み、いっぱいの買い物袋を提げて(空腹のカモメたちに凝視されて、胸に抱きかかえる)、挨拶し、家に戻って料理を始めた。


2020/3/24
トリノ(ピエモンテ)Torino(Piemonte)

アレッシア・トロンビン
Alessia Trombin


しんどい。ポジティブじゃない。
今朝、でも、カール・グスタフ・ユングの『赤い書』の一文を読み、グレーな日が少し明るくなった。しばらくのあいだ、NOの日を支えてくれますように。

<そうなのだ。あの年は私から春を奪い、他にたくさんの物事が取り上げられてしまった。それでも私は変わらず花を咲かせた。自分の中に春を連れてきたからだ。もう誰にも盗むことができない*>

*カール・グスタフ・ユング 『赤い書』 Carl Gustav Jung, Libro Rosso, Liver Novus, S.Shamdasani 編、n.10Torino, Bollati Boringhieri, 2010


2020/3/24
インペリア  Imperia(Liguria)

マルティーナ・ライネーリ
Martina Raineri


今日の夕食で、買い置きの食べ物が終わる。明日は勇気を出して、買い物に行かなければならない。さもないと、永遠にパスタのオリーブオイル和えだ。もう家にいるのには慣れた。守られて、安全な気がする。正直言って、外出するのが怖い。店の外に行列ができているだろうか?
周囲の人たちは安全な間隔をを守ってくれるだろうか? 欲しい物が棚に残っているだろうか?
  許されている買い物のために外に出たら、きっと解放された気分になるのかと思っていたら、違った。むしろ行きたくない。車に乗って出かければ、同じことの繰り返しの毎日の息抜きになっていいことだとはわかっている。家は、温かで明るく、いごこちのよい巣になっている。窓の外を行く、ごくわずかな人たちは、一様に寂しそうで、うつむきで早足だ。うちの玄関ドアは、その外界から私を守ってくれる。
すべてが終わるとき、大勢の人たちの中に戻って、私は自分の居場所を見つけることができるのだろうか。


2020/3/24 ミラノ Milano(Lombardia)

オット・スカッチーニ
Otto Scaccini


大学が恋しい。毎朝自転車で走っていた道が恋しい。大学の仲間に会いたい。白衣を詰めたぎゅうぎゅうのデイバッグが恋しい。野原で弁当を食べたい。病棟担当に行きたい。医師、患者、手術室、消毒液の匂いが恋しい。
感染内科の入り口を探して迷う。採血がうまくできない。朝8時で頭がよく回らない。忘れてしまう。
理解できていない装置や経路(パスウエイ)について学友と話したい。
遅く終わる授業。授業内容のやっと半分を書き取った聴講メモ。
解剖学のノートをめくってみる。絵がうまく描けていない。メモ、注釈、走り書き。必要ない雑記が多い。
1年前から2人のクラスメートといっしょに、解剖学の教授を手伝っている。実施練習のときに1回生と2回生の補佐をするためだ。
バカンスのためにお金を貯めるためだったが、この数か月、この小さな仕事は、大学や勉強、僕と同じ講義に通う学生たちにずいぶん近づくきっかけとなった。
それができなくなった今、僕の1日には大きな穴が開いてしまった。大学に戻って講義を聴き、話し、何がわかっていないのかを知るときが戻るのを考える。

ノートをみる。これはきっと、翼口蓋について説明しようとしたときのだろう。筆記試験で問題が出たのだった。
思い出すのは楽しいが、すべてが信じられないほど遠い。

戻りたい。


2020/3/24
トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

キアラ・ランツァ
Chiara Lanza


1週間、教科書とノートを閉じたままだったが、昨日は数学の勉強を始めた。敵の存在に慣れるのに、しばらく時間が必要だった。敵と対面する前に、机の角で勉強した。問題は、数学が天敵であることだ。小学校の頃から嫌いになり始めたのを覚えている。 数字ごとに、ため息を吐いていた。
さて、イタリアじゅうの大学は、遠距離からのテレ試験に対応できるよう準備している。時間制限のある筆記試験から、教授とのインターネットテレビ電話に小論文、そのほか全部について、だ。そういう状況なので、好きも嫌いも言ってはいられない。勉強を始めなければ。
最初の2時間は苦痛だった。獣の遠吠えのような声を聞きつけて、ときどき妹が心配して覗きにきていたが、私は少しずつ数学を理解し始めた。
数学は、最初の印象が悪い人のようなものだ。<生理的に>嫌い。けっして関わりを持ちたくない。でも、持たざるを得ない。少し知り合ってみると、どうだろう。それほど悪くないじゃないの。
ひょっとして、好きかもしれないくらいだ!
とはいえ、きっとそのうちノートを窓から投げ捨てるときがくる気がするけれど。


2020/3/23 デルフト(Delft,オランダ)

クラウディア・ダモンティ
Claudia Damonti


今日も、新しいことは無し。たいして生産的な日ではなかった。そのうえ、オランダでも、3人以上での外出禁止令が発動された。今晩最後のスカイプ電話を終えてみると、すでに下宿仲間人は1一日の締めくくりの散歩に揃って出かけるのを決めてしまっていたので、私はひとり取り残されてしまった。
しかたない。何か意義あることをひとつはなし遂げてみよう。
結果? 表面が焦げて中が生焼けで、まったく味がしないケーキが一丁上がり、だった。まあ、ね。次はきっとうまくいく。それに、明日の朝食の準備はできたし。


2020/3/24
モンテレッジォ(トスカーナ州)
Montereggio(Toscana)

アレッシア・アントニオッティ
Alessia Antoniotti


<勉強>
昨日と同様、丸1日勉強した。アリストテレスの思索や古代ローマ時代初期の芸術、シェイクスピア、ギリシャ哲学も少々、だ。周囲で起こっていることを考えて、気が散らないように勉強に没頭した。
両親は私が気づいていないと思っているだろうが、夕食のときに2人とも暗い表情をし、電話がかかってくると悪い知らせを受けたのだろうか、不安そうな顔をしていた。テレビニュースが、今日1日の感染者や死亡者などの数を伝える。
夜になって、考えないようにしようと思っても無理だ。1日、避けてきた心配ごとを端から思い出してしまう。背中がぞくりと震える。鼻の奥がツンとしたかと思うと、涙があふれてくる。またか。近くの村で亡くなった人たちを悔みながら、泣く。自分には心配することしかできない。震える。身体が冷えて寒いせいではなく、怖くて不安で心が冷え冷えとしているからだ。


2020/3/24 バーリ Bari(Puglia)

ソーダ・マレム・ロ
Soda Marem Lo


<忘れたこと>
この数日間、ミラノの下宿の暖房を点けっ放しにしたままではないか、と気にかかっていた。帰れるまでずっと心配するのかと思うと、泣けてきた。いつ帰れるかわからないことを思って。
本当に泣いたわけではなかったが、イライラしていた。心配しているのは不安だから、とわかっていた。暖房を消し忘れるわけがない、と自分でもよくわかっていた。それでも、くよくよ悩んだ。
暖房の心配は、どうでもいいことなのだった。毎日の不安から気を紛らわすために、自分が無理やり作り上げたようなものだった。2月末にバーリへ戻ったとき、3月7日にはまたミラノに帰っているだろう、と考えていた。以前の生活に戻って手帳に記した予定通りに、パヴィアへ授業を受けに行ったり、自動車の教習所へ通って3月30日には運転免許の試験を済ませたりしていただろう。

状況をよくわかっている今、できることなら、自宅待機の場所に選びたかった場所へ、いい加減な忘れ物をするなどありえない。いつ帰れるのかわからない、唯一の私の居場所へ。


プロフィール
内田洋子 Yoko Uchida

1959年神戸市生まれ。
東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館から5月刊行予定)。
翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。