デカメロン2020(Decameron2020)_05

デカメロン2020(Decameron2020)

「デカメロン2020」©(Decameron2020)©

緊急非常事態宣言が発動されたイタリアを、
イタリアの若者が語る、描く、見つめる、歌う

 新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、非常事態宣言が発動されたイタリア。ヴェネツィア、ミラノ、ボローニャ、ローマ、モンテレッジォ、シチリア島などで暮らす17歳から29歳の若者たちが、ささやかだけど私たちにも届く声をつむぎ始めました。彼らが、耳をすませ、見て、感じて、触れた、いまのイタリアの姿を届けます。
 これから始める「デカメロン2020」は、1348年のペストの蔓延からフィレンツェ郊外に逃れた若い男女10人が10日間語りつくす古典『デカメロン』の「リアル・イタリア版」です。


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©MiBACT


 この画像は、2020年3月9日に政府が発令した全国封鎖 非常事態宣言に追随して、イタリアの文化財・文化活動賞のツイートです。
説明は一字もありません。
 これだけ。
 <#私は家に居る>というタグが付いて、広まりました。
 現状を軽く考えずに外出を避けて家にいよう、と呼びかけたのです。

 しのごの言わずに、発令。
 中世にヴェネツィア共和国のペスト対策で発案された、隔離対策と疫病/感染学をそのまま踏襲するかのように、断固と実践しています。

「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう」

 イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました。
 同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、
「皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます」
 という公告も出しています。

 交通機関の多くが運休となり、徒歩での外出にすら自己申請の認証書の提示が必要となった現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。

内田洋子
2020年3月16日




2020年3月8日イタリア。非常事態宣言発動。
新型コロナウイルス感染拡大防止のために首相令が発令された。3月10日朝から4月3日までイタリア全土で、移動制限や学校の一時閉鎖、飲食店の夜間営業停止等の措置が決定。
刻々と深刻化していく状況を受けてさらに、3月12日からは生活必需品の販売店,薬局、ドラッグストアを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表(期限は3月25日)。
具体的には(以下、在ミラノ日本国総領事館による、2020年3月11日イタリア首相令DPCMの抄訳 https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200311_dpcm.pdf):

食料品、生活必需品の販売店や薬局及びスーパーマーケットを除く、全ての商業及び小売り販売活動の休止を規定する。つまり、スーパーマーケットに食料品を買いに走る必要はない。
しかし店舗、喫茶店、パブ、レストランは、宅配サービスできる可能性を残して休業する。

対人距離1メートルの確保ができない理美容院、美容エステ店、食堂サービスは休業する。
生産業及び専門性の高い業務は可能な限りテレワークで活動を続け、従業員には休暇の取得を推奨する。

企業内の生産部門に必須でない部門は活動中止する。感染を避けるため,自社の従業員に安全ルールを守らせることができるのであれば、生産活動は継続することができる。製造会社では現状を乗り越えるための措置として、シフトの調整、休暇の前倒し、不必要な部門の閉鎖を採ることが推奨される。

公共交通機関、公益に資するサービス、銀行・郵便・金融・保険サービス、その他活動を続ける分野が正しく機能するために必要な、生活に不可欠な公共サービスは保証されている。
保健衛生の規則を守る限り、農業・畜産業・農産品加工業、及びこれらの業者に物品・サービスを提供する流通業の継続も保証されている。基本となる規則は変わらない。

我々の移動は、仕事上、健康上あるいは買い物といった必要な理由に制限しなければならない。期限は3月25日。




在イタリア 日本大使館からの公告です


●3月17日,イタリア内務省は,3月8日及び9日首相令に基づき,移動の自由に関して内務省が規定した自己宣誓フォームの改定を発表しました。変更箇所は,「自分は自己免疫措置の対象となっていない,ウイルス検査で陽性と判断されていない」という部分が追加になっています。

●内務省の新しい自己宣誓フォーム(イタリア語)は,下記URLから入手可能です。ご参考まで和訳を在イタリア日本国大使館のホームページに記載します。

●イタリア国内では,警察当局により,主要な駅,空港,道路等において規制が強化されていますので,同国内務省規定の自己宣誓フォームに移動の理由を含む必要事項を記入して,携行されることを奨励します。

移動に関する自己宣誓フォーマット
https://www.interno.gov.it/sites/default/files/allegati/modulo-autodichiarazione-17.3.2020.pdf

【参考】移動に関する自己宣誓フォーマット(和訳)
https://www.it.emb-japan.go.jp/pdf/20200317_mdi_format.pdf
    問い合わせ先
  • 在イタリア日本国大使館
    電話:06-487991(領事部)
  • https://www.it.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html
  • 在ミラノ日本国総領事館
    電話:02-6241141(領事・警備班)
    https://www.milano.it.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html
  • 外務省領事サービスセンター
    電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902、2903
  • 外務省領事局政策課(海外医療情報)
    電話:(代表)03-3580-3311(内線)4475
  • 海外安全ホームページ
    https://www.anzen.mofa.go.jp/(PC版・スマートフォン版)
    http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbtop.html(モバイル版)

  • 2020/3/20
    イタリア 速報

    すでにイタリアのファッション業界はマスク生産を始めているが、イタリアの産業界を牽引する自動車業界の銘、フェラーリ社がボローニャ市の医療機器専門メーカーのSiare Engineerring International  http://www.siare.it/ と協力して、呼吸器と空気洗浄機の生産を始めることを発表した。



     Decameron2020-05(3.20 17:00更新)


    『デカメロン』
    ジョヴァンニ・ボッカッチォ 著


    『デカメロン』(古代ギリシャ語で「十日の(物語)」の意)は、1349年から1351年にかけてジョヴァンニ・ボッカチォによって書かれた、全100話からなる物語集です。10人の若い男女が、ペストの危機から逃れるためにフィレンツェ郊外に籠り、10日間に渡って10話ずつ物語を語り合います。

    ボッカチオは前書きの中で、何年にも渡ってペストが蔓延した当時の惨状を描き、当時大切にされていた社会規範や慣習が、この感染症の大流行によって破壊し尽された様子を語っています。
    その一方で、10人の若い男女を通じてもう一つの事実、つまり人類は己の力と知性によってどんな状況をも切り抜けられる、ということを示してもいます。

    文責:イタリア文化会館
    https://www.iictokyo.com/blog/ https://iictokyo.esteri.it/iic_tokyo/ja/istituto/chi_siamo/


    2020/3/18
    ヴェネツィア Venezia(Veneto)

    ヴァレンティーナ・スルブリエヴィチ
    Valentina Srbuljevic


    午前11時。テラスに出て、暖かい日差しを楽しもう。これならショートパンツでもだいじょうぶかな。
    そう思った途端に、アイデアが浮かんだ。テラスに居間を移動させよう!
    居間からソファのクッションと祖母が手編みで作ってくれたカーペット、ジュリのビーチタオル、日焼け用のクリームを持ってテラスに出る。まるで夏。ソファクッションも、室内で寝転がっているより、外のほうが嬉しそうだ。
    カーペットを敷き、クッションを置いて、ビーチタオルを広げる。以前住んでいた下宿を思い出す。小さなアパートだったが居心地がよくて、どの部屋の天井には梁が見え、その木のおかげで優しい雰囲気だった。そのときの下宿仲間を思い出す。まだあのアパートに住んでいるのだろうか。元気かしら。リアルト橋の近くのアパートは、隙間なく密集して建っている。あの地区に限ったことではなく、ヴェネツィアはどこでも同じようなものだ。限られた土地に建ち、よって路地もごく狭い。他のアパートはどうかわからないが、私の前の下宿は日当たりが悪かった。1日のうちわずかな時間だけ、向かいの建物の上階の窓に反射する光が差し込むだけだった。それ以外は1日じゅう影だった。太陽にあたりたくて外に出ていく自分は、まるでトカゲだった。
    さて、テラスの横の柵沿いに寝転がる。日焼けクリームの匂いを嗅ぐと、砂浜にいる気分だ。テラス一面に太陽が溢れ、肌が熱くなり、身体の中まで太陽が染み込んでくる。生まれ変わったようだ。遠くに、カモメの鳴き声や子供たちが庭で遊んでいるのが聞こえる。
    テラスから身を乗り出すと、子供たちが見える。私たちも子供たちも幸運だ。テラスからの情景は、いつもと変わらない。外出禁止の重苦しさも感じない。
    「だってここは観光地なのだから」
    以前ここの下宿人だったコスタンツァが、よくそう言っていた。


    2020/3/18 ヴェネツィア Venezia (Veneto)

    エリーザ・サンティ
    Elisa Santi


    3月からヴェネツィアの日差しは強くなってくる。去年の今頃、学校から戻ると、玄関前に置いてある赤いベンチに座り、少し日向ぼっこをして身体を温めてから勉強を始めた。ジュデッカはいつも影だ。日があたる時間が少ない。だから少しでも日光を楽しもうとする。
    今日はとても暑い。日差しを確かめてから、例のベンチに座ることにした。まだパジャマのままだ。その上から赤と青のトレーナーを着て、青色のズボンを穿き、冠水のときに従兄弟から借りた分厚い靴下をはいて、ウサギ型のスリッパをひっかけ、イヤホンも持って外へ出た。
    ベンチに座って、正面を見る。色のコントラストが美しい。地面にはタイルが貼ってあり、すべてのタイルに見覚えがある。幼い頃からずっとここに住んでいるのだ。あのタイル。ここでつまずいては、何千回転んだことか。自転車に乗れるようになったのもここだった。踊って、歌い、食べたりパーティーを開いたりした。
    見上げると、私より古くからここにある長い棒がロープで壁につなぎとめてある。ロープはそのまま中庭の隅まで張ってある。洗濯物を干すためだ。ロープにたなびく洗濯物を見るのが、幼い頃から大好きだった。石鹸の匂いが流れ、広げ干したシーツに隠れたり、すぐに割れてしまうカラフルなプラスチック製の洗濯バサミで遊んだりした。
    右を見る。ソフィアが住んでいた玄関ドア。ソフィアは、私と妹の幼馴染だった。いつもいっしょだった。毎日この広場に出て、空想の町に見立てて遊んだ。
    叔母アンナリーサの家の玄関も見える。いとこのアンドレアはヴェネツィアに住んでいる。
    左を見る。隣に住むローマの人たちの玄関ドアを見る。ときどき数週間をジュデッカで過ごしにやってくる。玄関の外に多くの植木鉢を並べている。その隅が湿気ている。
    路地向こうの家のテラスも見る。広場への出入り口を見る。新しい隣人の家の玄関を見る。
    <Talking Heads>を聴きながら、にっこりする。眩しくて、手をかざす。それから肩の向こうに頭をずらして、右を見る。うちの玄関のドアを見る。母が私を呼ぶ。「エリーザ、できたわよ!」


    2020/3/18
    ローマ Roma (ラツィオ州 Lazio)

    サーラ・パリアルーロ
    Sara Pagliarulo

    今日は、外出禁止になってから10日目。毎日朝から晩まで家の中にこもっているのが、辛くなってきた。正直に言うと、この<家の中でのバカンス>は、初日からすでに窮屈だった。この季節のローマはとても素晴らしい。いつも晴れていて、暑いけれど暑すぎない。空は真っ青で雲ひとつない。なのに、これだ。からかわれているような気がする。宇宙から<出かけられないんだよね? 夏を先取りして味わうのに、絶好の日和だよ!>とちょっかいをかけられているような感じだ。ありがとね。
    幸い大学のテレ講義が朝9時から13時まであって忙しい。あまりに勉強することがありすぎて、いずれにせよ出かけている暇などない。勉強しなければならない状況が、幸運だと感じるときが来るなんて、思いもしなかった。<極限の状況は、最善の...>なのだ。妹シルヴィアが家族全員にケーキを焼いてくれ、ほっとする。でもどこに出かけず動かないで甘いものを食べていたら、数キロ太るのは絶対だ。
    どうしようもない。今日は、NOの日。


    2020/3/18
    インペリア  Imperia(Liguria)

    マルティーナ・ライネーリ
    Martina Raineri


    外は抜群の日和だ。雲ひとつない空に暑いくらいの日差し、そよ風も吹いている。
    ご機嫌で目を覚ます。何かしたい気分。外出禁止の毎日をポジティブに過ごすために、なるべく朗らかにしている。
    でもショックなことがあった。毎日、私とフランチェスコは、感染者や犠牲者、医療関係者の底知れない疲労、などのニュースを追ってている。身の回りで何が起きているのか、2人とも十分に承知している。感染を前に、自分が何もできないのが辛い。明るくふるまうのは、申し訳ない気がする。家にこうしているのも、それほど悪くはない。ところが、外では苦しんでいる人が大勢いる。ニュースのあと、考え込んで1日を過ごす。
    外出禁止になった初日から毎日、正午と18時になるときっかり時報のように、誰だかわからないが近所でタンバリンを鳴らす人がいる。鳴らしている姿が見えない。でも時間になると私はすぐに窓のそばに走っていき、向かいの窓やバルコニーを見る。老いた女性が、タンバリンに合わせて金製のお玉でバルコニーの柵を叩いている。独り。誰かといっしょに暮らしているのだろうか。連日どのように過ごしているのだろうか。私と同じなのだ。皆、外に出ずに過ごしている。
    これが、私たちに与えられた役目なのかもしれない。明るくふるまっても、罪ではない。規制をきちんと守って、精神の健康も保たなければ。
    明るさを誰かにうつすことができれば、よい感染だ。
    あの老女はタンバリンから朗らかさをうつされたのだろうか、それとも私が老女からうつされたのだろうか。


    2020/3/18
    トリノ(ピエモンテ)Torino(Piemonte)

    アレッシア・トロンビン
    Alessia Trombin


    今日午後、部屋いっぱいに太陽が差し込んだ。ここ11日間で初めてのことで、出かけたくなった。ただ外に出て歩くだけでいい。
    落ち込んで、ベッドに腰かけて前の壁を見る。考え込まないように、音楽をかける。
    突然、しばらく聴いていなかった曲が流れた。なかなかいい曲だけれど、歌詞をちゃんと聴いたことはなかった。音楽を聴くとき、よほどの気持ちがわかない限りは歌詞を気にかけることはない。 今日は、そういう気持ちがあった。1フレーズを耳にして、詩に引き込まれた。

    皆、どこにいってしまったのだろう?/ここにいるのでしょう、ここに/抱きしめて、確かめたい/この瞬間を大切だと思うなら/一歩前に出て、もう一歩前に/もっと強く抱きしめあえる/もう独りぼっちにはさせない/

    曲もいい、歌詞もまさに私が聞きたかった言葉そのものだった。
    運命など信じない、とはいうけれど。


    2020/3/18 ミラノ Milano(Lombardia)

    アンジェラ・ボナディマーニ
    Angela Bonadimani


    今日はスタートからつまづいた。遅く目が覚め、昨日よりもずっと疲れていた。晴天だけれど、外に出られないのはいつも通り。何もしたくない。勉強なんて、とんでもない。
    ベルリンに留学中の女友達から電話があった。去年11月にベルリンに会いに行ってきた。今日、大使館へ行くのだ、と言った。もう少しベルリンに滞在できるかと思っていたが、ベルリンも感染が広がりつつあり、心配した彼女の両親が早くイタリアへ帰ってくるように言ったからだ。でもミラノに着いたとたん、彼女は自宅にこもらなければならない。
    「悪夢だわ。やっと春になったのに、 2週間もこもっていないとならないなんて。ベルリンで12月を過ごすより、これってひどいんじゃない?」
    ひとしきり嘆いたあと、私が今何を読んでいるのかを尋ねた。私は、何も決められない状態で読む本も見つからない、と答えた。
    「それなら」、と友達が推薦してくれたのは、これ。外出禁止になってから5冊目の本だ。
    『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー著
    読後感想を話そう、と友達が誘ってくれたおかげで、気分が少し晴れた。
    姉とピッツァを作ることにした。
    ピッツァとコカ・コーラの夕食のあとに、本。いつものような夜だ。


    2020/3/18 デルフト(Delft,オランダ)

    クラウディア・ダモンティ
    Claudia Damonti


    電話が大嫌いだ。なぜだかわからないけれど、うろたえてしまうのだ。でも私の解決方法は実に簡単。かかってきたら、鳴り終わるまで待つ。鳴り終わって10分ほど経ってから、何食わぬ顔でメッセージを送る。<ごめん。気がつかなかった。急ぎ?   今ちょっと電話に出られないから、メッセージを残してくれればあとですぐにかけるから>。天才。
    今は状況が変わってしまった。毎日2回は休校中の大学の講義を受けるためにテレビ電話を受けなければならないし、グループ研究の仲間たちとも打ち合わせしなければならない。世の中から隔離された今、電話は他の人たちとのつながりを保つ、唯一の手段となった。
    さて、電話。1か月前には名前を聞くだけで鳥肌が立つほどだったのに、今では私の生活の基盤である。まず聴講仲間、それからママ、おしゃべりの旧友2人と話す。電話もそれほど悪くないのかも、と思うようになった。1日じゅう家に居続けているから、もう話すこともない。まるで過去へ飛び込んだよう。ずっとくっついていて、あまりに長くいっしょにいると、そのうち何も話さず静かにしているようになったものだ。それもまたいい。黙っていても、独りではないから。


    2020/3/18
    モンテレッジォ(トスカーナ州)
    Montereggio(Toscana)

    アレッシア・アントニオッティ
    Alessia Antoniotti


    <誇りに思う> 今日は午後、弟エマヌエーレ(13、中学生一年生)を手伝った。サッカーのコーチに見せるために、動画を撮影したのだ。状況は日増しに深刻になってきていて不安だけれど、今日も私は笑った。2人ともあまりに笑いすぎて、何度も撮りなおさなければならなかった。弟は私にかまってもらえてうれしかったのだろう。私もうれしかった。喧嘩はしょっちゅうだけれど、お互い大好きだ。コーチから言われた通りに練習をこなした弟を私は誇りに思う。もうがまんできない、と弟に怒って言ったりするが、でも私のかわいい弟なのだ。彼が喜ぶなら、何でもしてやりたい。

    ©©Alessia Antoniotti
    grazie a Emanuele Anoniotti


    2020/3/18
    トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

    キアラ・ランツァ
    Chiara Lanza


    玄関のブザーが鳴ると、犬が吠える。玄関ドアの開く音がすると、犬が吠える。
    というわけで、今朝7時30頃に外の門が開き、小型バンが中庭に入ってきたので、犬が吠えた。
    小型バンから、真っ白のツナギを着た人たちが降りてきた。まるで事件ドラマのシーンみたいだった。マスクとゴーグルで顔を覆い、うちに入ってきた。私が大急ぎで階段を下りようとすると、母が半地下に下りてきたらだめ、と言った。父が感染しているか検査をするのだという。夜中に疑わしい症状があり、感染専用の救急番号に電話をし、検査を希望をしたのだった。1週間前から父は私たちと離れて、半地下で暮らしている。ずっと働いていたので、家族の中で感染リスクがあるのは父だけだった。
    検査隊員たちは、検査結果が出るまでこれまでよりも時間がかかるかもしれない旨を告げた。
    「検査希望が大変に多いので」
    小さな車窓から、マスクとゴーグルをかけたまま隊員が挨拶をして、小型バンは走り去っていった。

    午後、友人の訃報を受けた。
    私はベッドに突っ伏した。今日は辛い1日だった。永遠に終わらない気がする。


    2020/3/19 ミラノ Milano(Lombardia)

    アンジェラ・ボナディマーニ
    Angela Bonadimani


    今朝、パンを買いに外に出た。玄関門の前で、建物の管理人が大きく手を広げて、挨拶した。私はにっこり挨拶を返す。そうだった。マスクをしているから、彼には挨拶したのが見えないのだ。悪く思われないといいけれど。
    道には人がほとんどいなかった。パン屋には、1人ずつしか入れない。外に並び、前後2メートルずつ空けて、待った。誰もが疑わしそうな気持ちになっている。マスクに手袋で、見えない敵、ウイルスから身を守る。二言三言、店員と言葉を交わし、聖ヨハネのドーナツ(zeppole)があるか尋ねた。
     今日3月19日は、イタリアでは父の日で、聖ヨハネの祝日でもある。いつもだとオーブンで焼くこの菓子を食べる。中にはカスタードクリームかホイップ生クリームが入っていて、上からブラック・チェリーのシロップもかけてある。私はあまり好きではないのだが、姉にどうしても食べたいから、と頼まれたのだ。こういう状況なので、どんなに小さなことでも、楽しく祝おう。売り切れ。考えることは皆同じだった。
    公園に沿って歩き、新聞を買いに行った。生まれて初めて見た、誰もいない公園。日がさんさんと差している。悲しい。
    帰路につきながら、他のパン屋にも寄ってみたが、菓子ゼッポレはどこにもなかった。母の友達と会った。少しだけ立ち話をしながら、家族以外の誰かとたとえ2メートルの間を空けなくてはいけなくても、面と向かって話せるのがうれしくて、自然ににこにこする。私たちが元気にしているか、ずっと働きづめの両親はどうしているのか、心配してくれた。おしゃべりはさみしくて、苦い味がした。早く人間的な環境に戻って、楽しく話をしたい。
    家に帰る。

    報告:コンピューターに向かう前に、もちろんよく手を洗った。皆さん、ご心配なく。


    2020/3/18
    ヴェネツィア Venezia(Veneto)

    ジュリ・G・ピズ
    Julie G.Pisu

    おいしいオレンジジュースが飲みたい。テラスで日を浴びながら。
    冷蔵庫を開ける。まだ眠い。😒
    レモンが目に入る。レモンに目と口をマジックで描いて、<外出禁止>と書いてある。下宿仲間のヴァレンティーナのいたずら書きだ!
    うしろのソファに座り私の反応を見ていたヴァレンティーナが笑っている。オレンジを探す。2個しかない。これでは足りないな。買いに行けばいいのだ。出かける理由ができた。
    家を出て、アンドレアの店へ行く。隣にある青果店だ。順番を待つ客達の長い列が店外に見える。皆、辛抱強く待っている。対岸を見る。あちら側は、影になることがまったくないようだ。ほっとして、運河を渡って、あちらにオレンジを買いに行こう。なんとなく規制違反のようで、気がひけるが。
    水上バスの運行本数は減っている。今日現在、20分おきの運行だ。今、出たばかり。ノープロブレム。桟橋で待ちながら、日光浴していればいい。
    目を閉じる。他にも水上バスを待つ人達がいる。それぞれ間を空けて、離れて待つ。誰も声高にしゃべらない。電話で話している人もいる。
    水上バスが予定より10分早く着いた。停留所の手前で待機している。順番が来るまで、船もそばに近寄らないように見える。
    路線番号2番。ふだんは観光客や住人、学生で大変に混み合う。数日前までは、鉄道の駅から卸売市場、大学の校舎2カ所、ジュデッカ島を経由して、終着点のサンマルコ広場までが2番線の航路だった。ところが昨日から、航路はジュデッカ島のこの停留所パランカから対岸のザッテレへ渡るだけだ。ジュデッカ島の住民が完全に孤立しないように、対岸へ渡れるように1カ所に限っての運行に変更された。
    水上バスの船内にある座席には、誰も座らない。ひとりもいない。シュールな光景だ。
    乗務船員が出入り口のバーを閉じる。船はゆっくりザッテレへ舵を切る。
    急いで買い物をする。オレンジと今晩用にワイン1本。水上バスの停留所に戻る。停留所には、さきほど往路で同船した人たちが待っている。行って帰って、20分。必要な買い物は、それで済ませる。
    往路と同じように、乗船し、乗務船員がバーを閉じ、エンジンをかけて出航する。
    帰路は、じっくり同船者を見る。ほぼ全員がマスクをして、ゴム手袋をしている。ほんのひと月前には、同じ船にカラフルなカーニバルの仮面を着け、お洒落なシルクの長手袋をした人たちが大勢乗っていたのを思い出す。楽しかったな。
    カーニバルのことを思い出しながら、下船し帰路につく。
    「ブオンジョルノ! お元気? 退屈ですよね」
    うちの玄関前で、老婦人がフランチェスコ修道会の神父と立ち話をしている。
    「退屈に負けてはいけませんね。読書や勉強、自省する絶好の機会ですよ」
    「その通りですわね! さようなら」
    神父は茶色の聖職衣をひるがえし、サンダル履きの素足で教会へ向かって去っていった。手には、パンでいっぱいのスーパーマーケットでの買い物袋を提げている。独り暮らしの老人宅へ届けるのだという。

    私に今できるのは、いたずら好きな下宿仲間にオレンジジュースをご馳走することくらいだ。


    2020/3/19
    ヴェネツィア Venezia(Veneto)

    シモーネ・モリナーリ
    Simone Molinari


    書きながら、遠くからサックスフォンのジャズが聞こえてくる。僕の部屋の窓の左から、日が差し込む。もう暑いくらいで、金色で、夏が来たようだ。
    今朝、弟のエットレに誕生祝いの電話をした。一生に一度だけの12歳の誕生日が、こういう隔離状態に重なるなんて。
    僕はヴェネツィアで独りだが、弟はミラノで家族といっしょにいる。いつでも実家に戻ることができるのだけれど、僕はヴェネツィアに残ることに決めた。無数にあるアプリのおかげで、テレビ電話で毎日連絡が取れるし、距離もそれほど感じない。
    僕が幼かった頃、父はしょっちゅう出張していた。中国や日本、トルコにアメリカ合衆国などへ行っては、僕や弟たちに素晴らしいお土産を買ってきてくれた。その頃はまだスカイプしかなく、それも今のようにはうまくつながらなかった。それでも、パパの顔がコンピューターの画面に現れると、魔法のような、聖なる瞬間のように思えた。画像は粗くて、会話そのものもなんとなく神秘的だった。
    テクノロジーの進化で今ではもう当たり前になった。
    携帯電話の画面で弟の顔を見ながら、僕もそこにいて弟の耳たぶを引っ張り、頬にキスできたらいいのに、と思う。

    (注:年齢の数だけ耳たぶを引っ張ると、縁起がいいとされる)


    2020/3/19
    ヴェネツィア Venezia(Veneto)

    ヴァレンティーナ・スルブリエヴィチ
    Valentina Srbuljevic


    テラスで座っている。日差しが強すぎるくらいだ。荷物を運ぶボートか水上バスのエンジンの音がときどき聞こえるくらいで、他に物音はしない。
    午前中に家に電話をして、両親の様子を訊くことにする。いつもは母に電話をするけれど、今日は父にかける。今日は父の日なのだ。電話に出た父にすぐ、父の日おめでとう、と告げると大いに照れて笑った。古いタイプの人なので、気持ちを言葉に表すのが苦手だけれど、他のいろいろな方法で伝えてくれる。いろいろとしゃべる。元気なのか、どうしているのか、私が父のことを心配していること、などを伝えると、父は私を笑わせようと別の話をして返す。今何をしているのか私が尋ねると、だいじょうぶ元気だ、と言い、仕事先でガソリンを満タンにしてきたのだ、と付け加えた(父はトラックの運転手をしている)。毎日、どう働くか、はっきりしない状態らしい。全土封鎖の首相令が発動されてから、現在どの企業が開いていて、どこが閉まっているのか、よくわからないからだ。今日はたぶん、運搬を1回にまとめて、そのあと家に帰るつもりだ、と言った。現在、貨物トラックで混み合う高速道路の休憩所は、駐車スペースが見つからないことも多いらしい。トイレ休憩や徹夜で走ったあとの仮眠、目覚めのコーヒーが問題だ、と父は笑った。もう出かけないと、と言って父は電話を切った。
    最後に両親が私に会いに来てくれたときのことを思い出す。ひと月ほど前だった。カーニバルが始まったばかりだった。サンマルコ広場での仮装ショーを観に連れていく前に、<王族の入江(Baia dei Re)>へ案内したかった。サンタルチア駅の北にある地区で、私はヴェネツィアのその一帯が大好きだからだ。
    サンタルチア駅をうしろに残して、左側に折れ、路地へと入っていった。そうしなければ、全方向からまるでコバエのように群がり歩く人たちで先に進めないからだ。トレ・アルキ橋を渡り、左折し、右折し、玄関かと見間違うアーチをくぐり、出ては入って、岸壁の端に着いた。水面はしんとしている。昨日夕焼けを見たジュデッカ運河も、こうだった。
    サッカ・聖ジロラモ岸壁には、スカーフを頭にかぶり円に椅子を並べて座る、老女たちの低い話し声が聞こえるだけだ。
    ふと見ると、両親は手をつないで、沖の向こうの干潟を黙って見ていた。。

    ママに電話する。


    2020/3/19
    トリノ(ピエモンテ)Torino(Piemonte)

    アレッシア・トロンビン
    Alessia Trombin


    今日3月19日は、イタリアでは父の日だ。
    外出できないのでプレゼントもケーキも買えないが、弟のヤコポと私は準備の役割を分担することにした。
    「わかった。じゃあ僕がカードを書くから、お姉ちゃんは料理を作って」
    朝ごはんを食べながら、弟が小声で言う。
    台所を出たところで、父と鉢合わせ、私は反射的に父に抱きついた。その瞬間、母と弟もいっしょに抱きついてきた。
    10秒間の違反。
    これでよかったのだ。おかげで、私は父に守ってもらえるのだと、ほっとして気持ちが落ち着いたのだから。


    2020/3/19 ミラノ Milano(Lombardia)

    ミケーレ・ロッシ・カイロ
    Michele Rossi Cairo


    今日テラスで母と食事をしながら、ツタがひどくからまっているのに気がついた。昼食の後、僕ははしごに上り、ハサミでツタのからまりを解いてやる作業にかかった。1時間も手入れしただろうか。ツタがきれいに解けただけではなく、テラス全体がすっきりとみちがえた。外出禁止になってから、僕の地平線は狭まってしまっている。それまでは大陸から大陸の移動をしていたのに、今は家の玄関までで途切れてしまっている。だから、今は自分の周りにあることに集中して気をかければいいのだ。不要なものを切り落とせば、きっとこれが終わった後には、つぼみも開くのだと思いたい。


    2020/3/19
    トレカスターニ(Trecastagni) シチリア島(Sicilia)

    キアラ・ランツァ
    Chiara Lanza


    昨夜は、重苦しい気持ちでベッドに入った。
    そうしたら、リスボンにいる夢を見た。

    去年、大学のエラスムス(注:留学)リスボンに9か月ほど暮らした。大西洋に面する町で、地中海のオーラに包まれている。

    夢の中では、私は今までよりポルトガル語がずっとよく話せるようになっていた。自分の町のように思う、あちこちに行って、これ以上の幸せはない気分だった。
    目が覚めて、自分が、リスボンの10平米の私の部屋にいるのでなく、シチリア島トレカスターニの実家のベッドにいるのだとわかった。
    溜息。
    大きなマグカップに入れたカフェラテを電子レンジで温めながら、テレビを点ける。ニュース番組のチャンネルを急いで飛ばす。少し見て、今日は何も見たいものがないのがわかる。音楽チャンネルに合わせた。
    テーブルに着いて、妹が作ったピスタチオ入りのケーキを切り、テレビを見る。画面の中では、音楽を背景に若い女性が見覚えのある場所で踊っている。ああ、リスボだ!  LX ファクトリー、 カイス・ド・ソンドレ駅、それにピンクストリートも!
    リスボンで、前期いっしょに聴講していたRにメッセージを送る。夢のことも全部伝え、不思議な偶然でしょ、と書く。もしまたリスボンに帰ることがあったら何がしたいか、これからリストを作る、とも書いた。友達は興奮して、私も書くからあとで読み比べよう、と答えてきた。
    リストを作る。項目を見ながら、たくさんのことを思い出して笑う。昨日フランス人の友達は言った。「あのとき、自分たちがどれほどラッキーだったのか、全然わかっていなかったのよね」


    2020/3/19 ミラノ Milano(Lombardia)

    ヤコポ・ディ・ナポリ
    Jacopo Di Napoli

    外出禁止になってからのこの数日で、両親がやみくもに守り抜いてきた、儀式のような小さな習慣が復活した。
    例えば、昼下がりに母はスマートワークを済ませた後(イタリアで最近、頻繁に使われている英語だが、数年前からロンドンに住む兄に言われると、あまり意味がないらしい。イギリスではやり場のないような退屈な在宅業務のことを指すらしいからだ)、 スクリーンとソファベッドのコンビがセットしてある、父の書斎へこもる。
    うちの中で一番静かで威厳のある部屋が、突然プライベート映画館へと変身する。父と母はそこで夕食までの数時間を過ごすのだ。
    昨日はでも、少し様子が違った。父は、ー 大学教授なのだが ー 初めてのテレ講義をしなければならなかった。もちろん書斎からだ。母は最初の数分間、親切な熟年男性が<視点と知覚>について話すのを聞いていた。すぐに退散して、僕の部屋に入ってきた。ところが残念ながらそこでもまた、親切な熟年男性が画面の中から<腱障害>と<エントラップメント症候群>について話しているのに出くわしたのだった。しょんぼりして、台所に戻っていった。まるでお仕置きでも受けるように。
    翌朝、台所に行くと、平皿に山盛りの見事なビスケットがあった。焼いて、どこかに隠してあったらしい。
    母は、昨晩は自分もテレ講義を受けたのだ、と言った。菓子店の友達に、テレビ電話で作り方を習ったのだった。


    2020/3/19 コンヴェルサーノ Conversano (プーリア州、Puglia)

    シルヴィア・クレアンツァ
    Silvia Creanza

    昼食の後、私はコンピューターで勉強し、セルジォはマンガを読むために、ソファに寝転がった。
    開け放した窓から、14時の陽が差し込む。
    町は静かだ。外に人影はなく、皆コーヒーを飲んだり、昼寝をしたり、テレビを見ている。夏の正午から15時のようだ。強い日差しが真っ白の道や壁に当たる、夏の光景を思う。 満腹と暑さで、眠たくなる。
    昼食後の眠気のことを、プーリアでは<パパーニャpapagna>と呼ぶ。パパーニャは、南部イタリアに伝わる<おばあちゃんの薬>に由来する。干したケシの花と数種類の野草を混ぜて煮出したハーブティーで、それに砂糖やハチミツを加えて子供を寝かしつけるために飲ませた。小作人や、子沢山で忙しい母親が使ったものだった。
    現在、ケシの花の栽培は違法である。1950年代からパパーニャはもう作られていない。それでも名前はこうして残っている。
    部屋に戻ると、外から口笛が聞こえてきた。バルコニーに出て口笛の主は、と見回したら、向かいのテラスで気持ちよさそうに日光浴をしている少年が、イヤホンで音楽を聴いていた。


    2020/3/19
    モンテレッジォ(トスカーナ州)
    Montereggio(Toscana)

    アレッシア・アントニオッティ
    Alessia Antoniotti


    両親が、突然、納屋を片付けることに決めた。何年も前から先送りしてきたことだ。しばらくしたら、外から曲が聞こえてきた。急いで部屋から庭へ出ていくと、両親が大笑いしながら若者のように踊っていた。幸せいっぱいの顔で踊る2人を見て、きっとこんなことはもう何年もなかったことなのだろう、と思った。曲は、古いラジオから流れていた。まだ家にあったことも覚えていなかったラジオだ。
    今日1日で私が一番、うれしかった瞬間だ。


    2020/3/19 ミラノ Milano(Lombardia)

    オット・スカッチーニ
    Otto Scaccini


    買い物に行った。まとまった買い出しだ。だから車で行った。スーパーマーケットの外壁沿いに、ぐるりと囲む長い列があった。このあいだから、もうこれは当たり前だ。早起きして混まないうちに来たかったが、初めて起きるのが辛かった。目が覚めるように、窓を開けておいたのに。
    しかたない。並ぼう。待つ。待つ。
    帰宅して、今日がイタリアにとってよくない1日だったことを知る。
    予測したより、かなり感染者が増えたのだった。テレビやラジオから聞こえてくるニュースが劇的でも、僕はたいていどこかにポジティブな点を見つけて、自分の見るべき方向を決められる。
    ところが今日は違った。これからどうしていいのか、見えない。いったいこのあとどのくらいこの状況が続くのだろう?
    ミラノを自転車で走りたい。
    待って。待って。
    今日は、落ち込んでいる。考えない。夢を見ない。自由でない。
    何か月も前から台所の椅子が壊れたままだ。外はすばらしい晴れ。働くぞ。



    2020/3/19 デルフト(Delft,オランダ)

    クラウディア・ダモンティ
    Claudia Damonti


    今日は、festa del papa’ フェスタ・デル・パパ。父の日。私の父は、<パパ>と呼ばせず、私たちはずっと<バッボ>(お父ちゃん)と呼んできた。
    whatsApp(Lineのようなアプリ)で、父にテレビ電話をかけてみた。受信がうまくいかず、何度目かに父は同僚に手伝ってもらってやっと応えてくれた。
    無理強いして悪かった。私の機械嫌いが誰譲りなのか、これでよくわかった。
    まあ、いいか。
    ミラノにいた頃、毎日が同じ繰り返しだった。朝7時に起床、朝食、シャワー、そして大学。毎朝、台所に行き、エスプレッソ・コーヒーの用意をしようと思うと、マシンの準備がしてあったっけ。<お父ちゃんより>と書いたポストイットがそばに貼ってあった。ポストイットのメモのおかげで、まるでエスプレッソマシーンが話しているように思えた。<ひどい顔しているね、今朝は!><私は用意できたけど、そちらはどう?><カモン・ベイビー、私のハートに火を点けて>
    不偏のおしゃべりマシンなのだった。うさぎの絵やたくさんのハートが描いてあることもあった。女子高校生の日記帳でもああはいかないだろう。
    毎朝のメモは、変化のない私の朝を一瞬でも和ませようとした、父の気遣いだった。
    お父ちゃん


    プロフィール
    内田洋子 Yoko Uchida

    1959年神戸市生まれ。
    東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
    2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
    著書に『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)、『イタリアの引き出し』(CCCメディアハウス)、 『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』(集英社文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、 『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』(集英社文庫)、『イタリアのしっぽ』(集英社文庫)、 『イタリアからイタリアへ』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』(文春文庫)、 『ボローニャの吐息』(小学館文庫)、『十二章のイタリア』(東京創元社)、『対岸のヴェネツィア』(集英社)、 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館から5月刊行予定)。
    翻訳書に 『パパの電話を待ちながら』(ジャンニ・ロダーリ著、講談社文庫)などがある。