妄想書評

妄想書評

小説家、絲山秋子さんによる不穏な書評です。
なぜなら、評された本はこの世に存在しないからです。
誰も知らない、知られるはずのない世界から届く、
絲山さんの脳内のみを通り越してやってくる実在の「書評」。
お楽しみください。


  第九回(2020.01.13)

『アイコンタクトでらくらく操縦! 飼い主自由自在』
『フライハンティング〜幻の揚楡を追って』


(1)『アイコンタクトでらくらく操縦! 飼い主自由自在』
車を運転していると、後ろの人がちょっと元気すぎるなあと思うことがあります。端的に言えば車間距離が短いのです。田舎の道でしたらすぐに譲れるのですが、市街地の片側一車線だとそうもいきません。特に、軽バンのサンバーに乗っているときはアルファロメオと同じ運転をしていても、後続車の勢いを強く感じます。そんななか、煽りを防止する効果抜群な方法を発見しました。
それは「犬の糞の入った袋をリアワイパーにぶらさげること」
たったこれだけです。準備するのは袋と中身だけ!
先月、車で近所の古墳まで犬の散歩に行き、そのあとうっかり袋をぶら下げたまま県都前橋の「けやきウォーク」まで出かけてしまったのです。年末の混み合う時期だというのに、国道17号でも市街地中心部でも、まあなんと後ろの皆様のお行儀がいいこと。やんちゃな面構えの車も、急いでいるはずの営業車も、雪道のような車間距離を取ってくれました。バキュームカーの後ろについたときと同じ反応ですね。
もちろん現物が調達できないとか、美学に反するという方もいらっしゃると思います。そんな方は、消しゴムだとか大さじ二杯程度のお味噌だとか、そういったフェイクでも十分通用すると思いますよ。ぜひお試しください。

犬と言えば、ジョン・レトリバーの新作『アイコンタクトでらくらく操縦! 飼い主自由自在』(レザニモー社 柴田犬作訳)が出ましたね。帯文にある「尻尾を振ったり、吠えたりする必要は一切ありません。適切なタイミングでアイコンタクトを与えるだけで、飼い主はよくなつき、無駄な外出もしなくなります」という文句にめろめろになったうちの犬が早速買って来たので見せてもらいました。
セントバーナード大で行動学の権威として知られるレトリバー教授、前作の『どんな猛人もたちまち忠人へ。飼い主は3秒で変えられる』では、その嗅覚の高さが、大人わんこたちの心を惹きつけて大評判となりましたが、本作は「目線」がテーマです。①立ち位置②瞳孔の開閉による目の輝き調整③見つめる時間の長さ、この三つを調整するだけでアイコンタクトの効果が変わるのだそうです。
指一本動かさずに「愛人(飼い主のこと)」を操るノウハウには、早くもさまざまな反響が集まっています。ドッグランの掲示板では「罪悪感をかきたてて支配するのは後ろめたい」「飼い主が嫌がってサングラスをかけてしまった」などのネガティブな意見もありますが「欲しいときにおやつが手に入るようになった」「どちらが主なのかがはっきりした」「まさに自由自在! 自信がつきました」といった喜びの声の方が数多く見受けられます。飼い主の方もおおむね好意的に受けとめているのではないでしょうか。

(2)『フライハンティング〜幻の揚楡を追って』
来週、久しぶりに講談社に行ってきます。おそらく7,8年ぶりだと思います。講談社には1Fロビーにアトリウムがあって、音羽の森を再現したという樹木が植えられています。あの屋内庭園に住んで、鋭い爪で木からぶらさがったまま何もせず、毎日ぼんやり過ごすのがかつての私の夢でした。知っている編集者が通りかかったら「菓子パン買ってくれよう」「コロッケ買ってくれよう」とねだるのです。そんなごろつきに私はなりたかった。

眼鏡谷鶴平(めがねたに・つるへい)著『フライハンティング〜幻の揚楡を追って』(恍惚社)を読んで、音羽の森はかつて「揚楡(アゲニレ)」の群生地だったことをはじめて知りました。あのころの私は『末裔』という小説で「パンツのなる木」なんて書いていたのに。無知を恥じます。
揚楡の木は、文字通り揚げ物がなる木です。天然のトンカツ、天ぷら、唐揚げなどが採れるのです。受粉が難しいらしいのですが、メンチカツの開花時にエッグプラントが近くにあるとスコッチエッグを実らせることも可能なのだそうです。自然の力ってすごいですね!
『フライハンティング〜幻の揚楡を追って』は、この不思議な植物に惹きつけられ、翻弄された人々の歴史と、揚楡で地域再生をはかる地域の取り組み、今後の展望ついて、余すところなく書かれた本です。揚楡の木は室町時代までは各地の荘園で育てられていましたが、江戸時代の度重なる飢饉によって壊滅的な打撃を受けました。天然の揚げ物が失われると、その代替品として人工の揚げ物が作られるようになります。「食材に衣をつけて油で加熱する」という調理法は高野山などで伝統的に行われてきたものですが、庶民の口に入るようになったのは江戸時代中期になってからだそうです。
近世以降は人々から忘れられてしまっていた揚楡の木でしたが、平成初期になってから、島岡県のいくつかの島に自生していることがわかりました。そして、地元のごく限られた人しか食べられなかった天然の揚げ物を使った村おこしが、去年から葉回島で始まったのです。これが、りんご狩りやぶどう狩りのように揚楡の森で自由に揚げ物を摘み取って食べられる「フライハンティング」、つまり揚げ物食べ放題です。こんがりと揚がったアジフライが鈴なりになっている木が見たい。摘み取った竜田揚げをそのまま口に放り込みたい。太陽の下で輝くフリッターとライスコロッケを同時に頬張ってみたい。一度天然ものを口にしてしまったら、人為的な揚げ物など油くさくてとても、と眼鏡谷氏は断言します。なんて罪な食べ物なのでしょう。たとえエデンの園を追放されることになるとしても私なら揚げ物を食します。ああ葉回島! 一体どこにあるのかさっぱりわかりませんが、行きたくてたまりません。もしもアクセス方法をご存じの方がいらっしゃいましたら、方丈社気付でお知らせくださいませ。

 

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 絲山秋子(いとやま・あきこ)
1966年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞、2016年『薄情』で谷崎潤一郎賞を受賞。近著に『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)、『絲的ココロエ–––「気の持ちよう」では直せない』(日本評論社)。