妄想書評

妄想書評

小説家、絲山秋子さんによる不穏な書評です。
「担当者から送られてきた架空の本のタイトルリストから、毎月本を選んで内容や感想をでっちあげるという企画です。著者と出版社名は私の方でこしらえました」(第1回目より)
つまり、評された本はこの世に存在しないのです。
誰も知らない、知られるはずのない世界から届く、絲山さんの脳内のみを通り越してやってくる実在の「書評」。お楽しみください。


  第五回(2019.09.11)

『白い白馬にまたがって』
『素数ガニの謎』
『ほんとうに会える世界の村長』


十年以上前、夏休みをとって朝早くから車で出かけたときのことです。
県境のトンネルを出ると、どしゃぶりの雨でした。峠を下っていく道の前方にのろのろと動くものが見えます。スピードを落として近づいてみるとそれは路肩を歩く人々の列なのでした。このあたりには駅も集落も登山口もありません。追い越すときに見ると歩いているのは若い人ばかりで、雨に打たれてうつむきながら黙々と坂を下っていくのです。
「お盆であの世から帰ってきたみたいだったよ」
新潟で会う人に言おうと思いました。いえいえ、わかっているのです。幽霊なんかじゃありません。今は夏、ここは苗場。フジロックですよ。
でも、次の瞬間変なことを考えました。
もしも「フジロックは今年から苗場じゃなくなった」と言われたらどうしよう。
背筋が寒くなりました。
こういうのが、怪談のしくみなんでしょうか。ありえない世界や人が自分だけに見えてしまうこと。ふとした気づきに怯えること。
話は変わります。
私はサーティワンアイスクリームで試食が出来るなんて知りませんでした。でも友達はみんな「頼むとピンクのスプーンくれるよね」「昔からあったよね」と言うのです。自分だけが別の世界線から来たのではないかと思ったのですが、しくみは同じでもこれは怪談になりません。
それにしてもなぜ、書評とは何の関係もない小咄をするようになってしまったのだろう。なぜ小咄がどんどん長くなっていくのだろう。今回も、ピンクのスプーンが存在しない世界線からやってきた本を三冊ご用意いたしました。お楽しみくださいませ。

最初にご紹介するのは、現代日本文学を代表する作家である踝丈二(くるぶし・じょうじ)さんの新刊『白い白馬にまたがって』(へちま書林)です。
表題作では謎の男に追われて深い森の中を彷徨う人物が描かれます。泉のほとりで邂逅する美しい娘も、意味ありげな古文書を持たせてくれる老婆も、そして主人公自身ですら一体どこの誰なのか、いったいどんな結末が待っているのか、秘密は最後まで解き明かされません。
何度となく繰り返される「いちめんのなのはないちめんのなのはなそれがどうした」という山村暮鳥へのリスペクトに満ちたオマージュはエモーショナルな感情をかき立てる反復となっています。「タームズの条件」「極楽ヘブン」「女子高生ガールの献立レシピに違和感を感じない」などの重言のリピートもかつてない斬新な新感覚を感じさせます。メタファーとしての比喩や、エッジの効いた鋭い考察も、誰にも真似の出来ない珠玉の作品世界の創世に立ち会う喜びを与えてくれます。

二冊目は『素数ガニの謎』クラベット・ワイズマン著(松ヤニ新書)です。
世界にはなんと7000種ものカニがいると言われています。まだまだ未発見の種もあり、生態などわからないことも多いようです。
タイトルになっている「素数ガニ」というのは、淡路島近海に生息するウズシオガニのこと。この本はその驚くべき生態について書かれています。
ウズシオガニは産卵や脱皮のタイミングで群れを作ります。ワイズマン教授と淡路島水族館の長年の調査により、群れの個体数は必ず素数であるということがわかりました。群れの規模は少なくとも307匹、最大でも997匹程度(300〜1000の範囲内)と言われています。素数になるという法則はいかなる場合も厳密に守られていて、群れの個体数が素数でなくなった場合は複数の素数の群れに分裂するか、離群するカニが必ずあらわれるそうです。(離群するときも2匹、7匹、19匹などの素数とその組み合わせだそうです)
もちろんカニが数学を理解したり、どうしようもなく素数に惹かれてしまうわけではありません。ワイズマン教授は「群れの個体数が素数の場合、カニの体の表面積や体重などの和が産卵や脱皮をするための安全な場所の水圧や海流などの条件に対して最適である可能性が高い」と論じています。
不思議な生態を持つウズシオガニですが、淡路島水族館に行けば誰でも見ることができます。淡路島水族館は和歌山市と東淡路市を結ぶ淡路大橋からすぐの場所にあり、入場無料です。

『ほんとうに会える世界の村長』黒田鹿尾菜(くろだ・ひじき)著(チャンプル出版)
最近、SNSや雑誌で「村フリ」という言葉を見かけるようになりました。村長フリークの略だそうです。
村フリとは、国会議員や知事ではなく、市長や町長でもなく、村長だけがただただ好きで仕方がない人たちのこと。著者の言葉を借りれば「市長と村長は荒物屋と金物屋くらい違う」そうです。
村フリは世界中に存在していて、最近は連携や情報交換も盛んになりました。はるばる海を渡って選挙や祭、公式行事などへ、推しの村長を愛でるために遠征する人も珍しくないのだとか。
この本では、世界の村長128人が、撮り下ろし写真と一言コメントつきで詳しく紹介されています。村長の趣味や好きな食べ物、座右の銘、特技、髪型や服装のこだわり、子供のころのあだ名などから、器の大きさや徳の高さなどの魅力が浮かび上がります。もちろん村の観光案内や、必ず会えるイベントスケジュールも充実。読み応えたっぷりの一冊です。

 

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 絲山秋子(いとやま・あきこ)
1966年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞、2016年『薄情』で谷崎潤一郎賞を受賞。近著に『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)、『絲的ココロエ–––「気の持ちよう」では直せない』(日本評論社)。