妄想書評

妄想書評

小説家、絲山秋子さんによる不穏な書評です。
「担当者から送られてきた架空の本のタイトルリストから、毎月本を選んで内容や感想をでっちあげるという企画です。著者と出版社名は私の方でこしらえました」(第1回目より)
つまり、評された本はこの世に存在しないのです。
誰も知らない、知られるはずのない世界から届く、絲山さんの脳内のみを通り越してやってくる実在の「書評」。お楽しみください。


  第一回(2019.05.14)

『「舌打ち」の中世興亡史』
『薄明薄暮性動物の憂鬱』
『シノシプス曼荼羅ぬりえ』


今月から、「妄想書評」を書かせていただくことになりました。担当者から送られてきた架空の本のタイトルリストから、毎月本を選んで内容や感想をでっちあげるという企画です。著者と出版社名は私の方でこしらえました。
それにしても嘘というものは手間がかかります。嘘を構成するためには事実をたくさん調べて、ほどよく混ぜておかねばなりません。仕上がった虚構は実在していないことを確認しなければなりません。本当のことを書いていた方がずっと簡単だし、それに事実の方がずっと嘘っぽいのです。
たとえば「地下5キロの場所に、地表とは別の巨大生物圏が見つかった」というニュース。「地球の海の広さのおよそ二倍もの生物圏に、炭素量が全人類の200倍〜400倍にもなるという微生物の生物圏が発見されたことが、世界52カ国の研究者が集まる『深部炭素観測所』の年次総会で発表されました。微生物のなかには数千年にわたって存在し続けているものもいるそうです」どこからどう見たって怪しいのですが、ニュースソースはAFP通信やニューズウィークといったメディアで、虚構新聞ではありません。こんなことが本当だというのなら、嘘はいったいどこまでやらなきゃならんのか。先が思いやられます。

それでは早速始めましょう。1冊目は人文書のリストから、睦井粉太郎著『「舌打ち」の中世興亡史』(渦潮新書)を選びました。
舌打ちというと、日本では強い不快感や怒り、悔しさなどをぶつける、言わば八つ当たりのリアクションで、とても失礼な行為とされています。しかし海外では日本とは違った意味やニュアンスがあるようです。国によっても異なりますが、たとえば感情を交えない単なる否定の意味だったり、感心や哀れみをあらわす表現だったり、相槌としての細かい舌打ちもあります。
ノンバーバル(非言語)でのコミュニケーションは、本音や信頼関係と結びつくため、解釈の行き違いはときに国を揺るがすほどの大事件に発展することもあるのだとか。本書では、西ローマ帝国の衰退のきっかけとなった事件や、オスマン帝国の「黄金の鳥かご」すなわち幽閉された皇位継承権者の皇子たちをめぐる話をとりあげています。文化や国民性、言語やアイデンティティといったことまで考えさせられる奥深い一冊です。

2冊目は昨年、ニコライ・ゴーゴリ賞を受賞したロシアの小説をご紹介します。ミラーナ・ケドロフスカヤ著『薄明薄暮性動物の憂鬱』臍田鳶美訳(歌の箱社)です。“21世紀の『動物農場』”“ロシアの極北”などとも称される問題作です。
薄明薄暮性動物とは、明け方と夕方の薄明るい時間帯と薄暗い時間帯に活動が活発になる動物のこと。私たちにとって身近な、猫や犬、鹿、ネズミやフェレットなども薄明薄暮性動物です。小説の舞台となるのは近未来のカムチャツカ半島。ベーリング海にある海底火山の爆発的巨大噴火(破局噴火)の前兆を知った鳥たちと、情報に翻弄される地上の動物たちの姿を通して、社会に属する者たちの滑稽さや命の切なさを描いた作品です。深刻な状況なのになぜかくすっと笑ってしまったり、優しい気持ちがこみあげてくるところが、ケドロフスカヤ作品の魅力と言えましょう。とにかく面白くて、読み始めたらとまらない本です。

3冊目は剣玉出版の〈ぬりえ曼荼羅シリーズ〉から『シノシプス曼荼羅ぬりえ』です。
「シノシプス」というのは、物語や映画のあらすじ、梗概のこと。今回のぬりえは『赤と黒』『ゴリオ爺さん』『老人と海』など世界の名作のあらすじ紹介にふさわしい1シーンの絵を、好みのカラーやトーンで仕上げるというもの。あなたのセンス次第で作品のイメージががらりと変わります。
心を癒す効果があると言われて大ブームとなっている大人のぬりえですが、剣玉出版のこのシリーズはむしろ「なぜ、これをぬりえにしてしまったのか」と不安になるようなテーマばかり。ちなみに前回の配本は『シナプス曼荼羅ぬりえ』でした。シナプスというのはつまり情報伝達のあれ、怪しい花のめしべや、地面にたたきつけられた水風船のようなあれです。そして今年の秋には「プレシップス曼荼羅ぬりえ」が刊行される予定です。プレシップスは太古の時代の馬のご先祖様ですが、言葉遊びがとうとう意地になってしまったのか、いったいどこに向かっているのか、今後も〈ぬりえ曼荼羅シリーズ〉からは目が離せそうにありません。

 


 絲山秋子(いとやま・あきこ)
1966年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、2006年「沖で待つ」で芥川賞、2016年『薄情』で谷崎潤一郎賞を受賞。近著に『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)、『絲的ココロエ–––「気の持ちよう」では直せない』(日本評論社)。